百船の行き交ふ瀬戸や花菜風   中村 迷哲

百船の行き交ふ瀬戸や花菜風   中村 迷哲

『合評会から』(日経俳句会)

朗 春風駘蕩とした瀬戸内の和やかな風景が浮かんできそうな句で、いただきました。
木葉 司馬遼太郎の『菜の花の沖』を連想しました。千石船、五百石船が行き交う瀬戸内に陸地には菜の花が……いい風景です。
てる夫 瀬戸内の風景が目の前に現れて来た。
百子 雰囲気がいいですね。瀬戸内海の百船なら納得がいきます。漁船も観光船も結構多い。
ヲブラダ ジオラマのような海の風景の手前で、菜花が揺れている。
水馬 菜の花が咲き乱れる瀬戸の島々を行き交う船の景が見えてきます。
        *        *        * 
 「春の海終日のたりのたりかな」という蕪村の句は、瀬戸内海に面した兵庫県の須磨海岸で詠まれたという。春の句が多いといわれる中でも、ことに有名な作品だ。
 掲句もその系譜に連なるような句で、朗さんのいうように春風駘蕩たるゆったりとした気分が味わえる。穏やかな内海の瀬戸は、大小さまざまな島が点在し、その間を縫って連絡船や漁船などの往来が賑やか。春の瀬戸の海に「百船」を浮かべ、「花菜風」を添えるとは、なんとも心憎い道具立てだ。こういう句には理屈は無用、ただただ描かれた世界に身を委ねるだけで良い。
(双 22.05.01.)

戦争を知らぬ雑踏春渋谷     和泉田 守

戦争を知らぬ雑踏春渋谷     和泉田 守

『この一句』

 ロシアの侵略二か月。ウクライナ戦争の句がいくつも出た。現地の惨状は毎日毎時、新聞・テレビ・ネットで報じられる。幸い戦後日本に戦争はなかった。以前、アメリカと戦った事実を知らない大学生が少なくないとの報道に驚愕したことがある。太平洋戦後八十年弱、当時を知る世代が年々減っていくのはしかたない。明治・大正・昭和の現代史教育がなおざりになっているのが、つとに指摘されている。
 渋谷のスクランブル交差点はいまや世界的な名所である。コロナでインバウンド観光が停まった現在はその面影が薄れたが、交差点を嬉々として渡る外国人のユーチューブ画像を何度も見た。他人にぶつからず雑踏を交差するのは、外国人には不思議で得難い体験とみえる。いまの渋谷交差点は人出が復活した。若者が大半だろう。彼らは当然戦争世代ではないが、ウクライナで起こっている現実をはたして認識しているのだろうかというのが、この句の意図であろう。最先端フアッションに身を包んだ彼らの意識を推し量っているのだ。作者は否定的にみているのは間違いない。しかし悲観する必要はないと筆者は思う。若者の中には真剣に戦争を憂い、反戦デモやウクライナ支援活動に参加するグループが一方にいるのも確かだ。
 この句の肝は「若者」と言わず「雑踏」としたことだろう。これで若者の街・渋谷をきっちり表現した。世代間の意識の差を問う時事句である。
(葉 22.04.29.)

列をなす小さき黄帽子四月かな  池内 的中

列をなす小さき黄帽子四月かな  池内 的中

『合評会から』(番町喜楽会)

光迷 目新しさのない句ではありますが、やはりこういうのはいい光景だなと思っていただきました。
水馬 ランドセルを詠んだ句などもいくつかありましたが、この句がいちばん出来が良いように思いました。
幻水 日本の四月の微笑ましい情景を素直に詠んでいます。
          *       *       *
 ここに掲げたように句会では、「見た事のあるような感じがする句だが、やはり四月の情景としては最も印象的なものだ」という感想が多かった。
 お揃いの黄色い帽子をかぶって列を作って歩くのは、保育園か幼稚園か、あるいは小学一年生も集団登下校でこういう光景をつくるのか。とにかく、これはまさに日本の「四月の風景」である。外国にもスクールバスはあり、教師に引率されて集団で公園などに連れて行かれる情景は珍しくない。しかし、みんな同じアッパッパのようなものを着て、同じ黄色帽子をかぶって、というのは日本独特の景色だ。
 もう40年前のことになるが、かなり長い外国駐在を終えて4月に帰国し、この情景を見て、「ああ日本に帰ってきたなあ」と思ったことを思い出す。それが今も変わっていない。やはり、幾度詠まれようとも、こういう情景はこれからも再三詠み継がれていくに違いない。永遠の四月風景である。
(水 22.04.28.)

花冷えのホットミルクのうすき膜 星川 水兎

花冷えのホットミルクのうすき膜 星川 水兎

『季のことば』

 今月はなんと最高九点句が四つも並ぶ日経俳句会空前の結果となった。そのうちの一つがこの句。だがこのあと、面白いというと語弊があるが、“新事実”が披露され会場が大いに沸いた。それは追々――。
 ちょっと前の東京の花冷えのころ、肌寒さに牛乳を温めて飲もうという気にはなった人はいるだろう。電子レンジでチンした作者。読書の手を休めてカップを見れば(ここは想像)、ミルクの表面には例の膜が出来ている。牛乳を四十度以上に加熱すると脂肪とタンパク質が濃縮凝固するのだそうだ。膜を取り除けばまた新たな膜が出来てと、湯葉の製造工程と同じ。ついでに余計なことを付け加えれば、「ラムスデン現象」という立派な学術用語まであるという。
 この句を選んだ句友たちは「ホットミルクに『花冷え』とは思いつかなかった」「花冷えをうまく取り入れた」「花冷えの季語が合っている」と高評価しきり。そこへ某氏が「十二月の番町喜楽会に『立冬のホットミルクに薄き膜』の句が出ていた」と衝撃の一言。「立冬」句の作者が言うには「番喜会では二点しか入らなかった(爆笑)某氏が『みんなの俳句』で激賞してくれたけど」と応じる。こんな例は句が出来るまでによくあること。以前に見聞きした良いフレーズが頭の片隅に残っていて、何となく出来上がったのがこの句だと思う。「立冬」と「花冷え」。季語を違えれば二点句が九点句にもなるという、時候の差こそ確かにあれ季語の力を如実に示した。
(葉 22.04.27.) 

三方に望む白嶺桃花摘む   杉山 三薬

三方に望む白嶺桃花摘む   杉山 三薬

『季のことば』

 4月9日(土)に句友12人打ち連れ立って山梨県甲州市塩山を吟行した。その肝煎が詠んだ句である。この付近一帯は桃源郷と言われるほど桃の木が多い。それが一斉に開花する4月初めはまさに別天地、ぜひ行きましょうと決めたのが三年前。しかし、新型コロナウイルス大流行となって断念、延び延びになり、ようやく実現となったのだ。
 聞きしに勝る絶景だった。周りを山に囲まれた盆地の中は桃をはじめ梨、枝垂れ桜、雪柳、レンギョウ、足元には菜の花が咲き乱れる。頭に雪を載せた富士山と、大菩薩峠と、南アルプスの山が顔をのぞかせている。近景はピンクの桃の花と足元の真っ黄色の菜の花、中景は霞立つ若緑の里山、遠景の白嶺を仰ぎながらの吟行は実にいい気分だった。
 東京の連中は「桃源郷」などとのんきなことを言って居るが、ここの桃は本来は花を見せるためのものではない。実を取るのが本筋である。満開の桃をそのまま放っておくと、それぞれ結実して、小さな実ばかりになってしまう。そこで満開の今頃を見計らって、花を適当な間隔を開けて間引いてしまう。これが「摘花」作業。我々が訪れたのが、この摘花のピークだったようで、どの桃畑もせっせと花を摘んでいた。木の根方に積み上げられた桃の花の鮮やかなピンクが、痛々しく無残な感じだが、それこそ都会人の無用の感傷である。
(水 22.04.26.)

菜の花や昭和の味の五目寿司  池村 実千代

菜の花や昭和の味の五目寿司  池村 実千代

『この一句』

 五目寿司は味付けした椎茸、干瓢、蓮根などをすし飯に混ぜ込み、錦糸卵や海老を散らした寿司で、ひな祭りをはじめ家庭の祝い事の際によく供される。関東以外ではばら寿司、混ぜ寿司、ちらし寿司などと呼ばれ、混ぜ合わせる具材も地域によって特色がある。句会でも幼い頃に食べた五目寿司の内容がひとしきり話題となった。
 作者は子供の頃、菜の花の季節に五目寿司を食べたことを思い出して句にしたのであろう。では「昭和の味」の五目寿司とはどんな内容であろうか?
最初は茹でた菜の花を彩りに散らした季節感豊かな寿司を思い描いた。しかし昭和の味とは必ずしも結び付かない。そこで思い至ったのが菜の花の形状である。菜の花は茎の先に黄色い小さな花をたくさんつける。そこから大人数の家族がイメージされる。戦後のベビーブームに象徴されるように、昭和二十年代、三十年代は子だくさんの家庭が多かった。同年代に育った作者にとって、家族みんなで食卓を囲んで食べた五目寿司は、まさに心に残る昭和の味ではなかろうか。
 作者には「卓袱台に家族正座し蜆汁」や「枝豆やあぐらの父の笑ひ声」など、食卓や料理を詠んだ句が多くある。五目寿司は家族団らんの象徴でもある。昭和の家庭の笑い声が聞こえてきそうだ。
(迷 22.04.25.)

職退きて優しき顔の四月かな   斉山 満智

職退きて優しき顔の四月かな   斉山 満智

『合評会から』(番町喜楽会)

而云 現役の時にはやる気が顔に出て、人によっては怖い顔になる。その人がリタイアして、ほんとは優しい顔だとわかる。そんなふうに読みました。
白山 僕は本当は優しい男なのに、会社にいる時は嫌われたりもしました。会社辞めた途端にニコニコ顔になりました。悪者のような顔をしないといけない時ってありますよね(笑)。
百子 学生に「先生、歩いているときの顔が怖い」と言われたことがあり、辞めた後には「優しくなったね、顔が」と実際に言われた経験があります。
愉里 会社員の定年は六十歳の誕生月の末日ですが、学校の先生は、年度終わりまで。私の同級生たちも、ちょうど肩の荷を降ろした頃だなぁと顔が思い浮かびました。
          *       *       *
 愉里さんの句評を詠んで、「そうか、それで四月なんだな」とわかった。この退職者は学校の先生なのだ。教師ということになれば「四月」が俄然生きて来る。一般の会社員でも会社にいる時には笑顔ばかりというわけにはいかない。時には恐い顔をしなければならないこともある。ましてや教師は姿勢も表情も意識して正す必要があろう。それが習い性となって学校にいるときは概ね硬い表情である。退職した四月、それが一挙に解けたのだ。
(水 22.04.24.)

電気工一人花見の灯を点す   玉田 春陽子

電気工一人花見の灯を点す   玉田 春陽子

『この一句』

 句会ではさまざまな解釈があらわれた句である。まず「電気工一人」なのか、「電気工」で一旦切れて「一人花見」と続くのか。また、「灯を点す」とはどんな作業を指すのか。一個一個電球を取り付ける作業だとか、いや今どきはLEDだからスイッチを入れるだけだろうとか。さらに、どれくらいのスケールの花見会場を想定するか。上野のような広い場所か、近隣公園のような狭い場所か、これによっても景は大きく変わる。読む人それぞれが独自の点灯イメージを持つので、一人じゃ無理だろうとか、スイッチを入れるだけなら一人で大丈夫とか、議論はまさに花盛りの様相を呈した。
 筆者は、大会場のライティングをイメージし、裏方の技術者の孤独と大勢の花見客の賑わいを対比して詠んだ句だと捉え、無事に灯が点ることで、この電気工の孤独が癒され暖かい光に包まれる景を想像した。かつての仕事柄、LEDの初期の頃には点灯の失敗でイベントが中止になったり、ボヤ騒ぎが起こったりしたことも見聞しており、今はそんなことはないにしろ、無事に点灯することで電気工はホッとしたに違いないと想像した。
 作者によれば、なんのことはない、団地のなかの小さな公園で、電気工が一人脚立を持って電球を取り付けている姿を詠んだとのこと。筆者の解釈は、蟹は甲羅に似せて穴を掘るの類となってしまった。
(可 22.04.22.)

畑中のここが県境春霞      今泉 而云

畑中のここが県境春霞      今泉 而云

『季のことば』

 「靄」、「霞」、「霧」の違いは気象予報士でもない筆者には区別がつかない。水平視程(難しい言葉だが)が一キロメートル以上を靄、未満なら霞というのだとある。また霞と霧は同種動因の水蒸気ながら、春なら霞、秋には霧と俳句の上の呼び名が変わり、それぞれ季語として扱われる。要するに俳句では天文気象学に根差した句別ではなく、あくまで感覚的な物言いなのだ。
 掲句は春霞のなかの畑を詠んでいて、そこがたまたま県境なのだと言っている。二つの県境が隣り合うのは至極当たり前だが、三つ重なる場所がある。「三県境」と言うらしく全国に四十カ所以上あるとされる。ただ、ほとんどが山頂や尾根または河川にある。平地の畑にあるのが群馬県坂倉町、栃木県栃木市、埼玉県加須市のそれぞれの境界で、たしかNHKの「ブラタモリ」でも紹介されたと記憶している。興味のある方はネットを探っていただければ画像を容易に見ることができる。作者はこの場所を詠んだのだと思いたい。
 霞は平安の絵巻物以来、物事をぼかす効果をもって使われてきた。全部を描かなくとも見る者の想像力にまかせることができる。春霞夕霞はことに情緒がある。畑中に立つ作者はそこが県境であると意識した。右手がA県、左手がB県、そして正面はC県だと。目の前に霞立つ畑中の景色に浸りながら、作者の気分も霞がかったのだろうか。「霞」の駘蕩とした一句である。
(葉 22.04.21.)

観覧車銀座あたりのビル霞む   田中 白山

観覧車銀座あたりのビル霞む   田中 白山

『この一句』

 家内と遊園地や海浜公園のような所に行って、「乗ってみたい」と思うものに観覧車がある。ジェットコースターほどのスリルはなく、下界や遠方を眺めながら、ゆっくりと回って一周十五分ほど。「キャッ」と叫ぶ同伴者に腕にすがられることもなく、余裕をもって一周し、笑顔で降りてくることが出来る。即ちあれは、老齢者に適した乗り物的遊具なのである。
 句の作者は八十歳代半ば過ぎの人だが、「その年で何故、観覧車に?」と私は問わない。上記の通り刺激は少ないから、心の余裕を失わず、怖がらず、楽しむ余裕を十分に持てるからである。さらに作者の場合、東京やその周辺ならば、仕事で馴染のある、見知った場所や建物を見下ろすことも出来よう。つまり過去の人生が脳裏に蘇る遊具でもあるのだ。
 東京近辺では、お台場の観覧車が百十五㍍で、最も高いという。世界には二百㍍級も少なくないそうだが、高いばかりが能じゃない。場所を選べば、富士山も新宿のビル群も一望の下に出来る観覧車があるかも知れない。私は掲句を選びながら、東京の丸の内、大手町、皇居あたりがよく見える観覧車はないかな、と考えていた。人生の盛期に働いた地域だからである。
(恂 22.04.20.)