ふわふわの赤い兵児帯初浴衣   星川 水兎

ふわふわの赤い兵児帯初浴衣   星川 水兎

『季のことば』

 初浴衣とは幼い子供が初めて着る浴衣のこと。夏の季語である浴衣の傍題として、藍浴衣や宿浴衣などと並ぶ。子供が四、五歳になり、しっかり外歩きもできるようになると、浴衣を作る。子供に似あう柄を選び、昔は母や祖母が縫ってくれたものだ。子供は成長が速いので、数年は着られるように大きめに作り、肩揚げ、腰揚げをして調整する。
この句は初めて浴衣を着た女の子の赤い帯に目を向ける。兵児帯(へこおび)は元々薩摩の若い男性(兵児)が締めていた縮緬地の柔らかい帯。体に負担がなく締めやすいため、明治以降に子供の浴衣帯としても広まったという。女の子の兵児帯は赤い縮緬に絞りを入れたものが多く、背中で蝶結びやリボン結びにする。
「ふわふわの」という擬態語が効果的で、背中で揺れる帯と共に、初浴衣の子供の喜びや可愛らしさも浮かんでくる。作者自身の体験であろうか。選句表には「裾下げは母の喜び浴衣の子」(木葉)の句もあった。初浴衣を仕立ててもらう喜び、揚げを下ろして成長を実感する喜び、浴衣には親子の細やかな情愛が縫い込められている。
(迷 20.05.24.)

出会より別れの多き老の春    田中 白山

出会より別れの多き老の春    田中 白山

『合評会から』(番町喜楽会)

木葉 老境に入ればその通りと思う寂しい句ですが、コロナ禍に自宅閑居のこの節、そんな感慨にふけるのもやむを得ませんね。
春陽子 この一句に思わず納得。私も喜寿を過ぎ、この頃は、友の訃報の多さを実感しております。下五の「老の春」は何とも寂しいが、すばらしい句だと思います。
双歩 至極当たり前の事を真面目な顔して言われると、頷かざるをえません。仰有るとおりです。
斗詩子 やっと厳しい冬を越して春を迎えた頃、訃報の便りが届くことが増えてきました。我が身の老いをしみじみ思わされる句。
          *       *       *
 この句を見て、あまりにも当たり前の事を述べて、面白くもなんともないなあと思って捨てた。しかし、それはあさはかであった。メール句会の選句選評を見ると、人気上々である。そこで、もう一度ゆっくり反芻してみて、「なるほどなあ」と思った。「老の春」がずっしりと来るのだ。「出会より別れの多き」という至極ありきたりだと思っていたフレーズが、重くのしかかって来たのだ。
(水 20.05.22.)

川風にただ吹かれをる立夏かな  向井 ゆり

川風にただ吹かれをる立夏かな  向井 ゆり

『この一句』

 川沿いの道か、堤の上か、はたまた橋の上か。あたかも立夏の日、時刻は夕方のような感じである。散歩か、買い物なのか。作者は家を出てしばらく歩いた辺りで川風を感じて立ち止まっているのだろう。ただそんな程度のことを詠んでいるのだけなのに「いいなぁ」と思わせる句である。
 このタイプの俳句を私は「脱力の句」と名づけている。周囲の具体的な状況や作者の特別な様子などは何も見えて来ないのに、何かを感じさせる句のことだ。気取っただけなら失敗作に終わりがちだが、この句は相当いい線を行っているぞ、などと考えていたら、一人の選者の句評が目に入ってきた。
 「さらりとした風情の底にひそむフィア」(十三妹)。「フィア」とは「恐怖」のことか、と腕を組んだ。この句もまた新型コロナウィルスが背景にあるのかも知れない。川風に吹かれて、ふと立ち止まる。この心地よい風の中にもウィルスが潜んでいるのか、この後、我々はどんな成り行きを迎えるのだう・・・。俳句の解釈をこのように捻じ曲げてしまうウィルスは、何とも恐ろしい奴らである。
(恂 20.05.21.)

あたらしき命さづかる穀雨かな  廣田 可升

あたらしき命さづかる穀雨かな  廣田 可升

『この一句』

 この句には「緊急事態宣言下女児誕生」の前書きがある。
 この時期のお産は、院内感染など何かと気苦労が多く、家族はさぞ心配したと思う。無事出産し、母子ともに健康だったようで、この句からは作者の安堵と喜びがひしひしと伝わってくる。多分お孫さんのことだろうが、「本当に良かった」、「おめでとう」と心より祝福する声が集まった。
 季語「穀雨」は二十四節気の一つで、百穀を潤す春の雨のこと。新生児誕生の喜びを表現するのに、まことに良い季語を選んだものだと感心した。句会は5月初めで兼題も「立夏」だったので、季節が少し後戻りするが、季節の変わり目には往々にしてよくあることだ。令和2年の穀雨は4月19日から立夏の前日5月4日までだったが、とにかく春から夏への橋渡しの季節であり、新しい命の誕生を詠むにふさわしい。
 筆者は前書きに惹かれて採ったのだが、前書きは「女児誕生」だけでよいとの声もあった。ただ、何度も読み返しているうちに、前書きがなくてもしみじみとした佳句だと思えてきた。「前書きがなくても一句として独立解釈でき、その上で前書きによって、なるほどと思わせるのが理想だろう」とは、ある俳人の言。何はともあれ、実にめでたく幸せのお裾分けをいただいた気持ちになる。
(双 20.05.20.)

癌という朧なものと共に生き   須藤 光迷

癌という朧なものと共に生き   須藤 光迷

『この一句』

 「癌という朧なもの」の措辞に引き付けられた。文筆・評論家の江国滋さんが遺した「癌め」(富士見書房)を書棚から抜いた。食道癌で入院半年、転移と闘い力尽きた「癌闘病俳句」の545句から「朧の癌」を感じようと思った。手術四回の闘病生活は、未知なる病変、不安と恐怖、怒り、苦痛の凄さであり、朧なるものの正体だ。「敗北宣言」の前書き付きで「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」が辞世の句だった。
 この句の作者と病気を話題にした事は無い。ただ日常会話の端々で、免疫力を高めて病気と闘う意気込みを感ずることがあった。淡々とした語り口が記憶にある。
 正岡子規は晩年の著作で「禅の悟り」を記している。
「悟りとは如何なる場合も平気で死ぬる事、と思っていたが、それは間違いで、如何なる場合にも平気で生きる事であった」「どんな人生でも平然と静かに生きることこそ、悟りであろうということに気づいた」
脊椎カリエスに倒れた子規の晩年を支えたのは、生きるという強固な意志だった。この句の「共に生き」という決意表明につながる。
(て 20.05.19.)

蘇る昭和の苦楽草の餅      前島 幻水

蘇る昭和の苦楽草の餅      前島 幻水

『この一句』

 大東亜戦争と呼ばれた第二次大戦下の息苦しさ、敗戦後のひもじさを経験した人間には「ほんとにそうですねえ」と共感を抱かせる句である。
 草餅はウルチ米を粉にした上新粉を蒸し、茹で上げた蓬の葉を搗き込んで再度蒸して作る。米が配給時代の戦中戦後の都会の家庭では滅多に作れるものではなかった。運良く闇米が手に入って、お母さんが草餅を作ってくれるということになると、家中競ってヨモギの若葉を摘み、唾を何度も飲み込みながら出来上がりを待ちかねたものだった。
 私の誕生日は6月1日で、その日のためにと、昭和20年の5月、母がどこからか米と小豆と砂糖を手に入れ、「お誕生日には久しぶりに牡丹餅を作ってあげますよ」と言った。指折り数えて「あと三日」の5月29日に横浜大空襲。我が家は丸焼け。幻の牡丹餅がその後長い間夢に出て来た。
 空襲や疎開、空腹、栄養失調等々の苦しみの中で思い描いたのが季節の食べ物。その形、色、香り、味を思い出しては「食べた気」になったものだ。何かのはずみで砂糖の配給があった時などの一家中の喜びは大変なものだった。そうした思い出が一度に湧き上がって来る句である。
(水 20.05.18.)

糊こはき浴衣六方踏むやうに   大澤 水牛

糊こはき浴衣六方踏むやうに   大澤 水牛

『この一句』

 まず「糊こはき」で始まる上五に感心した。「浴衣」という兼題が出された時、筆者もあのバリバリした感じを詠みたいと思ったが、うまい言葉が見つからずに断念した。この句を読んで、なるほど「糊こはき」と言えば良いのかと納得した。こういう言葉はなかなかおいそれとは出てこない。
 つぎは「六方踏む」の措辞。六方にもいくつか種類があるようだが、我々がすぐに思い浮かべるのは、歌舞伎の「勧進帳」で弁慶が花道を去る時の「飛び六方」である。あまりにも糊がきつく効いているので、まるで六方を踏むようにしか身動きがとれないということだろう。大袈裟な表現ではあるが、おかげでとてもユーモラスな句になった。宿の浴衣を詠んだととる人もいたが、筆者はこれは、あの洗濯糊なるもので仕上げた浴衣、すなわち昔懐かしい家庭の光景だろうと思った。プロの業者が洗濯する宿の浴衣は、六方を踏むにはソフトで上品すぎる気がする。
  旧仮名を使っているのも、この句の魅力のひとつだと思う。この句を新仮名づかいで表記すると「糊こわき浴衣六方踏むように」となる。「こわき」と「こはき」ではずいぶん印象が違う気がするのは、筆者だけだろうか?
(可 20.05.17.)

志村けん朧月夜の再放送     堤 てる夫

志村けん朧月夜の再放送     堤 てる夫

『この一句』

 何と理不尽、不条理な、と感じた人も多かったのではないか。志村けんさん死去の報に接したときに、である。「よりによってコロナウイルスに感染して」とは…。新聞や雑誌にはドリフターズ時代からの活躍をたどった追悼記事が掲載され、テレビでは「東村山音頭」や「変なおじさん」などで構成する追悼番組が放送された。
それにしても、である。コロナウイルスが跋扈し「感染拡大防止に不要不急の外出は自粛を」と要請されるほど、社会は静かに、というより暗くなる。そんな雰囲気を吹き飛ばしてくれるもの、強く求められるものは、笑いに他ならない。その笑い、コントやギャグを生むことに長けた類稀なコメディアンが疫病に拉致されてしまった。
朧月夜の日の再放送を見、作者は「ヒゲダンス」などの絶妙な芸に笑うとともに「志村けんさんが可哀想だ」という想いに囚われたのではないか。「志村けんのだいじょうぶだぁ」が再編集され「ユーチューブ」で公開、収益は日本赤十字に寄付されるというのは吉報。世の中を明るく、笑いの渦に…という、志村けんさんの遺志なのだろう。
(光 20.05.15.)

夕厨浅蜊汐吹く気配あり     中村 迷哲

夕厨浅蜊汐吹く気配あり     中村 迷哲

『この一句』

 六、七十年ほど前の記憶が蘇って来る。敗戦後ほどなくの頃。今では「新都心」などと呼ばれ、ビル群の林立する千葉・幕張あたりの海岸は、潮干狩りに絶好の砂浜だった。父母や先生など保護者に連れられて潮干狩りに行くと、バケツに溢れるほどの浅蜊や蛤が取れたものだ。
 家に持ち帰って洗面器に開け、塩水を入れて、台所に置き、じっと待つ。一時間ほどだろうか。洗面器の中で落ち着いた貝たちが動き出し、微かな音がする。続いてピュピュと汐を吹く(水を吹く)音が聞こえてくるのだ。「おっ、吹き出したぞ」と四つん這いでそっと近づくと、洗面器の外まで汐を吹き出す元気な奴もいる。
 いま、スーパーや魚屋で売っている貝類は砂を完全に吐かせてあるので、そのまま味噌汁などに使える。一方、あの頃は、汐をよく吐かせないと「砂を噛む思い」にさせられる。句の「厨」の字が、あの頃の台所を思い出させてくれた。板張りの薄暗い台所は今思うと意外に広く、ガス台の釜が吹き出すと、木製の厚い蓋が、何度も持ち上げられていた。今のキッチンは、明るく、しかし狭く、床に洗面器を置くような余地はないだろう。
(恂 20.05.14.)

入学の子の声上がる兎小屋    星川 水兎

入学の子の声上がる兎小屋    星川 水兎

『合評会から』(日経俳句会)

博明 かわいらしいですね。
雀九 式がすんで、引率されている情景がうれしい。
てる夫 小動物の飼育を通じて生き物の命を大切にする教育の一環でしょう。小学校の初日のヒトこま、兎の世話の始まり、物珍しさに溢れています。
迷哲 入学式の後、校内を探検していた子供たちの驚きが見えるようです。
          *       *       *
 作者の種明かしによると「私の小学校には孔雀がいて、夕方になるとギェーと鳴いて怖かったのですが、それでは句にならないので兎に変えました」。確かに昔の小中学校は小動物を飼うのが普通で、クラスごとに当番が決められ、草刈りしたり、小屋の掃除をした。兎や鶏をはじめ、山羊まで飼っている学校もあった。動物の世話を嫌がる子もそのうちに熱心になり、絶好の情操教育となっていた。近ごろの都会の小中学校ではとても無理だろう。
 もし未だに続けている学校があったとして、このコロナ禍による休校ではその世話はどうなっているのか。動物も寂しがっているだろうし、子供たちはもっと心配しているだろう。
(水 20.05.13.)