妻笑う青田の風は澄み渡り    篠田 義彦

妻笑う青田の風は澄み渡り    篠田 義彦

『季のことば』

 早苗が根付いて、伸び始めた稲が風にそよぐ頃合いの田圃である。
  松風の中を青田のそよぎかな     内藤 丈草
  朝起の顔ふきさます青田かな     廣瀬 惟然
  山々を低く覚ゆる青田かな      与謝 蕪村
  傘さしてふかれに出でし青田かな   加舎 白雄
  背戸の不二青田の風の吹過る     小林 一茶
 5月末から6月の梅雨入り後間もなくのあたり、まだ穂は出ていないがかなり伸びた青田は実に美しく、見ていて気持が良い。江戸時代の俳人たちもその様子をさまざに詠んで楽しんでいる。
 義彦句も青田風の気持良さを「妻笑う」で十二分に表した。この作者とは互いに独身時代からの付き合いだから余計な情報が邪魔して作品評価の妨げになってしまう。これもそうで、さんざん苦労をかけた恋女房が身体を壊し、なんとか外出が叶うようになっての散歩で青田風に吹かれ、ようやく笑ってくれた、という一シーンかなどと深読みしてしまう。
 そんなことは一切忘れ、全く見ず知らずの人の詠んだ青田風の句として見直した。しかし、やはり何らかの理由で笑いを忘れていた妻が「笑みを見せてくれた」という場面であろうと思う。青田風の句の中ではめずらしい、しみじみとした情感のある句である。
(水 20.06.16.)

久々の飛行機雲や薄暑光     谷川 水馬

久々の飛行機雲や薄暑光     谷川 水馬

『この一句』

 「飛行機雲」を詠むのは難しい。誰もが目にするし、見るとちょっと得した気分になるので、一度や二度は作ったことがある人が多いのではないか。そういう意味で、句材としては少々手垢にまみれている。ハードルの高い“飛行機雲句”だが、この一句は違う。修飾語「久々の」によって、古い句材に「今」を吹き込んだ。現在を生きている作者が五七五に息づいている。
 私の住まいの上空は旅客機の航路なのか、四六時中飛行機が飛来する。機上から自宅の屋根を見たこともあった。そんな地なので、飛行機雲を見る機会は多い。1万メートル前後の高度で発生しやすいそうなので、概ね機体は目視できない。ただ白い線が、まるで運動場に引く白線のように真っ直ぐに伸びていく。青空に描かれた白線は実に清々しい。ところが最近は、飛行機が飛ばなくなった。コロナ禍で航空需要が激減し、国際便はもとより国内便も大幅な減便を余儀なくされているためだ。だから飛行機雲もしばらく見ていない。
 初夏のある日、作者は飛行機雲を「久々」に見たのだろう。その感動を上五に託し、単語のみ並べて何も語らない。「飛行雲」と変に省略しなかったのも好感が持てるし、中七を「や」で切るのも作者の好みが出ていて、とても気持ちの良い句だ。
(双 20.06.15.)

ふるさとの月夜に浮かぶ青田かな  吉田正義

ふるさとの月夜に浮かぶ青田かな  吉田正義

『この一句』

 月夜の青田・・・。これを見るのは容易のようで、かなり難しいと思う。私(筆者)の場合、八十年余りの人生で何と、一度も見たことがないのだ。何年か前、句仲間とともに長野・姥捨の十五夜を見に有名な棚田に出かけたが、稲の収穫時期に近く、青田ではなかった。青田は魅力的だが、それだけを見に行くのは酔興に属するのかも知れない。
 句会でこの句を選んだ人は次のように述べていた。「私の故郷を思い出しました」(尚弘)、「青田を月が煌々と照らしている信州の田舎の様子が目に浮かびます」(敦子)。そして作者はこう語る。「初夏の澄んだ月と青田の風景です。詠んでみたら懐かしさがこみ上げてきました」。その通りなのだろうが、田舎のない私は、どこに行ったらいいのか。
 旅行はどうだろうか。団体のツアーに「夜の青田見物」はなさそうだ。適当な地方都市に出かけ、ホテルに泊まっても簡単ではない。温泉旅館に行くのも多分ダメ。昼間なら列車の窓からごく簡単に、存分に見ることが出来るのに・・・。運転免許を持たない今、さまざまな月夜の青田風景が、私の頭の中に広がるばかりである。
(恂 20.06.14.)

祖父震災父応召二度我コロナ   鈴木 雀九

祖父震災父応召二度我コロナ   鈴木 雀九

『季のことば』

 十七音を二つオーバーしており、季語もないじゃないかと言う向きがあるかもしれない。この破調めいた句は、父子三代の“灰色の歴史”を詠んでいて破綻がないと思う。五月のメール句会で採らなかったのを、ちょっぴり後悔している。
そうなのだ、おじいさんは関東大震災に遭い、お父さんは二度も兵隊に引っ張られ、そして医師である作者はいま新型コロナに立ち向かわざるを得ない立場にある。作者はもちろんコロナに罹ってはいないが、父子三代よくよくついていない人生だなとボヤキが聞こえてくる。お祖父さん、お父さんが最悪事態を逃れたのかどうか聞いていないが、俳句にするくらいだから多分大丈夫だったと思いたい。
 この秋冬にまた二波、三波が来るとの警鐘がもっぱらである。あるいは人類が今後長きにわたってこのウイルスとの共存が避けられないのなら、「コロナ」は「流感」同様、季語になるのだろうか。秋冬の流行を詠むならコロナは「季のことば」と取られず、別の季語を添えなければならない。いずれにせよ、現下のコロナ禍は俳句にも大きな画期となるのは間違いない。
(葉 20.06.12.)

弧をなして水平線に夏来る    大沢 反平

弧をなして水平線に夏来る    大沢 反平

『合評会から』(日経俳句会)

昌魚 クルーズ船から見た大きな景を思い出します。
木葉 五月の晴れた海に夏の到来を見た句。「弧をなして」に工夫のあとを感じます。見渡す限りの水平線にどっと夏が押し寄せた感じを出しています。
弥生 空気が緩んでくると海は膨らんで見えます。「弧をなして」が効果的でスケール感あり。
ゆり 本当に夏らしい、読んで嬉しくなる句でした。
青水 千葉の銚子に小高い丘のような見晴らし台があって、登ると三六〇度、周囲が一望できる。三六〇度の海が迫ってくる。初夏の海が膨れ上がり、弧をなして迫って来るのだ。
          *       *       *
 選句表で見落とし、合評会の句評を聞いて刮目する句が時々ある。掲句を一読した時は「弧をなして」が掴み切れなかった。地球の弧に添う水平線と、輝き盛り上がって弧をなす夏の海が重層的に描かれ、この句を採った人たちは皆そこを読み取っている。作者によれば銚子の先の犬吠埼にある「地球が丸く見える丘」での光景という。同じ場所に立ったことがあるだけに、採れなかったのが口惜しい。
(迷 20.06.11.)

窓越しにアカシヤの花テレワーク  工藤静舟

窓越しにアカシヤの花テレワーク  工藤静舟

『この一句』

 コロナウイルスの影響で在宅勤務をしている様子を詠んだ時事句である。
 最近流行りのテレワークなるものがどんなものなのかあまり確かな実感がなかったが、五月の初めに、中国に赴任していた息子が帰国し、PCR検査の後自宅待機をさせろと我が家に飛び込んできた。息子の居る部屋からはテレビ会議らしき声がもれ聞こえてくる。上司と話をしているのか、ときおり敬語なども混じる。「へぇー、会社じゃあんな口の利き方するんだ」とこちらが驚く。
 なるほど、テレワークとは外の仕事を内に持ち込むことかと理解する。これじゃ、家族に邪魔されない場所がなくて、苦労しているお父さんもさぞかし多いことだろう。内と外は別々が良し。途中に飲み屋があればなお良し。在宅勤務など、精神衛生上は決してよろしくないと思う。
 この句は、二階の部屋でテレワークをしている最中に、窓の外のアカシヤの花がふと目に止まったという光景か。しばらくは、仕事そっちのけで花に見惚れて癒されている。会議も仕事もどうでも良い、という気分もほのかに感じられる。「いつまでこんなことやるんだろう?」という呟きも聞こえて来そうだ。
 それにしてもこの作者がテレワークなんかするんだろうか?
(可 20.06.10.)

うすものを羽織りし母の細きかな  深瀬久敬

うすものを羽織りし母の細きかな  深瀬久敬

『合評会から』(三四郎句会)

諭 老年の母親をさりげなく詠んで、母親への愛情をしっかりと伝えている。
有弘 亡き母と自らの老いをしんみりと感じさせる句、と言えばいいかな。
圭子 高齢のお母様をいたわるような気持ちが伝わってきます。
而云 「羽織し」と過去形だから、母上は亡くなっているのだろう。
賢一 母への感謝の気持ちを間接的に表している。私もこんな風に詠んでみたい。
久敬 (作者) 母は晩年、我が家のごく近くに住んでいたのですが、もう少しこまめに訪ねておけばよかったと悔いています。
          *       *       *
 「痩せている」「細い」などは女性への誉め言葉らしいが、相手が自分の母親となると様子が違ってくる。いつもは母の老いを思うことが少なかったのだ。羅(うすもの)を着た母の痩せ具合を見て「ああ、これほどまでに」と気付いたのである。「いたわるような気持ち」「母親への愛情をしっかりと伝えている」「私も(亡き母親を)こんな風に詠んでみたい」――。それぞれのコメントは、とても真面目で的確、と評したい。
(恂 20.06.09.)

たとう紙の絽に浮かぶ母衣更え  久保 道子

たとう紙の絽に浮かぶ母衣更え  久保 道子

『合評会から』(酔吟会)

反平 何だか切ない作者の気持ちがよく出た佳句だと思う。それにしても、着物。買取業者がさかんに売ってくれと宣伝しているけれど、何だかうさんくさい。小生の家内も業者を呼んで処分しようとしたが、曰く「これはちょっと買えませんね。それより何か金製品はありませんか」だと……不愉快。
ゆり お母様から譲り受けた着物を広げて、思いをはせる時。絽の着物だから、お洒落で素敵なお姿に違いないでしょう。
          *       *       *
 衣更えの時期。思い立って亡き母親の桐箪笥から畳紙を引き出したら、絽の着物が出てきた。着ていた頃の声や姿までが瞬時に思い出され、思わず頭の中を駆け巡ったというところだろうか。「絽」という羅(うすもの)で亡き人が透けて見えるような感じがします。きっと絽の着物が似合う母上だったのだろう。その思い出を二束三文で買い取ってしまう業者のテレビCMを見るたび、弱肉強食の世間を思わざるをえない。よそながら、作者には母上を思い出す品を大事にしてほしい気がしてならない。
(葉 20.06.08.)

メールにも飽きて初夏を長電話  藤野 十三妹

メールにも飽きて初夏を長電話  藤野 十三妹

『この一句』

 作者は、外出自粛中で自宅に居る。友人とはメールであれこれやり取りをして過ごしているものの、どうにもまどろっこしい。電話の方が手っ取り早い、とばかりに早速、友達の携帯にかけたのだろう。おしゃべりは始まってしまえば止まらないのは、世の常。初夏の気候は暑からず寒からずで長話には最適だ。話がループし始めても当人たちは無頓着で、とことんしゃべり尽くして、ああスッキリ。自粛生活のストレスを少しは解消できたのではないだろうか。
 ステイホームが長くなり、「誰かと会って話がしたい」、「他愛ないおしゃべりのありがたさを知った」などの声を聞く。今や世界中の人が概ね自宅に蟄居している。直接会うことが難しいので、オンラインでの会合も流行っているようだ。試しに筆者もオンライン飲み会に参加してみたが、分割された画面に写る仲間が元気そうだという情報が、コマ落としのような映像と、頼りない音声越しに確認できた。コロナでもなければあり得ない事態だ。双牛舎傘下の句会も、このところメール句会が続く。メールや電話による隔靴掻痒感は早く終わりにして欲しい、と切に思う。
(双 20.06.07.)

夜勤明けナース二年目初夏の風  旙山 芳之

夜勤明けナース二年目初夏の風  旙山 芳之

『合評会から』(日経俳句会)

てる夫 初夏の風に疲れを癒している若き看護師さんの姿が眩しく輝く。
冷峰 コロナウイルスで医師や看護師の命がけの仕事に敬意を表します。
木葉 本当に頭が下がります。中七まで一気に読むのがちょっと苦しいが。
昌魚 二年目のナースと初夏の響き合いがいいですね。
定利 二年目が旨い。
庄一郎 仕事にもなれて、ほっとして家路につくナースの姿が目に泛びます。
而云 初夏の風を浴びる姿に「頑張れ」と声を掛けたくなる。
百子 仕事をやり切ったという感じなのですね。夜勤明け。夢中で仕事に取り組む二年目の看護師さん。お疲れ様。
雀九 朝、日勤ナースに申し送りを済ませ、院外に出た時の初夏の風はまことにふさわしい。
          *       *       *
 作者の二番目のお嬢さんを詠んだものだという。勤務先のそばに一人暮らしで、今は忙しくて滅多に実家に帰って来ない。それで「元気な姿を時々夢に見ます。親バカです」と言うが、親バカの甘ったるさなど全く無い、爽やかで気持の良い句。句会では圧倒的多数の支持を得て最高点を獲得した。
(水 20.06.05.)