村の子は征きて還らず麦の秋   篠田  朗

村の子は征きて還らず麦の秋   篠田  朗

『季のことば』

 「麦秋・麦の秋」の季語には、前年の秋に播いた小麦や大麦の収穫を迎える喜びとともに、いよいよ夏めくという季節感がある。反面どことなくアンニュイな心持ちも消せない。筆者などは、小津映画の名作『麦秋』のイメージを引きずっている嫌いがないではない。収穫は言うまでもなくこの時期の農事で、梅雨の前までにすべて終えなければならず農家は忙しい。
 刈り取り前の麦畑は黄金に輝き、豊穣の海そのものである。五月の兼題となって、投句の多くもその情景を写し取った句が並んだ。もちろん麦秋期特有の雰囲気を心象に重ねた句も当然あった。そのなかで掲句はひと味違う雰囲気を詠んでいる。「村の子は征きて還らず」には、80年前の戦争の空しさを回顧していると受け取れる。村の若者たちは出征して戦死をしてしまい、故郷の村に還って来なかった。いま「麦の秋」を迎え、五月の風が麦畑に黄金の波を打たせている。作者の祖父や父親世代のことを詠んだのだろうか。生きて還って来たのなら、この美しい景色を眺めていただろう、あるいは収穫作業をやっていたかもと、作者はしみじみ想像するのである。
 これらの解釈があたっているのを前提にいえば、「村の子」に工夫の余地があったかと思う。子というとどうしても未成年をイメージする。「村の男征きて還らず」とすればいいのだろうが、作者は字余りを避けたかったのだと理解する。
(葉 26.06.09.)

そよ風が教科書めくる麦の秋  溝口 戸無広

そよ風が教科書めくる麦の秋  溝口 戸無広

『合評会から』(日経俳句会)

水牛 麦秋の季節感を非常によく表した良い句だなと思って頂きました。出来の悪い生徒だった私の子どもの頃を思い出しました。居眠りしそうになっていて、教科書がそよ風にパラパラとめくられる。いかにも気持よさそうな情景が浮かんで来ます。
鷹洋 学期が終わるころ使い慣れた教科書を机上に置いて一休み。そよ風とのマッチングの良さで頂きました。
明生 爽やかで、すがすがしい句。教科書を読んでいる時に、そよ風が吹いてきたのでしょう。「麦の秋」ともぴったり。
芳之 学生時代がなつかしくなる句です。
          *       *       *
 作者は言う。「給食や弁当の後、午後の授業で窓際はとても気持がいい。ついウトウトしていると、風が吹いてきて教科書がパラパラめくれる。北海道なので教室にエアコンはありませんでした」。
 なるほど、「麦の秋」は北海道の最も気持の良い季節なのだ。梅雨が無いから、麦秋はからっとしている。暑くもなく寒くもない。突然、「ミゾグチ君、次を読みたまえ」と先生の声。はっとして教科書に眼をやるが、どのページかわからない。いたずらなそよ風のせいだ。
(26.06.07. 水)

宙へゆく支度整ふ葱坊主    坂部 富士子

宙へゆく支度整ふ葱坊主    坂部 富士子

『季のことば』

 葱坊主とは成長した葱の先に、小さな花が密集して球状に咲いたものをいう。食用の葱は花が咲く前に収穫するが、採種用に畑に残したり、収穫しそびれたものに葱坊主ができる(角川俳句大歳時記)。4月下旬から5月半ば頃の畑によく見られ、晩春の季語となっている。
 掲句はその葱坊主が、実は宙へ飛び立つ用意ができたんだと詠んでいる。葱坊主がはじけて種が飛び散るといったことはないので、何かに見立てた「見立て俳句」であろう。長く伸びた葱の先頭に丸い球が付いている形状から、宇宙船を載せたロケットをイメージしたのではなかろうか。
 見立て俳句は、ともすれば「如し」や「やうな」を使って、安易に見立てたものを示しがちである。例えば「宙へゆくロケットのごと」とかすれば分かりやすいが、ストレート過ぎて句に奥行きがない。掲句は上五中七で「宙へゆく支度調ふ」と述べ、何の事だろうと思わせる。そして下五にポンと添えられた葱坊主から、読者はその形状を思い浮かべ、それぞれにイメージしたものが宙へ飛び立つ場面を想像するのである。余計なことを言わないから想像の余地が広がる。
 松尾芭蕉が弟子の去来に述べた「言ひおほせて何かある」という言葉がある。俳句は言いたいことを全て表現して、何が残るのかという意味である。言い尽くさずに、読者に想像の余地を残した方が、句に深みが生まれるということであろう。「支度調ふ」と述べるだけで、読者は宇宙へゆく葱坊主をいろいろと想像してくれる。言い尽くさないという、俳句の特質がよく表れた句ではなかろうか。 
(迷 26.06.05.)

風薫るつむじ二つの悪戯っ子   徳永 木葉

風薫るつむじ二つの悪戯っ子   徳永 木葉

『季のことば』

 つむじが二つある子は「つむじ曲がり」と昔からよく言われてきた。でもそれは「男の子が全員くりくり坊主だった頃の話で、これは年寄りの懐旧趣味のような句ですが、とてもいい句ですね」(青水)というのが、この句が投句された5月の番町喜楽会での句評だった。
 でもそれはそれとして「爽やかな風の中を遊び回る悪戯っ子たちの賑わいが聞こえてきそう」(斗詩子)という推す声があって、同月に行われた番町連句会の発句に据えられた。このユニークな発句のお蔭であろう、歌仙「つむじ二つの巻」は番町連句会20年の歴史の中で出色の一巻になった。
 作者に聞いたら、この二つのツムジの持主は作者のお孫さんで、なんと女の子だという。まだ学齢前の幼子だが実に活発なようだ。女の子らしく可愛い髪形にしようとすると、つむじ二つのせいで髪の毛の生え方が違って、お母さんは苦労するらしい。そんな様子を眺めて作者はもうめろめろ、孫バカを曝け出す。
 しかしこの句は甘ったるいところが無く、とても感じがいい。それは「風薫る」という清々しい季語の働きによるところが大きい。俳句の芯を成す「季のことば」の力をまざまざと感じさせる一句である。
(水 26.06.03.)

嫁ぐ子のおしゃべり止まず更衣  向井 愉里

嫁ぐ子のおしゃべり止まず更衣  向井 愉里

『この一句』

 作者の素性をばらすのは良くないが、彼女は俗にいうリケジョ(理系女子)である。女子大の国文科という、なじみ深い経歴の持ち主ではない。その経歴とこの句にはまったく、連関性はない。その彼女だが最近、長年、勤務した企業で定年を迎えることになり、それが関係しているかどうかはさておき、嫁ぐ年頃の娘さんを持つ母親として、最近の近況を、兼題の更衣にそえて披露した。それがこの句だ。
 ボクはジジイで娘がいないので経験はないが、なぜか鮮明に中七の情景が目に浮かんでくる。母親相手に夫となる人のことなのか、はたまた子どもの頃の、母親との小旅行のことなのか。おしゃべりの中身はさることながら、実家を離れることになる心境がなせる業か、母親にしか打ち明けられない乙女心なのか、兎にも角にも、興奮がやまないのである。延々と続くのだ。
 この句から、実に多くの情報が流れだして来る。作者と娘さんの間柄が実際はどうかは知らないが、中七の「おしゃべりが止まず」が醸し出すのは、なんとも言えず豊かで愛情深い家庭の姿である。
 彼女が発表する句には老いたご両親が良く登場する。自宅から眺める花火も出てくる。最近はあまり見かけない表現だが、ボクは彼女の俳句は、令和の厨句だと思う。季語更衣が静かにおさまっている。
(青 26.06.01.)

信濃路や草木目覚め風薫る    前島 幻水

信濃路や草木目覚め風薫る    前島 幻水

『この一句』

 作者は信州諏訪の生まれ育ちで、大学進学を折に離れた故郷への愛着が非常に深い。早くから国際交流に力を入れていた有名私立大学の欧州事務所代表としてドイツに住まい、日欧文化交流事業に力を尽くした。そうした経歴の然らしむるところ、故郷は自ずと遠い存在になってしまった。
 しかし故郷を忘れたわけではない。それどころか父祖の地への想いは年々深まり、番町喜楽会最長老の九十歳となった今や望郷の念益々募り、この一、二年、「信濃」を詠むことが多くなった。芭蕉の最愛の弟子で「奥の細道」の旅に随行した曽良は諏訪の出である。曽良についての研究も疎かではない。まさに故郷忘じ難しである。
 この句も信濃への思いをそのまま歌ったものである。父祖の眠る墓は故郷の墓地にあり、今時流行りの“墓移し”などをせず、盆暮彼岸はもとより、ちょっとした暇をみつけては出かけて行く。行くたびに信濃の良さを味わい、一人喜ぶ。
 信濃は山国、春は遅い。それだけに春になった途端に季節はぐんぐん進み、あっと言う間に夏となる。草木は芽生えたと見る間に青さを増し、吹き渡る風に清新の気がみなぎる。これぞ「薫風」である。
(水.26.05.31.)

的中の響き一筋風薫る      池内 的中

的中の響き一筋風薫る      池内 的中

『この一句』

 的中(てきちゅう)とは、弓道において的(まと)に中(あて)ること。「弓道には正射必中という言葉があります。これは正しい射法で射られた矢は、必ず中るという意味です。そして、私たちは、的に中てるために、正しい射法を目指して日々練習するのです」(全日本弓道連盟のホームページから)。的は一般の人や中高生の場合、三つの同心円が書かれた直径36cmの霞的(かすみまと)を使い、的の何処かに当たれば中りだという。
 前置きが長くなったが、作者は長らく弓道に勤しんでいる。俳号に「的中」としたのも頷けるというもの。掲句は、爽やかな薫風のもと、矢が的に命中した時の音を印象的に詠んで最高点を得た。
 句会では、「矢が的に的中した時の音が筋を引くように響いているのを想像した。響きと一筋の組み合わせが面白い(満智)」、「一筋の言葉に、的の真ん中を射抜いた感じが出ている(春陽子)」と賞賛された。一方で、「響き一筋」の措辞がちょっと分かりづらい、との声も挙がった。筆者は、弓道のイメージは凜々しさや爽やかさで、薫風にピッタリだと感じて採ったので、「響き一筋」の措辞に違和感はなかった。
 ネットで弓道の動画を観ると、矢が弓を離れる刹那の「シュッ」という音と、的に当たったときの「パンッ」という乾いた音が間を置かずに聞こえた。緊張感漂う弓道場で、所作に則った「正射必中」の静寂の中、「シュッ!」「パンッ!」と一筋の音が、確かに響いていた。
(双 26.05.29.)

賑やかに老女集ひし五月かな   久保田 操 

賑やかに老女集ひし五月かな   久保田 操 

『合評会から』(日経俳句会)
 
明生 五月がやっとやってきた。それまで、うずうずしていたお年寄りの女性が集まれば、賑やかになるはず。
百子 幾つになっても姦しいですね。元気はつらつな老女。五月です。
芳之 毎月集っているのではないかとは思いますが、あけっぴろげのパワーを感じさせます。
水牛 「集いし」じゃあなくて、「集へる」じゃあないのかなあ。集ひしだと過去形、完了形になる。集へるの方が動きがあり、眼前の光景を詠んだ感じがして生き生きとするように思う。
          *       *       *
 筆者の娘が住むマンションのおばあさん4、5人は、朝食を近くのマクドナルドで摂りながらお喋りに興じているという。これが彼女たちの休日のルーティンらしい。夫を亡くしたりして、家事のしがらみはもうない。暇はあるし小遣い銭にも不足はなかろう。誰に気兼ねなく老後のひとときを仲間と過ごしている。この句の光景はどこにでもありそうだ。人生経験豊富で話題は縦横無尽、作者はその輪の中の一人。その楽しげな老女たちを傍で見ると、時には姦しく感じてもほのぼのとする。一見、季が動きそうにも思える句だが、五月の清々しい季節が実に合っていて、老女たちのハイテンションが目に浮かぶ。
(葉 26.05.27.)

下ごころ泡と消えたりソーダ水  玉田春陽子

下ごころ泡と消えたりソーダ水  玉田春陽子

『合評会から』(酔吟会)

木葉 下心をもって女性を口説こうかという場面。あえなく不首尾に終わってしまった。席題の「下」にこんな場面を持ってきた機知に感心する。「ソーダ水の泡」が絶妙でユーミンの歌のよう。
三薬 下心が泡と消えたなんて、昔はよくあったなあ。女子を誘った喫茶店では、ソーダ水が定番だったし…。ソーダ水と泡の連想が甘いと文句を付ける事もできそうだが、ここは下心との組み合わせの妙、と言っておきます。人生、下心あるうちが華よ。
双歩 席題に「下」が出されると、あちこちで「下ごころ」と囁く声が聞かれ、いわば〝手垢にまみれた〟言葉を、臆することなく採用し、しっかり物にした手腕を多とします。連句の恋句みたい。
可升 ソーダ水が泡に消えるという表現は常套句ですが、それを席題に合わせて「下ごころ」と取り合わせたのが上手い。そういえば「ソーダ水」を詠むのが好きな人が一人いますね。
(春陽子さんの句とわかって「やっぱり」の笑い声)
          *       *       *   
 句会の席上で示された題(季語や文字など)について、十分か十五分ほどで一句仕立てるのは結構難しいもの。この句を採った面々は、異口同音に「下心」と「ソーダ水」を取り合わせた機知を称賛した。それぞれに身に覚えのある青春の出来事を思ってのことだったのかも知れない。
(光 26.05.25.)

梅雨空の旧軍港の街歩く     堤 てる夫

梅雨空の旧軍港の街歩く     堤 てる夫

『この一句』

 梅雨空という季語の持つ薄暗くどんよりとした雰囲気と、旧軍港という言葉が喚起する重々しいイメージが重なり合う印象的な句である。句会では、旧軍港とは何処だろうと話題になった。横須賀や佐世保をすぐ思いつくが、現在も自衛隊や在日米軍の基地として現役であり、ちょっとそぐわない。戦艦大和のふるさとである呉をあげた人もいたが、評者は若狭湾の舞鶴を思い浮かべた。
 舞鶴港は明治時代に日本で最初の海軍鎮守府が置かれた、歴史の古い軍港である。日露戦争時はほとんどの軍艦がここから出港し、黄海海戦や日本海海戦で奮戦した。太平洋戦争後は大陸やシベリアからの引揚港となり、昭和20年から昭和33年まで13年間に346隻の引揚船が入港し、総数66万3千人の引揚者が舞鶴で祖国の土を踏んだという。
 舞鶴にも自衛隊基地はあるが、むしろそうした長く重い歴史が旧軍港の言葉に一番合っているように思う。舞鶴港の近くには旧海軍の赤レンガ倉庫群が残り、博物館やレストランに活用され、観光スポットとなっている。「旧軍港の街歩く」という句の内容も、舞鶴を彷彿とさせる。
 引揚桟橋として使われた平(たいら)桟橋が復元されており、港内を眺めて往時を偲ぶことが出来る。桟橋を見下ろす丘の上に舞鶴引揚記念館があり、庭の歌碑には「異国の丘」と「岸壁の母」の歌詞が刻まれている。作者は街を歩き、これらのスポットをめぐったに違いない。その胸中に去来した思いが梅雨空と旧軍港という言葉を招き寄せたのではなかろうか。
(迷 26.05.23.)