縛られし地蔵静かに冬日浴ぶ   岩田 千虎

縛られし地蔵静かに冬日浴ぶ   岩田 千虎

『この一句』

 小石川七福神吟行をした折に、茗荷谷の林泉寺で詠まれた句である。このお寺は七福神詣の「番外」の寺であるが、境内にある縛られ地蔵が有名だと聞かされて階段を上がってみた。見れば、そこそこの背丈の地蔵さまが、細い縄で幾重にも縛られている。お寺の説明によれば、盗難避けや厄除けの祈願をしたい人が縛り、年末には縄がほどかれ供養されることになっているようだ。縛られ地蔵の由来は、講談の「大岡政談」に出て来るのだが、残念ながら、これは隅田川に近い業平(現在は葛飾水元)の南蔵院の話として語られることが多い。おそらく、この寺にも同じような伝承があったのだろう。
 お地蔵さまは、涎掛けをされたり、帽子をかぶせられたり、化粧をされたり、塩漬けにされたり、こうして縄で縛られたり、今どきの言い方をすれば「いじられキャラ」の菩薩である。同じ菩薩でも、弥勒菩薩や、観音菩薩にこんなことをすれば、それこそ罰が当たりそうなのに、地蔵菩薩では許される。
 東京ではさほどでもないが、京都や大阪では町内ごとに「地蔵さん」が祀られ、とりわけ子供を護る仏として、庶民にとって馴染み深い存在である。そんな無碍の地蔵であればこそ、幾重にも縛られながらも「静かに冬日浴ぶ」泰然たる姿がとても相応しく思える。
(可 26.01.25.)

ネクタイを締めて五日の顔となる 中村 迷哲

ネクタイを締めて五日の顔となる 中村 迷哲

『この一句』

 今年の一月四日は日曜日だったので、五日が仕事始めの職場が多かった。「仕事始めの気分が上手に表現されている。ネクタイと五日の顔の組み合わせが秀逸(千虎)」。「この年になってもスーツを着てネクタイを締めるとピシッとした気持ちになります(枕流)」。「懐かしい。最近はネクタイのしめ方を忘れてしまった(定利)」。などなど、現役、OB、さらには男女を問わず16票もの支持を集め、新年早々の句会で堂々の天の位に輝いた。
 「五日」は新年の季語、と当ブログの1月5日付けで書いたばかりなので、重複する情報は省くが、最近出版された『角川大歳時記』よると「一月五日のこと。四日についで仕事始めの日とするところが多い。かつて宮中では叙位の日、木造始(こづくりはじ)めの日であったという。(岸本尚毅)」とある。作者もこの歳時記を読んだようで、「最初は四日で作ったけれど、歳時記で調べたら五日の仕事始めもあったので、今年はちょうど合うな、と」。
 たまたま今年は仕事始めが五日だったが、来年(四日が月曜日)であっても成立しそうだ。昨今は、ネクタイを締めなくても目くじら立てることもなくなったが、やはりネクタイを締めると、「さあ今日から仕事」というスイッチが入る。下五の「顔となる」も素直な着地で、好感が持てる。以前、作者は「黒靴を履かぬ月日や白き黴」と詠んで、現役を退いた句友の共感を呼んだ。サラリーマンのなにげない心情を五七五に掬うのが上手い。
(双 26.01.23.)

声明の一山揺らし冬木立     徳永 木葉

声明の一山揺らし冬木立     徳永 木葉

『合評会から』(酔吟会)

千虎 席題に「声」が出て四苦八苦しましたが、「声明」を持ってくるとは素晴らしい。「一山揺らし冬木立」も、厳しい寒さと堂内に響く声明がイメージされる、格好いい句です。
鷹洋 新年明けの坊主読経の大音声。木立の雪がどさっと落ちるほど。オーバーな表現がおもしろい。
迷哲 この句は採り損ないました。読んだ時に冬木立に引っ張られて、一山を普通の山と思ってしまった。寺を意味する一山だったのですね。席題句とは思えない完成度の高さです。
青水 席題の「声」で、この句が出てきたのに驚いた。出来過ぎだなあ。
          *       *       *
 これはいい句だなと感じ入った。「声」という席題に咄嗟に反応してこういう句を作るというのは並大抵ではない。作者は「声」という題に、即座に「声明」という言葉が浮かび、比叡山の大勢の僧侶の声明が冬木立の中に漏れ出している光景をイメージしたという。恐らくその時の印象がよほど強かったに違いない。
 声明は何を言ってるのかさっぱり分からない呪文みたいなものだが、厳寒の中じーんと沁み渡ってくるようで、なんとも言えない厳粛な気分に浸る。まさに「一山揺らし」という大袈裟な表現が不自然ではない感じである。
(水 26.01.21.)

ひいふうみい小松菜を引く母の声 向井 愉里

ひいふうみい小松菜を引く母の声 向井 愉里

『合評会から』(酔吟会)

水牛 これはしみじみとして、ほのぼのとして、実にいい句だなあと特選にしまし
た。高齢のお母さんが家族の人数分だけ採ろうと、数をかぞえながら小松菜を取っているんですね。一月六日の情景じゃないかなと思いました。亡くなった母親を思い出しました。庭先でね、翌日の七草粥に入れる小松菜を引いていました。やはりぶつぶつ何か言いながらやっていました。その姿がぼーっと浮かんできました。
迷哲 席題の「声」に対して、高齢の母さんがひいふうみいと小松菜を引く場面が良く出て来たなあと感心しました。普通の句として十分通用するいい句です。
愉里(作者) もともと小松菜をとる老母と詠んだ句を考えてきたのですが、席題を見て、「母の声」とする方が断然いいと思いました。実際には一二三ですが、だいたい一度に採る株数を決めて採るようです。
          *       *       *
 「声」の席題に身近な母親を詠んで心温まる句になった。選句評にあるようにいい情景です。裏庭でおそらく家族を思いながら小松菜を抜いている。昔の母親の優しさが滲み出ていて懐かしさを覚える。
 「ひいふうみい」と小声が聞こえてくる場面が映像的に伝わってきた。山口百恵の歌う「秋桜」の雰囲気が漂うようだ。庭先で古いアルバムを開きながら、何度も同じ話を繰り返すあの母親の姿を彷彿とさせる。作者が得意とする家庭俳句のひとつである。
(葉 26.01.19.)

硯海を一気に干して吉書かな  玉田 春陽子

硯海を一気に干して吉書かな  玉田 春陽子

『季のことば』

 吉書(きっしょ)とは書初の傍題で新年の季語である。歳時記には筆始、試筆なども載っている。初硯という同類の季語もある。書初は「年が明けて初めて筆を執り、字や絵を描くこと。多くは一月二日に目出度い言葉を選んで書く」(角川俳句歳時記)。古くは宮中行事だったが、室町時代に吉書始として幕府の正月行事となり、江戸時代以降に庶民にも広がったとされる。
 掲句は書初の様子を格調高く詠み上げ、酔吟会の初句会で別の句と並んで最高点を得た。硯海とは擦り下ろした墨をためる硯のくぼみを海に見立てた言葉。「一気に干して」の措辞から、大筆にたっぷりと墨を含ませ、一気呵成に筆を走らせる様子が浮かんでくる。硯海とか吉書とか、普段目にしない言葉が逆に新鮮で、正月の改まった雰囲気が伝わってくる。
 吉書には昔は「長生殿裏春秋富不老門前日月遅」という漢詩がよく用いられたらしいが、
学校の書初などでは「初日の出」や「前途洋々」など四字熟語が多い。句会での作者の弁によれば、能筆の友人からの年賀状に書かれた一字から句想を得たという。作者が実際に吉書したら、どんな言葉が躍ったのであろうか。「悠々自適」か「句作一生」か、あるいは「塞翁之馬」か、そんなことを考えてみた。
(迷 26.01.17.)

ごみが無い大声で啼く初鴉  大澤 水牛

ごみが無い大声で啼く初鴉  大澤 水牛

『合評会から』(酔吟会)

双歩 都心の鴉は二十年前の七分の一に減ったとか。鴉対策に加え、コロナで繁華街の生ごみが減ったことも影響していると。この句は、正月で空っぽのごみ置き場を嘆いている鴉をユーモアたっぷりに詠んでいて、真っ先に採りました。
三薬 確かに正月にはごみが出ない。「腹減った、何とかしろ」と鴉が騒ぐのは無理からぬところ。初鴉という季語に目をつけたのは流石、とこれを天にした。
鷹洋 鴉の慌てようが目に浮かびます。近頃は年末に大規模ごみ収集があり鴉としては心外。怒りの大声を捉えた作者の着眼に唸りました。 
水牛(作者) 三日の朝、バルコニーで深呼吸していたら、近くの電信柱に止まっていた顔馴染みの鴉、カア太郎がものすごい大声でわめいた。「腹減った、何とかしろ」と言ってるように。それでこの句が生まれ、この句の眼目の「声」を席題にしたら、それが見事に嵌って最高点を獲得しちゃった。鴉のおかげです。
          *       *       *
 季語にうるさい人は「初鴉は元日の鴉」と言うかもしれないが、三日でも目くじらを立てる話ではないだろう(句に三日と書かれているわけでもなし)。俳句は季感を大切にするもので、動物でも植物でも初を尊ぶのは分かる。それにしても新年の季語に初の多いのには恐れ入る。「初茜」から「初笑い」まで、一体いくつあるのか。昨年、熊が食糧難で里へ…と大問題になったが、鴉も餌を求めて獰猛に、ということは勘弁してほしい。
(光 26.01.15.)

猫の耳ピンと立ちたり漱石忌   中野 枕流

猫の耳ピンと立ちたり漱石忌   中野 枕流

『この一句』

 夏目漱石の忌日は12月9日。1916年(大正5年)、神経衰弱や胃潰瘍の持病を抱えていた漱石は、50歳を目前にして新宿区早稲田の自宅で亡くなった。
 忌日を詠むには、生前のその人ゆかりの物事や人物を彷彿させる事柄を織り込むことが多い。漱石忌の例句をみると、教師、英語、ロンドン、書、病、甘党、新聞、髭、早稲田や本郷、そして猫だ。掲句は、高浜虚子の『ホトトギス』に連載され、一躍人気を博した『吾輩は猫である』へのオマージュ。何と言っても「猫の耳ピンと立ちたり」を配したところが秀逸だ。「漱石の猫はいつも聞き耳を立て周りをシニカルに観察している。そんな感じと漱石忌がぴったり」(豆乳)。「忌日を詠むのは難しけど、この句は季語に響き合っている。忌日の句はこういう風に作ればいいのかと勉強になりました」(水兎)など、年末句会で大好評だった。
 水兎さんの言うとおり、忌日を詠むのは難しい。一つには季感が乏しいことが挙げられる。かなり季語に精通していても、著名人の忌日をスラスラ言える人は少ないだろう。誰それ忌と詠まれても、日付を知らない読者は調べた上で鑑賞することになる。それにしても、冬の忌日には名だたる人物が多い。寒さが障るのだろうか。俳人だけでも芭蕉、蕪村、一茶、波郷、青邨、青畝、信子、石鼎、窓秋、鬼房、乙字、久女、草城、碧梧桐など枚挙に遑がない。
 ところで漱石の号の由来は、ご存知のように「漱石枕流」(枕石漱流と言うべきを間違ったのに、強弁して誤りを認めなかった、という中国の故事)から採った。この句の作者の俳号「枕流」は四字熟語の残り半分を頂戴したもの。漱石忌にことのほか思い入れがあるのも頷ける。
(双 26.01.13.)

凩が磨いて行くよ星の夜    溝口 戸無広

凩が磨いて行くよ星の夜    溝口 戸無広

『合評会から』(日経俳句会)

可升 磨いて行くよという言葉に惹きつけられました。凩が吹くことで、夜空の星が輝きを増す。それを磨いて行くよと詠んだのには最初は戸惑いましたが、とてもユニークでいい表現だと思えてきました。行くよの「よ」は、ちょっと少年少女向きのような感じもしましたが、口語表現がとても効果的だと考え直して頂きました。
青水 凩の吹きすさぶ寒々とした夜空を、その透明度に焦点を当てて表現している。磨いて行くよという措辞が決め手ですね。冬の快晴の星空がくっきりと見えてきました。
双歩 俳句らしい俳句です。磨いて行くよという擬人法はともすれば独りよがりになりがちですが、この句はなるほどという感じがして、なかなか良い措辞を見つけたなと思いました。
鷹洋 巧みな句です。星のきらめきを凩が磨くと表現する。星の夜で広がりを持たせた。見習いたい。
静舟 澄み切った風の強い冬の夜空、冷え冷えとして星もキラキラと瞬く。
阿猿 凩が磨くという擬人法が効いています。硬く冷たく美しい夜の光。
          *       *       *
 冬の星空は研ぎ澄まされた感じ。これは凩が磨いていくからだと。そういうふうに詠む感覚、センスが素晴らしい。2025年暮の日経俳句会合同句会で最高点を得た。
(26.01.11. 水)

忘れるって時には大事牡蠣フライ 杉山 三薬

忘れるって時には大事牡蠣フライ 杉山 三薬

『この一句』

 選句表にこの句を見つけた時、面白くてインパクトの強い句だなと、一番最初に丸をつけた。が、「ところで、なぜ牡蠣フライなのか」と疑問が湧いてきた。「海老フライ」では季語にならない。「鯵フライ」では季節が違ってしまう。消去法で「牡蠣フライ」かと思ったものの、あれこれ考えてもいっこうに答えが見出せない。考えあぐねているうちに、本物の牡蠣フライのように、一句の中から美味しい汁が滲み出してきて、直感を信じてこの句を採るべしと思うに至った。
 作者の名前を聞いて、「この人ならではの豪快な句だな」と納得した。作者によれば、「牡蠣フライ」はただとってきてつけただけとおっしゃる。とかく一句の中の季語の役割を、意味の連関から考えこむことが多いが、取合せの句の場合、かけ離れた季語をぶつけた方が勢いがつく典型のような句である。こういう句は、理屈ではなく、感覚で捉えるのが正しいのだろう。
句会のあとの懇親会で、作者に「最初にいいと思ったら、なんでスパッと採ってくれないの」と問われた。その場ではうまく応えられなかったが、「頭が固いのです」とでも応えるしかない。あれこれ考えさせられた一句である。
(可 26.01.09.)

駄々っ子や勝つまで続くカルタ会  篠田 朗

駄々っ子や勝つまで続くカルタ会  篠田 朗

『合評会から』(日経俳句会)

実千代 今あんまりカルタ会をやらないようですが、お正月の雰囲気が伝わりますね。
てる夫 やんちゃな坊主が一人でかき回すなんて。よくある景色です。
迷哲 カルタ会というと百人一首を広げた雰囲気。カルタ取りのほうが良かった。
          *       *       *
 かつて日本全国の多くの家庭にあったのが小倉百人一首。飛鳥から鎌倉までの歌人百人の一首ずつを藤原定家が選んで時代順に並べたもの。日本の伝統文化として、また学校の古典教材として流布した。我が家にもきらびやかな絵札とひらがなの読札のセットがあり、正月になると座敷を開け放って、隣近所の子らも集まり楽しんだ。
 「春すぎて夏来にけらし白たえのころもほすてふあまの香具山」(持統天皇) 
 「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂)
 「ちはやふる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは」(在原業平)などなど。
 他方、東京などでよく知られている郷土カルタの一つに「上毛カルタ」というのもある。
 「あ 浅間のいたずら 鬼の押し出し」
 「い 伊香保温泉 日本の名湯」
 「つ つる舞う形の群馬県」 全四十四枚からなる群馬県のカルタである。
 この句に登場する駄々っ子が懸命に取り組んでいるのは、どちらかというと、この上毛カルタのような雰囲気がある。令和の今日、なんだか遠い風景に見えてくる。
(26.01.07.青)