青田風水の匂ひを運びくる 岩田 千虎
青田風水の匂ひを運びくる 岩田 千虎
『合評会から』(酔吟会)
水牛 田植えが終わった田には水が湛えられ、三四日すると根付く。すぐにぐんぐん伸び始める。そこを風が渡ってきて、達成感とともにやれやれという安心感を抱く。「青田風」は実に気持がいい。「水の匂ひを運びくる」という叙述が素晴らしい。
木葉 当たり前のことを当たり前に詠んでいるだけだが、成る程そうだと思い採った。
双歩 ごく当たり前の事を言っているのだが、その場に立っているかのようなリアリティを感じさせる、魅力的な句です。
* * *
作者は田んぼに囲まれた地帯(愛媛県)で、青々と育つ稲を身近に感じて育った。「青田風のころは、まだ田に水気が残り、浮草も繁茂する。その上を吹きわたってくる風は、どこか水の匂いがする」と自句自解している。
季語の持つ力を信じて、素直に自分の感性を述べる。この実感を17音にまとめ切るのが、実はなかなか難しい。ましてや読者がその句を読んだ後に、いい気持になるかどうかはまた別もの。この句は過不足のない措辞で、情景をそのまま目に浮かばせ、自分もその場に立って青田風を味わっている気分にさせてくれる。読者をいい気持にさせてくれる俳句は、いい俳句の証拠だと思う。
(青 26.07.19.)
『合評会から』(酔吟会)
水牛 田植えが終わった田には水が湛えられ、三四日すると根付く。すぐにぐんぐん伸び始める。そこを風が渡ってきて、達成感とともにやれやれという安心感を抱く。「青田風」は実に気持がいい。「水の匂ひを運びくる」という叙述が素晴らしい。
木葉 当たり前のことを当たり前に詠んでいるだけだが、成る程そうだと思い採った。
双歩 ごく当たり前の事を言っているのだが、その場に立っているかのようなリアリティを感じさせる、魅力的な句です。
* * *
作者は田んぼに囲まれた地帯(愛媛県)で、青々と育つ稲を身近に感じて育った。「青田風のころは、まだ田に水気が残り、浮草も繁茂する。その上を吹きわたってくる風は、どこか水の匂いがする」と自句自解している。
季語の持つ力を信じて、素直に自分の感性を述べる。この実感を17音にまとめ切るのが、実はなかなか難しい。ましてや読者がその句を読んだ後に、いい気持になるかどうかはまた別もの。この句は過不足のない措辞で、情景をそのまま目に浮かばせ、自分もその場に立って青田風を味わっている気分にさせてくれる。読者をいい気持にさせてくれる俳句は、いい俳句の証拠だと思う。
(青 26.07.19.)
名を列ぬ二十四万余慰霊の日 中村 迷哲
名を列ぬ二十四万余慰霊の日 中村 迷哲
『この一句』
平和への想いがこもった句だ。「名を列ぬ」という詠み出しの物々しさにちょっと驚いた。句会では列(つら)ぬというのは文法的にどうなのだろうかと、確認を求める声が。古語辞典を見てみれば、自動詞ナ行下二段活用で間違いないようだ。完了を表す「ぬ」である。作者は「名を刻む」ではなく「名を列ぬ」とした。その意図を二十四万あまりの人名の並ぶ光景を表現するためと解説している。それはそうとして、句評を離れた文法論はここでは本筋と外れる。
作者は、太平洋戦争沖縄戦の惨状を「二十四万余の名」に置き換えた。毎年6月23日に糸満市で行う平和祈念式の摩文仁の丘には、24万2669人の名前が印されている。日本兵、一般人、米兵の分け隔てなく、戦争で命を落としたあるいは人知れぬまま遺骨となった死者たちである。軍人より市民の犠牲者が多いのに感慨を覚える。それらの名を列ねた銘板を前にすれば、縁者ならずとも粛然とならざるをえない。
7月、8月は戦没者鎮魂の月。俳句に親しむ者として、平和への願いを込めた句を作りたいと毎年思っている。そうしたいのだが、戦後80年営々と幾万の鎮魂句と平和を望む句が作られている。数知れない先人の句を前に新鮮味を出す難しさに躊躇してしまう。掲句には類句があるのかも知れないが、戦争を知らない胸内にも響く。感情を排したごつごつとした詠み方なのに、人々の嘆き悲しみを代弁して不足ない。
(葉 26.07.17.)
『この一句』
平和への想いがこもった句だ。「名を列ぬ」という詠み出しの物々しさにちょっと驚いた。句会では列(つら)ぬというのは文法的にどうなのだろうかと、確認を求める声が。古語辞典を見てみれば、自動詞ナ行下二段活用で間違いないようだ。完了を表す「ぬ」である。作者は「名を刻む」ではなく「名を列ぬ」とした。その意図を二十四万あまりの人名の並ぶ光景を表現するためと解説している。それはそうとして、句評を離れた文法論はここでは本筋と外れる。
作者は、太平洋戦争沖縄戦の惨状を「二十四万余の名」に置き換えた。毎年6月23日に糸満市で行う平和祈念式の摩文仁の丘には、24万2669人の名前が印されている。日本兵、一般人、米兵の分け隔てなく、戦争で命を落としたあるいは人知れぬまま遺骨となった死者たちである。軍人より市民の犠牲者が多いのに感慨を覚える。それらの名を列ねた銘板を前にすれば、縁者ならずとも粛然とならざるをえない。
7月、8月は戦没者鎮魂の月。俳句に親しむ者として、平和への願いを込めた句を作りたいと毎年思っている。そうしたいのだが、戦後80年営々と幾万の鎮魂句と平和を望む句が作られている。数知れない先人の句を前に新鮮味を出す難しさに躊躇してしまう。掲句には類句があるのかも知れないが、戦争を知らない胸内にも響く。感情を排したごつごつとした詠み方なのに、人々の嘆き悲しみを代弁して不足ない。
(葉 26.07.17.)
似合うよと子に褒められしサングラス 須藤光迷
似合うよと子に褒められしサングラス 須藤光迷
『この一句』
「褒められた作者は、父親か、母親か?褒めた子は、息子か、娘か?どう想像するかで解釈の変わる句だと思います。ここは父親が娘に褒められたことにしておきましょう。満更でもないニヤけた顔が目に浮かびます」(可升)という合評会の一言がある。答えはこの評言の通り、娘に褒められた父親だ。
ただし、緑内障と白内障を一度に解消した手術の事後処置としてのサングラスだというのだから、そうそうニヤついてもいられない。それでもまあ手術がうまく行って、やれやれという安堵感が伝わって来るのが救いである。
サングラスには流行の波があるようだ。敗戦直後の昭和20年8月30日、日本を統治する連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。ニュース映画に写し出された元帥はコーンパイプをくわえ、大きなサングラスをかけて颯爽とタラップを降りて来た。これがきっかけで戦後日本にサングラスが大流行した。その後、流行りすたりの波を経て、今では落着いたファッション小物になっている。スマホやゲームのやりすぎで目を傷めた小学生がかけたりするようにもなった。
いまさらお兄いさん気取りでもあるまいと、サングラスにはちょっと抵抗感を抱く作者だが、手術後の眼の保護のためと言われて、奥さん手持のいくつかから無難なものを選んでかけた。「似合うよ」と言われて満更でもない気分である。
(水 26.07.15.)
『この一句』
「褒められた作者は、父親か、母親か?褒めた子は、息子か、娘か?どう想像するかで解釈の変わる句だと思います。ここは父親が娘に褒められたことにしておきましょう。満更でもないニヤけた顔が目に浮かびます」(可升)という合評会の一言がある。答えはこの評言の通り、娘に褒められた父親だ。
ただし、緑内障と白内障を一度に解消した手術の事後処置としてのサングラスだというのだから、そうそうニヤついてもいられない。それでもまあ手術がうまく行って、やれやれという安堵感が伝わって来るのが救いである。
サングラスには流行の波があるようだ。敗戦直後の昭和20年8月30日、日本を統治する連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。ニュース映画に写し出された元帥はコーンパイプをくわえ、大きなサングラスをかけて颯爽とタラップを降りて来た。これがきっかけで戦後日本にサングラスが大流行した。その後、流行りすたりの波を経て、今では落着いたファッション小物になっている。スマホやゲームのやりすぎで目を傷めた小学生がかけたりするようにもなった。
いまさらお兄いさん気取りでもあるまいと、サングラスにはちょっと抵抗感を抱く作者だが、手術後の眼の保護のためと言われて、奥さん手持のいくつかから無難なものを選んでかけた。「似合うよ」と言われて満更でもない気分である。
(水 26.07.15.)
幸齢者粋な呼び名よ百日紅 久保田 操
幸齢者粋な呼び名よ百日紅 久保田 操
『この一句』
最近の流行語なのだろうか、知らなかった。一部の人に高齢者を「幸齢者」と言い換える気運があるようだ。一字違いながらがらりと印象が変わる。精神科医の和田秀樹氏が唱え、幸齢党なる政党を立ち上げたあたりがこの呼び名の始まりか。筆者もふくめた老人が幸せなのかそうでないのか、今も昔も変わらぬ議論の的だ。もちろん個々人の置かれる環境、立場、所得の差によって一概には言えない。現在の高齢者を一般国民と比べると、相対的な貧困率(全国所得中央値の半分未満)は15%程度とされる。統計上、65歳以上の人々はなんらかの持病を抱えているとも。
65歳以上を高齢者、75歳になれば後期高齢者とお役所が呼んでいる。「障害者」などと並んで実に無機質な呼び名である。障害者の表記は国と法律、自治体と支援団体は障がい者となっている。いずれにしても、医学界とでも相談して決めたのか官庁用語はいかにも機械的で冷たい。
上の句の作者は「幸齢者」という呼び名が粋だと言う。「高齢者」と比べれば一目瞭然である。「幸」の吉祥文字が入って官庁用語にはない温かみが生まれた。一病があるとも、年を重ねますます経験を積んでいく老人たちへの賛歌となっている。80歳の筆者も同感、思わず一票を入れた。百日紅がすべすべの幹を誇るように、季語が句意を応援しているように思う。
(葉 26.07.13.)
『この一句』
最近の流行語なのだろうか、知らなかった。一部の人に高齢者を「幸齢者」と言い換える気運があるようだ。一字違いながらがらりと印象が変わる。精神科医の和田秀樹氏が唱え、幸齢党なる政党を立ち上げたあたりがこの呼び名の始まりか。筆者もふくめた老人が幸せなのかそうでないのか、今も昔も変わらぬ議論の的だ。もちろん個々人の置かれる環境、立場、所得の差によって一概には言えない。現在の高齢者を一般国民と比べると、相対的な貧困率(全国所得中央値の半分未満)は15%程度とされる。統計上、65歳以上の人々はなんらかの持病を抱えているとも。
65歳以上を高齢者、75歳になれば後期高齢者とお役所が呼んでいる。「障害者」などと並んで実に無機質な呼び名である。障害者の表記は国と法律、自治体と支援団体は障がい者となっている。いずれにしても、医学界とでも相談して決めたのか官庁用語はいかにも機械的で冷たい。
上の句の作者は「幸齢者」という呼び名が粋だと言う。「高齢者」と比べれば一目瞭然である。「幸」の吉祥文字が入って官庁用語にはない温かみが生まれた。一病があるとも、年を重ねますます経験を積んでいく老人たちへの賛歌となっている。80歳の筆者も同感、思わず一票を入れた。百日紅がすべすべの幹を誇るように、季語が句意を応援しているように思う。
(葉 26.07.13.)
梅雨晴やまずはゴッホに会いにゆく 水口弥生
梅雨晴やまずはゴッホに会いにゆく 水口弥生
『季のことば』
「梅雨晴」という季語は耳にしただけで心地よい。
長雨に閉じ込められ、エアコンをつけてもなんとなく湿っぽい。一日中暗いのと、冷房で冷やされたせいか妙に背中が寒くなったりするのも気持が悪い。「晴耕雨読」という言葉があるくらいだから、こういう日はじっくり腰を落着けて積んである本をせっせと読めば良いのだが、どうもそういう気にならない。溜まった洗濯物をして乾燥機で乾かせばいいではないかとも思うが、それもやりたくない。所在なさにテレビをつければどのチャンネルもタレントと称する頭の悪そうな男女が並んでワイワイガヤガヤ言い合うロクでも無い番組ばかりだ。
「えーい、もう」と癇癪を起こして早寝したら、翌日早朝からぱーっと晴れた。待ってました。さあどこへ行こうか。あそこへ行きたい、いやあそこが先、となかなか決まらない。しかし昨日までの「本を読もうか片付けしよか、どちらも気乗りしない」のとは打って変わって、何処にだって行けるのに中々決まらない悩み事は実に楽しい。「そうだ、確かゴッホ展やってるはずだ」と思いついた。
「まずはゴッホに会いにゆく」 このスパッと言い切ったところがこの句のいのち。梅雨晴で気分全快のはつらつとした様子を見事に表した。日経俳句会有志による勉強会での秀作である。
(水 26.07.11.)
『季のことば』
「梅雨晴」という季語は耳にしただけで心地よい。
長雨に閉じ込められ、エアコンをつけてもなんとなく湿っぽい。一日中暗いのと、冷房で冷やされたせいか妙に背中が寒くなったりするのも気持が悪い。「晴耕雨読」という言葉があるくらいだから、こういう日はじっくり腰を落着けて積んである本をせっせと読めば良いのだが、どうもそういう気にならない。溜まった洗濯物をして乾燥機で乾かせばいいではないかとも思うが、それもやりたくない。所在なさにテレビをつければどのチャンネルもタレントと称する頭の悪そうな男女が並んでワイワイガヤガヤ言い合うロクでも無い番組ばかりだ。
「えーい、もう」と癇癪を起こして早寝したら、翌日早朝からぱーっと晴れた。待ってました。さあどこへ行こうか。あそこへ行きたい、いやあそこが先、となかなか決まらない。しかし昨日までの「本を読もうか片付けしよか、どちらも気乗りしない」のとは打って変わって、何処にだって行けるのに中々決まらない悩み事は実に楽しい。「そうだ、確かゴッホ展やってるはずだ」と思いついた。
「まずはゴッホに会いにゆく」 このスパッと言い切ったところがこの句のいのち。梅雨晴で気分全快のはつらつとした様子を見事に表した。日経俳句会有志による勉強会での秀作である。
(水 26.07.11.)
独り言まとわりつくや梅雨の闇 中嶋 阿猿
独り言まとわりつくや梅雨の闇 中嶋 阿猿
『合評会から』(日経俳句会)
方円 独り言、まとわりつく、梅雨、闇……みんな似た感じでしつこいかなとは思いましたが、雰囲気は良く分かるので頂きました。
愉里 私も最近この句のような感じで暮らしているので、自分の思っていることにまとわりついてくるのが闇、というところに共感しました。
卓也 評者にも身に覚えがあります。嫌な記憶に蓋をせず、客体視して言語化できる作者の力量に脱帽です。
双歩 なんかジメジメした句ですね。梅雨らしい。
* * *
双歩氏の評を聞いて思わず吹き出した。まさにその通り、これくらいジメジメ感を吐き出せば、あっけらかんと気が晴れるかも知れない。
それにしても梅雨シーズンはうんざりする。昔々、長雨に文句たらたら泣き言を並べていたら、「豊葦原瑞穂国、お米がたくさんできるのも梅雨の恵があればこそなのだ。そもそもお天気に文句を言うのは愚かなことだ」と父親に諭された。お米の出来の良し悪しで日本経済が左右された戦後間もなくの時代だから、こうした説諭もなにがしかの効果があったのだろうが、米離れの今や「このジメジメなんとかしてー」という声に圧倒されてしまう。
昨日8日と今日は中休みだが、梅雨はまだ続きそうだ。もうしばらく、まとわりつくジメジメを我慢せねばなるまい。
(水 26.07.09.)
『合評会から』(日経俳句会)
方円 独り言、まとわりつく、梅雨、闇……みんな似た感じでしつこいかなとは思いましたが、雰囲気は良く分かるので頂きました。
愉里 私も最近この句のような感じで暮らしているので、自分の思っていることにまとわりついてくるのが闇、というところに共感しました。
卓也 評者にも身に覚えがあります。嫌な記憶に蓋をせず、客体視して言語化できる作者の力量に脱帽です。
双歩 なんかジメジメした句ですね。梅雨らしい。
* * *
双歩氏の評を聞いて思わず吹き出した。まさにその通り、これくらいジメジメ感を吐き出せば、あっけらかんと気が晴れるかも知れない。
それにしても梅雨シーズンはうんざりする。昔々、長雨に文句たらたら泣き言を並べていたら、「豊葦原瑞穂国、お米がたくさんできるのも梅雨の恵があればこそなのだ。そもそもお天気に文句を言うのは愚かなことだ」と父親に諭された。お米の出来の良し悪しで日本経済が左右された戦後間もなくの時代だから、こうした説諭もなにがしかの効果があったのだろうが、米離れの今や「このジメジメなんとかしてー」という声に圧倒されてしまう。
昨日8日と今日は中休みだが、梅雨はまだ続きそうだ。もうしばらく、まとわりつくジメジメを我慢せねばなるまい。
(水 26.07.09.)
紫蘇揉んで卒寿の祖母の梅仕事 中沢 豆乳
紫蘇揉んで卒寿の祖母の梅仕事 中沢 豆乳
『合評会から』(日経俳句会)
実千代 私も梅仕事の句を昨年作りました。紫蘇を揉むのは苦手で自分ではやらないけど、孫がお婆ちゃんの姿を見て詠んだような一句で、卒寿の祖母の組み合わせが面白い。
操 人生百年時代とは言え、卒寿になっても梅漬けに励む姿に力を得ます。
てる夫 婆様孝行ができましたね。
千虎 この季節の昔ながらの暮らしを感じました。
* * *
6月初めに漬けた梅は二週間もすると梅酢がいっぱい上がって上々の塩梅。それを見計らって、摺鉢に赤紫蘇の葉を入れ、塩を振ってぎゅうぎゅう揉む。黒っぽい灰汁が出て来たら、それをギューッと絞って捨て、紫蘇団子を作る。念を入れてそれをほぐしてもういっぺん揉んで絞る。それに梅の漬汁(梅酢)を掛けると鮮やかな赤紫に発色する。それを梅漬の甕に入れて本漬。土用干の頃にはきれいな赤い梅漬が出来ている。三日三晩干せばばあちゃん梅干の完成。
合評会では「紫蘇揉んでは、理由を述べている感じで、紫蘇を揉む卒寿の祖母とした方がすっきりしている」との意見が出た。確かにそうかも知れない。しかし、上五にわざわざ「紫蘇揉んで」を据えたのには、紫蘇揉みにはこの灰汁出しや力の入れ具合などコツがあり、「やはりバアちゃんは年季が入ってるな」といった意味合いを込めたからなのではないかと思った。
(水 26.07.07.)
『合評会から』(日経俳句会)
実千代 私も梅仕事の句を昨年作りました。紫蘇を揉むのは苦手で自分ではやらないけど、孫がお婆ちゃんの姿を見て詠んだような一句で、卒寿の祖母の組み合わせが面白い。
操 人生百年時代とは言え、卒寿になっても梅漬けに励む姿に力を得ます。
てる夫 婆様孝行ができましたね。
千虎 この季節の昔ながらの暮らしを感じました。
* * *
6月初めに漬けた梅は二週間もすると梅酢がいっぱい上がって上々の塩梅。それを見計らって、摺鉢に赤紫蘇の葉を入れ、塩を振ってぎゅうぎゅう揉む。黒っぽい灰汁が出て来たら、それをギューッと絞って捨て、紫蘇団子を作る。念を入れてそれをほぐしてもういっぺん揉んで絞る。それに梅の漬汁(梅酢)を掛けると鮮やかな赤紫に発色する。それを梅漬の甕に入れて本漬。土用干の頃にはきれいな赤い梅漬が出来ている。三日三晩干せばばあちゃん梅干の完成。
合評会では「紫蘇揉んでは、理由を述べている感じで、紫蘇を揉む卒寿の祖母とした方がすっきりしている」との意見が出た。確かにそうかも知れない。しかし、上五にわざわざ「紫蘇揉んで」を据えたのには、紫蘇揉みにはこの灰汁出しや力の入れ具合などコツがあり、「やはりバアちゃんは年季が入ってるな」といった意味合いを込めたからなのではないかと思った。
(水 26.07.07.)
紫陽花や単身赴任丸二年 横井 定利
紫陽花や単身赴任丸二年 横井 定利
『この一句』
俳句を始めた頃、中村草田男の「蟾蜍長子家去る由もなし」という句に出会って驚いた、というか上手く説明できないが惹きつけられるものを感じた。「二物配合」という技法があることを知り、「配合は離れたものが良い」(藤田湘子)というような説明を入門書から吹き込まれた。確かにそうだと思うところはあるものの、まったく無縁の言葉の配合で良いのかという疑問がいつも残り、今に至っている。草田男句の「蟾蜍」も、「いつも家の周りにいてのそのそ歩いている蟾蜍と因習に縛られた一家の長男に共通性を見ることが出来よう」(今泉恂之介『俳句史の真実』)というような解釈があり、必ずしも無縁ではなさそうである。
この句は、一読して良い句だなという印象があったが、なぜ「紫陽花」と「単身赴任」が取り合わせられたのかがよくわからなかった。あれこれ考えていて、「紫陽花」は「七変化」とも呼ばれ、花の色が次々に変化して行く花である。そのことと、二年間単身赴任が続き、変化のない我が身が対比されたのかと解釈した。
作者のお話をお聞きしたわけではないので、見当違いの解釈かもしれない。また、そんな解釈をしなくても、一読して良い句だと思った印象は変わらない。「二物配合」には間違いなく惹きつけられるものがあるが、どうあるべきかは疑問のままである。
(可 26.07.05.)
『この一句』
俳句を始めた頃、中村草田男の「蟾蜍長子家去る由もなし」という句に出会って驚いた、というか上手く説明できないが惹きつけられるものを感じた。「二物配合」という技法があることを知り、「配合は離れたものが良い」(藤田湘子)というような説明を入門書から吹き込まれた。確かにそうだと思うところはあるものの、まったく無縁の言葉の配合で良いのかという疑問がいつも残り、今に至っている。草田男句の「蟾蜍」も、「いつも家の周りにいてのそのそ歩いている蟾蜍と因習に縛られた一家の長男に共通性を見ることが出来よう」(今泉恂之介『俳句史の真実』)というような解釈があり、必ずしも無縁ではなさそうである。
この句は、一読して良い句だなという印象があったが、なぜ「紫陽花」と「単身赴任」が取り合わせられたのかがよくわからなかった。あれこれ考えていて、「紫陽花」は「七変化」とも呼ばれ、花の色が次々に変化して行く花である。そのことと、二年間単身赴任が続き、変化のない我が身が対比されたのかと解釈した。
作者のお話をお聞きしたわけではないので、見当違いの解釈かもしれない。また、そんな解釈をしなくても、一読して良い句だと思った印象は変わらない。「二物配合」には間違いなく惹きつけられるものがあるが、どうあるべきかは疑問のままである。
(可 26.07.05.)
梅雨晴間灌漑水の音豊か 堤 てる夫
梅雨晴間灌漑水の音豊か 堤 てる夫
『合評会から』(日経俳句会)
朗 梅雨で水かさが増した用水路に、日を浴びて白波を立てて水が流れる様子が鮮やかに浮かびました。水の音に着目したところが良いと思いました。
二堂 灌漑水の流れを見て聞いた感じが、「音豊か」の言葉にすべて詰まっている。気持ちが良い一句です。
戸無広 用水路が五月雨を集め、ポコポコと耳に心地良い音を立てている風景を想像しました。雨の名残で水かさが増した水路と、梅雨晴間の日の光の対比が上手い。
* * *
田植の終わった田圃に灌漑用水の水が行き渡る様子が描かれ、まずは初夏の大事業を終えてほっとした感じが伝わって来る。「おつかれさま」「よかったねえ」という言葉が聞こえて来るようだ。
うっとうしい梅雨も瑞穂の国を潤す貴重な恵の水である。時として「空梅雨」に見舞われることがある。灌漑用の溜池の底が見えるほどになってしまうと大変だ。水争いが起こる。「我田引水」という言葉もあるように、我が田に一滴でも多くの水をと分捕り合戦になったりする。
今ではそういうことが起こらぬように灌漑用水からの水の配分は按配され、上の田も下の田も過不足無く行き渡るようになっている。その流れを「音豊か」と詠んだ。令和日本の初夏を寿いだ豊かな句である。
(26.07.03. 水)
『合評会から』(日経俳句会)
朗 梅雨で水かさが増した用水路に、日を浴びて白波を立てて水が流れる様子が鮮やかに浮かびました。水の音に着目したところが良いと思いました。
二堂 灌漑水の流れを見て聞いた感じが、「音豊か」の言葉にすべて詰まっている。気持ちが良い一句です。
戸無広 用水路が五月雨を集め、ポコポコと耳に心地良い音を立てている風景を想像しました。雨の名残で水かさが増した水路と、梅雨晴間の日の光の対比が上手い。
* * *
田植の終わった田圃に灌漑用水の水が行き渡る様子が描かれ、まずは初夏の大事業を終えてほっとした感じが伝わって来る。「おつかれさま」「よかったねえ」という言葉が聞こえて来るようだ。
うっとうしい梅雨も瑞穂の国を潤す貴重な恵の水である。時として「空梅雨」に見舞われることがある。灌漑用の溜池の底が見えるほどになってしまうと大変だ。水争いが起こる。「我田引水」という言葉もあるように、我が田に一滴でも多くの水をと分捕り合戦になったりする。
今ではそういうことが起こらぬように灌漑用水からの水の配分は按配され、上の田も下の田も過不足無く行き渡るようになっている。その流れを「音豊か」と詠んだ。令和日本の初夏を寿いだ豊かな句である。
(26.07.03. 水)
縄文の野生の匂ひ栗の花 岩田 千虎
縄文の野生の匂ひ栗の花 岩田 千虎
『合評会から』(日経俳句会)
愉里 栗の花の匂いを嗅いだことはありません。山などで栗の木を見ると花の咲き方が猛々しい感じで、縄文の野生の匂ひという言い方が実感できていただきました。
可升 あの特有の匂いを縄文の野生の匂ひと詠んだ、これだけで採らざるを得ないと思いました。男性はあの匂いを詠みたくないだろうな、など色々考えつつ…。
迷哲 栗は縄文時代の主食の一つで、昔はもっとたくさん栗の木が生え、匂いを放っていたことでしょう。栗の花の匂いを太古のロマンと結びつけた点が面白い。
水牛 縄文と栗は本当にぴったりきますね。三内丸山遺跡で復元した櫓なんかは栗の木ですよね。縄文時代には想像を超える大きな栗林があったようですね。
* * *
この一句の焦点は、栗の花の「匂い」にある。それを好む人は少ないと思われるし、句会では「原始的な悪臭」と捉えた人もいた。そういう事情を脇に置き、堂々と句に取り上げた勇気、そして「野生の」と表現した感性にはただただ脱帽するしかない。
栗の木は腐食しにくいので、家の土台に使われたり鉄道の枕木として重宝されたりした。茶箪笥などの家具にも、お盆やお椀などの食器にもいい。林檎の木や葡萄などのように手間がかからないので、近頃は都市近郊の農地に植えられていることも多い。
(光 26.07.01.)
『合評会から』(日経俳句会)
愉里 栗の花の匂いを嗅いだことはありません。山などで栗の木を見ると花の咲き方が猛々しい感じで、縄文の野生の匂ひという言い方が実感できていただきました。
可升 あの特有の匂いを縄文の野生の匂ひと詠んだ、これだけで採らざるを得ないと思いました。男性はあの匂いを詠みたくないだろうな、など色々考えつつ…。
迷哲 栗は縄文時代の主食の一つで、昔はもっとたくさん栗の木が生え、匂いを放っていたことでしょう。栗の花の匂いを太古のロマンと結びつけた点が面白い。
水牛 縄文と栗は本当にぴったりきますね。三内丸山遺跡で復元した櫓なんかは栗の木ですよね。縄文時代には想像を超える大きな栗林があったようですね。
* * *
この一句の焦点は、栗の花の「匂い」にある。それを好む人は少ないと思われるし、句会では「原始的な悪臭」と捉えた人もいた。そういう事情を脇に置き、堂々と句に取り上げた勇気、そして「野生の」と表現した感性にはただただ脱帽するしかない。
栗の木は腐食しにくいので、家の土台に使われたり鉄道の枕木として重宝されたりした。茶箪笥などの家具にも、お盆やお椀などの食器にもいい。林檎の木や葡萄などのように手間がかからないので、近頃は都市近郊の農地に植えられていることも多い。
(光 26.07.01.)