卒寿への最後の坂の残暑かな   田中 白山

卒寿への最後の坂の残暑かな   田中 白山

『この一句』

 「俳句は自分史」と言う俳人がいる。自句を振り返ると、作った当時のことが甦るという人も多い。人生の節目節目の一コマを、短詩に託して書き記す行為は自らの生きた証でもある。節目でなくとも構わないが、作者にとって特別な出来事の方が説得力が増す。掲句は、晩年の自分史上大きな節目である卒寿を目前にした作者の一句。
 「卒寿」は「卒」の俗字、「卆」に由来する90歳のお祝い。「還暦(60歳)」や「古希(70歳)」は、中国由来の節目だが、「喜寿(77歳)」「傘寿(80歳)」「米寿(88歳)」「白寿(99歳)」などの「寿」がついた長寿祝いは、日本独自の命名という。昭和9年生まれの作者は今年で満90歳。日本人男性の平均寿命(約81歳)を大きく超え、文字通り長寿のお祝いまであと少し。その登り坂の最後の数歩の所で、残暑が立ちはだかっている、という。立秋を過ぎてもなお連日の猛暑、作者の切実な思いが伝わる。
 作者が誰か、ある程度想像できたとはいえ、句会では断トツの一番人気だった。「同年代として共感していただきました(幻水)」、「十年に一度の暑さだそうです。頑張って越えてください(愉里)」、「ご立派です、頑張って、まだまだ大丈夫!(満智)」、「卒寿までとは言わず、白寿まで(百子)」、などと多くの句友からエールを送られた。本当におめでとうございます。
(双 24.08.25.)

夕立はゲリラ豪雨と名前変え   工藤 静舟

夕立はゲリラ豪雨と名前変え   工藤 静舟

『季のことば』

 「夕立」と来れば、炎暑の一天にわかにかき曇り、ざっと降り出す広重の名画のような情景を思い浮かべる。さっと上がった後は埃っぽさがきれいさっぱり洗い流され、涼しくなり、皆生き返った気分になる。これぞ夏の景物というわけで季語になる。
 しかし「ゲリラ豪雨」では風情も情緒も無い。どこそこのガード下道路が冠水、自動車が沈んで運転していた人が溺死、あるいは「田圃の様子を見に行ったウチの人が帰って来ない」などと大騒ぎになったりする。
 ゲリラ豪雨も入道雲(積乱雲)が降らせる点では夕立と同じだが、局地的にいきなり発生するところがいかにも不意打ちの感じなので「ゲリラ」と呼ばれるようになった。2000年代に入ってから目立つようになった気象異変で、ことにこの数年頻繁に発生するようになった。わずか数キロ四方の小範囲の集中降雨で、短時間に大量の雨を降らせる。ヒートアイランド現象とか、地球温暖化に伴うあれこれの気象異変のもたらすもので、現在の気象予報技術ではとても予測できない、まさにゲリラそのものの驟雨である。
 この句は伝統的な俳句の詠み方からすれば一寸異色で、川柳めいてもいるが、そこが「ゲリラ豪雨」という句材と合わさって今日的な感じを醸し出している。
(水 24.08.23.)

古のラガー揃ひて冷素麺    池村 実千代

古のラガー揃ひて冷素麺    池村 実千代

『この一句』

 老年のラガーマンが打ち揃って冷素麺を食べているという、場面を想像するだけで愉快になる句である。句会では「昔のラガー仲間が素麵をまん中に出して、懐かしがって喋りながら食べている」、「古つわものどもが、どんぶり鉢で素麵を食べている」など、元気の良い老年ラガーを思い浮かべた人が多く、7月の日経俳句会の兼題句で二席となった。
 老いたりとはいえラグビーで鍛えた大男たちが、細い素麺をつるつると啜る。その大小の対比が面白みを生んでいる。さらに、現役の頃は肉やご飯をがっつり食べていたラガーが、今は素麺で済ますという今昔の落差も、句に可笑しみをもたらしている。
 作者は息子二人をラガーマンに育て上げた〝孟母〟である。夏は合宿所に、冬は競技場に足を運び、料理や弁当を作るなど息子たちを応援してきた。句会での作者の弁によれば、今でも菅平の合宿所に顔を出すことがあり、昔の学生ラガーが、今や監督や指導者になって十人ぐらい集まって来る。みんなでラーメンやカレーを食べて、試合に出て行く情景を詠んだとのこと。
 「古のラガー」は大げさで、「往年の」ぐらいでどうかとの指摘があった。しかし数十年にわたってラグビーに関わってきた作者にとって、若き時代は「いにしえ」であるという。「古のラガー」という措辞には、作者自身の懐旧の念も込められているのである。
(迷 24.08.21.)

夕立晴れ傘のチャンバラ帰り道  岡田 鷹洋

夕立晴れ傘のチャンバラ帰り道  岡田 鷹洋

『合評会から』(酔吟会)

道子 夕立が上がって晴れ晴れとした空の下でチャンバラごっこ。かつて自分もやった懐かしさのある句です。
三代 昭和の風景ですね。私の小学生の頃もこんな元気な男の子たちがいました。チャンバラがいい。懐かしい情景が立ち上ってきます。今の子たちはやらないんでしょうね。
水馬 私も小学校の帰りにチャンバラをよくやりました。その光景をそのまま詠んだ。
三薬 私は夕立に走り出す子供達を句にしようとしましたが、断念しました。雨が止んでからの光景を捉えた、この句に負けました。昔はこんな子供達ばっかりでした。
青水 ろくなおもちゃもない世界では、あらゆるものが遊び道具となる。ああ俺たちはたぶん、昭和の物不足と言う古き良き時代を愉しんだに違いない。そう思いました。
愉里 いまの子供はチャンバラなんか知らないですね。
          *       *       *
 何の説明もいらない句である。同じような句が既にたくさん詠まれているかもしれない。それでも句会に出てくると取ってしまう。ましてや熟年同士の句会、往時追懐の念はことさらである。
(水 24.08.19.)

広島や炎暑にゆがむアスファルト 嵐田 双歩

広島や炎暑にゆがむアスファルト 嵐田 双歩

『この一句』

 原爆の「爆」の字すら使われていない句だが、誰もが八月六日のことに思い至る句である。同じように、原爆の「爆」の字も使わずに、原爆を詠んだ句に西東三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」がある。口はモノを食べるためだけの器官ではなく、モノを語るための器官でもある。「卵食ふ時口ひらく」は、原爆の惨状を口をひらいて語ることなどできないことを寓意している。
 一方、双歩氏の句。炎暑であれば、どこの土地にあってもアスファルトは歪んだり、陽炎が立って見えることがある。しかし、それが広島の炎暑である時、「ゆがむ」はつねならぬ光景を想起させることになる。西東三鬼の句や、掲句は、原爆の直接被害者ではない私たちが、原爆のことを詠むにあたっての、ほど良い、かと言って切実さを失わない、ぎりぎりの立ち位置を示しているように思う。
 最近、朝のテレビドラマのヒロインの相手役が「総力戦研究所」に在籍したことがあり、日本必敗を予測したにも拘らず、何もできなかったと悔いるシーンが話題になっている。開戦回避はともかく、七月二六日に発表されたポツダム宣言が即時受諾されたなら、原爆は落とされなかったのではないかという思いは、繰り返し湧いて来る。もちろん歴史にタラもレバもないことは百も承知の上である。「はて?、ガザやウクライナはどう決着させるのだろう」と思わざるを得ない。
(可 24.08.17.)

素麺にあれもこれもと季を重ね  高橋ヲブラダ

素麺にあれもこれもと季を重ね  高橋ヲブラダ

『この一句』

 句会では「よく解らない句」という人が多くて、これを取ったのは私一人だった。「あれもこれもと季を重ね」たというのは、冷素麺に思いつくままの薬味を色々掛けたのだろうと解釈して、私と同じような食いしん坊がいるなと面白がったのである。しかし、あとで読み返しているうちに、自分の解釈が合っているのかどうかが分からなくなってきた。
 でもまあ、俳句は投句したら最後、読み手があれこれ解釈するのは自由勝手で、時には作者の作句意図とは違う意味合いに取られて、それが定着してしまうことさえある。ここは私の解釈で押し通すとしよう。
 素麺は冠婚葬祭の膳に出される格式ある食品で、春夏秋冬時期を問わないから季語に取り立てられなかった。しかし江戸時代も末になると、夏場に冷たい井戸水で冷やした素麺をもてはやすようになり、「冷素麺」が夏の季語になった。それが今ではどこの家庭も夏場になれば至極当たり前に素麺をつるつるやるから、「素麺」だけで夏の句として扱われることになった。
 それとともに自称素麺通が続出し、ネットでは変わり素麺や薬味の数々が紹介されている。刻み葱、青紫蘇、茗荷、海苔あたりは定番だが、おろし生姜、わさび、唐辛子、大根おろし、ナンプラー、白胡麻、刻みニラ、錦糸卵、梅干、明太子、シーチキンと目が回りそうだ。「季重ね」もいいところだが、素麺好きには「さて今日は何素麺にしようか」という楽しみともなる。
(水 24.08.15.)

三文字の暖簾くぐりて泥鰌鍋   中野 枕流

三文字の暖簾くぐりて泥鰌鍋   中野 枕流

『合評会から』(日経俳句会)

迷哲 浅草界隈に泥鰌屋が何軒かあり、暖簾に泥鰌を染め抜いている。それが夏の風にはためいて客を呼んでいるようで、そういう光景が浮かんだので頂きました。
水牛 「三文字の暖簾くぐり」っていうのが、何てったってうまいね。これで採りました。
水馬 暖簾には“どぜう”と書いてあるんでしょうね。面白い句。
阿猿 「三文字の暖簾」という表現から想像が広がる。
          *       *       *
 作者は「どぜう」の暖簾がかかる、浅草の「駒形」にでも入るのだろうか。鰻もめっきり高くなって、庶民には文字通り高根の花。鰻に比べれば泥鰌はまだまだ手が届く。刻み葱をたっぷり載せた鉄鍋を、箱七輪に置けばグツグツといい匂い。甘辛の泥鰌を口にふくみ、ビールや冷酒を迎え入れれば鍋のお代わり必至。ことに駒形は畳の入込みで江戸情緒をしのばせる。浅草界隈、鰻にはまる外国人客が増えたとのことだが、はたして泥鰌鍋は受け入れられるだろうか。姿そのままの「まる」はちょっと疑問符がつく。
 余談が過ぎたが、この句は「鍋焼と決めて暖簾くぐり入る 西山泊雲」を思わせて食欲をそそる。泥鰌料理は「どぜう」でなければ雰囲気がでない。平仮名表記を意味する「三文字」が大いに効いている。
(葉 24.08.13.)

大夕立広重の絵の人となる    廣田 可升

大夕立広重の絵の人となる    廣田 可升

『合評会から』(酔吟会)

鷹洋 これはもう、見たままの句ですね。広重の有名な絵の傘をさして走っている姿と自分を重ね合わせているのでしょう。
青水 手練れの作品です。「絵の人となる」とはねえ、しびれますねえ!
道子 広重の絵がすぐに浮かんできました。
          *       *       *
 作者は深川住まいだから、句会会場の芭蕉記念館の界隈はしょっちゅう自転車を乗り回している。広重の江戸百景に描かれた様々な風景がいつも頭の中にある。「夕立」の兼題が出たら、すぐに「大はしあたけの夕立」が思い浮かぶのは当然のことだった。
 徳川幕府は隅田川を江戸の東側の防御線として千住大橋と両国橋だけしか架けなかった。しかし人口が増えるにつれ房総との交流が増し、いかになんでもということになって元禄6年(1693年)末にこの橋を作った。三つ目の大橋ということで「新大橋」と呼ばれ、千葉方面と都心の浜町とを直結する、人と物流の大動脈となった。
 この橋の下流300m程の所に芭蕉庵があり、330年前、芭蕉は架橋工事を朝夕の散歩にわくわくしながら眺めていた。「初雪やかけかかりたる橋の上」と架橋途中を詠み、「ありがたやいただいて踏む橋の霜」と渡り初めの感激を詠んでいる。それからほぼ160年後、歌川広重はこの橋に大夕立を降らせ、その絵を見て大感激したゴッホは懸命に模写して自らの画業に役立てた。それから170年後のいま、不細工な鉄骨の新大橋にはビニール傘が右往左往している。
(水 24.08.11.)

勘違いと言い放つ君夏の果    向井 愉里

勘違いと言い放つ君夏の果    向井 愉里

『季のことば』

 「夏の果」という季語の持つイメージが、さまざまな情景、ドラマを想起させ、印象に残る句である。夏の果は夏の終わりを意味する時候の季語。俳句の世界は旧暦なので、厳密には立秋(8月8日頃)の前、7月末から8月初旬ということになる。その頃は夏の盛りでなので、夏の果を詠む場合は、多少時期をはずれても、夏が終わる頃の風光や感慨が主題になる。水牛歳時記も「そのへんはまあ大目に見て、過ぎ行く夏のあれこれを詠めば良いのではなかろうか」と寛大である。歳時記には同類の季語として夏終る、夏逝く、夏惜しむなどがあり、その気分が分かる。
 掲句はどういう状況か分からないが、相手に「勘違い」と言われた場面を詠む。「言い放つ」との表現から、相手の思いやりのない態度や言われたことへの怒りがにじむ。句会では「やっぱり、男と女の関係でしょう?」とか、「ボクのこと好きなんだろうって言ったら、勘違いよって言われた?」など憶測しきりだった。
 作者のコメントによれば、そうした色恋沙汰ではないが、期待をしてた相手に、勘違いと言われた落胆、怒りにも似た感情を表現したかったという。現代人の夏は昔に比べずいぶん活動的である。海や山、さらには海外で遊び、さまざまな体験をする。その夏が終わることへの感慨もひときわ深くなる。勘違いと言い放った君と、言われた私の感情の行き違いに、読者はそれぞれの「夏の果」の感慨を重ね、ドラマを思い描く。季語の力を実感する句である。
(迷 24.08.09.)

添書きの文字の細さよ夏見舞   加藤 明生

添書きの文字の細さよ夏見舞   加藤 明生

『合評会から』(日経俳句会)

双歩 添書きの文字が細い。何で細いのか、いろいろと想像されて、なんか物語がありそうだなと。
朗 夏場で疲れちゃったのかなあとか、歳とってあれなのかなあなど、いろいろ想像できそう。
水牛 添書きの文字の細さが、なんとなく夏で参っちゃいましたよ、というところを分からせる。そんな句になっていて、暑中見舞の葉書らしい。
百子 何と書いてあったのでしょうか。ご自分の体調でしょうか。相手を気遣う添書きでしょうか。何だか心配になりますね。
水馬 これだけ暑いと身も文字も細ります。
          *       *       *
 昨今、暑中見舞の葉書をやり取りしている人はどのくらいいるのか不明だが、多くはないと思われる。筆者も「書くことも来ることもなし暑中見舞い(阿猿)」状態だ。「偶に来る暑中見舞は業者から」と詠んでみたものの、川柳のようで出句しなかった。兼題の「暑中見舞」に、過去の記憶を辿ったり、あれこれ想像したりとみなさん苦労したようだ。
 そんな中、「添書き」を詠んだ句が目立った。掲句もその一つ。内容よりも「文字が細い」ことが気になる暑中見舞だという。以前は、もっとしっかりしていたのか、細いだけではなく弱々しい筆致だったのか。高齢者の多い句会だけに、身につまされたようで、共感者が多かった。
(双 24.08.07.)