ぬか床の漬かりの早き土用かな  中村 迷哲

ぬか床の漬かりの早き土用かな  中村 迷哲

『合評会から』(酔吟会)

てる夫 周囲にはぬか床を漬ける人は沢山いるのですが、私自身はプロセスをよく知りません。温度が高いと漬かりも早いのだろうと想像して頂きました。
水馬 すごくあたりまえのことをわかりやく詠んだ句ですね。即興で詠んだような感じがしますが、含蓄のある句だと思いました。
百子 たしかに暑いと漬かりが早くて、とても実感のある句です。
          *       *       *
 我が家で糠味噌漬けを好んで食べるのは私だけ。家内も息子も食べない。従っていつの間にか「食べたい人が漬ける」ということになって、毎日自分でぬか床をかき混ぜている。だからこの句を選句表で見つけるなり「我が意を得たり」と◎を漬けた。しかしこの句の作者は幸せだ。「女房が漬けているのですが、この頃は午後三時くらいに漬けたら、夕方にはもう漬かり上がっているようです」などと暢気なことを言っている。
 それにしても糠漬という日本独特の漬物はなんと素晴らしい発酵食品であることか。春夏秋冬、その時々の野菜をこよなく旨くしてくれる。浅漬ならば野菜の味わいを活かし、発酵糠のほんのりとした香りと塩味であっさりとしている。古漬けともなればまた格別。胡瓜、茄子、大根、キャベツ、人参など、細かく刻んで生姜の絞り汁を一垂らし、鰹節をぱらりと掛けて七味唐辛子と醤油をちょっぴり、これと冷奴で湯上がりの一杯は「よくぞ日本に生まれたる」である。
(水 22.08.28.)

飛行機の音も飲み込む雲の峰   後藤 尚弘

飛行機の音も飲み込む雲の峰   後藤 尚弘

『合評会から』(三四郎句会)

賢一 入道雲が飛行機の爆音を飲み込んでしまう。なるほど、そういうこともあるのかな。
而云 航空機が雲の峰に入り、爆音が途絶えたのだろうか。
有弘 爆音によって巨大な入道雲の存在感を表していると思う。
尚弘(作者) もくもく立ち上がる入道雲に航空機の爆音が飲み込まれて行く、と感じた。目に見えない音も飲み込まれてしまう。その雄大さを表したかった。
          *       *       *
 句を見て「?」と思った。空を見上げ、航空機が雲の中に入って行く――。少年の頃から何度も見ている光景だが、その際、爆音も雲に飲み込まれると気づいたことはなかった。作者は「爆音も飲み込まれて行くのを感じた」と言う。事典によれば、雲は水滴や氷の粒の集合体である。入道雲の重量感からすれば、爆音も吸い込んでしまうかも知れない。
 それが真実かどうかを確かめるのは、なかなか難しそうだ。今後の人生の中で、飛行機が雲の中に入るのを見る機会は何度あるのか。その時に爆音が消えるかどうかを確かめる余裕があるのか・・・。やがて、作者が「消えたと感じた」ならば、それでいい、という結論に至った。俳句は元もと「そのように感じればいい」という文芸なのだから。
(恂 22.08.26.)

八月や厨に氷ころぶ音      廣上 正市

八月や厨に氷ころぶ音      廣上 正市

『この一句』

 八月は立秋を迎え、季節が夏から秋に移り変わる月である。季語として八月を詠む場合、なお残る厳しい暑さを主題にするか、そこはかとなく漂う秋の気配を探すか、例句を見ても両様である。
 掲句は八月の、まだ暑い頃の家庭の一場面を詠む。冷たい飲み物を用意するのか、かき氷でも作るのか、台所から氷を扱う音が聞こえる。厨(くりや)という古風な表現から、現代の明るいキッチンではなく、昭和の頃のちょっと薄暗い台所がイメージされる。
 家庭で氷をいつでも使えるようになったのは、電気冷蔵庫が普及した昭和40年代以降である。それまでは氷屋で角氷を買ってきて砕いて利用した。冷蔵庫も初期の頃は、水を入れた製氷皿を冷却室に入れ、一晩かけて凍らせたものだ。最近の冷蔵庫は製氷室が独立し、タンクに水を入れておけば、いつでも必要なだけ氷を取り出せる。厨に氷がころぶ音が響いたのは、角氷の時代か、製氷皿から氷を取り外して使った時代に違いない。
 氷が貴重だった頃は、暑い盛りに母が台所で作ってくれたカルピスやかき氷が何よりのご馳走だった。厨、氷、ころぶとカ行の音を連ねたリズム感のある詠み方も、句を軽妙なものにしている。「カラカラ」か「コロンコロン」か、読む人それぞれの追憶の厨に爽やかな音が響く。
(迷 22.08.25.)

八月や此の世を去るを思い初め  鈴木 雀九

八月や此の世を去るを思い初め  鈴木 雀九

『季のことば』

 「八月」という季語、一年の月ごとにある十二の季語の中でも心情的に別格の感がある。リズムの好さもあって「八月や六日九日十五日」の句がすぐ頭に浮かぶ。作者は長らく長崎・諫早の医師による平成四年の作品となっていたが、好事家が調べたところ、初出はそれより十六年前の昭和五十一年、福岡出身の小森白芒子の作ということだ。悔恨、鎮魂、無常などの情念を内に包む名句と筆者は思っていたが、その好事家によると名句じゃないが、心に残る句と捉えていると言う。
 それはさておき、今月の兼題「八月」にはそれらの情念を詠んだ句が少なからず投じられた。「八月の風は冥府の匂ひあり」「八月は少し重たきカレンダー」「慰霊碑を照らす赤光八月尽」などである。掲句もその一つ。「此の世を去る」という言辞だから、穏やかな心情ではない。八月は先祖を祀る行為のほか、自ら残りの人生を考えよと迫られる心持ちがする月ではないかと思える。句の意味はごく単純で、自分が死ぬことを考え始めたとなっている。これも八月ならではの心情であると納得する。自己の死は自分ひとりの死ではない。まず妻のこと、息子・娘・孫のこと。作者は医院を経営する医師だから、さらに思いを及ばすことが多々あるに違いない。余技(失礼)の俳句を借りて内面の心情をさらりと詠み、切実味をほどよく吐露した八月の俳句とみた。
(葉 22.08.24.)

八月やお洒落心も遠くなり   池村 実千代

八月やお洒落心も遠くなり   池村 実千代

『合評会から』(日経俳句会)

てる夫 お化粧どころじゃないこの暑さ。その一言ですね。
木葉 採らなかったけど実感ですね。
水兎 とにかく涼しい格好をしたいですよね。
迷哲 化粧か着るもののことか、どっちを言っているのかな。
愉里 女性が化粧するのはお洒落じゃない(笑)。
明生 暑さにお洒落する元気も起きない。そんな女性の気持をよく表している。
操 夏の疲れが何をするにも億劫な季節。
双歩 「こう暑いと」という気分が伝わります。
          *       *       *
 作者はいつもお洒落な格好で颯爽と句会に現れる。高価そうとか、華美とかではなく、センスを感じさせる出で立ちだ。そのお洒落な作者が、「お洒落心」を無くすほど〝暑い〟八月だと言う。暦の上では早々と秋を迎えたが、現実は夏真っ盛りの「八月」という季語を素直な心情で表現していて好感が持てる。(双)
 洒落っ気の失せた男はヒゲを剃るのも面倒になる。しかし女性はそんなことは無いだろうと思っていたら、この句が目についた。やっぱり女性も「お化粧どころじゃないわ」なんて思うんだなと妙に感心した。令和4年8月はことに異常で、それをさりげない言い方でずばりと詠んだものだと感心した。たまたま二人が同時にコメントを書いてしまったので合体並記する。(水 22.08.23.)

八月や虫のむくろの澄んだ羽   伊藤 健史

八月や虫のむくろの澄んだ羽   伊藤 健史

『合評会から』(日経俳句会)

愉里 家の裏の蜘蛛の巣を見ていたら、虫を捕食していた。「八月」に合っているのかなと思って。
芳之 意外なほど生き生きとした羽。観察眼が冴えています。
昌魚 虫の死骸を見ての感覚として「澄んだ羽」をとらえたのに驚きました。
明生 蝉の亡骸だと思います。例年に比べ少なくて小ぶり。その羽は澄んでいる、まさにその通り。
守 季節の移ろいを感じる句です。
水牛 この虫は蝉のことでしょう。季重なりを嫌って「虫」としたのだろうが、そこがちょっと気になって採れなかった。ボクは季重なりをあまり気にしない。これも、あえて蝉とした方がすっきりする。
           *       *       *
 夏の終わりになると、道端や公園で蝉など虫の死骸をよく目にするようになる。作者は虫の羽が死してなお透き通っていることに気づき、句にした。「澄んだ羽」と言い切った下五に、発見の驚きと夏の生を終えた虫への慰めの気持ちを感じる。
 句会ではどんな種類の虫だろうかと話題になった。トンボや蜂も透明な羽を持つが、この季節に身の回りでよく見られる死骸といえば蝉であろう。水牛氏が指摘するように、漠然とした虫ではなく蝉とした方が、対象が明確になり、句に深みが生まれたように思う。それとしても路傍の虫に目をとめ、澄んだ羽に季節の移ろいと命の儚さを感じ取った作者の感性が光る句である。
(迷 22.08.22.)

なんとまあ草間彌生や毒茸   玉田 春陽子

なんとまあ草間彌生や毒茸   玉田 春陽子

『合評会から』(番町喜楽会)

青水 草間彌生と毒茸の取り合わせはなんとも的確です。類句があるかもしれませんが…。
水牛 あの毒々しいベニテングタケとかカエンダケとかを見て草間彌生を思い浮べるセンスに感心しました。
木葉 毒茸から草間彌生の水玉模様を連想するのはいいですね。上五の「なんとまあ」も効果的です。
迷哲 言われてみれば絵画やオブジェの形と色は毒茸そっくり。「なんとまあ」が発見の驚きを伝えます。
可升 「なんとまあ」に一茶の「これがまあ」を連想してしまい、せっかくの草間彌生のアヴァンギャルドな魅力が減殺された気がしました。
而云 「これやこの」なんてのも面白いかもしれない。
水牛 いや、やっぱり「なんとまあ」が俳諧的でいいですよ。
          *       *       *
 賛成・反対のいずれにせよ、この一句の焦点は、「茸」に対し「草間彌生」をぶっつけたことだ。茸に南瓜などドットの繰り返しが特徴の絵画やオブジェを得意とする作家である。そう、瀬戸内海の島に飾られた南瓜は流されたのだとか。読み手の意表を突き、かつ納得させてしまう取り合わせ――その発見も俳句の妙手なのだろう。
(光 22.08.21.)

晩夏光母の背中のお灸跡     星川 水兎

晩夏光母の背中のお灸跡     星川 水兎

『合評会から』(番町喜楽会)

木葉 今どきはお灸をする人がいなくなったようで、これは昔の光景でしょう。この句は季語に「晩夏光」を持って来たことが手柄でしょう。
愉里 夏の終わりの感傷とお母様に対する想いが込められていて、頂きました。私の年代だと祖母の姿に重ねますが、若い人には知らない光景になるのだろうと、切なくなってしまいました。
而云 今はもうこういう光景は見ないように思うのですが、よく考えれば、俳句は昔あったことを詠んでもいいのだなとあらためて思いました。
          *       *       *
 背中にお灸跡を残している母親となれば、それはもう八十代後半から九十代のお人に違いない。その背中を優しくさすってあげているのか、お風呂で洗い流しているのかしている孝行娘の作者も定年近辺の年頃と思われる。
 老齢のお母さんがしゃきしゃきと働いていた昭和三十年代は、日本はまだ発展途上国であり、少しぐらい熱があろうと、お腹が痛かろうと、買い置きの売薬(渋紙の袋に入った「富山の置薬」というのもあった)を飲んで済ませていた。そして、頼りは「お灸」である。丸めた艾(もぐさ)を肩や背中や腰や脛の「ツボ」に置いて線香で火をつける。だんだんと燃えて行って皮膚に近づくと七転八倒の熱さ。それを歯を食いしばってこらえる。我慢比べのようなものだが、これが不思議に効いた。しかし、皮膚は焼けただれ、ひどいときには膿んだりもして、その痕が瘢痕になった。昭和時代を生き抜いた人の勲章である。(水 22.08.19.)

片足は雌に呉れたといぼむしり  谷川 水馬

片足は雌に呉れたといぼむしり  谷川 水馬

『季のことば』

 「いぼむしり」はカマキリの異称。これで疣をこすれば無くなるという俗説からこんな妙な名が付いたという。俳句世界では通じるのだろうが、世間一般にはとんと馴染みのない言葉だ。はかない抵抗の意味で「蟷螂の斧」の成句があるほか、ほとんどの俳句では「蟷螂(とうろう、またはかまきり)」と詠んでいる。「いぼむしり」を使った句も散見するが、なぜと考えてみれば五音であるのが理由とも思える。
 掲句は蟷螂を使わず、下五に「いぼむしり」と置いたのが何とも効果的だ。試みに「蟷螂は雌に片足呉れたといふ」などと詠んでしまえば、初めから正体がばれ、掲句のような俳味は失われてしまう。最後にどんと「いぼむしり」と登場するから、上五中七が生きたのだとみている。
 交尾中に雄を食い殺す蟷螂の生態を詠んでいながら、寓意をはらんだ一句となっている。そうだ、人間社会もそうじゃないかと思い当たるのである。古より男は身を粉にして働き、女房子供を養うのが習い。今じゃこんなことを言うと男女差別主義者の謗りを免れないが。子供たちは親父の脛をかじって成長し人となる。「母親の狂気と男親の財力」という戯れ言葉あるほど、昨今の有名校進学熱と塾の費用に目をむいてしまう。
 この句はサラリーマンが居酒屋で同僚と一杯やりながら嘆いている場面を彷彿とさせる。雄の蟷螂の身の上に仮託して、脛一つくらい仕様がないと言っているのだ。
(葉 22.08.18.)

猛暑道傘で日陰を持ち歩く    澤井 二堂

猛暑道傘で日陰を持ち歩く    澤井 二堂

『合評会から』(日経俳句会)

雀九 なるほど、と思って、笑ってしまいました!この句の発想は男性、差している日傘は女性。では作者はどちらでしょうか。
健史 独特な把握が詩情を生んだ。
明生 日陰のほとんどない道を日傘で歩いたのでしょう。持ち歩くが面白い。
昌魚 日傘で「日陰を持ち歩く」には脱帽です。素晴らしい。
水馬 面白い。今年は男性も日傘を差しているようです。
定利 日陰を持ち歩くとは上手い。想像すら出来なかった。
迷哲(司会) 点を入れた上記の方々はすべて欠席者です。出席の皆さんにご発言頂かないと合評会が成立しません(笑)。
双歩 「炎天下」なら採った。なんで猛暑道などという言葉を無理やり持ってきたんだろう。
木葉 確かに猛暑道は無理があるね。
反平 詩情が伝わってこないんだよなあ。
          *       *       *
 実は私も合評会で「『日陰を持ち歩く』とはウイットに富んだ表現だろう、どうだいという作者の手柄顔が見えてしまう」と酷評してしまった。幕末から明治中期にかけての、いわゆる「月並俳句」で、粋人の旦那衆が競い合った「遊び」と「機知」の句である。しかし、現代俳句に失われてしまった、こういう面白味というものは、やはり大事にすべきだなと思い直した。
(水 22.08.17.)