北風も仲間に入れて競技場   池村 実千代

北風も仲間に入れて競技場   池村 実千代

『この一句』

 寒風の吹く競技場での熱戦を詠んだ句である。サッカーもあるが、「仲間に入れて」の絶妙な措辞から考えると、ラグビーの試合しかないだろう。鍛え上げた十五人が楕円のボールを先頭に突進する。迎撃のタックルから肉弾戦が展開され、体は湯気を発する。北風が心地よく感じられるほどだ。スタンドの観衆も体を揺すり、叫び、グランドの選手と一体化する。
「one for all(みんなのために)」というラグビーの本質を語る言葉がある。選手を観衆を、そして北風までも巻き込んで仲間にする。これほど一体化を実感するスポーツは他にないと思う。
 作者は息子二人をラガーマンに育てた。真冬の競技場で何度も子供に声援を送ったであろう。「仲間に入れて」は、現場に身を置いた人だから詠める言葉で、競技場のどよめきまで聞こえて来るようだ。2019年秋のワールドカップで日本代表はベストエイトまで進み、日本中が熱狂した。あの活躍ぶり、一体感もよみがえってくる。
(迷 19.12.26.)

しぐるるや動物園の裏の道    横井 定利

しぐるるや動物園の裏の道    横井 定利

『この一句』

 「時雨」の感じが実によく伝わって来るなあと、句会では一も二も無く採った。何がいいのかと言うと、動物園の裏道と「時雨」の取り合わせが何とも言えない味を出しているのだ。
 上野動物園も、天王寺動物園でも、私の地元のささやかな野毛山動物園も、裏の道はまことに寂しい。動物が逃げたりしないように、片側をかなり高い塀が連なる淋しい道である。深夜は通る気にならない。夕闇迫る頃合い、時雨の降りかかる頃など、何とも言えない雰囲気である。自然に足を早めている。
 動物園の裏道がどうしてこんなに寂しく、時に陰惨ともいうべき空気が漂うのだろう。上野動物園の裏道を歩きながら考えた。そして気が付いた。囚われの動物たちの呻きがここに澱のように溜まっているのだと。
 私は動物園が大好きで、二ヵ月に一度は出かけている。そして小さな狸や狐からライオン、象などの大きな動物まで、飽かず眺め、元気を貰って帰って来る。しかし、そうして人間を楽しませてくれる彼らは、死ぬまで釈放されることのない無期懲役なのだ。
(水 19.12.25.)

踏ん切りのつかぬ帰郷や都鳥   廣田 可升

踏ん切りのつかぬ帰郷や都鳥   廣田 可升

『合評会から』(番町喜楽会)

青水 季語の「都鳥」を帰郷にうまく結びつけましたね。「百合鷗」だとこうはならない。
迷哲 日経新聞に連載中の「業平」の歌の本歌取りですね。我々田舎から出て来たサラリーマンの、なかなか故郷に帰れない思いをうまく表現しています。
満智 義務とわかっていても帰郷に気乗りしない心持ちを「踏ん切りのつかぬ」とうまく表現し、帰郷を「都鳥」とからめたところにも感心しました。
斗詩子 都会に長く暮らして定年を迎え、「故郷に帰ろうか、いやもう…」と逡巡する人は多いでしょうね。
可升(作者) 具体的には何もありませんが、夫婦で「大阪に帰らなくてもいいのかな」と話すことがあります。
          *     *     *
 戦中派から団塊の世代の少し下まで、高度成長期に地方から東京や大阪に働きに出た人達にとって、「故郷は遠くにありて想うもの」どころか、家や墓の問題につながる、すこぶる気に懸かる存在になっている。そのあたりの心情をたくみに掬い取った佳句である。
(光 19.12.24.)

流木を中洲に残し冬千曲     堤 てる夫

流木を中洲に残し冬千曲     堤 てる夫

『この一句』

 千曲川は、藤村の「千曲川旅情の歌」で知られ、四季折々の美しい佇まいが人気だ。しかし、名は体を表す。千ほど曲がりくねっていると言われるほどの暴れ川でもある。その川が先の台風19号による未曾有の大雨で氾濫し、多大な被害をもたらした。2ヶ月過ぎた今もその爪痕が残る。掲句は、その千曲川の今を切り取った時事句なのだが、台風禍以前の作だと言われても得心するほど抑制の効いた筆致だ。句会でも「災害の後は『哀れ』とか『痛々しい』とか言いたがるけど、実際の風景をさらっと詠んで上手いなぁ」と涸魚さんが評したように、冬ざれの大河の景を素直に詠んだ表現に共感する人が多かった。
 長野県上田市に作者が居を移して久しい。作者の自宅前を走る別所線は千曲川に架かる鉄橋が濁流に橋脚をさらわれ崩落した。鉄橋部分を含む区間はバスで代行し、全面復旧は2021年春を目指しているそうだが、しばらくは不便を強いられそうだ。
 この一句、惨禍を声高に言いつのるのではなく、ありのままの姿を淡々と詠んで心に沁みる。旅人の目にはない、地に足がついた生活者の眼差しが行間から滲み出ているからだろう。
(双 19.12.23.)

残業の母に飛び込む白き息    中村 迷哲

残業の母に飛び込む白き息    中村 迷哲

『おかめはちもく』

 冬の寒さがつのる今日この頃。保育園に残業帰りの母親が迎えに来ている図と見える。残業帰りというのだから夜八時、九時過ぎかもしれない。辺りが暗くなっていても幼児の吐く白い息がくっきり。
 保育園で保母さんになにくれとなくお世話をしてもらっても、母親の迎えは何物にも代えがたいものだ。朝、送ってくれた母親と離れがたく大泣きする幼児もいる。評者は孫を送って何度も見た光景である。大泣きの反動か、迎えの母親に喜びを爆発させているのだ。「飛び込む」という表現が切々と響く。
 ほほえましく美しい情景の句として一票を投じた。句の出来と句会の得点は、必ずしもシンクロナイズする訳ではないことはよく分かっている。だが好ましい情景を詠んだ句なのに、座が大きく反応しなかったのは、「残業の母」に省略があったせいと思える。「残業の母に飛び込む」と言えば、残業中の母と取られかねない。ここは「残業終えし」と七音になってもいいと思うのだが。それにしても、働き方改革が行き渡り、残業なしの世が待たれる。
(葉 19.12.22.) 

初雪や子の恋人の来ると言ふ   田中 白山

初雪や子の恋人の来ると言ふ   田中 白山

『季のことば』

 初雪はその冬に初めて降る雪のこと。古来、雪は月、花と同様に賞美され、特に初雪は縁起の良いもの、心弾むものとして歌や句に詠まれた。「初雪は盆にもるべき詠(ながめ)哉 其角」や「初雪や水仙の葉の撓むまで 芭蕉」が歳時記に載る。
 掲句も子供が恋人を連れてくることを喜び、そわそわして迎える親の気持ちが、初雪の季語にうまく合っている。家族のあたふたぶりも想像され、微笑ましく心がふんわり温かくなってくる句だ。
 句会では雪国生まれの人から、初雪は寒く長い冬の到来を告げるもので、違和感があるとの指摘があった。確かに冬に向かう覚悟を迫る側面もあり、雪国に住んだ一茶には「初雪をいまいましいと夕(ゆうべ)哉」の句もある。
 ただ日本の風雅の伝統から見ると、初雪はやはり心弾むものであり、喜びを詠んだ明るい句が多い。家族にとっての〝大事件〟をユーモアに包んで詠んだこの句に、初雪に対する思いは別にして雪国の人も共感してもらえるのではないだろうか。
(迷 19.12.20.)

都鳥並びて傾ぎ氷川丸      谷川 水馬

都鳥並びて傾ぎ氷川丸      谷川 水馬

『この一句』

 作者はぶらりと横浜港に出掛けた。山下公園添いに氷川丸が停泊していた。この著名な大型貨客船は六〇年も前に現役を退き、今は国の重要文化財に指定され、静かに余生を送っている。
 作者はここに来るたびに氷川丸を眺めるのが常だが、この日は少々様子が違う。こちら側の手すりに都鳥(ユリカモメ)がびっしりと並んでいた。ふと気づく。氷川丸が手前に少し傾いているではないか。ユリカモメの重さで・・・、まさかね。いくらカモメが集まっても重量は知れたもの。一万トン級の巨船が鳥の重さで傾くわけがない。
 作者はしかし、これをユリカモメの仕業として詠んだ。「あたかも~~のような」状態を事実風に詠むと、俳句に独特の面白さが生れてくる。「閑かさや岩にしみ入蝉の声」。蝉の声が岩にしみ込むわけはないのだが、この句は芭蕉がこう詠んで名句となった。
(恂 19.12.19.)

行き止まるレールの錆びて山時雨  中村迷哲

行き止まるレールの錆びて山時雨  中村迷哲

『この一句』

 これは、どこの光景なのだろうか。地方に行くと錆びたレールを見ることが多くなった。ひとつは利用者減少による廃線のため、もうひとつは地震や台風などによる被害のためである。東日本大震災による三陸鉄道が典型だが、復旧に何年も要し、ようやく全面開通したと思ったらまた被災し、というとても悲しい話もある。
 廃線になったわけではないが、錆び付いた無用のレールとなれば、それこそ至る所に見受けられる。たとえば待避線、閉鎖された車両基地…。日本経済の全盛期をしのばせるものだ。それが時雨が降り頻る山間にあり、そこに桜や欅などの落葉が舞い散り、風に震え…などと想像すると、どうしようもない侘しさが募ってくる。
 だが、それが日本の現実なのだろう。鉄道衰退の要因はクルマ社会の発展にあった。それが地球温暖化をもたらし、加速すると確認されても、クルマ依存はやみそうもない。アクセルとブレーキを踏み違えての事故が頻発したところで、自分には無縁と思う人が多いのだから。日本人の頭も錆びているのかもしれない。(光 19.12.18.)

短日に早足の帰路襟たてて    久保 道子

短日に早足の帰路襟たてて    久保 道子

『おかめはちもく』

 日が短くなると、誰しも急かされる気分を抱く。それを「早足で」「襟たてて」せかせかと家路に就くのだと、具体的な「動作」で詠んだ。これによって誰もが「ああそうだ」と頷く句になった。作者は今年9月に酔吟会句会を見学し、その場で入会、11月句会に初めてこの句を出した。俳句を始めたばかりの人の句とは思えない、ツボを心得たというか、きちんとした句である。
 久保さんは「日頃の小さな感動を自分の言葉で俳句にしたい」と、会報の「自己紹介文」に綴っている。これこそ、俳句作りの原点である。見た物、感じた事を、借り物では無い自分の言葉で5・7・5にする。これが最も大切である。
 と言うわけでこの句は、初心の作品としては申し分ないのだが、あえて言えば、下五に「襟たてて」が独立しているため、この句の主題である「短日の気ぜわしさ」より「日暮れの冷え込み」が強く印象づけられてしまう恐れがある。
 ここは思い切って「短日の帰り道」を強く打ち出してはどうか。
  (添削例) 短日の帰路は早足襟立てて
(水 19.12.17.)

ノーサイド背中湯気吐き息白し  池内 的中

ノーサイド背中湯気吐き息白し  池内 的中

『この一句』

令和元年はラグビー・ワールドカップで大変盛り上がった年である。サッカーに比べてはるかに地味なスポーツで、「にわかファン」も含めてこんなに盛り上がったのは驚くほかない。
若い頃、正月休みに帰省すると、かならず花園ラグビー場の社会人選手権を観に行った。実家でおせちの残りを詰めてもらい、魔法瓶に熱燗を入れ、花園のスタンドで一人で楽しんだ。前売券など買わずとも入れ、生駒山を見ながらのなんとものどかな観戦であった。近くでオールドファンたちが酒盛りをしていて、「あほ、なんでそこでノックオンするねん」などと叫んでいる。スタンドとフィールドの距離が近く、選手や審判の声が観客席まで聞こえてきた。
掲句は試合が終わった後の選手の姿をそのまま描写したものである。この日の季題は「息白し」。作者はそれだけでは物足りないと考え「背中湯気吐き」の措辞を置いたのだろう。これをうるさく感じて、「息白し」に絞った方がよいという指摘があった。しかし、この措辞があることで句の臨場感はぐんと増す。あの頃の花園のようだ。「ラグビーの年」の掉尾の句会を記念して一票を投じた。
(可 19.12.16.)