筑波山夕陽のなかの烏瓜    池村 実千代

筑波山夕陽のなかの烏瓜    池村 実千代

『季のことば』

 筑波山をバックに夕陽に照らされた烏瓜が印象的な叙景句である。見たままを詠んだように思えるが、工夫が凝らされている。まず「筑波山」とポンと提示して関東平野に屹立する山容をイメージさせ、手元の烏瓜へと視線を導くズームインの手法。さらに筑波山と烏瓜を夕陽でつなぎ、夕焼の色と烏瓜の色を重ねて、読者の脳裏を赤く染め上げている。夕陽の「なかに」とせずに「なかの」としたことで、より烏瓜に焦点が絞られる。
 烏瓜はウリ科の蔓性多年生草。細い茎が樹木などに巻き付いて高い所まで伸び、秋になると楕円形の実を付ける。生り初めは縞のある緑色だが、熟れると朱赤色になってよく目立つ(角川俳句大歳時記)。昔は霜焼けやあかぎれの薬として、庭に植える農家も多かった。晩秋から冬にかけて真っ赤に熟した烏瓜は誰もが目にし、記憶に刻まれているのではなかろうか。句を読んだ人はオレンジ、朱色、赤などそれぞれの記憶にある烏瓜を思い浮かべたに違いない。
 作者は世田谷在住だが、友人を通じて筑波山のふもとの大きな農家の主と知り合い、農作業を手伝うことがあるそうだ。6月の句会には「一日を農婦になりて梅仕事」とその体験を詠んだ句を出している。烏瓜の熟れた秋は、筑波山を見ながらどんな作業を手伝ったのだろうか。
(迷 25.12.07.)

はからずもアベノハルカス冬日差す 杉山三薬

はからずもアベノハルカス冬日差す 杉山三薬

『この一句』

 東西の句友が集まって暮の大阪を散策した際の吟行句である。同工異曲の句の「雑踏にハルカス見上ぐ冬日和」(高橋ヲブラダ)と真っ向からぶつかった。結果、三薬句に軍配が上がった。この二句を冷静に詠み比べたとき、もしかするとヲブラダ句のほうが出来が良いという判断もあるような気もする。しかし迷った末にボクは三薬句を選んだ。理由は吟行にある。嘱目吟として「はからずも」を上位に置いた。果たしてこの判断は是か非か。
 この日は住吉大社を参拝して、そのあと通天閣・新世界へと行くことになっていた。そこで住吉さんを出て、路面電車の阪堺電気軌道で恵美須町まで行くつもりで、みんなでチンチン電車に乗車。日曜日とあってかずいぶん混んでいたが、途中で幹事から「終点の天王寺で降りてください」。何のことはない、乗り間違い。で。天王寺駅に降りたとたん、みんなが目にしたのが巨大なアベノハルカスだった。
 晴れ渡った青空高くに聳える建造物に、一同肝をつぶした。でかい。すごい近代建築!スカイツリーに慣れていたアズマエビスどもは驚愕した。これがこの句の種明かしである。電車に乗り間違えての、はからずも!でした。
 ちなみに三薬さんは東京側、ヲブラダさんは大阪側の、それぞれの幹事さん。巧まずして、ご両人が同じ光景を嘱目吟にしていたのである。
(青 25.12.05.)

日短し時刻表手に旅案内    高橋ヲブラダ

日短し時刻表手に旅案内    高橋ヲブラダ

『この一句』

 「俳句は挨拶」とよく言われる。俳諧の時代、句会に招かれた客は主人への挨拶として発句を詠む。「お招きくださってありがとうございます」。それに対し主人は「いえいえこちらこそ遠路ありがとうございました」と脇をつける。各地に招かれ発句を詠んだ松尾芭蕉には、挨拶吟が多い。
 掲句は、関西在住の日経俳句会員の元に関東の仲間が押しかけ、芭蕉ゆかりの地を主に巡った大阪吟行での詠。昔と違い歌仙を巻くわけではないが、吟行後の句会では、地名を織り込んだり、名所の風景を詠んだりの挨拶句がよく出される。分けても幹事の労をねぎらう挨拶句は、必ず1句や2句は出句されるし、互選では高点を得ることが多い。
 昼前、京都駅に参集した一行は、幹事の案内に従ってJRで唐崎神社及び比叡山坂本、バスで日𠮷大社、京阪で義仲寺、JRで大阪、地下鉄で本町と経回った。あと少しで冬至を迎える短日の午後、幹事はスマホ検索の時刻表を睨みながら、年寄グループを先導。最後の南御堂前の芭蕉終焉の地に着いた頃は、すっかり暗くなり御堂筋の銀杏並木はイルミネーションに彩られていた。
 翌日の句会は、国の重要文化財・大阪中央公会堂という由緒正しい建物の会議室で催された。筆者は何とか幹事を労う句を出そうと思案したが、結局思いつかず断念。そこへ掲句に出会い、真っ先に献票した。他に採った人も「季語が幹事さんの心情をよく表している」と好評だった。果たして誰がこの句を詠んだのだろうと興味津々。
 ところが何と、作者は幹事その人だったのだ。これには一同ビックリ。自画自賛か、と。しかし、考えてみれば別に自分を褒めたり、自らを労っているわけではなく、淡々と自身を詠んだに過ぎない。「俳句は自分史」とも言われるではないか。
(双 25.12.04.)

東阪の句友芭蕉の忌を修す    嵐田 双歩

東阪の句友芭蕉の忌を修す    嵐田 双歩

『この一句』

 日経俳句会初めての試みとして、11月末に東京・大阪合同の吟行句会を催行した。東京組6人が遠征し、大阪在住の3人と一緒に琵琶湖畔と大阪市内にある芭蕉の墓や句碑などを巡るもの。1泊2日の行程は幸い天気に恵まれ、東阪の交流を深める思い出深い旅となった。
 コースは近江八景のひとつ唐崎の松を振り出しに、日吉神社で紅葉を愛で、義仲寺にある芭蕉の墓に手を合わせた。夕方大阪に入り、御堂筋にある芭蕉終焉の地を確かめて、近くに宿泊。翌日は芭蕉が亡くなる直前に訪れた住吉大社に参詣、天王寺公園、通天閣のある新世界を経て、中之島の大阪市中央公会堂で句会を開いた。
 掲句はその時、二席となった3句のひとつ。芭蕉の足跡をたどりつつ、東阪交流を図るという吟行の狙いを上手に融合させている。歌仙に巻いたら、巻頭に据えるにふさわしい挨拶句である。
 さらに巧みなのは芭蕉忌という季語の織り込み方である。芭蕉が大阪で亡くなったのは旧暦の10月12日で、時雨忌、翁忌とも呼ばれる。新暦では11月28日にあたり、吟行の時期とほぼ重なる。「忌を修す」とはあまり見ない表現だが、故人を偲び法要を営むことをいう。芭蕉ゆかりの地を訪ね俳聖を偲んだ吟行を、忌を修すと表現した学識とセンスに感心した。
 ちなみに義仲寺で聞いた話では、芭蕉の遺髪や遺品を納めた墓は全国に400カ所以上あり、明治期までは義仲寺に登録されていたという。探してみれば、意外に身近なところで忌を修することが出来るかもしれない。
(迷 25.12.03.)

酉の市メトロ狭しと大熊手    杉山 三薬

酉の市メトロ狭しと大熊手    杉山 三薬

『季のことば』

 十一月の年中行事「酉の市」。江戸時代から関東各地で続いているが、なんと言っても東京浅草の酉の市が規模も大きく名高い。鷲(大鳥)神社に熊手市が立ち開運、商売繁盛を願う人が列をなす。本家本元の大阪・堺の大鳥神社には熊手市も夜の屋台も出ないそうだが、現代では主に東京の風物詩となっているようだ。令和七年は十四日、二十四日の酉の日に催される。火事が多いとの古諺がある三の酉はない。毎年ずいぶんな人出があり、ことに二十四日は振替休日で相当な人波が押しかける。
 掲句は「メトロ」とあり、地下鉄そばの新宿花園神社(三大酉の市)とも考えられないではないが、まず浅草の情景とみていい。府中の大國魂神社(同)に住まいが近い作者ではあっても、浅草の大賑わいを浮かべて作った句と思える。初冬の寒気と夜市のきらびかさ、「それ、それ、繁盛、繁盛、繁盛」の掛け声と威勢のよい手締めが鳴り響く。
 「酉の市」の兼題にこたえ、句友の作は熊手、お多福、屋台、人波、手締めなど定番のほか、英語の客やヒジャブ姿のモスリムを詠んだものも登場、目新しさもあった。混雑の中の熊手を詠むのは定番には違いない。たしかに地下鉄の狭い通路、ホームで大熊手を担いで歩かれたら他の乗客は迷惑だ。筆者も「人を分け改札くぐる大熊手」と同様の場面を詠んだのだが、「メトロ」の一語が入った掲句には遠く及ばない。改札口という小景より、メトロ駅と車内風景をも想起させる句に出会って納得したことである。
(葉 25.12.01.)

山茶花や母校はブルに潰されて  岡田 鷹洋

山茶花や母校はブルに潰されて  岡田 鷹洋

『季のことば』

 ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹である山茶花は台湾にも中国にもあるが、やはり日本の花と言って良いだろう。詳しくは水牛歳時記に載っているので割愛するが、ツバキと違って花びらが一枚ずつはらはらと散る。凩が吹き出す11月の殺伐とした光景の中でさかんに花を開き、人々の気持ちを和ませてくれる。童謡たきびのメロディも手伝って、しみじみと心に響いてくる。山茶花のこの一見華やかな中にある翳りが、日本人の好みである。
 我が国の少子高齢化が地球上で最も早く、急激に進み、あちこちに歪みを齎している。全国に空き家が広がりタダ同然で売り出されているという。各地の学校施設もご多分に漏れず破壊され、更地と化してゆく。日本全国で自分を全面的に否定されたような、暗鬱な気分になっている国民が少なくない。下町育ちで江戸っ子気質のこの句の作者の場合も同然のようだ。ブルドーザーで引きちぎられてゆく校舎に我が身を重ねていたのだろう。
 ブルという表現が雑で分かりにくい。もう少し推敲の余地があったのでは、などとの声もあった。その通りではあるが、そうした瑕疵も、潰されての措辞で十分補填され、かえって追い詰められた作者の心情を晒す役目を果たしているとさえ言える。この句の眼目はやはり季語が持つ哀愁である。日本人好みの山茶花がもたらす、包み込むような温かさが効果を発揮して、この句にしっとりとした詩情を与えている。
(青 25.11.29.)

日常に熊ゐる秋の異常かな    金田 青水

日常に熊ゐる秋の異常かな    金田 青水

『合評会から』(番町喜楽会)

光迷 いまのご時世をうまく詠んでいますね。「日常」と「異常」を対にしているのもいい。
水牛 日常に熊がいるというのはとんでもない状況ですが、それをすらっと詠んだのが上手いですね。
満智 現状をそのまま詠んだ句ですが、多くの人の実感を端的に表していると思いました。
木葉 (熊の駆除などに)自衛隊の助けまで必要とは、本当に困ったことだ。死傷者はもう何人になったろうか。二〇二五年の時事句として、後世こんなこともあったと思い出すでしょう。
愉里 この句の季語は「秋」でしょうか、「熊」(冬の季語)でしょうか?
水牛 これはやっぱり「秋の異常」が主だなあ。
          *       *       *
 俳句には「季重ね」といって、一句に二つ以上の季語が入ることを嫌う傾向がある。もとより絶対にいけないわけではない。複数の季語がある場合、一方が主、他方が従とはっきりしていれば問題ない、とする声も聞く。掲句では、季語として立つのは秋だが、主役として働くのは熊だろう。その食い違いの解釈は読み手に任せるしかあるまい。ついでながら「くまモン」や「テディベア」は季語にならない。
(光 25.11.27.)

回送の電車ゆるりと冬に入る   植村 方円

回送の電車ゆるりと冬に入る   植村 方円

『合評会から』(日経俳句会)

健史 「ゆるりと」「冬」の組み合わせが詩を醸し出しています。
誠一 仕事終えた車両が操車場へ向かう。地下鉄銀座線のイメージにどこか重なります。
阿猿 「回送の電車ゆるりと」までのテンポがいい。車庫に入るではなく、冬に入るというのも気が利いているなと思いました。
木葉 回送電車ってのは、スピード出して走るわけじゃなく大体ゆっくり移動する。「ゆるりと冬に入ってくる」というニュアンスが込められていて良い感じだ。
          *       *       *
 「冬に入る」は「立冬」の傍題のひとつ。「冬立つ」「冬来る」「今朝の冬」とともに冬の始まりを謳う季語となっている。上記の同意季語のなかから、作者は「冬に入る」を選択した。作者にとって、この情景はほかのどの季語でもないと感じたのだろうか。句を詠むにあたり言葉に対する感性が試されるのは必然である。つねづね思うことだが、同じ意味でも「この季語を使うのか、うーん」と疑問が湧く句がないではない。これには「作者の勝手でしょ」、と大方から反論も出そうではあるが。
 何を言いたいのかと言えば、掲句は雰囲気にぴったり嵌まっているということである。「冬来る」でも「今朝の冬」でも大きく変わりはなさそうだが、やっっぱり「冬に入る」が一番しっくりくると思う。
(葉 25.11.25.)

アセアンの母子の借着の七五三  金田 青水

アセアンの母子の借着の七五三  金田 青水

『この一句』

 浅草など観光地に出かけると、インバウンドの旅行者が着物を着ている光景をやたら見かける。日本文化に親しんでもらうのは良いが、襟元や袖口にフリルが付いていたり、およそ相応しくない装飾品を付けていたり、ちょっと目を背けたくなることが多い。この句にはそういう着物ではなく、ちゃんとした装束で七五三参りをしている母子が想像でき、好ましく思った。また「借着」の言葉に、この母子をとり巻く境遇のことなども想像し、特選句として選んだ。
 ところが合評会で、この句にはいろんな問題が指摘された。一つは、日本人でも七五三は借着が普通で、改めてこの母子が「借着」だということにどんな意味があるのかという問い。さらに大きかったのは、「アセアン」は国でも地域でなく、「東南アジア諸国連合」という機構の名前だから、ここに使うのは適当ではない、というものだった。仮にどこの国の人かわからなくても、俳句としては「ベトナムの」とか、「フィリピンの」とか、特定する方が良いとの意見が多かった。
 どちらの意見ももっともで、自分がそんなことを少しも気にしなかったことを少し反省したが、それでもやはり、この句はこのままで良いのではないかと思った。「アセアンの」と聞いて、「東南アジア諸国連合の」とは思わず、あゝあのあたりの人だな、この表現も面白いじゃないかと思う。理屈ではなく感覚がそう促す。
(可 25.11.23.)

冬隣一抜け二抜けクラス会    中沢 豆乳

冬隣一抜け二抜けクラス会    中沢 豆乳

『この一句』

 一読した時は、晩秋に開いたクラス会で、夕暮を気にして早めに帰る人が出てきた場面を詠んだと考えた。そうすると冬隣の季語がちょっとずれているようで、短日とか暮早しが合っているように思えた。しかし読み返しているうちに、クラス会のメンバーが年を取って、一人、また一人と欠けていく淋しさを詠んだのではないかと思い至った。
 古代中国の五行思想で四季を色で表す考えがあり、よく人生にたとえられる。青春・朱夏・白秋・玄冬がそれで、掲句にあてはめれば、若々しい青春時代に出会った仲間たちも実り豊かな秋が終わり、老境という冬を迎えようとしている。クラス会で集まるたびに、友の訃報を聞くようになったという状況であろう。
 そう考えると冬隣という季語が心に響いてくる。暗く厳しい冬(老境)を目前にした心細さと、クラスの仲間が次第に減っていく淋しさが重なり合う。さらに「一抜け二抜け」が子供の遊びを連想させ、小学校の仲の良かったクラスが浮かぶ。長い付き合いならば喪失感も大きいであろう。
 作者は昭和31年生まれの69歳。後期高齢者には間があるが、体力面など老いを実感する年頃である。クラス会で友の訃報を聞き、去りゆく白秋と、近づく玄冬の足音を聞いたのであろう。冬隣の季語が心象を浮き彫りにしている。
(迷 25.11.21.)