渡されし子に春の日の匂ふかな  今泉 而云

渡されし子に春の日の匂ふかな  今泉 而云

『合評会から』(番町喜楽会)

青水 豊かで幸せな家族の、春の日差しの中の一コマを切り取って、過不足ありません。孫句の一つでしょうが、季語の持つ豊かさが前面に出て、匂い立つ佳句になっています。
水馬 赤ん坊の気持ちのいい匂いがしてきそうな句ですね。季語が赤ん坊の柔らかな肌と体温の暖かさを表現していると思います。
可升 屋外で「ちょっと抱いてて」と渡された瞬間、「春の日」の匂いがしたように思えます。この瞬間の切り取り方が上手ですね。もちろん、子供が可愛いいから「匂ふ」のですね。
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一読し、思わず笑みがこぼれ「そうそう」とうなずかされる。赤ん坊かよちよち歩きを始めたばかりの幼児か、場面は公園か買物を終えて家に戻ったところか。託された子からふんわりと漂ってくる匂いを感じ取ったところに、春の麗かさばかりでなく、育ちゆくものへの優しい眼差しがひそんでいる。あたたかい家庭は大切だ。いかに小市民といわれようと、ガサツな政治問題などより、家庭を大切にしよう。
(光 20.03.13.)

ウイルスが巨船を止める春寒し  前島 幻水

ウイルスが巨船を止める春寒し  前島 幻水

『この一句』

 目に見えないどころか顕微鏡でも見えない極微小のウイルスが巨船を立往生させてしまった。俳句仲間の一人が横浜港に止め置かれた豪華客船ダイヤモンドプリンセス号に乗船していたことが明らかになって、一層身近な事件になった。とにかく後世、平成23年と言えば「東日本大震災」、令和2年と言えば「新型コロナウイルス」となることは間違い無い。
 ダイヤモンドプリンセスという豪華客船は11万6千トン、全長290メートル、全幅37.5メートル、水面上の高さ54メートル、客室1337室というのだから、まさに海に浮かぶ宮殿である。それを1ミリの10万分の1のコロナウイルスが止めてしまったのである。
 この句は「ウイルスが巨船を止める」と、事実関係だけをあっさりと述べている。それでいてこの大騒動の全てを言い果せている。新型ウイルスという、正体もよく分からない病原体。いつ終息するとも分からない。今年の春は温度計の目盛が高くなる日が多いのに、「春寒し」という季語を用いて背筋がぞくっとする気分を伝えている。
(水 20.03.12.)

マッチ擦る仕草の記憶春のカフェ 中沢 豆乳

マッチ擦る仕草の記憶春のカフェ 中沢 豆乳

『この一句』

 一読して「仕草の記憶」という中七にしびれた。若い頃は煙草を飲んでいたので、片手でマッチを擦る練習をしたり、マッチの火を煙草に移す俳優の仕草を真似たりした。掲句はカフェに来て、マッチで煙草を飲んでいた昔を回想し、その時の仕草を思い返している人物と読んだ。これに対し句会では「昔は喫茶店はあったが、カフェは酒を飲ませる所だった」とか、「フランス映画のワンシーンを詠んだのではないか」、「季語が動く」などいろんな解釈・意見が出た。
 経済成長で台所からマッチ箱が消え、さらに愛煙家に安いライターが普及して、マッチを擦る仕草は身の回りで見られなくなった。今の子供たちはマッチを渡されても、使い方が分からないという。マッチの仕草は、古い映画の喫煙シーンか老人の記憶にしか残っていないのかも知れない。
 作者によると、春先にカフェのテラス席で煙草を飲んだ時に、マッチを持っていた友人の仕草から学生時代を思い出したという。春は「さまざまなこと思い出す」季節でもある。記憶を呼び覚ますのは、麗らかな春のカフェが似合いそうだ。
(迷 20.03.11.)

かたまつてゐねばさみしき菫花  玉田春陽子

かたまつてゐねばさみしき菫花  玉田春陽子

『この一句』

 作者の名前を知って意外な気がした。かつて誰かが、作者を「小道具の春陽子」と名付けたことがある。季語と取合わせるのに、意外なモノを小道具として持ってきて読者をはっとさせる。その意匠の巧みさに何度も感心させられた経験がある。それに対して、この句は一物仕立ての句である。季語の「菫花」が唯一のモノであり、それ以外にモノは登場しない。また、取合わせの句が多くの場合、モノだけに語らせて感情表現を排除するのに対し、この句には「さみしき」と感情表現が入っている。いずれも、この作者に似つかわしくない表現のような気がした。
 「かたまつてゐねばさみし」とは、可憐で楚々とした菫の花を上手く表現したものである。小道具ではないが、この措辞を見つけてくる作者の着眼の良さに感心させられる。さらに、この句の裏には「人もまたそうじゃないか」という作者の心情が隠されているように思えた。そう思ってもう一度この句を口にしてみると、響きも良く、なかなか味わい深い句である。思わず「上手いなあ」と呟いてしまう。二物であれ、一物であれ、この人にはかなわない。
(可 20.03.10.)

マスク掛け囲碁長考の日永かな  澤井 二堂

マスク掛け囲碁長考の日永かな  澤井 二堂

『季のことば』

 厳しい冬が去って春になると、日が永くなったことに気付く。日照時間が最も長くなるのは夏至の頃なのだが、気分的に「日が永くなった」ことを実感するのは春である。というわけで「日永」は春の季語になった。
 一方、「マスク」はもちろん現代俳句になってから立てられた季語だが、これは冬である。ところが近ごろは花粉症防護のために春に使われることが多くなった。そして、令和二年の春はコロナウイルス流行によって、「春のマスク」が町の景色になった。しかし、俳句では依然として「マスクは冬の季語」である。ということからすると、この句は「日永」という春の季語と、「マスク」という冬の季語が同居した、「季節違いの季重なり」という悪い形になっている。
 しかし、世の中教科書通り運ぶものではない。春になってもマスクが必需品の今年、こう詠んで悪い事は何も無い。むしろ令和二年を思い出す句になる。
 上手は上手なり、下手は下手なりに長考は付き物。これはどうやらヘボ碁のようだが、実にのんびりした空気が漂い、「日永」の気分を遺憾なく伝えている。
(水 20.03.09.)

塗椀に蛤汁のうすにごり     星川 水兎

塗椀に蛤汁のうすにごり     星川 水兎

『合評会から』(番町喜楽会)

春陽子 「うすにごり」の措辞が素晴らしいと思います。万太郎の「うすあかりも」素晴らしいが、この「うすにごり」は蛤汁の旨さを感じさせます。
てる夫 神楽坂あたり、ちょっと小粋な料理屋でしょうか。器に気を遣い、肴にうるさい調理人。椀汁は蛤の旨味たっぷり、「冷酒をもういっぱい」といきたいところ。
幻水 美しい漆椀でしょうね。蛤のすまし汁の美味さが想像されます。
可升 家庭で作る蛤汁はにごっています。「塗り椀」の色艶と、「うすにごり」の乳白色を対比させた視覚に訴える句ですが、背後から香りも立ってきます。にごりの旨味が美味しそうです。
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 多分、朱色の漆塗りのお椀の中に大粒の蛤がいくつか、という光景。「うすにごり」というのは視覚による表現だが、蛤汁の味覚、美味しさを感じさせる的確な言葉でもあり、舌なめずりしたくなる。お椀には木の芽か菜の花か、緑色の菜も顔を出していて、きれいな小世界をつくっている。雛祭りでしょうか、それとも喜寿などのお祝い事でしょうか。「えっ、昨日の夕ご飯?」 なんと贅沢な…。
(光 20.03.08.)

雛祭ふたりで祝う家となり    須藤 光迷

雛祭ふたりで祝う家となり    須藤 光迷

『季のことば』

 雛祭は3月3日の桃の節句に、女児の健やかな成長を願って行われる行事。お雛様に桃の花を飾り、白酒や菱餅を供えてお祝いする。春の季語であり、歳時記には「桃の節供」や「内裏雛」、「雛あられ」など関連する季語が30以上並ぶ。
 主役は雛飾りと女の子。女の子が生まれると初節句のお祝いにお雛様を買う家は多い。小さな内裏雛セットから豪華な段飾りまで多種多様なものが売られている。代々伝わる雛道具を出して祝う旧家もある。句に詠まれた家では、娘さんが嫁ぐか就職して夫婦だけとなり、残された二人がお雛様を飾って祝っている。子供がいなくなった淋しさと、育て終えた安ど感がにじむ。
 芭蕉に「草の戸も住替る代ぞひなの家」という有名な句がある。初案の「住替る世や」を変えたと伝わる。時の流れ、世代交代を意識したものであろう。掲句も淋しさを詠んでいるだけではない。「ふたりで祝う家」とう言葉からは、子供の成長・独立を一家の世代交代ととらえ、二人だけの暮しをこれから大事にして行こうという思いも伝わってくる。
(迷 20.03.06.)

梅二本早や満開の老い始め    大平 睦子

梅二本早や満開の老い始め    大平 睦子

『季のことば』

 梅はもとより初春を代表する季語である。百花に先駆けて咲くから古歌では「花の兄」とか「春告草」とも歌われている。「探梅」という冬の季語もある。これは何とかして人より先に梅の咲くのを見つけようと、立春の前に梅林をほっつき歩く物好きの行動を言ったものである。
 この句の作者はゆったり落ち着いて、腰を据えて満開の梅を眺めている。「今年はいつになく咲くのが早いなあ、もう満開だわ」とつぶやいている。満開の梅は実に美しい。付近には花はおろか木の芽も出ていないから、ことさら目立つ。『二もとの梅に遅速を愛すかな』の蕪村句を思い浮かべながら、「この二本は競争するように同時に満開になっちゃった」「でも、満開となれば後は散るばかりよね」と、「老い始め」なる下五を付けた。
 そういう流れからすると、何となく淋しいうらぶれた感じの句になるはずなのだが、この句は全然そんな感じがしない。至極当然の成り行きを詠んで淡淡としているのだ。この辺りが常に泰然自若たる作者の真骨頂である。
(水 20.03.05.)

チョキチョキと園丁鋏日永かな  加藤 明生

チョキチョキと園丁鋏日永かな  加藤 明生

『合評会から』(日経俳句会)

てる夫 「チョキチョキ」が全てを説明している。実景がすぐ想像できる。
三代 暖かくなって庭仕事を始めたのだろう。「日永」と「チョキチョキ」がいい。
悌志郎 仕事をしているのはプロかアマか。それによって日永の感じ方が違うと思いますが、どちらだろうか。
而云 「園丁鋏」という言葉はあるのか。植木屋さんが使う植木鋏なのか。庭師の使っているのをいうならプロということになるが、多分造語だろう。
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 このところ暖かな日が続き、近所でも住民が庭仕事をしている姿が目につくようになった。日が永くなったので、遅くまで作業に没頭できる。鋏を使うリズミカルな音は春の訪れを囃しているようでもあり、まことに心地よい句だ。
 片手で使う小さい鋏は園芸鋏とか剪定鋏で、両手を使う柄の長いのは苅込鋏と呼ばれる。聞き慣れない「園丁鋏」は而云さんの言うとおり造語かもしれない。園丁は庭仕事を生業としている人のことなので、この句の主人公はプロかもしれない。悌志郎さんの評はその辺りの機微をついていて、想像力がふくらむ。
(双 20.03.04.)

鉄屑の匂ひ春めく町工場     廣田 可升

鉄屑の匂ひ春めく町工場     廣田 可升

『この一句』

 鉄屑は独特の匂いを発する。しかし、そんなことを知っている、というか、経験している人はそれほど多くはないだろう。赤錆びてしまった鉄クズにはさしたる匂いは無いが、○○鉄工所などと素っ気ない看板を掲げた町工場で、唸る旋盤や切削工具から生き物のように削り出される銀色に輝く鉄クズからは、奇妙な匂いが湧き立つ。青年の発する青臭さとでも言ったらいいだろうか。
 昭和三〇年代後半、社会部の航空担当記者になった。羽田空港拡張にからむ取材で、蒲田から羽田にかけて沢山ある町工場を取材して「鉄の匂い」を嗅いだ。その地域では年中、鉄屑や機械油の臭いが漂っていたのだが、この句を見て、そう言われれば春先にはことに匂っていたなあと思い出す。
 「何ぃ、羽田拡張? いいじゃん。それはいいけどよ、その前の道を何とかしてくれと、お偉いさんに言ってくれよ」。町工場のオッサンの言う工場前の道は未舗装の砂利道で轍がくぼんでガタガタだった。そんなオッサンたちの汗の結晶が高度経済成長をもたらした。今やその辺りはすっかり整えられ、ビルが建ち、鉄屑の匂いもしなくなっている。
(水 20.03.03.)