独身が気楽といふ子土用凪    廣田 可升

独身が気楽といふ子土用凪    廣田 可升

『合評会から』(日経俳句会)

水牛 土用は暑くてうんざりですが、そんな中、独身が気楽って。きっとステテコ一丁で引っくり返ってる景色でしょう。土用凪という季語が出色です。
青水 ボクらの若い頃は結婚して初めて一人前。ところが令和の今、平成生まれの人たちは、男女とも結婚するもしないも自由。そんな時代風景を季語にぶつけて詠んでいるのがいい。
阿猿 親が「まぁでもねぇ」とか何か言おうとしても、暑過ぎて後が続かない感じが面白い。
双歩 独身が気楽っていう子に土用凪を持って来たのは、暑苦しいということですかね?
迷哲 私には独身の気楽さと土用凪の組み合わせがしっくり来ず、季が動くのではないかとも。
          *       *       *   
 いまの時代、掃除も洗濯もほぼ自動化、調理家電や冷凍食品の進化で料理も造作なくできる。コンビニという便利な存在もある。という次第で、独り暮らしがしやすくなったことは事実だろう。その一方、「失った三十年」によって就職に苦労し、所得増加はままならず、持家は夢のまた夢。「子育てなんてとてもとても」が現実なのだ。敢えて言えば「老人天国、若者地獄」である。
 話変わって「季が動く」かどうか。自分は「大半の俳句の季語は入れ替え可能」とみている。この場合、季節を冬に移せば「独身が気楽という子黄粉餅」。「黄粉餅」を「ごまめ噛む」にすれば、子を見ている親の姿になるかも。
(光 26.08.19.)

江戸はるか配流の島の花蘇鉄   中村 迷哲

江戸はるか配流の島の花蘇鉄   中村 迷哲

『この一句』

 「島」にはドラマがある。それぞれの島にはそれぞれの歴史と文化がある。住んでいる人の人生があり、訪れた旅人の視点もあるだろう。島々にまつわる物語に想いを馳せると、この言葉には多くの情報が凝縮されていることに気付かされる。
 掲句は、7月酔吟会の席題「島」の高点句だ。作者は、席題の出題者。江戸から遠い流刑地といえば八丈島だろう。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が八丈島に島流しされて以降、明治になるまでに1800人以上が配流されたという。
 「蘇鉄の花」は、夏の季語。6月下旬から7月にかけ花を咲かせる。かつて、八丈島に流罪となった僧侶・慈運は身の潔白を訴え、自死した。やがて慈運の墓に植えた二株の蘇鉄に花が咲くと、不思議と赦免状が届いたという。この故事により「ご赦免花(ごしゃめんばな)」との別名があり、花蘇鉄とともに傍題となっている。
 作者はもう一句「夏草や朽ちし戦車の残る島」を発表、こちらも好評を博した。太平洋戦争末期の激戦地、ペリリュー島(現パラオ共和国)を意識した句。日本兵10,000人の内、生き残ったのはわずか34人という惨劇の舞台だ。生い茂る夏草が芭蕉の名句を想起させる。
(双 26.08.16.)

ようもんた父の声する夏の家   岩田 千虎

ようもんた父の声する夏の家   岩田 千虎

『この一句』

 この句は「ようもんた」の意味がわからないと、なんのことやらさっぱりわからない句である。句会では、「もんた」という名前の子に声をかけているのかと思った、という参加者もいた。「ようもんた」は「よく帰って来たなあ」という伊予弁。作者の岩田さんは愛媛のご出身で、自句自解に『夏休みに息子をつれて愛媛の実家に帰省すると、父は孫たちに「ようもんた、ようもんた」と嬉しそうに言っていました』とある。
 口語方言の「ようもんた」を句の冒頭に持ってきたことで、この句は読み手にほのぼのとした懐かしさやユーモアを感じさせる句になったといえる。また、故郷の家を「夏の家」とさらりと詠んで、「帰郷」を連想させるテクニックも心憎いばかりである。
 口語方言を冒頭に置いた俳句がほかにもないかと探してみた。伊予出身の正岡子規の「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」の「毎年よ」は方言ではないかもしれないが、「母の口癖がそのまま句になった」という趣旨の前書があり、それに近いと言えそうだ。同じく伊予出身の坪内捻典さんには「好きやねん天神祭鱧の皮」の句がある。「好きやねん」は大阪弁だが、間違いなく口語の方言である。子規・捻典・千虎・・・・・・伊予の俳句に通底する何かがあるのかもしれない。
(可 26.08.13.)

蝋涙の太きひとすぢ原爆忌    嵐田 双歩

蝋涙の太きひとすぢ原爆忌    嵐田 双歩

『この一句』

 まず蝋涙という滅多に見ない古めかしい言葉が目に留まった。大きな国語辞典でないと載っていないが、燃える蝋燭から溶けて流れる蝋を涙に例えた表現である。谷崎潤一郎や原田康子の小説に登場するぐらいで、日常的にはまずお目にかからない。
掲句は、蝋の涙が一筋流れていると詠むだけだが、原爆によって命と日常を一瞬に奪われた数十万の被爆者の無念、怒り、悲しみといった諸々の感情が伝わってくる。「太きひとすぢ」の涙は、被爆者と市民が流した涙の量と熱さを象徴しているようだ。さらに蝋燭から追悼ミサの行なわれる教会をイメージし、平和を祈る人々の姿を思い浮かべる人もいるのではないか。
広島、長崎への原爆投下から今年で81年。被爆者も語り部も減り続け、被爆体験の風化が叫ばれて久しい。核廃絶への取り組みは、弱肉強食の論理が幅を利かせる今の世に推進力を失っている。さらには大国の指導者が核使用の可能性に言及し、中東では核開発のドミノが懸念されている。ヒロシマ、ナガサキの悲劇から、何も学ばない人類の愚かさにため息が出る思いである。
 8月が巡ってくる度に原爆の惨禍と平和の尊さを詠み継ぐことは、俳人にとって忘れてはならないテーマといえる。作者は原爆忌と蝋涙の取合せが「付き過ぎでしたかね」と句会で述べていたが、くどいぐらい繰り返し詠み続けることしか、我々に出来ることはないのである。
(迷 26.08.10.)

土用照り重箱平らげ笑みし母   流合 水澄

土用照り重箱平らげ笑みし母   流合 水澄

『この一句』

 この句について句会合評会には「高齢のお母さんへの親孝行。家族愛が微笑ましい」(卓也)という評が寄せられた。確かにその通りに違いない。高齢の母親のために好物の蒲焼を取り寄せて、「お母さん、土用の丑の日だよ」と喜ばせた情景をうたったものと解したのだ。そう解釈してもいい、ほのぼのとした感じの句である。
 私もこの句を取った。しかし、この「笑みし母」は句を詠んだ時点では既にこの世にはいない母なのではないかと思った。というのも、私自身全く同じ情景に身を置いていたことを思い出したからである。深川っ子で負けん気の強い母はぐずぐずねちねちしているのが大嫌いで、少々乱暴だが歯切れのいい江戸弁だった。蒲焼が何よりの好物だった。九十九歳で大往生したのだが、毎年七月の誕生日の祝膳は蒲焼と決まっていた。
 この句は「鰻」とも「蒲焼」とも言っていないが、「土用」と来て「重箱」とあればもう言うまでもないだろう。わざわざ「蒲焼平らげ」などと言わないところがいい。高齢者は真夏になればどうしても食欲が減退する。見守る家族はあれこれ工夫して少しでも食べさせようと苦心する。この句の作者もそうなのだろう。病床にあって食欲不振の母親に鰻重を取り寄せたら、なんと平らげてニッコリ笑った。以後、毎年土用が巡って来るたびにあの笑顔が浮かぶ。
(水.26.08.07.)

土用照り鰻が滝をよじ登る    杉山 三薬

土用照り鰻が滝をよじ登る    杉山 三薬

『季のことば』

 「土用」は四季ごとに年に四回あるのは暦の約束事。今年令和8年は立秋8月7日の12日前7月26日(日)が土用丑の日である。秋の兆しを感じ始めるのが本来の夏の土用入りだが、これから酷暑本番という昨今ではとてもそんな気にはなれない。
 夏バテに鰻食いを勧め、鰻屋のPRをしたのは江戸の奇才平賀源内。その後土用の鰻食いが習いとなったのは言うまでもない。季題に「土用」とくれば鰻と、俳句脳が条件反射するのも当然、掲句の作者も鰻を詠んだ。どっこい一風変わった句を得意とする作者は、鰻食いではなく滝登りをするという意外な景をもってきた。鯉の滝登りなら成功への登竜門の故事があり想像の範囲内である。だが鰻も滝を越えるようだ。鹿児島県の高さ46㍍の龍門滝を登った鰻が上流で生息していると報告する研究者グループがいる。小型の鰻は苔で湿った岩壁に張り付き体をくねらせ、おそらく長い時間を掛けて登るのだろう。作者は若い頃からナチュラリストの面もあるから、小さな滝を登る実景を詠んだと思えなくもない。
 「よじ登る」に臨場感がある。鰻は水のあるところ、どこにでも生息していそうだ。小魚や小エビを求め、障害物を次々乗り越えて旅する鰻を容易に想像できる。あたかも土用照りのさなか、生き物の生への執念がうかがえるとともに、懸命に物価高をしのごうとする我々庶民の姿まで見えてきて俳味のある句と思う。
(葉 26.08.04.)

籐椅子は昭和よりなおそこにあり 坂部富士子

籐椅子は昭和よりなおそこにあり 坂部富士子

『季のことば』

 「籐椅子」は、籐(ラタン)の茎や皮を編んで作った家具。籐は、東南アジアなどのジャングルに自生するヤシ科の蔓性植物で、しなやかで丈夫、しかも湿気に強い。編み上がった椅子は軽くて頑丈。見た目も涼しげで、ひんやりとした感触がいかにも夏向けだ。かつてはどの家庭にも籐の家具が一つや二つあって、日々の暮らしに溶け込んでいた。
 作者の実家にも、古い籐椅子がいつも同じ場所にあるという。「もう五十年以上も定位置から動いていません。先日、久々に実家に戻ったので、この季語で一句と思って」作句したという。珍しい季語を詠もうとした意欲と、事実だけを淡々と述べた表現とで、印象的な一句となった。
 夏井いつき氏は、「籐椅子」の句について、『季語の本意である「涼感」を描こうとしたものと、季感というよりは「籐椅子」に座った時の実感(あるいは「籐椅子」の在る場において発生する実感)を詠んだものと、大きく二つに分かれる』(「俳句ポスト365」より)という。
 掲句は後者。半世紀に及ぶ家族の歴史を、この籐椅子は静かに見守ってきたことだろう。椅子に向けカメラを据え定点観測し、日々の画像を駒落としで見たような凝縮され濃密な時間が立ち上がる。「昭和よりなおそこにありの言い回しが絶妙で、相当なベテランが詠んだ句に違いない」との三薬さんの感想に、「ベテランではなく入門したばかりです」と謙遜するが、持ち前の豊かな詩情の片鱗を見せた。
(双 26.08.01.)

土用にはバジルサンドにミントティー 池村実千代

土用にはバジルサンドにミントティー 池村実千代

『合評会から』(日経俳句会)

青水 土用という古めかしい季語に、カタカナのお洒落な食べ物と飲み物をそろえ、ぶつけた。それが新鮮で成功している。
三薬 土用と言えば鰻という条件反射をしなかった。それが一つ。さらに鰻がちょっと重くなっている我々には、この取り合わせが合っている。
戸無広 土用は少し重いイメージですが、バジルサンドやミントティーを合わせたので爽やかに感じました。句に二つのカタカナ言葉がありますが、これはこれで良いかなと…。
迷哲 土用との新鮮な組み合わせが良いですね。
水牛 バジルもミントも印象が強いもので、バジルサンドにミントティーはやりすぎ。土用と言えば鰻という陳腐さを嫌ったんだろうが、ちょっとなぁ・・。
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 猛暑・炎暑・酷暑の令和八年の土用に、涼風を吹き込んだ佳句である。土用に鰻ではなくバジルサンドとミントティーを持ってきた機知に拍手したい。袖にされた源内さんは苦笑いしているかソッポを向いているかも知れないが…。
 「鰻は(胃に)重い」という述懐、「(受け狙いの)あざとさ」という評言のいずれにも肯ける。ただ、蛙に山吹でなく古池を合わせた芭蕉のようにとまでは言わないが、土用に食生活の多様化ぶりをぶつけ、時代を活写した試みは多とされてよいだろう。
(光 27.07.28.)

白南風や赤銅色が綱を曳く    金田 青水

白南風や赤銅色が綱を曳く    金田 青水

『合評会から』(酔吟会)

千虎 海の男が赤銅色の肌を見せて綱を引いている。「赤銅色」と言い切った力強さがいい。船を引き上げる太いロープを引いている光景もあり得ると思いました。
三薬 「赤銅色が」が効いているので、迷いは捨てて頂きました。
双歩 「赤銅色が」の中七が全てで、力強いフレーズだ。網より綱が似合いそう。
可升 「網」の方が、光景が鮮明な気がしましたが、「綱」でも港や浜で働く姿が想起され遜色ない。赤銅色のではなく赤銅色がと詠んだのがお手柄だと思いました。
水牛 俳句ではあまり「が」は使わないのだけど、この句の「が」は力強くて効いていますね。
光迷 一昔前ならともかく、いまとなれば「赤銅色」に違和感があるなあ。懐古趣味じゃないかな。
          *       *       *
 有名絵画を見るような一句である。青木繁の『海の幸』には、獲物の鮫を裸で担ぐ男たちの行列が、和田三造の『南風』では船上に雄々しく立つ筋骨隆々たる男が描かれている。いずれも赤銅色の肌をしてダイナミックな印象だ。この句は和田画の光景につながる。南風は白南風であり共通性がみえる。作者は 兼題の「白南風」に昔の九十九里の地引網を思い浮かべたそうだが、網を綱に変えてみた。網でも綱でも大きな破綻はなく、白南風と相まって梅雨明けの爽快さを感じる。
(葉 26.07.25.)

脳検査待つ妻無言梅雨長し    大澤 水牛

脳検査待つ妻無言梅雨長し    大澤 水牛

『この一句』

 脳検査という滅多に受けない検査を受ける妻の不安な気持ちを、梅雨長しという季語と取合せ、一幕のドラマを見る思いのする句である。7月の酔吟会で出席者の大半が採り、10点という滅多にない高点を集めた。
 脳ドックではなく脳検査という言葉を使っているので、緊急に脳の状態を調べる必要があり、MRIとかMRA検査を受けるために病院の廊下で待っているのであろう。日頃はおしゃべりな妻が無言であるという点に、事態の切迫性や不安感が強くにじんでいる。
 特殊な機械で脳を調べましょうと言われると、重大な病気が潜んでいるのではないかと誰でも不安になる。梅雨長しという季語の持つ、暗く鬱陶しい気分がそれを増幅する。廊下の椅子に座って検査を待つ無言の妻。付き添いの夫も押し黙っている。そんな病院での一場面が浮かんでくる。誰もが体験したことのある事柄と、誰もが実感している季語を組合わせたことで、多くの共感を得たのであろう。
 句会では検査を受けたのが夫とも読めるとの指摘があった。確かに夫を気遣う妻でも成立するが、いつもは饒舌な妻が無言であるのは、自らの事ゆえと考えた方が無理がない。さらにはその妻を見守る夫の優しい視線も感じられ、奥行きの深い句といえる。
 作者の弁によれば、奥様にめまいなどの症状が続いたためMRI検査を受けたところ、幸い異常はなかったとのこと。「異常があったら句は作っても句会に出してないでしょう」という双歩氏のコメントで、一同良かった、良かったと胸をなでおろした。
(迷 26.07.22.)