ランチ待つ鳩の行列春の屋根    斉山 満智

ランチ待つ鳩の行列春の屋根    斉山 満智

『この一句』

 よく観察しているなあ、それをまた、こうしてよく句にしたなあと思う。
 駅や公園には「鳩に餌をやらないでください」という張り紙があるのをよく見る。土鳩(ドバト、イエバト)という野生のハトが寺社や公園、駅舎や人家の周辺にはたくさんいる。繁殖力が旺盛で、餌があるところではむやみに増える。
太平洋戦争末期から敗戦後数年間は、餌が無くなり、また片端から捕まえられて焼鳥にされてしまったので、東京はじめ大都市では激減した。小学生だった水牛も苦心して捕まえては食べた。少し臭い肉なので、味噌と塩を摺り込んで、当時は冷蔵庫が無かったから蠅帳に入れて翌日焼くと、とても旨かった。しかし、ハトはよちよち歩いてるようで、いざ捕まえようとすると難しい。いろんな仕掛けに苦心したのも今となっては懐かしい。
増えすぎて迷惑がられる存在になっているが、鳩に罪は無い。此の世に生を受けたれば必死に餌を求め、力を蓄え、子孫を残す努めを果たさねばならぬ。
親切で優しいおばあさんが毎日お昼になると残りご飯や餌を庭に撒いてくれる。それを待ちかねた鳩が屋根の棟瓦に一列に並んでじっと待っている。うらうらとした陽射しに世は事も無しである。
(水21.04.01.) 

過去帳の縁の黄ばみや霾ぐもり  星川 水兎

過去帳の縁の黄ばみや霾ぐもり  星川 水兎

『季のことば』

 「霾」とは奇っ怪な漢字である。雨冠の下は「豹」と「狸」が合体したかのような難読漢字のトップクラス。読み方には「よな」「ばい」「つちふる(霾る)」などがあって、つまり「黄砂」のことだ。モンゴルや中国の黄土高原の土が風で舞い上がり、地に降り積もり、また舞い上がり、を繰り返し、偏西風に乗って日本海を超えて日本にやってくる。
 昔の人々はこの時期、空を覆い、地に降ってくる土ほこりを妖怪的な存在と見て、不思議な文字を作ったのだろう。この迷惑なものを、やがて春到来の使者的に捉える風流人も居て、大正時代に俳句の季語となり、「つちふるや~」と指を折ったりするようになった。さて地球規模の「霾る」を「五七五」という小さな器の中で、いかに料理するのか。
 句の作者は「霾ぐもり」への連想の膨張剤に「過去帳の黄ばみ」を持ち出してきた。寺の檀家や信徒の死者の法名、俗名、死亡の年月日などを記して置く帳面で、江戸時代から続くものも少なくない。大陸と日本をつなぐ黄ばんだ存在が二つ。一方は偏西風によって、他方は仏教伝来の末として、一句に合体した。私は卓抜な取合せだ、と思っている。
(恂 21.03.31.)

水温む魚影を探す聖橋      向井 ゆり

水温む魚影を探す聖橋      向井 ゆり

『合評会から』(酔吟会)

三薬 御茶ノ水を流れる神田川。大きな鯉が泳いでいます。橋を渡る時はついつい覗き込んでしまいます。花がほころびる頃になればなおさら。懐かしい風景です。
二堂 私も御茶ノ水のホームから覗いて見たのを覚えています。川の水が綺麗になってきましたので。
*       *       *
 神田・お茶の水は学生街。聖橋は駅を出たすぐ、神田川に架かる橋脚がアーチ形の美しい橋だ。聖橋の名の由来は湯島聖堂とニコライ堂の二つの「聖」を結ぶからとは、うかつにも知らなかった。この句は実にいい舞台を持ってきたものだ。駅ホームからの眺めが懐かしいと言う上記選句者たちも、別に近辺の大学に通った卒業生ではないのだが。昔よりもずいぶん綺麗になった神田川には魚が泳いでいるはずと、聖橋の上から探りを入れる作者。いま卒業、入学の季節を迎えたが、コロナ禍のせいで人の往来はあまりない。この季節ならではの、卒業式帰りの華やかな振袖の群れもいない。作者は「魚影を探す」と言いながら、実は学生の姿を探しているのではと思ってしまうのである。学生の街に、コロナ禍に翻弄されるその姿を目で追っているとしたら、ひそやかな時事句と受け取れないことはない。
(葉 21.03.30.)

白魚を南無阿弥陀仏と啜りけり  廣田 可升

白魚を南無阿弥陀仏と啜りけり  廣田 可升

『この一句』

 なんともバカバカしい俳句だが、とても面白い。これも俳諧味というものであろう。確かに白魚の「踊り食い」にはこういうところがある。朱塗りの大盃や白磁の大鉢に泳がせた白魚がぴちぴち跳ねているのを、小さな網杓子で酢醤油の小鉢に取って啜る。口中でもぴちぴち跳ねる。それをぐっと呑み込む。ただ酸っぱく塩っぱい、動くトコロテンといった感じ。するっとノドを通る食感だけが取り柄の、味も何も無いものである。まあ食通などが行き着くところ、こうしたものを喜ぶのだろうが、料理の本道から外れたゲテモノである。
白魚の句では南無三と呑み込むとか、目をつぶって啜り込むという叙述をどこかで見たような記憶があるのだが、それはまあ、こうしたゲテモノ食いには誰もが抱く思いであり、似たような詠み方がなされるのも有り得ることだろう。
「万物の霊長」なぞとふんぞり返っている人間は、ずいぶんおかしなことをする。中央政権の言うことに従わない地方の少数民族を迫害したり虐殺したりといったことが今でも地球上のあちこちで行われている。白魚の踊り食いなどはまだまだ“可愛らしい蛮行”とでも言おうか。類句があらばあれ、この句を読み返して、愚行経験者の一人としてあらためて南無阿弥陀仏を唱えよう。
(水 21.03.29.)

予定なし手帳見直し春浅し    河村 有弘

予定なし手帳見直し春浅し    河村 有弘

『合評会から』(三四郎句会)

賢一 予定なしですか。私も同じで、この句は本当に身につまされます。
正義 コロナ禍なので、春が来ても何の予定もない。悲しいかな、悔しいかな。
而云 ひょっとしたら予定があったかな、と手帳を確かめたら、やはり予定なし、ですか。コロナ時代の朝を詠んで悪くないが、この句「し」の三段切れですね。その点がどうも・・・
有弘(作者) 「し」を三つ並べ韻を踏み、気取ってみたのですが、「三段切れ」は拙いですか。私はどうも小細工の癖がありまして・・・。
         *         *         *
 俳句作りで、三段切れはよくない、という考えが一般的である。俳句はたった十七音。その中に三つの概念を詠み込むと焦点がぼけてしまうし、作為も目立つので、挑戦するに値するとは思えない。「蝉暑し はや蝉涼し 蝉かなし」(炭 太祇)など、三段切れの名句とされるものもあって、一概に否定は出来ないが、韻をふむような試みは概して成功しない。優れた俳句は、小細工とは別のところにあるのだと思う。
(恂 21.03.28.)

「みんなの俳句」来訪者が15万人を超えました

「みんなの俳句」来訪者が15万人を超えました
 俳句振興NPO法人双牛舎が2008年(平成20年)1月1日に発信開始したブログ「みんなの俳句」への累計来訪者が、昨3月25日に15万人を越えました。これも一重にご愛読下さる皆様のお蔭と深く感謝いたします。
 このブログはNPO双牛舎参加句会の日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の会員諸兄姉の作品を中心に、日替わりで一句ずつ取り上げて「みんなの俳句委員会」の幹事8人がコメントを付して掲載しています。
 13年かかっての15万人ですから、自慢するほどの記録ではありませんが、スタート当初は一日の来訪者が10人台だったのが、徐々に増え始め、今では一日平均45人となっています。
 幹事一同、これからも力を尽くしてこのブログを盛り立てて参る所存です。どうぞ引き続きご愛読のほどお願いいたします。
       2021年(令和3年)3月26日 「みんなの俳句」幹事一同

中腰の介護の日々に春浅し    大沢 反平

中腰の介護の日々に春浅し    大沢 反平

『合評会から』(日経俳句会)

弥生 「中腰」のひと言が介護の大変さをシンボリックに伝える一句。そんな毎日に春はまだ、という気持ちを季語が受け止めています。ただ、中七の「介護の日々に」の助詞が散文的かなと思いました。
而云 介護の定めか。「親切な介護ロボット春浅し」。こんな日が早く来れば、と思います。
睦子 介護が長いのでしょうね、腰痛に気をつけてください!
          *       *       *
我が家の近所にはデイケアサービスの施設が多く、介護士の甲斐甲斐しく世話する情景をよく見る。よくやるなあ、えらいもんだなあといつも感心する。介護は「中腰の」姿勢を取ることが多いようだ。この言葉を据えたことによって、この句は実体感を備え、まだ寒い「春浅し」の季語とも相俟って秀句となった。
メール句会で送られて来た選句表でこの句を見て真っ先に選んだのだが、後で作者の「脚悪の家内を抱き上げたりすることが多くなり、小生もそのためか背骨の中央部分の軟骨が減って、背中やわき腹が痛む不愉快な日々を送っています」との自句自解を読み、ますます身につまされる思いを抱いた。この句会も老老介護の句がどんどん増えて行きそうだなあと思った。
(水 21.03.26.)

マネキンの胸の膨らむ春の服   塩田 命水

マネキンの胸の膨らむ春の服   塩田 命水

『この一句』

 マネキン人形は百貨店、ブティックのウインドウや売り場に置かれ、季節ごとに流行の服を身につける。掲句を字義通りに解釈すると、マネキンが春の服を着たら胸が膨らんだと受け取れる。マネキンは堅い強化プラスチック製が大半である。スリムな体に造形され、生身ではないので、胸が膨らんだり縮んだりはしない。
とすると、冬の間はコートや厚手の服を着込んでいたマネキンが、薄手の春服に着替えたことで、体のラインがくっきり出て、胸が膨らんで見えたということではなかろうか。店先のマネキンの服で春を感じ取った作者の感性が光る。
春の訪れは万人にとって心弾むものであり、外へ出る機会も増える。北風と太陽の寓話ではないが、柔らかな春の日差しを浴びると、重い外套を脱ぎ捨てて軽やかな春の服をまといたくなる。気温と服装の関係を解説したサイトを見ると、摂氏15度を下回るとセーターやコートが必要となり、逆に20度を上回ると上着を脱いでシャツやブラウス姿が増えるという。
愛妻家の作者は春の陽気に誘われ、夫婦で街歩きを楽しんだのではないか。華やかな春の服をまとったマネキンに、作者の心弾む思いも込められているように思う。
(迷 21.03.25.)

春めくやスカイツリーの影を踏む  加藤明生

春めくやスカイツリーの影を踏む  加藤明生

『合評会から』(日経俳句会)

木葉 だんだん日永になってきて、太陽は空のより高みへと移ってゆく。スカイツリーの影も短くなるが、その影を意識して踏んでいる作者。冬が終わり、いよいよ春に向かう喜びを感じさせます。
水兎 日差しが少しづつ戻って、影も真冬とは違う色になってきますよね。影にも春を感じられたのですね。
守 外出がすっかりご無沙汰で、はやくこんな都内の散歩をしたいものだという気持ちにぴったりの句。
ヲブラダ 遥かなるスカイツリーが足下にある。まさに春めいた気分になります。
           *       *       *
 作者は「コロナ禍で大半の人が“おうち時間”が長かったのではないかと思います。最近になってやっと暖かい日が訪れ、スカイツリーの影が少しずつ短くなってゆきます。大人も子供も追いかけて踏みつけたくなるのではないでしょうか」と自句自解を寄せている。昔この辺はじめじめして実に陰気な場所だったのだが、近頃は面目一新、東京の新しい顔になっている。令和の東京新風景を詠んでなかなかいい。
(水 21.03.24.)

東京は皆エトランゼ黄砂降る   中村 迷哲

東京は皆エトランゼ黄砂降る   中村 迷哲

『この一句』

 この句は東京者を「エトランゼ」に喩えている。「エトランゼ」は日本語にすれば「異邦人」、すなわち「よそ者」である。作者は、首都圏に暮らして四十年を超えるが、いまだに「よそ者」の思いが抜けず、数万キロを飛来し邪魔者扱いされる黄砂に想いを重ねた、と自句自解されている。
 筆者はこの句の「エトランゼ」から、久保田早紀自作自演のヒット曲である「異邦人」を連想した。この歌のサビのところの歌詞に「空と大地がふれあう彼方、過去からの旅人を呼んでる道」とある。またもうひとつ連想したのは、カミュが書いた小説『異邦人』である。この小説を読んだことがない人でも「きょう、ママンが死んだ」という冒頭の文言を聞いたことのある人は多いのではないだろうか。フランスの植民地であるアルジェリアが舞台である。いまはもう誰も言わないが、当時は「不条理小説」などと呼ばれ、文学小僧の間でずいぶんもてはやされた小説である。
 句の本意は作者の説明される通りであるが、筆者は「エトランゼ」の文言から、「異邦人」の歌詞にあるような旅への郷愁や、カミュやサルトルが活躍していたあの時代への郷愁、のようなものを感じた。黄砂は確かに邪魔者ではあるが、遥かタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から来たと思えば、これもまた郷愁を感じせる季節の風物ではないだろうか。
(可 21.03.23.)