土雛の点が三つの目鼻かな    廣田 可升

土雛の点が三つの目鼻かな    廣田 可升

『合評会から』(番町喜楽会)

金田 完成度の高い俳句です。季語もリズムも措辞も575に収まり、しかも読み手を穏やかなところへと運んでくれる。
山口 時々見かける粘土の手作り雛が私は好きだ。ちょこんと顔に三つの穴。作り手によって色々味があり愛嬌がある。
澤井 素朴な土雛の姿がよくわかります。
       *       *       * 
 3月初めの句会の兼題は、季節に相応しく「雛祭」。投句作品の内容は、雛祭と家族のこと、あるいは雛祭に寄せる心情などを詠んだもののほか、雛人形そのものの表情や形状などを詠った句が多かった。その中でも江戸時代の享保年間に広まったという「享保雛」、山口市の漆塗りの「大内人形」、そして掲句の「土雛」が目を引いた。
 衣装を纏った高価な人形とは対極の土を捏ねただけの手作り雛。しかも目鼻は丸い箸の先か何かで穿った小さな穴だけ。原始的な分、アニミズムの雰囲気が漂い、「人形(ひとがた)」や「形代(かたしろ)」も想起される。掲句に出会い、雛祭の起源に思いを馳せるのだった。
(双 21.03.12.)

雛の間をそっと覗きて妻一人   野田 冷峰

雛の間をそっと覗きて妻一人   野田 冷峰

『この一句』

 子供たちは成人し、それぞれがすでに新家庭を築いている。夫が広い家の中の一室をそっと覗く。妻が正座し、飾り終えた雛段をじっと見上げていた。子供たちの家族はこの時期になると、孫を連れで「ウチの雛様」に会いにくることもあるが、今年は誰も来ない。コロナ騒ぎが納まるはずの来年はどうだろう・・・。そんな場面だ、と私は解釈した。
 作者の名が分かってオヤと思った。作者の奥さんは先年、亡くなられていた。腕利きの事件記者であった作者は愛妻家として知られてきた。句会に入った後は奥さんを詠んだ句を多く作り「また彼の愛妻ものが出て来たな」などと句仲間をニヤリとさせていた。奥さんはしかし、もう居ない。すると回顧の作か、奥さんの幻の姿を詠んだのだろうか。
 女性の雛人形への思いは、男が理解出来ないほど深いものらしい。句中の女性は、二月の半ばから雛飾りを始めていたのだろう。飾りながら、娘の初節句の頃、幼稚園の頃、そして結婚し「お雛様は置いていく」と言って、新家庭を作った頃のことも甦って来る。作者の脳裏には、お雛様をじっと見上げている女性の姿が浮かんでいるに違いない。
(恂 21.03.11.)

初孫は女の子とや福寿草     谷川 水馬

初孫は女の子とや福寿草     谷川 水馬

『この一句』

 孫を詠んだ名句を寡聞にして知らない。名のある俳人にも孫の句はあるが、人口に膾炙するような作品はなさそうだ。一方、子供を詠った名句は多い。「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(中村草田男)や「あはれ子の夜寒の床の引けば寄る」(中村汀女)など数え上げればいくらでも思い浮かぶ。
 その違いは何だろう。筆者が思うに、育てる責任の軽重ではないだろうか。孫も一つ屋根の下で一緒に暮らしている、あるいは何らかの理由で親代わりに孫を育てている、というようなケース以外は、孫とは離れて暮らしているのが一般的だろう。自分の血が繋がった幼子は、なにしろ可愛い。たまにしか会えない場合はなおさらだ。もうデレデレである。しかし、孫が泣き出せば親にバトンタッチ。お襁褓なのか空腹なのか、ジジババの出番はない。子育てはそうはいかない。夜中に我が子が泣き出せば、どんなに疲れていても起き出して面倒をみなければならない。玩具やおやつの与え方一つをとっても、親と祖父母では異なる。猫かわいがりすれば済む孫と、日々育児に向き合わなければならない吾子との違い。それが句に滲むから孫の句は客観的にみて「甘い」のだろう。
 ところが、掲句は孫の句にしては珍しくべたついた感じがない。福寿草の季語がよく働いているが、何といっても「とや」が効いている。つまり「初孫は女の子らしいよ」と、他人事なのだ。なるほど、自分の孫を詠んでないからデレデレいてないのだ。
(双 21.03.10.)

閉校の門のあおぞら辛夷咲く   廣上 正市

閉校の門のあおぞら辛夷咲く   廣上 正市

『季のことば』

 春爛漫の代名詞ともいうべき桜はもちろん春の花の最上位だが、辛夷も早く咲くだけ春の幕開けを感じて地位は揺るがない。大ぶりな白い花は清潔感があり、清楚な女性を思わせるとは筆者の勝手なイメージである。都内では六義園の枝垂れ桜と大辛夷が名高いようだ。「朝風や辛夷まぶしき六義園 光迷」「六義園大傘のよう大辛夷 てる夫」も句会に出た。場所はどこであっても辛夷の居場所として不足ない。なにしろ清楚な女性の姿であるからだ。
 少子高齢化にともない、最初に小学校の統合や廃校が避けられなくなる。ネットを開いて驚いた。都内しかも都心三区(千代田、中央、港)の戦後の廃小学校は三十五もある。人口減が著しい地方は推して知るべし。作者は北海道出身だから身をもって廃校の現実を見聞きしてきたに違いない。桜は入学の喜びを伝える花に対し、辛夷は卒業の哀感を呼ぶ花と言ってもいいかもしれない。この景は閉校が決まったか、廃校後の小学校と見立てる。くたびれた門の前に立つと哀しいまでの青空。辛夷の白い花が咲いている。卒業生を見送る女教師の姿が重なってくる。辛夷はそんな花であろう。
(葉 21.03.09.)

一本の白き森なる大辛夷     星川 水兎

一本の白き森なる大辛夷     星川 水兎

『この一句』

 辛夷はモクレン科の落葉高木で、春になると真っ白な花を枝いっぱいにつける。日本全国に自生するが、山地などでは高さ20メートルにもなるという。葉に先立って花が一斉に咲くので、大きな木全体が白く輝いて見える。その様を「白き森」と捉えた感性、表現力が、この句の眼目であり、全てであろう。辛夷の姿・特質をズバリ捉えた「一物仕立て」の句のお手本といえる。
 メール形式で開いた句会でも高点を得た。「六義園でしょうか。大辛夷が一本の森だなんて、しゃれています」(百子)、「白き森が印象的」(光迷)など、評者全員が「白き森」の表現に心を動かされた。作者によれば、六義園や新宿御苑で実際に見た大辛夷を詠んだものという。「地面に散った花弁を見つけて見上げると、大きく広がっていて、一つの世界のようだなぁと思った」とコメントしている。その時の感動が「白き森」に凝縮されているのであろう。
ところで六義園は柳沢吉保の屋敷にあった庭、新宿御苑は信州高遠藩の屋敷跡で、いずれも江戸時代の大名屋敷跡である。六義園から近い小石川植物園(旧幕府の御薬園)でも大きな辛夷の木が見られる。春風に誘われ、江戸の遺産ともいえる庭園を訪ね、辛夷の「白き森」を見てコロナの憂さを晴らしたい。
(迷 21.03.08.)

【番外】ヺブラダ句の「受け月」について

【番外】ヺブラダ句の「受け月」について

 3月7日付けの本欄で髙橋ヺブラダ氏の「受け月」についてのコメントを載せた。これに対して而云氏から以下のような「問い合わせ」が届いた。
 「・・・『受け月』は知りませんでした。広辞苑、平凡社の大辞典には出ておりません。天文用語なのでしょうか。ネットでは『上弦の月』と説明しておりますが、(水)さんの解説を読み「それでいいのかな?」とも思っています。そのあたりの説明を頂ければ、と思います。而云」
 なるほど、まことに言葉足らずと言うか、書き方がまずかったと反省している。誤解を招いたのは特に以下の記述のようだ。
 「・・・満月が過ぎると月の出がだんだん遅くなり、それと共に右側が欠け始め、下弦の月になる。それが夜も更けてから現れ、夜明けに西の空に盃のように浮かんで、やがて日の出と共に見えなくなる。春であれば、まさにこの句のように「春に溶け込む」感じがするであろう。・・・」
 下弦は「満月から新月に至る半月間」を言い、その中間に当たる月齢22,23日(旧暦22,23日)には右半分が欠けた形で真夜中に南中する。やや右に傾いた形で、弓の弦が下向きかげんなので「下弦の月」とか「しもつゆみはり」と呼ばれた。そして毎晩右側が削られて行き、月の出が遅くなり、月齢27,28日(今年で言えば3月10,11日)になると、もう夜明け間近にごく細くうすぼんやりとした受け月になって「月の入→日の出」となる。そして3月13日は新月で、翌日から右下隅からうっすらと、日の入り直後に現れ出し、右側から太って行って3月29日に満月になる。この過程の半月間が「上弦」。この期間の三日月から五日月辺りが、人がまだ起きていて夜空を見上げる時刻に「受け月」の形になるので、「受け月は上弦」と言われるようになったのかも知れない。
 ただ、ヺブラダ句では「朝まだきの受け月」とあるので、下弦の月の入りの頃と判断して記述した。ともあれ、天体の様相を説くのは難しい。
(21.03.07.水)

朝まだき受け月春に溶け込みぬ 髙橋ヺブラダ

朝まだき受け月春に溶け込みぬ 髙橋ヺブラダ

『おかめはちもく』

 「朝まだき」は夜の明けきらない早朝を言う。「まだき」は「未だき」で、「そうならないうち」という意味だ。「愛しいお方が朝まだきに帰って行かれる・・」というように、「早くも」「もう・・」といった意味合いで使われる。源氏物語や伊勢物語などにも出て来るし、古歌にも盛んに用いられている優雅な言葉だ。この句も、そうしたロマンチックな情趣をたたえたなかなかの句である。
 「受け月」というのは曖昧な言葉で、上弦でも下弦でも、あるいは三日月でも、時間を問わなければ受け月になることはしょっちゅうである。ただここでは「朝まだきの受け月」ということだから、昔からの言葉で言えば「有明の月」ということになろう。満月が過ぎると月の出がだんだん遅くなり、それと共に右側が欠け始め、下弦の月になる。それが夜も更けてから現れ、夜明けに西の空に盃のように浮かんで、やがて日の出と共に見えなくなる。春であれば、まさにこの句のように「春に溶け込む」感じがするであろう。「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際すこし明かりて・・」(「枕草子」冒頭)の頃合いである。明日八日あたりから十一日頃まで明け方五時過ぎには、この句のような受け月が見られるかも知れない。
 とても感じの良い句だが、上五に「朝まだき」と置いたためにやや平板になっているのではなかろうか。「受け月の春に溶け込む朝まだき」とした方が、春の夜明けの情趣が深まるような気がするのだが・・。語順によって句の印象はがらりと変わる。
(水 21.3.7.)

エコバッグはみ出す野菜春一番  大下 明古

エコバッグはみ出す野菜春一番  大下 明古

『この一句』

 今年の春一番はずいぶん早く吹いた。関東では2月4日、立春の翌日だった。去年より18日早く、これまででもっとも早かったという。春一番は、立春から春分までに吹く強い南風のこと。期間限定なので春一番が吹かない年もあるとか。この言葉を聞くと何となく「春がきた」という気にさせられる。
 立春、春一番と耳に嬉しいニュースを耳にして、作者は買物に出た。スーパーの野菜売場には春野菜が溢れ、心も晴れやかに。あれもこれもと、ついつい買い足して持参のエコバッグはすぐに満杯になった。店を出れば、はみ出した野菜が折からの春一番にあおられたのかも知れない。いかにも春らしい明るさに満ちた掲句は人気を呼び、高点を得た。
 「春キャベツ、新じゃが、新たまねぎなど春の野菜で一杯になった買物袋。そこに春一番。なんと生命力に溢れた句。エコバッグで時代を切り取ってみせるところも欲張りで素敵」という阿猿さんの感想が、他の選者の声も代弁している。作者は主婦らしく、葱、大根、水菜、小松菜、葉付き蕪、芹などの野菜も上げるが、実は買物へ行くのは在宅勤務になった夫だ、と落ちをつけた。
(双 21.03.05.)

ダムの名は江戸より五十里辛夷咲く 杉山三薬

ダムの名は江戸より五十里辛夷咲く 杉山三薬

『この一句』

 地名や場所を詠み入れた句は、そこに行ったことがない、馴染みがないとなれば受け手の心に届かないのだろう。この句の中七(八音ではあるが)の「江戸より五十里」に覚えのある人にとっては、それだけで感懐を持つに違いない。「五十里」は地名では「いかり」と読む。筆者は行ったことはないが、うろ覚えながら読みだけは思い出した。調べて見ると、由来は会津西街道にあった会津藩関所および宿場が江戸からちょうど五十里だったので地名になったという。そこに造ったダムだから五十里ダム。
 作者は昔から行動派である。しかも単独行が好きのようでもある。かつての作者句に「右木曽路左伊那谷夏木立」がある。これらの地名は誰もが知っており、すぐにイメージが湧く。句会で高点を得た。掲句の「江戸より五十里」がどこを指すのか、選句者たちはピンと来なかったのではないかと思う。偉そうに言う筆者だってはじめは分からなかったのだから褒められないが。本来やらねばならない句の評価をしたい。鬼怒川上流にある五十里湖は、とうぜん山中にあり中々に由緒あるダムのようだ。その湖周りに辛夷の花が咲き興を添えた。地名を借りてはるばる来たものだと作者は言っている。
(葉 21.03.04.)

子を胸にスマホ片手に東風を行く  金田青水

子を胸にスマホ片手に東風を行く  金田青水

『おかめはちもく』

 女性の句だと即断してしまった。幼子を(左手で、だろうか)胸に抱いている。そして右手にスマホを持ち、誰かと会話を交わしながら、東風(こち)の吹く中を一歩一歩、前に進んで行く。たいへんだなぁ、すごいなぁ、若いお母さんは、と同情した。ところが作者が分かって、拍子抜けした。句作りの名手と認められている堂々たる男性の作であった。
 男性が女性の姿や行動を見て、それを句にしても何ら不都合はない。作者が自らの姿を隠し、異性風に詠むのも、もちろんOKである。女性の句だと思い込んでしまったのは、当方の判断によるもので、それについて作者に文句を言う筋合いはない。しかし、句の構成についての考えを述べるのならば、許して頂けるかも知れない、と考えた。
 この句、上下をひっくり返してみたらどうか。即ち「東風を行くスマホ片手に子を胸に」とするのだ。上五から中七、下五へと次第に劇的になって行くはずだ。さらに東風はどちらかと言えば緩やかに吹く風だと思う。ならば上五は「強東風や」と行く手もある。作者にお願いする。句の直しは、勘違いの悔しさをぶつける紙つぶてほどに受け止めて頂きたい。
(恂 21.03.03.)