久留里から角打列車新酒酌む   向井 愉里

久留里から角打列車新酒酌む   向井 愉里

『この一句』

 飲ん兵衛待望の新酒が盛んに出回る季節。全国に1400以上ある造り酒蔵、1万を超す銘柄があるという。好みの新酒をいまや遅しと待ち望んでいることだろう。近ごろは海外にも日本酒通が増え、昨年の輸出額は前年に比べ90%近くも伸びて410億円となっている(日本酒造組合中央会)という。訪日外国人の8割以上が滞在中に日本酒を飲むという統計もあり、人気の居酒屋体験が大きく働いている。
 それはさておき、この句を見たとたん「角打列車」という味わい深い言葉に惹かれた。全国の私鉄、とくに経営の厳しい中小はあの手この手の誘客作戦に余念がない。JRといえどもローカル線は腕組みをしているわけにはいかない。調べてみたら今年の久留里線の角打ち列車は7月14日だった。走る列車の中、里山風景を見ながら新酒を酌んだらこんな贅沢はない。付け加えれば、窓を背に一升瓶のケースにお盆を載せて座り料理や和菓子まで出る角打ちだそうだ。
 もしこのイベント列車と新酒の季語が一致している実体験ならなお素晴らしいと筆者は合評会で評した。新酒年度とは7月1日から翌年6月30日までを言うらしく、7月は間違いなく新酒の時期。不明を恥じるばかりだ。おわびに作者の弁を――。「久留里に人を呼んでくるために木更津から出ているイベント列車です。列車の中で試飲ができます。久留里には酒蔵が五つあって、新酒まつりもやっているようです」。
(葉 24.10.24.)

秋冷や見知らぬ駅に降りる通夜  中村 迷哲

秋冷や見知らぬ駅に降りる通夜  中村 迷哲

『この一句』

 「秋冷」、「見知らぬ駅」、「通夜」といかにも寂しげな言葉が連ねられ、互いに響き合って、まるで映画か小説のワンシーンのような情景を描いている。とても完成度の高い句である。その完成度の高さは、ややもすれば出来過ぎの感を与え、正直に言えば採ろうかどうか迷った句でもある。
 いまどきは、家族だけでこぢんまりと葬儀を行うケースが多く、また会社勤めから離れたこともあり、遠くまで通夜に出かけることはなくなったが、現役時代には誰しもが経験している場面である。スマホがなかった時代、案内状を片手に見知らぬ駅に降り、見知らぬ町の葬儀場を探して行ったものである。
 作者によれば、最近、親しかった先輩が突然亡くなられて、通夜に馳せ参じた経験を詠んだとのこと。「見知らぬ駅」はもちろん初めての駅を意味するが、それと共に、突然の訃報をまだ信じられないでいる自身の気持ちもこの言葉に託したとのこと。俳句は限られた音数で、しかも説明することを嫌う表現なので、こういう暗喩は気分としてしか伝わらない。作者の言葉を聞いて初めてわかることである。
 作者の思いを踏まえて改めてこの句を読んでみると、それでなくても完成度の高い句が、より彫りの深い句として読み手に伝わってくる気がする。自句自解の効用と言うべきだろうか。
(可 24.10.22.)

白湯一杯飲んで出かける敬老日  横井 定利

白湯一杯飲んで出かける敬老日  横井 定利

『合評会から』(日経俳句会)

双歩 敬老日といって気負うわけもなく、白湯一杯飲んでさあちょいと出かけるか、という元気な作者を思い浮かべて採りました。気取らずにいい句だなあ、と。
実千代 敬老、敬老っていうのを、私あまり好きじゃあなくって。白湯一杯飲んで自然に出かけてゆく様子が、とてもいい。
而云 敬老の日に白湯一杯飲むって、ちょっと格好良いなあと感じました。
明生 白湯一杯飲んで、お年を召した作者は勇んでどこへ出かけるのでしょう?
健史 からだを気遣うやさしさ。ほのぼのとした味わい。
          *       *       *
 白湯は健康にとても良いらしい。体が温められ、動脈や毛細血管を広げ、血流が良くなり、体内の老廃物が排出されやすくなる。さらには、胃腸が温められ、内臓の働きが活発になり基礎代謝や免疫力を向上させる、などとネットには効能が並んでいる。医学的裏付けはないようだが、冷たい水を飲むよりは明らかに身体に優しそうだ。
 作者は普段から健康法の一環として白湯を飲んでいるのだろう。今日は敬老の日。御年87歳の作者は、自治体が主催する「敬老の集い」に招待されている。出かける前に日課となっている白湯を一杯。四肢の末端まで血の巡りが良くなった。来年は米寿を迎える作者は、今も元気に俳句作りに励んでいる。その源は白湯にありそうだ。大先輩を見習って、筆者も白湯を飲み始めた。
(双 24.10.20.)

秋冷の谷より満ちて奥箱根    中嶋 阿猿

秋冷の谷より満ちて奥箱根    中嶋 阿猿

『この一句』

 句を読んだ時、川沿いに建つ湯の宿をイメージした。陽が落ちたのだろう。川から冷気が這い上がってきて、温泉街全体が秋冷の底に沈んでいく。「満ちて」の措辞が効いており、秋の冷気がじわじわと谷を埋めていく様子が浮かんでくる。格調高く整った句で、奥箱根の固有名詞も秋冷の気分によく合っていると思った。9月の日経俳句会において、「冷やか」の兼題句で一席となったのもうなずける。
 これに対し、句会で「こうした地形は日本全国にあり、奥吉野でも成立する。奥箱根が動くのではないか」(水牛)との指摘があった。「○○が動く」というのは俳句特有の言い回しで、別の季語を持ってきても句として成立するような場合、「季語が動く」と言ったりする。
 固有名詞は大きなパワーを持っており、上手く使えば、その場所の様子、雰囲気、歴史といったものを、一言で伝えることが出来る。ただし、その固有名詞のイメージや由来が、読者に共有されていることが前提となる。あまり知られていない固有名詞を使うと、意味の通らない句になるリスクをはらんでいる。
 奥箱根はよく知られている地名と思うが、範囲が広すぎて、奥箱根のどこをイメージしたかによって句の印象が違ってくる。湯本や塔ノ沢は谷沿いに旅館が建ち並び、句の雰囲気に合うが、奥箱根とは言い難い。さらに登った強羅や仙石原は谷がなく、句のイメージから遠い。もう少し範囲を絞った地名の方が、よりしっくり来たのではなかろうか。
(迷 24.10.18.)

別姓に何の支障が秋刀魚焼く   須藤 光迷

別姓に何の支障が秋刀魚焼く   須藤 光迷

『この一句』

 九人もの候補者が乱立した令和六年の自民党総裁選。候補者はあちらこちらで舌戦を繰り広げ、政策(とんと具体的には見えないが)やら思想信条をアピールする。争点のひとつが選択的夫婦別姓を認めるか否か。自民党総裁すなわち日本国首相であるから旗幟を明らかにせざるをえない。世論は分かれるが国民の大勢は選択的夫婦別姓を容認。生活上必要な女性あるいは心情的にそうありたい人には認めればいいという意見だ。二十年来、別姓問題は日本社会の方向を示す政策課題であり続け、与野党保守派、リベラル派の間で対立が絶えない。
 センシティブな問題に切り込んだのがこの時事句だ。作者は「別姓に何の問題があるのか」と明快に断じる。夫婦別姓が当たり前になると、家庭のかたちが変わると主張する保守派の立場と相対する。一読にべもない姿勢にもみえるが、下五に「秋刀魚焼く」という庶民の「いとなみ」を持ってきた。句意と秋刀魚焼くとの相性がどうかと、合評会の場では疑問視する声もあったようだが、これが句の表情を和らげている。世間の論争など無意味で、自分は普段と変わらぬ平凡な生活を送っていると言いたいのだ。政治家の右往左往ぶりを鋭く批判しながら、柔らかく俳句に落とし込んだのは作者の手腕と思う。
 「最後の挑戦」と5回目の総裁選で念願果たした石破総裁は首相になった途端に「別姓容認派」から「慎重派」になった。それだけこの問題に慎重な保守派が党内に多いのだろう。
(葉 24.10.15.)

もういいよもういいよねと秋の蝉 久保田 操

もういいよもういいよねと秋の蝉 久保田 操

『この一句』

 鶯は「ホーホケキョ」、時鳥は「トッキョキョカキョク」や「テッペンカケタカ」、小綬鶏は「チョットコイ」など、よく知られた鳥の鳴き声がある。蟬にも蜩の「カナカナ」やミンミンゼミの「ミーンミンミン」などの聞きなしがある。秋の蟬、つくつく法師は「ツクツクホウシ」や「オーシツクツク」と鳴く。九州大学の理学部ニュースのサイトによると『鳴き始めの「ジー」から、「オーシンツクツク、オーシンツクツク」というメインメロデイを繰り返した後、途中で「ツクリヨーシ、ツクリヨーシ」とパターンが変化し、「ジー」と鳴き終わります。オスが鳴く生物の中で、このように鳴き声のパターンが途中で変化するものは、他に類を見ません』という。その上で「前・後半パートで、鳴き声を聞いたオスの応答が異なることを発見」したそうだ。
 私の耳には、その後半部分は「ツクイーヨ、ツクイーヨ」と聞こえるが、作者にはどう聞こえたのだろうか。「もういいよ、もういいよ」とでも聞こえたのか、掲句は独自の聞きなしを詠み込んだ面白い一句。『秋蝉の哀しさを詠んで秀逸。「もういいよもういいよね」のフレーズが、疲れた蝉が死を懇願しているように聞こえる』との木葉さんの句評が的確だ。
 そういえば、作者には「師走くる嗚呼嗚呼嗚呼と鴉鳴く」というユーモラスな句もあったっけ。
(双 24.10.13.)

荒庭にあかあかとあり鷹の爪   大澤 水牛

荒庭にあかあかとあり鷹の爪   大澤 水牛

『この一句』

 庭の畑に生った唐辛子の色づきを詠んだ叙景句である。この夏の猛暑でほとんどの作物が枯れて荒れた庭に、唐辛子だけが枯れず残り、実を赤く熟している。読めば景が立ち上がって来る分かりやすい句で、9月の日経俳句会の兼題「唐辛子」の句で最高点を得た。
 園芸サイトを見ると、唐辛子は高温に強く、病害虫も少ないので、育てやすい植物とある。6~8月に小さな花が咲き、青い実を付ける。熟すにつれ赤い色を増して行き、水分が抜けて真っ赤に枯れたものを鷹の爪と呼ぶ。
 掲句はその鷹の爪となった唐辛子を詠んでいるが、「荒庭」「あかあか」「あり」という、あ音の重なりが印象的で、赤さが増幅されている。さらに下五を、青いものもある唐辛子でなく鷹の爪としたことで、赤さをダメ押ししている。
 この句を読んだ時に、なぜか夕陽が赤々と唐辛子に照り付けている景を想像した。思うに、「あかあか」の字面から、奥の細道にある芭蕉の句「あかあかと日はつれなくも秋の風」が頭をよぎったのであろう。俳句に造詣が深く、古今の句に通じる作者のこと、芭蕉の句を下敷きに字面と音の「本歌取り」を仕掛けたのではなかろうか。あ音の重なりと併せて、作者の遊び心を感じた一句である。
(迷 24.10.11.)

冷やかや小樽硝子は海の色   溝口 戸無広

冷やかや小樽硝子は海の色   溝口 戸無広

『合評会から』(日経俳句会)

迷哲 小樽にはガラス工房が沢山あって職人が昔ながらの手法で手作りしている。少し歪んだガラスと日本海の海の色がうまく重なる。小樽へ旅した気分になる句だと思って頂きました。
而云 良い句だと思った。でもこの冷やかが突き放した感じになっている。しかしまあ良い句だ。
阿猿 この夏、小樽を訪れた。八月でも曇ると朝夕は涼しい。かすかな秋の気配を小樽硝子に託したのが風情がある。
芳之 あの色はたしかに夏でも涼し気です。
反平 淡い青の、上品さが良い小樽硝子。
十三妹 言い得て妙。
          *       *       *
 「海の色」の措辞を見れば芥川龍之介の「木がらしや目刺にのこる海のいろ」が思い出される。群青からエメラルドグリーン、ターコイズブルーまで海の色は多種多様だがごくイメージしやすい。この句は小樽硝子に海の色を見たという。仕掛けた漁網の目印となるガラスの浮き球ともつながり、これも寒色の青だ。小樽では様々な硝子作品が作られているが、海を思わせる寒色の食器やワイングラスは夏でも涼しさを呼ぶ。秋を兆すこの時季、素直に「冷やか」を思わせる。龍之介の海の色とは、また趣のちがう感じがして選んだ句である。
(葉 24.10.09.)

知事殿に土産どっさり唐辛子  中沢 豆乳

知事殿に土産どっさり唐辛子  中沢 豆乳

『合評会から』(日経俳句会)

てる夫 今、人々に不愉快な感じを与えている知事殿なんでしょう。なんか嫌な奴と思いながら作ったような句だなと思い、頂きました(笑)。
青水 なんとも騒がしい兵庫県知事騒動。それを揶揄してまとめた時事句。唐辛子の辛みがピリッとくる皮肉もみえて、及第点か。
健史 時事問題を完璧にとらえたタイムリーヒットでは。
明生 兵庫県知事を痛烈に批判した句。土産どっさりと唐辛子の取り合わせが面白く、思わず苦笑した。
          *       *       *
 母方のおじいさんが神戸の製靴業界の親玉で大金持だったという。物心つく頃からこれにバカ可愛がりされ、自己中心主義の塊のような人間になってしまったと週刊誌などに書かれている。東大出て総務省のエリート役人になり、県庁など地方行政機関の幹部をいくつかめぐっている間に「おもらいぐせ」がついたのか、兵庫県知事になると県内視察の行く先々で「おねだり」頻発、さらには気に入らぬ部下を徹底的にいじめるパワハラで、ついには自殺者まで出した。それやこれやで県議会全会一致の辞職決議案通過。本人はそれによる知事失職処分を受けても平然、11月17日投開票の知事選に打って出る。与野党それぞれ対抗馬を立てての乱戦模様となったため、もしかしたらこの男がまた返り咲いてしまうかも知れないとも言われている。
 「唐辛子」という兼題を時事問題とからめてぴりりと利かせ、実にうまいこと料理したものだ。
(水 24.10.07.)

そぞろ寒娘が米を借りにくる   杉山 三薬

そぞろ寒娘が米を借りにくる   杉山 三薬

『この一句』

 この夏は「令和の米騒動」といわれ、店頭からお米が消えた。そもそも新米が出回る前の8月は、端境期でもあり在庫は減っている。そこへ、南海トラフ地震臨時情報や大型台風接近による各家庭の米備蓄が重なったため、と一般的には言われている。他にも昨年の猛暑で高品質の米の生産量が減った、インバウンドによる外国人の消費が増えた、減反政策のツケなどと、様々な要因が浮かび上がった。9月半ばになって、ようやく新米が出回るようになり、多少割高だが米が店頭に並ぶようになった。
 そんな時勢を踏まえ、掲句は嫁いだ娘が米を分けてくれと実家に泣きついてきた、という。「そぞろ寒」に相応しい光景だが、この夏の米騒動を度外視して、掲句に出会ったとしたらどう感じるか。主食の米を借りにくる何か差し迫った理由があるのだろうか。あるいは、近所に住む娘さんが気軽に「お母さん、ちょっとお米ちょうだい」と駆け込んできたのか。水牛さんは後者を採り「江戸の昔から今日まで連綿と続いている長屋風景にも通じる実にいい句」と絶賛。
 実は、この日の席題は「米」だった。しかも、出題したのは作者である。作者が明かされると、一同感心するやら冷やかすやら、大いに盛り上がった。とはいえ、掲句には出題者の気負いは感じられず、とても素直な感じの良い句だ。作者の思惑通り、天の位を獲ったのも宜なるかな。
(双 24.10.05.)