南へと旅立つ蝶や秋高し 中村 迷哲
南へと旅立つ蝶や秋高し 中村 迷哲
『季のことば』
旅する蝶と言えばアサギマダラ(浅黄斑)の事だろう。体長七十ミリほど、
国蝶のオオムラサキ(大紫)に近い大型蝶。濃茶色と青白色の斑模様が鮮やか。
遠隔地の愛好家は、アサギマダラを捕獲すると、その日時、場所などをマーキングして放す。それが次の愛好家の手に渡って「長旅の記録」が手に入る仕組みだ。
本州から沖縄への中継地、九州大分県と四国愛媛県の豊後水道の小島にアサギマダラの休息地がある。そこから沖縄まで、先は長い。本来長旅はしない蝶類だが、千キロ、二千キロの長距離飛行のメカニズムは明らかでない。
筆者の住まいのある長野県上田市は南に飛ぶアサギマダラの根拠地のようである。自宅南の独鈷山、西にある夫神岳、女神岳の周辺では、目撃情報がある。独鈷山麓の農家の自宅からアサギマダラが好む藤袴の株を分けて頂いた。その二、三株が庭の隅で咲き誇っている。三年ほど経ったこの夏から秋にかけてもわが庭に大型蝶の気配はない。残念ながら今年はだめなようだ。
果報は寝て待て、ではないが、信州のどこかに来ているアサギマダラが舞い込んで来るのを来秋までのんびり待つことにしよう。
(て 23.10.21.)
『季のことば』
旅する蝶と言えばアサギマダラ(浅黄斑)の事だろう。体長七十ミリほど、
国蝶のオオムラサキ(大紫)に近い大型蝶。濃茶色と青白色の斑模様が鮮やか。
遠隔地の愛好家は、アサギマダラを捕獲すると、その日時、場所などをマーキングして放す。それが次の愛好家の手に渡って「長旅の記録」が手に入る仕組みだ。
本州から沖縄への中継地、九州大分県と四国愛媛県の豊後水道の小島にアサギマダラの休息地がある。そこから沖縄まで、先は長い。本来長旅はしない蝶類だが、千キロ、二千キロの長距離飛行のメカニズムは明らかでない。
筆者の住まいのある長野県上田市は南に飛ぶアサギマダラの根拠地のようである。自宅南の独鈷山、西にある夫神岳、女神岳の周辺では、目撃情報がある。独鈷山麓の農家の自宅からアサギマダラが好む藤袴の株を分けて頂いた。その二、三株が庭の隅で咲き誇っている。三年ほど経ったこの夏から秋にかけてもわが庭に大型蝶の気配はない。残念ながら今年はだめなようだ。
果報は寝て待て、ではないが、信州のどこかに来ているアサギマダラが舞い込んで来るのを来秋までのんびり待つことにしよう。
(て 23.10.21.)
天高しドロップゴール成功す 前島 幻水
天高しドロップゴール成功す 前島 幻水
『季のことば』
ラグビー2023W杯がフランスを舞台に佳境に入っている。南米の強豪アルゼンチンに勝ってほしいとの日本中の応援空しく、日本は惜しくも8強入りを逃した。リーグ戦2勝2敗の結果は健闘したといえそうだ。サッカーに比べてラグビー人気は今ひとつの状況が続いていたが、前回大会いらいブームは本物になった。楕円球の転がる行方は予知しがたい面白さがある。反面、ルールがサッカーより厳しく複雑なので門外漢には分かりにくい。選手の国籍は問わず当該国でプレイしていればその国の代表にもなれる。コスモポリタン世界のようで好ましい。
ラグビーの得点の一つに掲句のドロップゴール(DG)がある。通常は相手陣内にボールを持ち込み地面にタッチするトライで5点、その後与えられるコンバージョンキックでゴールポスト(GP)に入ればさらに2点。DGとは敵陣に入り込み、トライが難しいとみるや不意をついてGPに蹴り込むことだ。膠着状態を一瞬で得点に結びつけるのだから爽快この上ない。高いテクニックがいるのでそうそう成功しない。アルゼンチン戦で日本チームのレメキ選手が鮮やかにこれをやってのけた。作者が投句した後の実景だからきっと驚いたことだろう。DGはGP近くの例が多くボールの軌道は低い。「天高しの季語にはちょっとね」という声もあったが、かなり遠くの地点から蹴ったとみれば、ボールは天高く舞い上がったに違いない。
(葉 23.10.19.)
『季のことば』
ラグビー2023W杯がフランスを舞台に佳境に入っている。南米の強豪アルゼンチンに勝ってほしいとの日本中の応援空しく、日本は惜しくも8強入りを逃した。リーグ戦2勝2敗の結果は健闘したといえそうだ。サッカーに比べてラグビー人気は今ひとつの状況が続いていたが、前回大会いらいブームは本物になった。楕円球の転がる行方は予知しがたい面白さがある。反面、ルールがサッカーより厳しく複雑なので門外漢には分かりにくい。選手の国籍は問わず当該国でプレイしていればその国の代表にもなれる。コスモポリタン世界のようで好ましい。
ラグビーの得点の一つに掲句のドロップゴール(DG)がある。通常は相手陣内にボールを持ち込み地面にタッチするトライで5点、その後与えられるコンバージョンキックでゴールポスト(GP)に入ればさらに2点。DGとは敵陣に入り込み、トライが難しいとみるや不意をついてGPに蹴り込むことだ。膠着状態を一瞬で得点に結びつけるのだから爽快この上ない。高いテクニックがいるのでそうそう成功しない。アルゼンチン戦で日本チームのレメキ選手が鮮やかにこれをやってのけた。作者が投句した後の実景だからきっと驚いたことだろう。DGはGP近くの例が多くボールの軌道は低い。「天高しの季語にはちょっとね」という声もあったが、かなり遠くの地点から蹴ったとみれば、ボールは天高く舞い上がったに違いない。
(葉 23.10.19.)
雨やみて蜩の声米を研ぐ 中野 枕流
雨やみて蜩の声米を研ぐ 中野 枕流
『この一句』
時間の経過を音で表現した味わい深い句である。秋とはいえ残暑厳しき頃、夕立が通り過ぎた。雨が止むのを待っていたかのように、カナカナという蜩の声が聞こえてくる。そうだ夕飯の支度をしなければと気づき、台所で米を研ぎ始める。そんな日常の営みが、淡々と叙述されている。
蜩は朝夕に鳴くが、名前の由来の通り日暮に聞く声が、もの悲しさを感じさせ趣がある。その蜩の声に、米を研ぐという暮らしの場面がしっくり調和している。句会には蜩と味噌樽や宅配チャイムを取合せた句も出された。「かなかなという虫は生活と繋がっている、生活臭がある」(鈴木雀九)との句評に思わずうなずいた。
蝉の声はアブラゼミに代表されるように、騒がしくうるさく感じるものが大半だ。しみじみとした感じを抱くのは蜩と法師ゼミであろう。ツクツクボウシが少しせわしなく、生き急いでいるように聞こえるのに対し、カナカナカナと空に消えて行く蜩の声は、聞く人に様々な思いを抱かせる。蜩と生活の場面を取合せた句がいくつかあったのも、蜩のもの悲しい声を聞いたがゆえに、暮らしの中の確かなものを取合せたい心理が働いたのではなかろうか。
作者は米を研ぐ行為を取合せた意図を、「雨のざあざあ、蜩のかなかな、そして米を研ぐシャカシャカという音だけで表現したかった」と自解している。それを聞いて句を読み返すと、時間の経過にそれぞれの音が重なり、一段と味わいが深まる。
(迷 23.10.17.)
『この一句』
時間の経過を音で表現した味わい深い句である。秋とはいえ残暑厳しき頃、夕立が通り過ぎた。雨が止むのを待っていたかのように、カナカナという蜩の声が聞こえてくる。そうだ夕飯の支度をしなければと気づき、台所で米を研ぎ始める。そんな日常の営みが、淡々と叙述されている。
蜩は朝夕に鳴くが、名前の由来の通り日暮に聞く声が、もの悲しさを感じさせ趣がある。その蜩の声に、米を研ぐという暮らしの場面がしっくり調和している。句会には蜩と味噌樽や宅配チャイムを取合せた句も出された。「かなかなという虫は生活と繋がっている、生活臭がある」(鈴木雀九)との句評に思わずうなずいた。
蝉の声はアブラゼミに代表されるように、騒がしくうるさく感じるものが大半だ。しみじみとした感じを抱くのは蜩と法師ゼミであろう。ツクツクボウシが少しせわしなく、生き急いでいるように聞こえるのに対し、カナカナカナと空に消えて行く蜩の声は、聞く人に様々な思いを抱かせる。蜩と生活の場面を取合せた句がいくつかあったのも、蜩のもの悲しい声を聞いたがゆえに、暮らしの中の確かなものを取合せたい心理が働いたのではなかろうか。
作者は米を研ぐ行為を取合せた意図を、「雨のざあざあ、蜩のかなかな、そして米を研ぐシャカシャカという音だけで表現したかった」と自解している。それを聞いて句を読み返すと、時間の経過にそれぞれの音が重なり、一段と味わいが深まる。
(迷 23.10.17.)
並び立つ案山子守旧派前衛派 玉田 春陽子
並び立つ案山子守旧派前衛派 玉田 春陽子
『この一句』
兼題が「案山子」と聞いて少し悩んだ。最近、案山子などほとんど見たことがないからである。千葉の家の近くには田んぼが結構あるが、案山子の姿などほとんど見たことがない。あれこれ想いをめぐらしているうちに、東京深川の江戸資料館通りで毎年「かかしコンクール」が行われていることを思い出した。
この句は、普通に田んぼに並んでいる案山子を詠んだものかも知れないが、筆者にはまるで「かかしコンクール」を詠んだ句のように思えた。この句の通り、オーソドックスで如何にも案山子らしい「守旧派」も居れば、これでも案山子と呼べるのかと思う「前衛派」も居る。江戸資料館通りを三つ目通りに突き当たって右折すると、すぐに東京都現代美術館があるので、前衛派はその影響かなどと思ってみたりもする。なかには、おきまりのピカチュウや、仮面ライダー、大谷選手の案山子などもあるが、これらは守旧派だろうか、前衛派だろうか、ちょっと首を捻ってしまう。守旧派、前衛派のほかに「おきまり派」というのも必要かもしれない。
深川「かかしコンクール」は、今年も10月6日から10月末まで開催される予定である。ついでながら、ちょっと先の東京都現代美術館では、11月5日までディヴィッド・ホックニー展をやっていて、これがまたちょいと良さげな展覧会である。秋の深川で、守旧派、前衛派ないまぜて、アートな一日を楽しまれては如何だろうか?
(可 23.10.15.)
『この一句』
兼題が「案山子」と聞いて少し悩んだ。最近、案山子などほとんど見たことがないからである。千葉の家の近くには田んぼが結構あるが、案山子の姿などほとんど見たことがない。あれこれ想いをめぐらしているうちに、東京深川の江戸資料館通りで毎年「かかしコンクール」が行われていることを思い出した。
この句は、普通に田んぼに並んでいる案山子を詠んだものかも知れないが、筆者にはまるで「かかしコンクール」を詠んだ句のように思えた。この句の通り、オーソドックスで如何にも案山子らしい「守旧派」も居れば、これでも案山子と呼べるのかと思う「前衛派」も居る。江戸資料館通りを三つ目通りに突き当たって右折すると、すぐに東京都現代美術館があるので、前衛派はその影響かなどと思ってみたりもする。なかには、おきまりのピカチュウや、仮面ライダー、大谷選手の案山子などもあるが、これらは守旧派だろうか、前衛派だろうか、ちょっと首を捻ってしまう。守旧派、前衛派のほかに「おきまり派」というのも必要かもしれない。
深川「かかしコンクール」は、今年も10月6日から10月末まで開催される予定である。ついでながら、ちょっと先の東京都現代美術館では、11月5日までディヴィッド・ホックニー展をやっていて、これがまたちょいと良さげな展覧会である。秋の深川で、守旧派、前衛派ないまぜて、アートな一日を楽しまれては如何だろうか?
(可 23.10.15.)
十八年ぶりの号外星月夜 廣田 可升
十八年ぶりの号外星月夜 廣田 可升
『この一句』
生粋の大阪人の作者、とうぜん熱烈な阪神タイガースファンである。十八年ぶりに待ちに待った歓喜が訪れた。球界一、二を争う人気球団ながらリーグ優勝にも、ましてや日本一にも縁遠い。「ダメ虎の応援」と自嘲しながら、決してファンを止めない関西人気質は立派といえば立派である。東京を代表する読売ジャイアンツというライバルの存在が、東京には負けたくない関西人の感情をかきたてる。豊臣vs徳川の歴史を引きずっているかのようだ。東京のカラオケではまず歌われない「道頓堀人情」という歌まであり、その歌詞のサビは「負けたらあかん、負けたらあかんで東京に」である。
今年の関西スポーツ紙の見出しは「アレ」に始まり「アレ」で終止した。再登場岡田監督が選手に優勝の二文字を意識させない軍略がみごとにはまった結果である。タイガースの〝機関紙〟デイリースポーツをはじめ、関西スポーツ各紙はおろか一般紙まで「優勝」号外を発行した。各紙をセットにしメルカリに、あるいはコンビニでのプリント販売やPDF号外まで百花繚乱。作者もいくつかの号外を手に入れたのだろう。大事故や大事件時には号外が出て、大方はその場限りで捨てられてしまうが、阪神優勝号外はファンの永久保存となるに違いない。
「星月夜」の下、作者が十八年ぶりの感慨に耽ったこの句は、虎ファンの筆者が絶対採らなければならない一句であった。惜しむらくは、時事句の宿命、この句の命もタイガースの栄華のように儚い。
(葉 23.10.13.)
『この一句』
生粋の大阪人の作者、とうぜん熱烈な阪神タイガースファンである。十八年ぶりに待ちに待った歓喜が訪れた。球界一、二を争う人気球団ながらリーグ優勝にも、ましてや日本一にも縁遠い。「ダメ虎の応援」と自嘲しながら、決してファンを止めない関西人気質は立派といえば立派である。東京を代表する読売ジャイアンツというライバルの存在が、東京には負けたくない関西人の感情をかきたてる。豊臣vs徳川の歴史を引きずっているかのようだ。東京のカラオケではまず歌われない「道頓堀人情」という歌まであり、その歌詞のサビは「負けたらあかん、負けたらあかんで東京に」である。
今年の関西スポーツ紙の見出しは「アレ」に始まり「アレ」で終止した。再登場岡田監督が選手に優勝の二文字を意識させない軍略がみごとにはまった結果である。タイガースの〝機関紙〟デイリースポーツをはじめ、関西スポーツ各紙はおろか一般紙まで「優勝」号外を発行した。各紙をセットにしメルカリに、あるいはコンビニでのプリント販売やPDF号外まで百花繚乱。作者もいくつかの号外を手に入れたのだろう。大事故や大事件時には号外が出て、大方はその場限りで捨てられてしまうが、阪神優勝号外はファンの永久保存となるに違いない。
「星月夜」の下、作者が十八年ぶりの感慨に耽ったこの句は、虎ファンの筆者が絶対採らなければならない一句であった。惜しむらくは、時事句の宿命、この句の命もタイガースの栄華のように儚い。
(葉 23.10.13.)
かなかなの勤行に和す山の寺 中村 迷哲
かなかなの勤行に和す山の寺 中村 迷哲
『合評会から』(日経俳句会)
てる夫 勤行の山の寺と舞台を説明して、よく情景が見えて来るところが良いですね。ちょっと類句がありそうですが、きちんと説明しているところが良い。
豆乳 実家の菩提寺は山寺で別名カナカナ寺。蜩の声でお経がよく聞こえませんでした。
戸無広 かなかなと勤行とのハーモニーが上手に表現されています。
弥生 蜩の声が神の声とも聞こえる別格の空間に身を置いている心地よさ。
操 読経と蜩の鳴く声が和して山寺に響く。自然が織りなすハーモニー。
守 蜩の大合唱と読経が響きあうという組み合わせは、いかにも類句がありそうですが、いただきました。
* * *
作者の父君の実家が寺で、山懐にあり、四六時中蝉が鳴いているのを子供の頃から聞いていたという。句会では「類句あり」という声が二三あったが、それでもとても評判が良く高点を得た。
「類句あり」とは、これまでに似たような句が詠まれており二番煎じだよ、というイエローカードである。しかしこれは同じような情景に目を止め、同じような思いを抱く人が多いということで、それを句にすると「前にどこかで見たような」ものになる。しかし、そうした句には気安さというか、ほっとしたやすらぎが感じられる。「類句がありそうだけどいい」という句が此の世にはゴマンとある。気にすることもあるまい。これを意識して行う本歌取りという手法もある。
(水 23.10.11.)
『合評会から』(日経俳句会)
てる夫 勤行の山の寺と舞台を説明して、よく情景が見えて来るところが良いですね。ちょっと類句がありそうですが、きちんと説明しているところが良い。
豆乳 実家の菩提寺は山寺で別名カナカナ寺。蜩の声でお経がよく聞こえませんでした。
戸無広 かなかなと勤行とのハーモニーが上手に表現されています。
弥生 蜩の声が神の声とも聞こえる別格の空間に身を置いている心地よさ。
操 読経と蜩の鳴く声が和して山寺に響く。自然が織りなすハーモニー。
守 蜩の大合唱と読経が響きあうという組み合わせは、いかにも類句がありそうですが、いただきました。
* * *
作者の父君の実家が寺で、山懐にあり、四六時中蝉が鳴いているのを子供の頃から聞いていたという。句会では「類句あり」という声が二三あったが、それでもとても評判が良く高点を得た。
「類句あり」とは、これまでに似たような句が詠まれており二番煎じだよ、というイエローカードである。しかしこれは同じような情景に目を止め、同じような思いを抱く人が多いということで、それを句にすると「前にどこかで見たような」ものになる。しかし、そうした句には気安さというか、ほっとしたやすらぎが感じられる。「類句がありそうだけどいい」という句が此の世にはゴマンとある。気にすることもあるまい。これを意識して行う本歌取りという手法もある。
(水 23.10.11.)
ぶだう狩つま従へるつまのこゑ 金田 青水
ぶだう狩つま従へるつまのこゑ 金田 青水
『この一句』
詩歌や古典文学に馴染みの薄い人にとって、この句は奇異に感じられるかもしれない。原因はふたつの「つま」にある。俳句では、妻はもとより夫もつまと読む。そこで作者は「前と後ろのどっちが男でどっちが女?」と謎々遊びを仕掛けたのだ。昨今のジェンダー論議などを背景に。そこが理解されないと、この句の面白さは失せてしまう。
そういう、相聞の時代からの語源、万葉の和歌でも江戸の俳諧でもという経緯はさておき、「つま」の句には心に沁みるものや諧謔に富むものが色々ある。例えば「夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟」(橋本多佳子)であり、「定位置に夫と茶筒と守宮かな」(池田澄子)である。「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」(森澄雄)も印象深い。
俳句は花鳥諷詠、なかんずく写生、といわれることが多い。それも確かなのだが、そればかりではない。人間模様を描き出した句も多い。銭を数える先生の姿を描いたり、子供に歯が生え始めた喜びを詠ったり、実に豊かなのである。恋や病気の俳句もその仲間に入るだろう。秋の夜、それらを探訪してみては如何だろうか。
(光 23.10.09.)
『この一句』
詩歌や古典文学に馴染みの薄い人にとって、この句は奇異に感じられるかもしれない。原因はふたつの「つま」にある。俳句では、妻はもとより夫もつまと読む。そこで作者は「前と後ろのどっちが男でどっちが女?」と謎々遊びを仕掛けたのだ。昨今のジェンダー論議などを背景に。そこが理解されないと、この句の面白さは失せてしまう。
そういう、相聞の時代からの語源、万葉の和歌でも江戸の俳諧でもという経緯はさておき、「つま」の句には心に沁みるものや諧謔に富むものが色々ある。例えば「夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟」(橋本多佳子)であり、「定位置に夫と茶筒と守宮かな」(池田澄子)である。「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」(森澄雄)も印象深い。
俳句は花鳥諷詠、なかんずく写生、といわれることが多い。それも確かなのだが、そればかりではない。人間模様を描き出した句も多い。銭を数える先生の姿を描いたり、子供に歯が生え始めた喜びを詠ったり、実に豊かなのである。恋や病気の俳句もその仲間に入るだろう。秋の夜、それらを探訪してみては如何だろうか。
(光 23.10.09.)
頂は未だ黒々秋の富士 大沢 反平
頂は未だ黒々秋の富士 大沢 反平
『この一句』
朝な夕なに仰ぎ見る富士。その色が今日は美しい、今日は暗い、あるいは山頂や山腹にかかる雲の具合で天候を占ったり、見る人それぞれがそれぞれの物差しを毎日富士山にかざしている。富士山は関東から中部地方の人たちの暮らしと切ってもきれない。いや、日本全国の人たちが一生に一度は登りたい、せめて間近に見たいと願う日本のシンボルである。それが証拠に全国各地の一番の山を「〇〇富士」と名付けている。
作者は長らく千葉市の海沿いに住んでいたから、東京湾越しの富士山を毎日眺め暮らしていた。それで富士の句も詠んでいる。この句もそうした富士遠望の一句だなと軽く見たのだが、どうやら少々違う。「頂は未だ黒々」と、わざわざ強く印象づけるように、富士山のてっぺんの様子を真っ先に掲げている。
毎月欠かさず参加するこの人が、令和5年夏からぷっつり。どうしたのかと思ったら、具合を悪くして入院加療ということだった。幸い本復、風光明媚で温暖な神奈川県三浦市にある老人介護施設に奥さんと二人で落ち着いたという。ほっと一息ついて、久しぶりの投句がこの句である。千葉から東京湾越しに眺める富士山はやはりもやがかっている。三浦半島の諸磯海岸からだと距離的にかなり近くなり、ことに朝日を浴びる富士は鮮明に見える。それで「頂は未だ黒々」の句が成ったのだ。
甲府地方気象台は10月5日「本日富士山初冠雪」と発表した。きっと反平さんは白い帽子を冠った富士山を愛妻と共に心ゆくまで仰ぎ見たことだろう。
(水 23.10.07.)
『この一句』
朝な夕なに仰ぎ見る富士。その色が今日は美しい、今日は暗い、あるいは山頂や山腹にかかる雲の具合で天候を占ったり、見る人それぞれがそれぞれの物差しを毎日富士山にかざしている。富士山は関東から中部地方の人たちの暮らしと切ってもきれない。いや、日本全国の人たちが一生に一度は登りたい、せめて間近に見たいと願う日本のシンボルである。それが証拠に全国各地の一番の山を「〇〇富士」と名付けている。
作者は長らく千葉市の海沿いに住んでいたから、東京湾越しの富士山を毎日眺め暮らしていた。それで富士の句も詠んでいる。この句もそうした富士遠望の一句だなと軽く見たのだが、どうやら少々違う。「頂は未だ黒々」と、わざわざ強く印象づけるように、富士山のてっぺんの様子を真っ先に掲げている。
毎月欠かさず参加するこの人が、令和5年夏からぷっつり。どうしたのかと思ったら、具合を悪くして入院加療ということだった。幸い本復、風光明媚で温暖な神奈川県三浦市にある老人介護施設に奥さんと二人で落ち着いたという。ほっと一息ついて、久しぶりの投句がこの句である。千葉から東京湾越しに眺める富士山はやはりもやがかっている。三浦半島の諸磯海岸からだと距離的にかなり近くなり、ことに朝日を浴びる富士は鮮明に見える。それで「頂は未だ黒々」の句が成ったのだ。
甲府地方気象台は10月5日「本日富士山初冠雪」と発表した。きっと反平さんは白い帽子を冠った富士山を愛妻と共に心ゆくまで仰ぎ見たことだろう。
(水 23.10.07.)
露しとど重たきラフの二打三打 堤 てる夫
露しとど重たきラフの二打三打 堤 てる夫
『この一句』
ゴルフほど、やる人とやらない人の〝距離〟の大きなスポーツはないと思う。野球やサッカー、バレーボールなど大概のスポーツは学校の授業や部活で体験する。ゴルフはコースに出る前に、高価な道具を買って練習を重ねる必要があるためハードルが高く、未経験のままの人が多い。このためゴルフを詠んだ俳句は経験者の理解を得やすい反面、やったことのない人には分かりにくく、万人に共感される好句は稀である。
掲句は露に濡れたラフに苦しむゴルファーを描く。専門用語はなく、経験のない人にも場面が容易に想像され、その困惑ぶりが伝わってくる。数少ないゴルフ俳句の秀作の一つと思う。
上五に据えた「露しとど」が上手い。それだけで露に濡れそぼつ草のイメージが湧く。「重たきラフ」と続けることで、ゴルフ場の伸びた芝が露をたっぷり含み、ボールの脱出を妨げていることが分かる。秀逸なのは下五の「二打三打」である。濡れたラフがクラブに絡みつき、思うように出ない。ラフからラフへと渡り歩いたりして、二打三打と費やしてしまう。ゴルファーなら誰もが経験していることを、平易な言葉でユーモラスに詠んでいる。
句会では「まったく身につまされる」と経験者からの点が多く入ったが、ゴルフをやらないとおぼしき女性も選んでいた。作者は膝を痛める前は、ゴルフの名手として知られていた。濡れたラフからすんなり一打で出せる腕前だったと思うが、二打三打と苦労した場面を詠んだことで、共感を呼ぶ諧謔味の効いた句となった。
(迷 23.10.05.)
『この一句』
ゴルフほど、やる人とやらない人の〝距離〟の大きなスポーツはないと思う。野球やサッカー、バレーボールなど大概のスポーツは学校の授業や部活で体験する。ゴルフはコースに出る前に、高価な道具を買って練習を重ねる必要があるためハードルが高く、未経験のままの人が多い。このためゴルフを詠んだ俳句は経験者の理解を得やすい反面、やったことのない人には分かりにくく、万人に共感される好句は稀である。
掲句は露に濡れたラフに苦しむゴルファーを描く。専門用語はなく、経験のない人にも場面が容易に想像され、その困惑ぶりが伝わってくる。数少ないゴルフ俳句の秀作の一つと思う。
上五に据えた「露しとど」が上手い。それだけで露に濡れそぼつ草のイメージが湧く。「重たきラフ」と続けることで、ゴルフ場の伸びた芝が露をたっぷり含み、ボールの脱出を妨げていることが分かる。秀逸なのは下五の「二打三打」である。濡れたラフがクラブに絡みつき、思うように出ない。ラフからラフへと渡り歩いたりして、二打三打と費やしてしまう。ゴルファーなら誰もが経験していることを、平易な言葉でユーモラスに詠んでいる。
句会では「まったく身につまされる」と経験者からの点が多く入ったが、ゴルフをやらないとおぼしき女性も選んでいた。作者は膝を痛める前は、ゴルフの名手として知られていた。濡れたラフからすんなり一打で出せる腕前だったと思うが、二打三打と苦労した場面を詠んだことで、共感を呼ぶ諧謔味の効いた句となった。
(迷 23.10.05.)
蜩を逆さから聞く股覗き 岡松 卓也
蜩を逆さから聞く股覗き 岡松 卓也
『合評会から』(日経俳句会)
朗 股覗きで上下さかさまで。本当かなって思うくらい面白いアイディア。
而云 股覗きだったら、いろんなものが出て来るけど、蜩を結びつけるっていうのは面白い着想だなあ。
鷹洋 俳句にインパクトを求めるのもどうかなあと思うんですが、この句も大してインパクトはないが、なんとなくそういう意図も・・。しかし面白いと思っていただきました。
ヲブラダ 思わず膝を打つような発想の句。
定利 凄い俳句。面白いです。
三薬 「から」が気に入らなくて採るのをやめました。逆さで聴くなら良いんだけど。
* * *
皆々その格好を思い浮かべて面白がった。天橋立股のぞきにヒグラシを取り合わせた作者のウイットに脱帽。あの股のぞきの最中にカナカナカナカナ・・が降ってきたのだ。これは地の底から湧いて来たのか、天上から降ってきたものか。一瞬戸惑いますよねえと問いかけたくなる気分を句にした。
このトントンと運んで、「なるほど、うまいこと言うなあ」と引きずり込む狙いからすれば、三薬氏の言う「から」が気に入らないという評言にもうなずける。すんなりと『蜩を逆さまに聞く股覗き』でいいかもしれない。
(水 23.10.03.)
『合評会から』(日経俳句会)
朗 股覗きで上下さかさまで。本当かなって思うくらい面白いアイディア。
而云 股覗きだったら、いろんなものが出て来るけど、蜩を結びつけるっていうのは面白い着想だなあ。
鷹洋 俳句にインパクトを求めるのもどうかなあと思うんですが、この句も大してインパクトはないが、なんとなくそういう意図も・・。しかし面白いと思っていただきました。
ヲブラダ 思わず膝を打つような発想の句。
定利 凄い俳句。面白いです。
三薬 「から」が気に入らなくて採るのをやめました。逆さで聴くなら良いんだけど。
* * *
皆々その格好を思い浮かべて面白がった。天橋立股のぞきにヒグラシを取り合わせた作者のウイットに脱帽。あの股のぞきの最中にカナカナカナカナ・・が降ってきたのだ。これは地の底から湧いて来たのか、天上から降ってきたものか。一瞬戸惑いますよねえと問いかけたくなる気分を句にした。
このトントンと運んで、「なるほど、うまいこと言うなあ」と引きずり込む狙いからすれば、三薬氏の言う「から」が気に入らないという評言にもうなずける。すんなりと『蜩を逆さまに聞く股覗き』でいいかもしれない。
(水 23.10.03.)