双眸に瑠璃を湛へし仔猫かな   中嶋 阿猿

双眸に瑠璃を湛へし仔猫かな   中嶋 阿猿

『合評会から』(日経俳句会)

朗 双眸と瑠璃で猫の目の特徴が出ている。
守 きれいに整った。
明生 漢文のような高い格調とリズムの良さで戴きました。
昌魚 瑠璃色の眼の子猫は素敵です。
芳之 類句があるが双眸と瑠璃で相乗効果が出ました。
正市 目を通じ成猫時を想像させた。
          *         *         *
 仔猫という柔らかな印象の言葉に、あえて漢語(双眸)と梵語(瑠璃)をぶつける表現が面白い、あるいは素敵だと思うか否かで、評価が分かれそうだ。筆者は一読して、いかにも大袈裟だと感じて採れなかった。双眸は文字通り二つの瞳だが、「瑠璃」が少々ややこしい。辞書には、七宝の一つで青色の宝石(ラピスラズリ)、ガラスの古語、瑠璃色の略、などとある。「瑠璃を湛へし」ということは、宝石でもガラスでもなく「瑠璃色」を湛えということなのだろう。句意を平たく言えば、「両の瞳に瑠璃色を満たした猫の子」と解釈できる。瑠璃色とは紫を帯びた紺色、浅葱色(みずいろ)の異称だという。果たして、仔猫の眼は青いのか。
 とまあ、高点句を理屈で腑分けしても興を削ぐばかりだが、どうにも腑に落ちなかったのだ。しかし、何か心にとまるものがあって、こうして見つめ直している。
(双 22.04.07.)

地虫出づ踏む人のなき百度石  玉田 春陽子

地虫出づ踏む人のなき百度石  玉田 春陽子

『合評会から』(酔吟会)

迷哲 「地虫出づ」で視線を地面にやると百度石が見えた。今どきは百度石を踏む人もおらず、その辺の寂しさがうまく句に合っていると思いました。
青水 「百度石」を持って来たのが実にうまい。それ以上言いようがないですね。
双歩 なぜ踏む人がいないのか、理由がよくわかりませんでしたが、それはともかく百度石に惹かれました。
水牛 古い神社には必ず百度石がありますが、今は踏む人もおらず苔が生えたりしています。この「地虫出づ」は本当に地虫が出て来たのではなく、啓蟄の頃の季節感を表現したものだと解釈しました。
青水 「啓蟄や」でもいいのですかね?
水牛 むしろその方がいいかもしれません。あるいは具体的に「蟻出づる」とかでもいいかもしれません。
而云 僕も、百度石のところには地虫は出そうにない、蟻なら出そうだと思いました。
春陽子(作者) 苔なんかが生えていて、地虫ぐらい出るんじゃないかと思って詠みました(笑)。
          *       *       *
 「地虫出づ」という季語に忘れ去られた百度石をくっつけただけの句だが、得も言われぬ面白味がある。これが取り合わせの妙というのだろう。
(水 22.04.06.)

春の宵ひとり錠剤選り分けて   岡田 鷹洋

春の宵ひとり錠剤選り分けて   岡田 鷹洋

『季のことば』

 「春の宵」あるいは「春宵」はおぼろげな雰囲気を醸す言葉であり、艶めかしい感じもする季語である。「宵の春」といえば一抹の感傷が入り込んで、そんな感じを覚えるのは筆者だけではないだろう。「春宵」といえば北宋の文人政治家であり、東坡肉(トンポーロー)に名を残す蘇軾(そしょく・字は東坡)の詩「春夜」が本家本元。「春宵一刻値千金」のフレーズが多くの人の口をついて出る。春の夜は千金にも値するほど素敵なものだと詠じるが、この感覚は東洋人こそが真価を知ると思う。とにかく春の夜を何ものにも代えがたくいいものだと言っている。
 実にうきうきする春の宵に、作者は長年飲み続けている処方薬を選り分けている。選り分けると言うのだから、処方薬は何種類かあるのだろう。勝手な想像を許してもらう。高血圧に膝関節症、ちょっと糖尿気味だからその薬もと。われら高齢者ともなれば複数の処方薬が欠かせない。一日三回の服用とすれば朝昼晩に選り分ける手間がある。きょう日は患者が間違えないよう、飲み忘れないようにと病院や薬局が一回ごとにパッケージにしてくれてもいるようだ。作者の場合は自分で選り分けて飲む習慣とみえる。気持ちの良い夜、面倒くさい飲み薬に手を取られても作者の心は平穏である。「春の宵」の季語が負の部分をすっかり取り払ってしまった。あらためて季語のすごさを感じる一句である。
(葉 22.04.05.)

信貴生駒越せば斑鳩鳥雲に    廣田 可升

信貴生駒越せば斑鳩鳥雲に    廣田 可升

『合評会から』(酔吟会)

春陽子 奈良の方の地理はよくわからないのですが、とてもリズムのいい句なのでいただきました。
木葉 リズムが良くて、内容が「鳥雲に」の季語にぴったりはまります。
三薬 関西の人が詠んだ句でしょうね。「信貴」が最初読めなかったのですが、「しぎ」とわかってリズムがいいなと思いました。
迷哲 景の大きな句で、大阪から奈良に向けての風景が浮かびます。ただ、方向はこれでいいのかなと思いました。
水牛 ちょっと馬鹿にするなみたいな句ですが、すーっと読めて面白いですね。
          *       *       *
 皆が口を揃えている通り、なんと言っても口調がいい。落語に「とんとん落ち」という下げがある。調子よくトントンとオチへ持って行く手法だが、演者がよほどの巧者でないとさっぱり面白くない。その点、この句はほんとに巧い。信貴山、生駒山を抜ければ奈良なのは当たり前だが、まさにとんとんと引きずられてしまう。
 作者の実家は堺で、西を見ると仁徳天皇陵、東は信貴生駒という場所にあり、「子供の頃、このコースを鳥が飛ぶのをよく見ました。確かに真っ直ぐ北ではなく、東へ行くコースなんですが、聖徳太子に挨拶してから帰るのかもしれません」と、自句自解も洒落ている。
(水 22.04.04.)

つくばいのコンと一音春灯り    渡辺 信

つくばいのコンと一音春灯り    渡辺 信

『合評会から』(三四郎句会)

進 つくばいのある邸宅の庭か庭園でしょう。幽玄な雰囲気が浮かんできます。
賢一 何ともいい雰囲気だ 。春の灯が灯り、コンという澄んだ音。お茶の世界の一場面と思われます。
尚弘  コンがいい。つくばいと柄杓の音から春を感じます。
雅博 そうですね。つくばいからの一音。その音が静かさを伝えている。
豊生 春の灯が灯り、竹筒の音が響き渡るように聞こえてきました。
正義 春を告げる音なのかも知れない。
          *       *       *
 茶の会を開く夕暮の邸宅の庭と思われる。つくばいの竹筒に水が満ちて、竹筒が跳ね、石に当たる。コンいう音が辺りに響き、その音に応じるように庭の灯りが灯ったのだ、と私は解釈した。
 茶の世界には無縁と思われる元柔道マンたちの句会での高点句。茶会には無縁であっても、ある程度の知識によって、句の雰囲気を思い描けるのだろう。これが日本人というもの、俳句というもの、なのかも知れない。
(恂 22.04.03.)

野良猫の好きな日溜り菫草    大澤 水牛

野良猫の好きな日溜り菫草    大澤 水牛

『合評会から』(番町喜楽会)

双歩 日溜りは人間でも好きですが、猫も好きなんですね。そこに菫草があるから野良猫までが余計かわいらしく思える。春のゆったりした感じがします。好きな句です。
青水 「日溜り」「野良猫」「菫草」をうまくまとめ上げた、句作のお手本みたいな句ですね。
春陽子 特に野良猫がいい。三毛猫でもいいのですが、それより野良猫。菫が咲いているような場所にふらりと現れるのですね。
てる夫 道具建てがそろっているなと思いました。菫草の咲いている民家近くの春の野や道端には野良猫が来そうですね。春らしい里山が浮かびます。
光迷 僕の家の近くにも野良猫が好きな場所があります。いつも日溜りになっていて。
          *       *       *
 作者によると、掲句の野良猫とは昨年初冬に詠んだ「飼馴れし猫に死なるる夜寒かな」のことだという。長い間、家の内外で野良猫の面倒をみていたらしく「ちんまりと猫も正座の淑気かな」、「老猫をあぐらに乗せて十三夜」、「気まぐれな猫呼んでいる秋の暮」などと折に触れ、猫の句を詠んでいる。掲句は死んでしまった猫が元気だったころの面影を偲んでいるのだろうか。その猫が好きだった日溜り。今は菫が一叢、楚々と咲いている。この句を今一度「日溜り」でしっかり切って、読み直してみると、しみじみとした感慨が伝わってくる。
(双 22.04.01.)

卒業の投げたる帽子風に乗る   水口 弥生

卒業の投げたる帽子風に乗る   水口 弥生

『季のことば』

 卒業とは小・中・高・大学の学業をそれぞれ終えることで、日本では卒業式が三月に行われることから春の季語となっている。水牛歳時記によれば、卒業が春の季語として詠まれるようになったのは、学制が四月新学期となった大正以降という。例句には「校塔に鳩多き日や卒業す」(中村草田男)や「直角に曲り卒業証書受く」(真下耕月)などがあげられている。
 掲句は、士官学校や大学の卒業式で帽子を空に投げ上げる光景を詠んでいる。アメリカ映画などでよく目にするが、日本でも防衛大学の卒業式の恒例行事である。防衛大は室内だが、アメリカの卒業式はほとんどが校庭で行われる。卒業生が青い空に向かって一斉に帽子を投げ、我先にと走り去る。空に舞った帽子が折からの風に乗って遠くまで飛んで行く。卒業の解放感とともに、これからの人生が順風満帆であれとの思いも感じられる句である。
 帽子投げ(ハット・トス)は米国のアナポリス海軍兵学校で110年前に始まったとされる。規律ずくめで厳しい訓練が終わる喜びと達成感から、制服を脱ぎ捨て帽子を放り投げたという。その後、陸軍士官学校や大学に広がり、欧米では卒業式の記念行事として定着している。
 卒業式の形式や内容は時代とともに変わってきている。昔は「仰げば尊し」、「蛍の光」を歌ったが、今は「友~旅立ちの時」や「旅立ちの日に」といった合唱曲が定番になっているという。儀式優先で解放感とは遠かった自分の卒業式を思い出した。
(迷 22.03.31.)

三月や人去りし部屋広き部屋   伊藤 健史

三月や人去りし部屋広き部屋   伊藤 健史

『合評会から』(日経俳句会)

鷹洋 何回かの引っ越しの経験のある身としては、実感の湧く俳句です。
愉里 気づかなかった広さを掬い上げている。部屋のリフレインが気に入りました。
朗 子どもなのか、夫人なのか。いなくなった部屋の広さを強調していていい句だ。
水兎 部屋の繰り返しが効果的です。なにがしか深く思う事があったのでしょう。
青水 句の解釈の広さを読者にゆだねつつも、しっかりとした措辞で成功している。
水牛 就職、結婚、死亡。なんでもいいが、こういう情景が生まれる。とてもいい句なのだが、「人」ではなくて、例えば娘とか息子と具体的に言うべきではなかったか。
而云 人が去ったので広いのか、もともと広かったのか。「部屋」の使い方が良くない。
          *       *       *
 感覚的によく分かると共感する句評が多かった。「部屋」のリフレインも効果的と評価している。三月とは人生にあって、実にさまざまな事を経験する月日であろう。「人去りし」と距離を置いた表現だから、これは肉親ではないように思える。筆者は人事異動を想起した。机を並べた同僚、後輩が去って部屋にぽっかり穴があいたような感覚を詠んだのだと思う。もともと広い部屋なのか、狭い部屋でも人ひとりいなくなって広さを感じたのか、そこらがちょっと不明瞭なのが惜しいと思う。句会司会者に聞いたら本人が異動になったということで、作者自身の事であった。
(葉 22.03.30.)

三月やインクの色を替へてみる  横井 定利

三月やインクの色を替へてみる  横井 定利

『この一句』

 三月は、ようやく春を実感する月。雛祭に始まって彼岸を迎えると、やがて桜の便りが聞こえてくる。卒業式や転勤、入学準備、引っ越など身辺も何かと慌ただしくなってきそうだ。掲句はそんな期待と不安の綯い交ぜになった心情と、春本番のウキウキした気分を「インクの色を替えてみる」行為で表現した、とても感じの良い一句だ。確かに万年筆のインクを別の色に替えるのは、気分転換にぴったりだ。
 筆者はかつて、太字の万年筆で原稿用のマス目を埋める、というスタイルに憧れて太字の万年筆を使っていた。太字ゆえなのかインク漏れがあって、使うと指が汚れた。やがてワープロ全盛になり、万年筆の出番は少なくなってお蔵入り。あるとき、万年筆の手入れの仕方という記事を見て、抽斗から出して試してみた。ペン先を水に浸け2、3日、水が透明になるまで水を取り替える、しっかり乾かして新たなインクを入れる、という方法だった。確かにインク漏れがなくなり、描き味も蘇った。
 万年筆のインクを替える場合、薄い色から濃い色に替えるのは問題ないが、逆はペン先をよく洗う必要があり、結構手間がかかりそうだ。あるいは、付けペンなのだろうか。その方が手軽でおしゃれかもしれない。ともあれ、この句には何人もの句友が共感の手を挙げた。
(双 22.03.29.)

火の鳥ぞはばたくように山焼くや  久保道子

火の鳥ぞはばたくように山焼くや  久保道子

『合評会から』(酔吟会)

春陽子 山焼きの炎を火の鳥に見立てているのですね。今日の兼題は「鳥帰る」で、その中に「火の鳥」の句があったので、目立って飛びつきました。
木葉 「火の鳥ぞ」の「ぞ」の強調に惹かれていただきました。
愉里 火の鳥にたとえられて、山焼きの光景がよく見える句だと思いました。
水牛 僕は木葉さんと逆で、「ぞ」と最後の「や」の組合せがよろしくないと思いました。「火の鳥のはばたくように山焼くや」でいいのじゃないかと思いました。
作者 「火の鳥ぞ」と強調したかったのですが、最後「山焼く」で字足らずになってしまい、思わず「山焼くや」にしてしまいました。
          *       *       *
 手塚治虫の「火の鳥」を山焼きの光景としてとらえた珍しい句。漫画のなかで不老不死の火の鳥は、己が身で周りを焼き尽くす。秋吉台などの山焼きを見ると、火の鳥とはそんな感じがする直喩である。「はばたくように」という表現も合っている。とはいえ上五の「ぞ」と下五の「や」で賛否が分かれた。上五の終わりは「てにをは」や最強の「や」がふつう。この句の「ぞ」は作者が言うように、火の鳥の強烈なイメージを強調したかったのだが、「ぞ」はたしかに効果的。ただ下五の「や」は着地に失敗した体操選手のようだ。「ぞ」にしたのなら「山を焼く」でよかったのではないだろうか。
(葉 22.03.28.)