五分づきに混じる黄みどり今年米 星川 水兎
五分づきに混じる黄みどり今年米 星川 水兎
『季のことば』
新米が美味い。今年も知る辺からコシヒカリ30キロ袋が届いた。大学の研究農場で収穫されたホヤホヤの今年米である。さっそく近くのコイン精米所に行って精白した。塩にぎりにして頂いたが、やはり新米の味は格別である。掲句のような「五分づき」ではなく普通搗きだったから、真っ白な米の中に黄緑の粒は見当たらない。黄緑の米粒は「青米」といって、完熟前の葉緑素が残った米粒だそうだ。これが適度に含まれるのが望ましい時機に収穫された証拠という。玄米や三分、五分搗きではこの青米が残ることがある。黴の付いた米ではないかと心配して、農協などに問い合わせる向きがあるそうだが、まったく問題はない。
作者は新米を覗き込んでこの青米を見つけたのだろう。白一色の中の黄緑の一粒。「これはなに?」と思ったか、上記のことを知っていたのか、それはさておき優れて色彩感に富んだ句だと思う。また、忙しい日常生活のなか青米を見つけ、目の前をあっさりと描写して詠んだ。世間の米好きに負けず劣らず新米が大好物の筆者には見逃せない一句であった。新米の新鮮さと美味さが、「黄みどりの粒」で十分に伝わる。相変わらず米の消費が落ち込んでいるが、「新米」「今年米」のことばは、この時季日本人の心にさざ波を立てる。
(葉 23.11.09.)
『季のことば』
新米が美味い。今年も知る辺からコシヒカリ30キロ袋が届いた。大学の研究農場で収穫されたホヤホヤの今年米である。さっそく近くのコイン精米所に行って精白した。塩にぎりにして頂いたが、やはり新米の味は格別である。掲句のような「五分づき」ではなく普通搗きだったから、真っ白な米の中に黄緑の粒は見当たらない。黄緑の米粒は「青米」といって、完熟前の葉緑素が残った米粒だそうだ。これが適度に含まれるのが望ましい時機に収穫された証拠という。玄米や三分、五分搗きではこの青米が残ることがある。黴の付いた米ではないかと心配して、農協などに問い合わせる向きがあるそうだが、まったく問題はない。
作者は新米を覗き込んでこの青米を見つけたのだろう。白一色の中の黄緑の一粒。「これはなに?」と思ったか、上記のことを知っていたのか、それはさておき優れて色彩感に富んだ句だと思う。また、忙しい日常生活のなか青米を見つけ、目の前をあっさりと描写して詠んだ。世間の米好きに負けず劣らず新米が大好物の筆者には見逃せない一句であった。新米の新鮮さと美味さが、「黄みどりの粒」で十分に伝わる。相変わらず米の消費が落ち込んでいるが、「新米」「今年米」のことばは、この時季日本人の心にさざ波を立てる。
(葉 23.11.09.)
天高し少年少女鼓笛隊 加藤 明生
天高し少年少女鼓笛隊 加藤 明生
『合評会から』(日経俳句会)
雀九 簡単な俳句だなあ、と思いました(笑)。
朗 運動会シーズンたけなわ。自分はその他大勢の縦笛だったのを思い出しました。
双歩 青空が似合うような下から煽って見た光景で、清々しく天高しによく合っている。
守 秋晴れのもと爽やかさを感じる良い句です。
百子 少年少女の少し緊張した、そして誇らしいような表情が浮かびます。天高しの季語にぴったりです。
水牛 雀九さんがおっしゃるように本当にすごく単純安直な句だね。「天高し」ときて「少年少女鼓笛隊」っていうんだから・・。でも実に面白く、気分のいい句だ。
* * *
確かに秋晴れの空の下に少年少女鼓笛隊を置いただけの、実にシンプルな句だ。余計な事を言わず、ストレート勝負。それが却って清清しさを醸し出している。
職業柄こういうシーンを写真に収めようとすると、まずはローアングルを選ぶ。広角レンズで地面すれすれにカメラを構え、子供たちの溌剌とした表情を、真っ青な秋空に浮び上がらせる。そんなベストショットをイメージしながらシャターを押していた現役時代を思い出した。
(双 23.11.07.)
『合評会から』(日経俳句会)
雀九 簡単な俳句だなあ、と思いました(笑)。
朗 運動会シーズンたけなわ。自分はその他大勢の縦笛だったのを思い出しました。
双歩 青空が似合うような下から煽って見た光景で、清々しく天高しによく合っている。
守 秋晴れのもと爽やかさを感じる良い句です。
百子 少年少女の少し緊張した、そして誇らしいような表情が浮かびます。天高しの季語にぴったりです。
水牛 雀九さんがおっしゃるように本当にすごく単純安直な句だね。「天高し」ときて「少年少女鼓笛隊」っていうんだから・・。でも実に面白く、気分のいい句だ。
* * *
確かに秋晴れの空の下に少年少女鼓笛隊を置いただけの、実にシンプルな句だ。余計な事を言わず、ストレート勝負。それが却って清清しさを醸し出している。
職業柄こういうシーンを写真に収めようとすると、まずはローアングルを選ぶ。広角レンズで地面すれすれにカメラを構え、子供たちの溌剌とした表情を、真っ青な秋空に浮び上がらせる。そんなベストショットをイメージしながらシャターを押していた現役時代を思い出した。
(双 23.11.07.)
跳ね回れやんちゃうれしや障子貼り 工藤静舟
跳ね回れやんちゃうれしや障子貼り 工藤静舟
『合評会から』(日経俳句会)
愉里 破れた障子を新しくしているのでしょう。「どんどん破いてもいいからね」と言いながら、新しくして、また思い切り破いてもらおう、というような気持で障子貼りをしている。ほのぼのとした光景が浮かびました。
芳之 跳ね回れとは勢いがあり過ぎで、やんちゃな句です。
定利 お孫さんとお婆ちゃんの姿が浮かぶ。楽しい障子の句。
鷹洋 子供の頃を回想しているのでしょう。障子貼りに大わらわの両親に怒鳴られてもまた騒ぐ、確かにやんちゃですね。作者も面白がっているやんちゃなのかも。
* * *
都会地ではほとんど見られなくなってしまった情景である。今出来の小住宅には日本間が無くなり、「障子」というものが姿を消してしまった。地方都市の昔ながらの、無駄が多いが、それだけにゆったりとした感じの家の11月の景色であろう。
障子の貼替えはまず古い障子紙を剥がすことから始まる。この日ばかりは破り放題で子どもたちはキャッキャと笑いながら拳や指を突っ込んだり、引っ剥がしては大はしゃぎ。障子は六畳か八畳間なら少なくとも6枚、十二畳の広間なら10枚から14枚くらいある。お婆チャンとお母さんは大忙し。これを皮切りに歳末へと追われるような日々が始まる。
(水 23.11.05.)
『合評会から』(日経俳句会)
愉里 破れた障子を新しくしているのでしょう。「どんどん破いてもいいからね」と言いながら、新しくして、また思い切り破いてもらおう、というような気持で障子貼りをしている。ほのぼのとした光景が浮かびました。
芳之 跳ね回れとは勢いがあり過ぎで、やんちゃな句です。
定利 お孫さんとお婆ちゃんの姿が浮かぶ。楽しい障子の句。
鷹洋 子供の頃を回想しているのでしょう。障子貼りに大わらわの両親に怒鳴られてもまた騒ぐ、確かにやんちゃですね。作者も面白がっているやんちゃなのかも。
* * *
都会地ではほとんど見られなくなってしまった情景である。今出来の小住宅には日本間が無くなり、「障子」というものが姿を消してしまった。地方都市の昔ながらの、無駄が多いが、それだけにゆったりとした感じの家の11月の景色であろう。
障子の貼替えはまず古い障子紙を剥がすことから始まる。この日ばかりは破り放題で子どもたちはキャッキャと笑いながら拳や指を突っ込んだり、引っ剥がしては大はしゃぎ。障子は六畳か八畳間なら少なくとも6枚、十二畳の広間なら10枚から14枚くらいある。お婆チャンとお母さんは大忙し。これを皮切りに歳末へと追われるような日々が始まる。
(水 23.11.05.)
握りしめ温きどんぐり子の土産 谷川 水馬
握りしめ温きどんぐり子の土産 谷川 水馬
『合評会から』(番町喜楽会)
てる夫 団栗という難しい兼題を前に捻り出した句でしょうか。「握りしめ」の表現が子供らしくていいですね。
二堂 きっと母親に団栗を見せて得意がっているのでしょう。
水兎 見ると拾いたくなるのが団栗。拾うと誰かにあげたくなるのが団栗です。
幻水 子供が拾って大事に持ち帰った団栗によって、家族のぬくもりが伝わってきます。
* * *
この日の句会の兼題「団栗」で詠まれた句の、半分近くが子供にまつわる句であった。ポケット一杯になった団栗を詠んだ句や、ままごと遊びに使われる団栗を詠んだ句など、常套的な句が多く並んだ。そんな中にあって、掲句は、手渡された団栗の温みが読む者にまで伝わってくる、ユニークで生き生きとした句になっている。ただ、その一方で、「握りしめ温きどんぐり」の表現は、説明調でうるささを感じたというのも正直なところである。もう一段推敲すればさらに良い句になりそうなのに、やり方をひとつ間違えるとただ事になってしまい、持ち味であるリアリティが失われかねない。そんな悩ましい感想を持った句である。
(可 23.11.03.)
『合評会から』(番町喜楽会)
てる夫 団栗という難しい兼題を前に捻り出した句でしょうか。「握りしめ」の表現が子供らしくていいですね。
二堂 きっと母親に団栗を見せて得意がっているのでしょう。
水兎 見ると拾いたくなるのが団栗。拾うと誰かにあげたくなるのが団栗です。
幻水 子供が拾って大事に持ち帰った団栗によって、家族のぬくもりが伝わってきます。
* * *
この日の句会の兼題「団栗」で詠まれた句の、半分近くが子供にまつわる句であった。ポケット一杯になった団栗を詠んだ句や、ままごと遊びに使われる団栗を詠んだ句など、常套的な句が多く並んだ。そんな中にあって、掲句は、手渡された団栗の温みが読む者にまで伝わってくる、ユニークで生き生きとした句になっている。ただ、その一方で、「握りしめ温きどんぐり」の表現は、説明調でうるささを感じたというのも正直なところである。もう一段推敲すればさらに良い句になりそうなのに、やり方をひとつ間違えるとただ事になってしまい、持ち味であるリアリティが失われかねない。そんな悩ましい感想を持った句である。
(可 23.11.03.)
とりどりの菊纏ひをり白虎隊 岩田 三代
とりどりの菊纏ひをり白虎隊 岩田 三代
『合評会から』(日経俳句会)
三薬 たぶん福島県二本松の菊人形でしょう。七、八年前の吟行を思い出した。
青水 菊人形と白虎隊はちょっと手垢にまみれている感じがしたのですが、俳句としては「とりどりの菊」という上七に技法を凝らして、白虎隊で上手く収めている。
木葉 様々な色の菊に彩られた少年達も、生きていればとりどりの人生があったろうということか。
守 会津若松にまた行ってみたくなります。
健史 白虎隊の思いと後世の人の思いが両方見えてきます。
* * *
菊人形は日本の秋の風物詩のひとつ。中でも福島県二本松市と福井県越前市の菊人形展は規模が大きく、多くの観光客を集めている。掲句はその二本松とおぼしき菊人形展の白虎隊を情感豊かに描いている。
「とりどりの菊」の表現が巧みである。色も形も様々な菊を集めて人形に仕立てる様を詠みつつ、藩を守るため白虎隊に参加した少年たちそれぞれの覚悟や運命を暗示する。さらに菊を「纏ふ」との措辞に思いやりがこもる。黒の戦闘服に白襷で戦ったとされる白虎隊に、平和な今の世なればこそ、色とりどりの菊を着せたいという優しい気持ちが感じられる。
華やかな菊人形であるが故に、白虎隊の悲運が胸に迫る。「生きていればとりどりの人生があったろう」という木葉氏の句評に共感する人は多いのではなかろうか。
(迷 23.11.01.)
『合評会から』(日経俳句会)
三薬 たぶん福島県二本松の菊人形でしょう。七、八年前の吟行を思い出した。
青水 菊人形と白虎隊はちょっと手垢にまみれている感じがしたのですが、俳句としては「とりどりの菊」という上七に技法を凝らして、白虎隊で上手く収めている。
木葉 様々な色の菊に彩られた少年達も、生きていればとりどりの人生があったろうということか。
守 会津若松にまた行ってみたくなります。
健史 白虎隊の思いと後世の人の思いが両方見えてきます。
* * *
菊人形は日本の秋の風物詩のひとつ。中でも福島県二本松市と福井県越前市の菊人形展は規模が大きく、多くの観光客を集めている。掲句はその二本松とおぼしき菊人形展の白虎隊を情感豊かに描いている。
「とりどりの菊」の表現が巧みである。色も形も様々な菊を集めて人形に仕立てる様を詠みつつ、藩を守るため白虎隊に参加した少年たちそれぞれの覚悟や運命を暗示する。さらに菊を「纏ふ」との措辞に思いやりがこもる。黒の戦闘服に白襷で戦ったとされる白虎隊に、平和な今の世なればこそ、色とりどりの菊を着せたいという優しい気持ちが感じられる。
華やかな菊人形であるが故に、白虎隊の悲運が胸に迫る。「生きていればとりどりの人生があったろう」という木葉氏の句評に共感する人は多いのではなかろうか。
(迷 23.11.01.)
木犀の金銀の香を拾ひけり 嵐田 双歩
木犀の金銀の香を拾ひけり 嵐田 双歩
『この一句』
夏の暑さに強いといわれる金木犀が強い匂いを放っている。この夏の熱暑は気象の常識を超えるものであった。10月に入っても各地で夏日を記録する日が少なくない。地球の異常気象はいったいどこまで続くのかと、思いやられる昨今である。この熱暑がどう影響したのか、今年の金木犀の匂いの強さは半端でない。筆者の家と隣家の境は金木犀の垣根だが、花の粒はことに大きい。ただ「トイレの匂いを思わせるので苦手」という人もいたのにはちょっと驚いたが、筆者はこの芳香が好きだ。
この句の作者も当然、金木犀の香りを好ましく思っている。庭木や公園の樹木、街路樹にも使われるから、作者は散歩の道すがら金木犀の香りを堪能し、そしてこの句ができたとみた。「木犀の…」と頭に置いても、銀木犀ではなく匂いの強い金木犀と受け取れるのだが。この句の巧みさは「金銀の香を拾ひけり」の中七下五にあるだろう。「金木犀の香」だけだと、ありきたりになってしまいそうだ。月並みをよしとしない作者は銀木犀の色香まで句に引き入れた。それによって匂いと色の重層的な句に仕立て上がったと言える。金木犀のオレンジ色、銀木犀の白(または淡い黄色)を読者の脳裏に可視化させる。匂いはもちろんのこと、句に彩りを付ける意図も透けて見える。「拾ひけり」の結語も散歩の途中の拾い物という雰囲気を醸し出しているのではないか。
(葉 23.10.31.)
『この一句』
夏の暑さに強いといわれる金木犀が強い匂いを放っている。この夏の熱暑は気象の常識を超えるものであった。10月に入っても各地で夏日を記録する日が少なくない。地球の異常気象はいったいどこまで続くのかと、思いやられる昨今である。この熱暑がどう影響したのか、今年の金木犀の匂いの強さは半端でない。筆者の家と隣家の境は金木犀の垣根だが、花の粒はことに大きい。ただ「トイレの匂いを思わせるので苦手」という人もいたのにはちょっと驚いたが、筆者はこの芳香が好きだ。
この句の作者も当然、金木犀の香りを好ましく思っている。庭木や公園の樹木、街路樹にも使われるから、作者は散歩の道すがら金木犀の香りを堪能し、そしてこの句ができたとみた。「木犀の…」と頭に置いても、銀木犀ではなく匂いの強い金木犀と受け取れるのだが。この句の巧みさは「金銀の香を拾ひけり」の中七下五にあるだろう。「金木犀の香」だけだと、ありきたりになってしまいそうだ。月並みをよしとしない作者は銀木犀の色香まで句に引き入れた。それによって匂いと色の重層的な句に仕立て上がったと言える。金木犀のオレンジ色、銀木犀の白(または淡い黄色)を読者の脳裏に可視化させる。匂いはもちろんのこと、句に彩りを付ける意図も透けて見える。「拾ひけり」の結語も散歩の途中の拾い物という雰囲気を醸し出しているのではないか。
(葉 23.10.31.)
野仏を飾るかんざし赤蜻蛉 中村 迷哲
野仏を飾るかんざし赤蜻蛉 中村 迷哲
『合評会から』(番町喜楽会)
百子 最後まで採ろうかどうか迷いました。赤蜻蛉はじっと止まっていることがあまりなく、実景としてはほとんど見ない。想像で作った気がします。
てる夫 こういうこともあるかなと思って。
双歩 赤い帽子と赤い涎かけをしているお地蔵さんだと赤蜻蛉は目立たないので、これは苔むした本物の野仏か。
幻水 野仏に止まる赤蜻蛉をかんざしと詠んだのは詩的で良いですね。
可升 映像的にはきれいですが、僧形で髪の毛のない野仏に「飾るかんざし」の比喩は如何なものか。どうやって挿すのだろう(笑)。
迷哲(作者) 赤蜻蛉が止まっていたのは墓石だったのですが、それじゃ句にならないので野仏に。確かに脚色が過ぎました(笑)。
* * *
村外れや峠道などで野仏に出合うことがままある。お地蔵様だったり観音様だったり。その頭に蜻蛉が止まっているのは、長閑な心安らぐ風景だ。作者は「実際は墓石だった」というが、そんなことは気に留める必要はない。「柿食えば鐘が鳴るなり…」の子規の句の寺は、法隆寺でなく東大寺だった、とも。この句に接し、大和路か信濃路か旅に出たくなった。
(光 23.10.29.)
『合評会から』(番町喜楽会)
百子 最後まで採ろうかどうか迷いました。赤蜻蛉はじっと止まっていることがあまりなく、実景としてはほとんど見ない。想像で作った気がします。
てる夫 こういうこともあるかなと思って。
双歩 赤い帽子と赤い涎かけをしているお地蔵さんだと赤蜻蛉は目立たないので、これは苔むした本物の野仏か。
幻水 野仏に止まる赤蜻蛉をかんざしと詠んだのは詩的で良いですね。
可升 映像的にはきれいですが、僧形で髪の毛のない野仏に「飾るかんざし」の比喩は如何なものか。どうやって挿すのだろう(笑)。
迷哲(作者) 赤蜻蛉が止まっていたのは墓石だったのですが、それじゃ句にならないので野仏に。確かに脚色が過ぎました(笑)。
* * *
村外れや峠道などで野仏に出合うことがままある。お地蔵様だったり観音様だったり。その頭に蜻蛉が止まっているのは、長閑な心安らぐ風景だ。作者は「実際は墓石だった」というが、そんなことは気に留める必要はない。「柿食えば鐘が鳴るなり…」の子規の句の寺は、法隆寺でなく東大寺だった、とも。この句に接し、大和路か信濃路か旅に出たくなった。
(光 23.10.29.)
天高し龍勢の火矢峰を越え 徳永 木葉
天高し龍勢の火矢峰を越え 徳永 木葉
『この一句』
「龍勢」とは埼玉県秩父地方に400年伝わる「龍勢まつり」で打ち上げられる手づくりロケットのこと。松の木をくり抜いて火薬と仕掛けを詰め、山の中腹から打ち上げる。秩父の秋の風物詩で、今年も10月8日に行われた。多くの観光客が刈り入れの終わった田圃にビニールを敷いて見物する。テレビでよく放映されるが、日経俳句会で7年ほど前に吟行で訪ねたことがあり、秋空のもと酒を飲みながら打ち上げを楽しんだ。
掲句はその龍勢の飛翔ぶりを、分かりやすく勢いよく詠む。龍勢を知らない読者を考えて「火矢」の言葉を添え、ロケットのイメージを掴みやすくしている。龍勢は成功すると白煙を引きながら高さ300メートルに達し、唐傘や花火、パラシュートなどの仕掛けを披露しながら落下する。観客席から仰ぎ見ると、あたかも秩父の峰々を越えたかのように思える。
天高しの季語も龍勢とぴったり合っている。龍勢の起源は、戦国時代に広まった狼煙(のろし)が改良されて、農村の神事・祭礼に使用されるようになったとされる。農民ロケットとも言われるように、秋の実りを神に感謝する目的で江戸時代から続いてきた。保存会には27の流派があり、それぞれ趣向をこらした龍勢を製作する。澄み切った秩父の空に、勢いよく上昇する龍勢を見ていると、心が晴れ晴れとしてくる。まさに天高し、秋高しである。
(迷 23.10.27.)
『この一句』
「龍勢」とは埼玉県秩父地方に400年伝わる「龍勢まつり」で打ち上げられる手づくりロケットのこと。松の木をくり抜いて火薬と仕掛けを詰め、山の中腹から打ち上げる。秩父の秋の風物詩で、今年も10月8日に行われた。多くの観光客が刈り入れの終わった田圃にビニールを敷いて見物する。テレビでよく放映されるが、日経俳句会で7年ほど前に吟行で訪ねたことがあり、秋空のもと酒を飲みながら打ち上げを楽しんだ。
掲句はその龍勢の飛翔ぶりを、分かりやすく勢いよく詠む。龍勢を知らない読者を考えて「火矢」の言葉を添え、ロケットのイメージを掴みやすくしている。龍勢は成功すると白煙を引きながら高さ300メートルに達し、唐傘や花火、パラシュートなどの仕掛けを披露しながら落下する。観客席から仰ぎ見ると、あたかも秩父の峰々を越えたかのように思える。
天高しの季語も龍勢とぴったり合っている。龍勢の起源は、戦国時代に広まった狼煙(のろし)が改良されて、農村の神事・祭礼に使用されるようになったとされる。農民ロケットとも言われるように、秋の実りを神に感謝する目的で江戸時代から続いてきた。保存会には27の流派があり、それぞれ趣向をこらした龍勢を製作する。澄み切った秩父の空に、勢いよく上昇する龍勢を見ていると、心が晴れ晴れとしてくる。まさに天高し、秋高しである。
(迷 23.10.27.)
十月や布巾だけでも新しく 横井 定利
十月や布巾だけでも新しく 横井 定利
『季のことば』
「一月」から「十二月」まで、どの月も季語となっている。例えば「八月」は終戦記念日や原爆忌などがあり、旧盆があり、夏休み真っ盛りなど、その月のイメージが鮮明だ。「十二月」も慌ただしい年の暮れで「師走」と同様に分かりやすい。一方、「十月」や「十一月」は、何となく性格が分かりづらい。一年には概ね三音と四音の月が多いのだが、「十一月」は六音もあって収まりにくい。唯一の五音「十二月」は下五に置きやすく、使い勝手は良い。作句者の勝手な言い分で申し訳ないが、「十月」もさほど季語としての魅力は薄く、作句には苦労しそうだ。歳時記の例句をみても「十月や顳顬(こめかみ)さやに秋刀魚食ふ(石田波郷)」や「十月の力鳴きして法師蝉(森澄雄)」など季感を別に求めている。
掲句はどうだろう。「十月」は晩秋の季語だが、今年は特に暑い日が長く「やっと涼しくなった。秋らしくなってほっとした」などと交わされるほどで、感覚的には〝初秋〟だ。作者が「やれやれ、やっと十月になったわい。せめて布巾だけでも新調して気分を替えようか」となったのも十分頷ける。これが「四月」だったら、カーテンくらい替えそうだ。「布巾だけでも」のつましさがリアルで、生活者の視線が生きている。共感者が多かったのも宜なるかなだ。
(双 23.10.25.)
『季のことば』
「一月」から「十二月」まで、どの月も季語となっている。例えば「八月」は終戦記念日や原爆忌などがあり、旧盆があり、夏休み真っ盛りなど、その月のイメージが鮮明だ。「十二月」も慌ただしい年の暮れで「師走」と同様に分かりやすい。一方、「十月」や「十一月」は、何となく性格が分かりづらい。一年には概ね三音と四音の月が多いのだが、「十一月」は六音もあって収まりにくい。唯一の五音「十二月」は下五に置きやすく、使い勝手は良い。作句者の勝手な言い分で申し訳ないが、「十月」もさほど季語としての魅力は薄く、作句には苦労しそうだ。歳時記の例句をみても「十月や顳顬(こめかみ)さやに秋刀魚食ふ(石田波郷)」や「十月の力鳴きして法師蝉(森澄雄)」など季感を別に求めている。
掲句はどうだろう。「十月」は晩秋の季語だが、今年は特に暑い日が長く「やっと涼しくなった。秋らしくなってほっとした」などと交わされるほどで、感覚的には〝初秋〟だ。作者が「やれやれ、やっと十月になったわい。せめて布巾だけでも新調して気分を替えようか」となったのも十分頷ける。これが「四月」だったら、カーテンくらい替えそうだ。「布巾だけでも」のつましさがリアルで、生活者の視線が生きている。共感者が多かったのも宜なるかなだ。
(双 23.10.25.)
名月の町を眼下に最終便 須藤 光迷
名月の町を眼下に最終便 須藤 光迷
『合評会から』(番町喜楽会)
青水 月光をバックに深夜の町を眺め下ろしている光景。久々の帰国でしょうか、それとも、毎週末の最終便でしょうか。詩を感じさせる句です。
水兎 飛行機から見る町の灯りは、なにやら切ないものを感じさせます。ましてや、最終便ですから。
幻水 中秋の名月に照らされた町を、最終便の飛行機から見下ろす。情景がよく伝わってくる句です。
* * *
この句を採らなかった人の、「ジェットストリームを思い出した」という評を聞いて、思わず笑ってしまった。評者自身も、「ミスター・ロンリー」のメロディと城達也のナレーションが聞こえて来そうな句だと思ったからである。また、この句を読んで、蕪村の名句「月天心貧しき町を通りけり」と、視線の方向は正反対だが、同趣の句ではないかという感想も持った。
作者によれば、中秋の名月の翌朝、月の中に機影が見事に収まった報道写真を見て、かつて仕事をしていた頃の、出張帰りの経験を思い出して詠んだとのことである。「最終便」はありきたりじゃないかとの評もあったが、「最終便」のもたらす疲労・解放・脱力・安堵などのないまぜになったイメージが、蕪村の「貧しき町」に通底するのではないかと思うのは、うがち過ぎだろうか。「最終便」の情緒に素直に浸りたい句である。
(可 23.10.23.)
『合評会から』(番町喜楽会)
青水 月光をバックに深夜の町を眺め下ろしている光景。久々の帰国でしょうか、それとも、毎週末の最終便でしょうか。詩を感じさせる句です。
水兎 飛行機から見る町の灯りは、なにやら切ないものを感じさせます。ましてや、最終便ですから。
幻水 中秋の名月に照らされた町を、最終便の飛行機から見下ろす。情景がよく伝わってくる句です。
* * *
この句を採らなかった人の、「ジェットストリームを思い出した」という評を聞いて、思わず笑ってしまった。評者自身も、「ミスター・ロンリー」のメロディと城達也のナレーションが聞こえて来そうな句だと思ったからである。また、この句を読んで、蕪村の名句「月天心貧しき町を通りけり」と、視線の方向は正反対だが、同趣の句ではないかという感想も持った。
作者によれば、中秋の名月の翌朝、月の中に機影が見事に収まった報道写真を見て、かつて仕事をしていた頃の、出張帰りの経験を思い出して詠んだとのことである。「最終便」はありきたりじゃないかとの評もあったが、「最終便」のもたらす疲労・解放・脱力・安堵などのないまぜになったイメージが、蕪村の「貧しき町」に通底するのではないかと思うのは、うがち過ぎだろうか。「最終便」の情緒に素直に浸りたい句である。
(可 23.10.23.)