八月の白き風呼ぶカフェテラス  久保田 操

八月の白き風呼ぶカフェテラス  久保田 操

『季のことば』

 「暦」の元の一つともなっている陰陽五行説という古代中国の哲理がある。万物は陰陽の二気と木火土金水の五元素の組み合わせによって生じては又消滅するという考えである。四季の循環もそれに従って起こるもので、春は草木が芽生え、日が昇る東方に配され、色で言えば青(緑)、夏は燃える太陽が主役だから方角は南で色は赤(朱)、冬は冷めたく水の性質を持ち暗黒で北に配され色は黒。これに対して秋は太陽が低くなり凋落の兆しが見え、金の性質を備え、西に配されて色で言えば白とされる。
 この句はそうした思想を踏まえているのだろうか。八月も下旬になると、さしも猛威を振るった陽射しもやわらぎ、カフェテラスには時折ふっと涼しい風が吹き通る。「白き風呼ぶ」とはなんとも趣き深い言い方だなあと気を引かれた。それなのに句会で取れなかったのは「やはり八月では少し早すぎるかな」と思ったからである。作者はおそらく八月下旬の午後、陽射しが少し弱まった頃合いにこの感じを掴んだのであろう。芭蕉の有名な「あかあかと日はつれなくも秋の風」にも通じる、細やかな神経である。
 さはさりながら、昨今の異常気象下の八月だと、白ではなく「赤い風」じゃないかなどと混ぜ返したくなってしまう。このあたりが「八月」という季語の扱いの難しさである。この句も「秋の午後」と置いた方が無難に受け取られる可能性が高まるかもしれない。
(水 22.09.08.)

鉄線と防犯カメラ葡萄園     高井 百子

鉄線と防犯カメラ葡萄園     高井 百子

『この一句』

 葡萄や桃などの果実の盗難被害が全国で相次いでいる。丹精して育て、やっと収穫という直前のタイミングでごっそり持って行かれるという。果物も野菜も収穫までに農家は多大な労力をかけている。例えば葡萄の場合、余分な房を間引く「摘房」、粒を間引く「摘粒」、病害虫から保護する「袋かけ」などなど、実に多くの手間と時間がかかっている。盗まれた農家のダメージ、落胆ぶりは想像を絶する。
 近年特に目立つようになった果物盗の背景には、高級ブランド化による商品価値の高騰があるという。一房一万円もするようなシャインマスカットを盗み、ネットや路上で売り捌く輩。仲間内で分け合って食べたという外国人、など犯人像はさまざまだ。先日、盗難を防ぐため山梨市の葡萄畑で、特殊カメラを載せたドローンを上空に飛ばして、パトロールする訓練が行われた、とNHKのニュースが報じていたが、全国の果樹農家は収穫時期になると防犯に頭を悩ませている。
 掲句の作者は、長野県上田に居を構え、ほぼ毎日、豊かな自然の中を散歩している。この時期、シャインマスカットや巨峰などの葡萄棚も身近に見ているようで、鋭い観察眼が生きた句だ。健康のため、散歩に付き合っているという夫のてる夫さんによると、「有刺鉄線には電気を通していて、通路側にはネットが張ってある」そうだ。
(双 22.09.07.)

水風呂に西瓜も子らも冷やしけり 谷川 水馬

水風呂に西瓜も子らも冷やしけり 谷川 水馬

『この一句』

 昭和の原風景である。大型の冷蔵庫が各家庭に普及した現在では、風呂桶に西瓜を入れて冷やすなどあり得ない、考えられないと若い世代は思うだろう。昔はそんなことをしたのである。自動洗濯機、炊飯器、電気冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」が常識になるまでは、西瓜を冷やすのは氷塊が入った木製冷蔵庫であった。電気冷蔵庫はあったことはあったが、外国製の大変高価なもので庶民に手が届くものではなかった。それでも丸ごと入るほどの収容力がないから、半分や四半分にして冷蔵庫に収めた。今では西瓜を冷水で冷やすのは、深井戸を持つ地方の旧家か、山から流れる湧き水の恩恵を受ける限られた地域のみであろう。
 この句の作者の幼少時には、水を張った風呂に西瓜を冷やしたということになる。暑い盛りのことゆえ、子供たちもその水風呂に飛び込んだ景とみた。久々に二ケタの得点が出た今月の俳句会で「天」の句。「昔はこうだった、懐かしい」「友達の家で西瓜といっしょに風呂に入った」「野菜も子供も一緒くただった」など、共感する声が大方である。そんな記憶のオンパレードの反面、「ありそうだが、どうも眉つばの句」だと異議を申し立てる句友がいた。「子供を冷やすなんてことはしない」というのが論拠。
 しかし二ケタ得点句の〝威光〟が異論を跳ね返す。長老の「私もよくやりました。よくこんなことを思い出したな」との声が場を片付けた。とまれ年齢層の高い句会ならではの一句だ。ただ、水風呂とあるから「冷やしけり」は要らないとの指摘には異論はなさそうだ。
(葉 22.09.06.)

新涼や訪ふ人の顔やさし   山口斗詩子

新涼や訪ふ人の顔やさし   山口斗詩子

『季のことば』

 「訪ふ(おとなふ)」というのだから、作者が訪ねて行った先の人だろうと思うのだが、訪ねて来た人ということも考えられる。しかし、それは深く詮索せずともよかろう。とにかく久しぶりに会った相手の表情がやさしくてほっとしたのだ。これも新涼のおかげなのだろうと安堵している。この時期の情景がよく浮かぶ佳句である。問題は「新涼」という季語についてである。この句は何月何日頃を詠んだものなのかと考えたら、分からなくなってしまった。
 「新涼」は初秋の季語。俳句で「秋」は8,9,10月、それぞれ初秋、仲秋、晩秋とされている。すなわち「新涼」とは、暦が秋に変わり改めて感じる涼しさを云い「8月の季語」となる。しかし、8月と言えばむやみに暑い。夏の絶頂であり、「秋涼し」なんぞと乙にすましてはいられない。
 ところが俳句は虚構の世界に遊ぶところがあるから、季節を先取りして知的ゲームを楽しむことがある。暑いを涼しいと言う、洒落や粋の世界である。
 さはさりながら現実世界との折り合いをつけねばならぬこともある。実際に、秋なのにこのクソ暑さと毒づくこともあれば、暑さの中の涼しさということもあるからである。こうしたことを考えると、季語には使用時期が定められてはいるものの、そこにはある程度の幅が認められても良さそうだ。「この季語は何日から何日まで」などと杓子定規でなしに、「その頃に見合った趣」を尊重して使用期間の伸縮を認めるのだ。「季感の尊重」と言ってもいい。この句を眺めて、「季語の広がり」ということを考えた。 (水 22.09.05.)

八月や既往症また一つ増え    嵐田 双歩

八月や既往症また一つ増え    嵐田 双歩

『この一句』

 この句は作者自身にとっても、我らが俳句会にとっても、「記念すべき一句」である。なんと、この作者がコロナに感染してしまったのである。
 感染経路は不明らしい。私のように不摂生の極み、どこへでも出かける、年甲斐もなく暴飲暴食の無茶苦茶と違って、この人は非常に真面目でコロナ対策も十分に行っていたのに、どういうわけかかかってしまった。幸い熱はすぐに下り、「隔離」は二日で済んだというから軽症だった。自宅待機期間も過ぎて無罪放免となったのだが、「まだ時折咳が出るので、皆さん気持悪いでしょうから」と句会を休むことになり、大ぴらになった。
 句会で世話役からこの大ニュースが発表されると、「へー」とか「わっ」とか「記念すべき第一号」などと声が上がった。もうそこには二年半前の始まりの時のような、「恐い」という感じは全く無い。未だに新規感染者が日本全国で一日20数万人も出ているというのだが、「慣れっこ」になってしまったのだ。何しろソーリダイジンまでが感染しちゃったのだからマンガである。
 しかし、このCOVIDなんとかというウイルス病は法律に定められた伝染病だから、かかった人は今後、医療関連の書類の「既往症欄」に記入する必要があるのだろう。
 「既往症コロナ、なんてカッコイイな」と、「馬鹿は風邪も引かぬ」と言われている身にはちょっぴり羨ましいような気もするのである。
(水 22.09.04.)

秋涼し将門塚にヒール音      廣田 可升

秋涼し将門塚にヒール音      廣田 可升

『この一句』

 意外性に満ちた取り合わせの句である。「秋涼し」は初秋の季語であり、秋になって感じる涼しさをいう。将門塚は怨霊となった平将門の首を供養のために祀った場所で、東京大手町にある。そこにハイヒールの靴音が響く情景を詠んでいる。
 この句の評価は将門塚を知っているかどうかで、大きく違ってくる。塚は三井物産などのビル群の谷間に存在する。木立に囲まれた参道の奥に石碑があり、昼なお暗い印象。日本有数のビジネス街の一角とは思えない不思議な霊気を感じるスポットである。
 そうした知識をもとにこの句を眺めると、意外な取り合わせが、うまく響き合ってくる。猛暑と夏休みで人通りがまばらだった大手町に、秋の訪れとともに働き手が戻り、将門塚の周辺も往来が活発になった。初秋の冷気の中を颯爽と歩むキャリアウーマン。その硬いヒール音が霊気漂う将門塚に木霊する。大都会の片隅の秋を、音で鮮やかに切り取った句といえる。
 固有名詞を句に使うと、その風景や歴史、風土がたちどころに想起され、大きな効果を上げることがある。芭蕉でいえば象潟や最上川の句が好例だ。その固有名詞がどの程度知られているかが効果を左右する。句会では将門塚を知る人が多く、高点を得た。しかしよく知らない人にとっては、やや判じ物めいた句に見えたかもしれない。
(迷 22.09.02.)

逝きし友残る友あり夜の秋    河村 有弘

逝きし友残る友あり夜の秋    河村 有弘

『季のことば』

 「夜の秋」というのは俳句独特の言い回しで、まだまだ暑さが残ってはいるが、夜になるとふと秋を感じるという晩夏の季語である。七月末から八月に入って早々、立秋直前の頃の夜分をいう、ごく短期間にしか通用しない季語である。大昔の和歌の時代は「秋の夜」と同義で用いられていたのが、いつの間にか夏の夜に感じる秋をいう季語になったという。
 俳句の約束事をきっちり守ろうとすれば、この季語は非常に詠み難い。しかし、立秋を過ぎてもしばらくは使ってもいいのではなかろうか。八月も半ばを過ぎれば、夜間、雨戸を閉めようと窓を開けた時に、ふと秋を感じることがある。その辺まで句作のカレンダーを広げて、この素敵な季語を使ってもいいだろう。
 八十路を越えると、これは仕方のないことなのだが、友人知己が次々に亡くなって行く。毎朝、真っ先に見るのが新聞の訃報欄というのが半ばくせにもなっている。あああの人も死んでしまったか、と、現役時代仕事の関係で付き合いのあった人のことを思い出す。時には近頃連絡の途絶えていた昔の仲間の訃報をメールで知らせてもらったりもする。「同期入社も半分以上居なくなってしまった」などとつぶやいている。そしてまだ生き残っている共通の友人にメールする。
 というわけで、「逝きし友」との楽しかった思い出を「残る友」と語り合うことがしきりの今日このごろである。まさにこの句は「夜の秋」という季語の響き合いが絶妙である。
(水 22.09.01.)

新涼の信濃は四葩秋桜       高井 百子

新涼の信濃は四葩秋桜       高井 百子

『合評会から』(番町喜楽会)

可升 新涼は初秋、紫陽花は仲夏、秋桜は仲秋の季重なりで、歳時記が信州の実情に合わないと異議を申し立て、杉田久女の「紫陽花に秋冷いたる信濃かな」にも張り合っているようです。
木葉 確かに季重なりですが、信州はまったくこの通りですと主張しているようです。
迷哲 杉田久女の句を想起しました。散るのが遅い紫陽花とコスモスを同時に楽しめるのですね。
水牛 二番煎じの句のような気がしました。「秋桜」だけにした方が良かったのではないかな。
而云 「新涼の信濃はそよぐ秋桜」とか、「新涼の信濃は風の秋桜」とか、どうだろう。
           *       *       *
 選句表で見た時から、句会で議論を呼ぶに違いないと思った。作者は創設からのメンバーで句歴も長い。信州上田に夫妻で〝終の棲家〟を構えて十年になる。従って季重なりも久女の句も、百も承知の上で詠んだ句であろう。
 数年前に作者夫妻の案内により、秋の塩田平で吟行を催したことがある。山陰に入ると、下界では立ち枯れている紫陽花が大きな花をつけ、野道にはコスモスが咲き乱れていた。木葉氏の句評にあるように、初秋の信州を見たままに詠んだ句と納得する。四葩と秋桜をあえて並べることで両方の季語の印象を薄め、新涼が主役の季語であることを明確にしているのではないか。
杉田久女は父の納骨に訪れた松本で病を得て、近くの温泉でしばらく療養した。紫陽花の句はその時に詠まれたもの。情熱的な作風で注目されながら、家庭不和や師・虚子との確執で失意のうちに早世した久女。掲句には彼女へのオマージュも込められているように思える。
(迷 22.08.31.)

スニーカー軍靴にさせじ敗戦忌  植村 方円

スニーカー軍靴にさせじ敗戦忌  植村 方円

『この一句』

 スニーカーは、皮や合成繊維などで覆われたゴム底の運動靴のこと。英語のSneak(忍び寄る)が語源で、アメリカのプロバスケットの花形選手が履くようになって、1970年代後半から人気が出たという。日本でもその頃、チューリップという音楽グループの「虹とスニーカーの頃」という楽曲が発売され、ヒットした。以来、エアロビクスの普及やジョギング人気もあり、スニーカーブームは衰えをみせない。どころか、スポーツ用品メーカーが仕掛けたレアシューズの中には、価値が高騰し数10万円もする靴もあるそうだ。
 翻って、当句会のメンバーに馴染みがあるのはズック靴だろう。綿や麻の厚手の布でできたゴム底の靴で、スニーカーという言葉が入ってくる前は、靴といえば革靴とズック靴しかなかった。今でも学校の上履きのことをズックという地域もあると聞くが、ズックを知らない若者も多いそうだ。
 一方、軍靴は兵隊が履く軍用の靴のことで、戦争とは切っても切り離せない。自由、平和の象徴としての若者文化のひとつ、スニーカーを間違っても軍靴に履き替えさせてはならない、という切実な親心が実に明瞭に句に込められている。現にスニーカーを軍靴にさせてしまった国、させられてしまった国が戦争中の今、胸に響く一句だ。
(双 22.08.30.)

いつの間に旅立つ齢夜の秋    田村 豊生

いつの間に旅立つ齢夜の秋    田村 豊生
 
『季のことば』

 「夜の秋」は晩夏の季語である。夏も終わろうとする夜半、ふと生まれる「もう秋なのだなぁ」という感慨を生み出す季語、と言っていいだろう。人生や自然など、さまざまな事象の中に存在する「いかにも秋」という感慨を、句の詠み手の心に生み出させる機能を持っているらしい。これがお馴染みの秋の季語、「秋の夜」と大いに異なる面だと思う。
 季語「夜の秋」の持つこのような機能が、掲句の作者の心に一つの作用をもたらしてしまったようだ。句会報中の、掲句へのコメントが並ぶ中に作者の「自句自解」もあり、以下のように記されていた。「小生間もなく卒寿。昭和八年生まれ。充分楽しませていただいた。感謝の内に永の旅路へ、支度よし」。ぎょっとせざるを得ない先輩の言葉であった。
 作者は長らく仏教を学んでいて、著名寺院での修行も体験されている。人生に対する心構えも、我々凡人とは異なる面があり、その真摯さとまともに相対して、たじろいだこともあった。自句自解の最後に、癌の戦いの末に「ごめんね」と言って、先に逝かれた奥様への感謝の言葉もあり、参ってしまった。俳句でこんな気持ちにさせられようとは!!
(恂 22.08.29.)