今年米少し離れて備蓄米 嵐田 双歩
今年米少し離れて備蓄米 嵐田 双歩
『この一句』
今年は店頭の米が値上がりすると共に在庫がなくなり、ネットでは「令和の米騒動」などと呼ばれる年だったが、政府による備蓄米の再三の放出によって小康を得、そうこうするうちに新米が市場に出回るようになった。この句はそういう状況を詠んだものである。
「今年米」と「備蓄米」の五音が上下に配されて、その間を「少し離れて」が取り持つという、シンプルかつ語調の良い句である。
この日の兼題が「新米」であることもあり、また、「今年米」が最初に置かれていることから、この句の主役は「今年米」である。しかしながら、「今年米」で切れて、「少し離れて備蓄米」の文言が続く構造から、読み手の頭の中の映像は「今年米」から「備蓄米」の方に移動する。すなわち、主役はあくまでも「今年米」だが、脇役である「備蓄米」にもライトが当てられる。
「備蓄米」の在庫は、売れ残り気味だったり、あるいは、特売コーナーになっていたりして、やや寂しげである。「少し離れて」という軽妙な措辞に、そんな「備蓄米」を愛おしむようなペーソスを感じると言えば、深読みが過ぎるだろうか?こういう詠み方は、なかなか出来そうで出来ない。
(可 25.09.29.)
『この一句』
今年は店頭の米が値上がりすると共に在庫がなくなり、ネットでは「令和の米騒動」などと呼ばれる年だったが、政府による備蓄米の再三の放出によって小康を得、そうこうするうちに新米が市場に出回るようになった。この句はそういう状況を詠んだものである。
「今年米」と「備蓄米」の五音が上下に配されて、その間を「少し離れて」が取り持つという、シンプルかつ語調の良い句である。
この日の兼題が「新米」であることもあり、また、「今年米」が最初に置かれていることから、この句の主役は「今年米」である。しかしながら、「今年米」で切れて、「少し離れて備蓄米」の文言が続く構造から、読み手の頭の中の映像は「今年米」から「備蓄米」の方に移動する。すなわち、主役はあくまでも「今年米」だが、脇役である「備蓄米」にもライトが当てられる。
「備蓄米」の在庫は、売れ残り気味だったり、あるいは、特売コーナーになっていたりして、やや寂しげである。「少し離れて」という軽妙な措辞に、そんな「備蓄米」を愛おしむようなペーソスを感じると言えば、深読みが過ぎるだろうか?こういう詠み方は、なかなか出来そうで出来ない。
(可 25.09.29.)
字余りのような八十過ぎの秋 玉田春陽子
字余りのような八十過ぎの秋 玉田春陽子
『この一句』
この句が詠まれた酔吟会には老境の句友が多い。「晩年の始まりはどこ野分雲」という句が、別の日の番町喜楽会で高点を得た。二つの句会は同じく日経俳句会傘下であり、メンバーはおおかた掛け持ちである。年が似たり寄ったりだから人生についての感覚も似通う。選句者それぞれ天の句を一句選ぶことになっている今月の酔吟会で、二人が「天」とした。「日ごろ感じている感覚を『字余り』が見事に言い当てている」、「若ければ何の関心もわかない句だろうが、八十過ぎの我らの琴線にはツンとくる」と賛辞を贈った。
人の一生には越えるべき坂があるという。六十「耳順」、七十「而從心」と、自らの一生を語った孔子は七二、三歳で亡くなっているから八十の坂を経験していない。平均寿命が短かった戦後まで四十二歳が男の大厄とされ、特に健康に気をつけなければならなかった。現在の平均寿命は男女とも八十を優に超えている。八十過ぎた作者は余生を「字余りのような」と表現した。俳句の字余りは感心できないが長生きは慶事だ。「自分はもう余分に生きているのかなと思ったりする」と作者は作意を語る。だがどうしてどうして、まだまだ名句を作るぞとの気概が見え隠れする。句またがりをリズムよく詠んで、「秋」の一語でぴたりと止めたところなど、手練れぶりは相変わらず。この句には芭蕉の「この秋はなんで年寄る雲に鳥」のような薄暮感がない。
(葉 25.09.27.)
『この一句』
この句が詠まれた酔吟会には老境の句友が多い。「晩年の始まりはどこ野分雲」という句が、別の日の番町喜楽会で高点を得た。二つの句会は同じく日経俳句会傘下であり、メンバーはおおかた掛け持ちである。年が似たり寄ったりだから人生についての感覚も似通う。選句者それぞれ天の句を一句選ぶことになっている今月の酔吟会で、二人が「天」とした。「日ごろ感じている感覚を『字余り』が見事に言い当てている」、「若ければ何の関心もわかない句だろうが、八十過ぎの我らの琴線にはツンとくる」と賛辞を贈った。
人の一生には越えるべき坂があるという。六十「耳順」、七十「而從心」と、自らの一生を語った孔子は七二、三歳で亡くなっているから八十の坂を経験していない。平均寿命が短かった戦後まで四十二歳が男の大厄とされ、特に健康に気をつけなければならなかった。現在の平均寿命は男女とも八十を優に超えている。八十過ぎた作者は余生を「字余りのような」と表現した。俳句の字余りは感心できないが長生きは慶事だ。「自分はもう余分に生きているのかなと思ったりする」と作者は作意を語る。だがどうしてどうして、まだまだ名句を作るぞとの気概が見え隠れする。句またがりをリズムよく詠んで、「秋」の一語でぴたりと止めたところなど、手練れぶりは相変わらず。この句には芭蕉の「この秋はなんで年寄る雲に鳥」のような薄暮感がない。
(葉 25.09.27.)
病める眼を色無き風にさらしたり 徳永 木葉
病める眼を色無き風にさらしたり 徳永 木葉
『季のことば』
「色なき風」とは「秋風」のこと。「秋風」には、暑さも一服という初秋の涼風から、晩秋の寂寥感ある寒風と、様々な顔がある。「色なき風」は、中国古代の陰陽五行説を踏まえた、紀友則の「吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」『古今六帖』が元になったと言われる。秋は色で言えば白で、白とは無色透明のことからの謂だ。ちなみに、芭蕉は「秋風「と「秋の風」の句を20句近く詠んでいるが、「色なき風」の句はない。
掲句は席題「無」を詠んだ一句。『本当に席題が出て作った句だろうか、それにしてはよく出来た句だ。「病める眼」に「色無き」が呼応している』(可升)。『病んで眼帯をかけていたのを外して自然の風と光にさらす。「色なき風」という、ともすれば気取った感じが先走る季語を実感をもって伝えた。すばらしい句だ』(水牛)。『眼を病んでモノがよく見えない、そして風に色が無い、と「ない」と「ない」を重ねた巧みさに感心した』(光迷)などと絶賛され、天の位に輝いた。
作者は数年前、眼を患った。この日は句会の前に検査を受け、眼科を出たら秋のそよ風が眼にも当たった。席題が「無」と聞き、季語「色なき風」が浮かび、即吟したそうだ。確かに席題の一句とは思えないほど自然な描写だ。とっさに詠んで、読者を魅了する句を作れるのは、ひとえに、これまでの俳句に向き合った経験と努力の蓄積があったからこそだと思う。
(双 25.09.25.)
『季のことば』
「色なき風」とは「秋風」のこと。「秋風」には、暑さも一服という初秋の涼風から、晩秋の寂寥感ある寒風と、様々な顔がある。「色なき風」は、中国古代の陰陽五行説を踏まえた、紀友則の「吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」『古今六帖』が元になったと言われる。秋は色で言えば白で、白とは無色透明のことからの謂だ。ちなみに、芭蕉は「秋風「と「秋の風」の句を20句近く詠んでいるが、「色なき風」の句はない。
掲句は席題「無」を詠んだ一句。『本当に席題が出て作った句だろうか、それにしてはよく出来た句だ。「病める眼」に「色無き」が呼応している』(可升)。『病んで眼帯をかけていたのを外して自然の風と光にさらす。「色なき風」という、ともすれば気取った感じが先走る季語を実感をもって伝えた。すばらしい句だ』(水牛)。『眼を病んでモノがよく見えない、そして風に色が無い、と「ない」と「ない」を重ねた巧みさに感心した』(光迷)などと絶賛され、天の位に輝いた。
作者は数年前、眼を患った。この日は句会の前に検査を受け、眼科を出たら秋のそよ風が眼にも当たった。席題が「無」と聞き、季語「色なき風」が浮かび、即吟したそうだ。確かに席題の一句とは思えないほど自然な描写だ。とっさに詠んで、読者を魅了する句を作れるのは、ひとえに、これまでの俳句に向き合った経験と努力の蓄積があったからこそだと思う。
(双 25.09.25.)
稔り田と刈田を縫って久留里線 向井 愉里
稔り田と刈田を縫って久留里線 向井 愉里
『この一句』
実りの秋を迎えたローカル線の車窓風景を鮮やかに切り取り、9月の番町喜楽会で最高点を得た句のひとつである。稔り田と刈田という二つの季語をあえて並べたところに現場感がある。田んぼは陽当りや水利によって実る時期が違ってくる。田植の時期が同じでも、刈り取りのタイミングがズレ、稲刈りの終わった刈田と、まだ稲穂の残る稔り田が混在することになる。
稲刈り前後の田んぼがパッチワークのように広がる田園地帯を、久留里線のディーゼル車が走る。「縫って」という動詞を使ったことで、列車が稲原をコトコトと通り抜けて行く情景が浮かんでくる。
実は今年4月に、俳句会で久留里周辺の名所を巡る吟行を行った。その時は田植の済んだ植田と、これからの代田が沿線に広がっていた。実家の久留里に時々帰るという作者は、「吟行に来てもらったので、近況報告のつもりで詠みました」とコメントしていた。吟行の記憶のある身には、あの風景が今はこうなっているのかと、感慨もひとしおだった。
久留里線は木更津から内陸の上総亀山まで、32キロを走るローカル線である。木更津市街を抜けると長閑な田園地帯が広がり、久留里からは里山に分け入って行く。ご多分に漏れず経営状況は厳しく、久留里から上総亀山までの区間はJR東日本管内で収支係数がワーストワンという。現在この区間のバス転換協議が地元と続けられているが、日本の原風景ともいえる田園と里山、それを縫って走るローカル線が、将来も残って欲しいと願わずにはいられない。
(迷 25.09.23.)
『この一句』
実りの秋を迎えたローカル線の車窓風景を鮮やかに切り取り、9月の番町喜楽会で最高点を得た句のひとつである。稔り田と刈田という二つの季語をあえて並べたところに現場感がある。田んぼは陽当りや水利によって実る時期が違ってくる。田植の時期が同じでも、刈り取りのタイミングがズレ、稲刈りの終わった刈田と、まだ稲穂の残る稔り田が混在することになる。
稲刈り前後の田んぼがパッチワークのように広がる田園地帯を、久留里線のディーゼル車が走る。「縫って」という動詞を使ったことで、列車が稲原をコトコトと通り抜けて行く情景が浮かんでくる。
実は今年4月に、俳句会で久留里周辺の名所を巡る吟行を行った。その時は田植の済んだ植田と、これからの代田が沿線に広がっていた。実家の久留里に時々帰るという作者は、「吟行に来てもらったので、近況報告のつもりで詠みました」とコメントしていた。吟行の記憶のある身には、あの風景が今はこうなっているのかと、感慨もひとしおだった。
久留里線は木更津から内陸の上総亀山まで、32キロを走るローカル線である。木更津市街を抜けると長閑な田園地帯が広がり、久留里からは里山に分け入って行く。ご多分に漏れず経営状況は厳しく、久留里から上総亀山までの区間はJR東日本管内で収支係数がワーストワンという。現在この区間のバス転換協議が地元と続けられているが、日本の原風景ともいえる田園と里山、それを縫って走るローカル線が、将来も残って欲しいと願わずにはいられない。
(迷 25.09.23.)
晩年の始まりはどこ野分雲 廣田 可升
晩年の始まりはどこ野分雲 廣田 可升
『合評会から』(番町喜楽会)
愉里 65歳の一歩手前なので、これからどういう風になるんだろうなと思うところがあり、いただきました。
光迷 この年になると「晩年の始まりはどこ」というより「余生の終わりはどこ」という感じなのですが、上手いところに目をつけた句だなと思いました。
春陽子 後期高齢者なんてお役所が勝手に決めていますが、そういえば晩年はどこから始まるんだろうと思いました。聞いてみたい疑問を素直に詠んでくれました。
迷哲 自分のことを詠んでくれたように思え共感しました。季語を「野分雲」としたことで、人生の終わる不安と台風到来の不安がマッチしているように思いました。
満智 問いかけの形が印象的なうまい句だなあと思いました。季語とも合いますね。
百子 そんなこと考えてみたことはなかったですが、確かにそうですね。
* * *
たしかに晩年とは何歳ごろを言うのだろうと考えないではない。寿命が各人各様だから晩年の始まりも一様でないのが当然だ。老境に入ればみな折につけ余命を思う。いざ死の床についた時、あのころからが晩年だったかと思いあたる。また突然の死であろうとも、死去の年から逆算してせいぜい10年弱が、その人の晩年ということになるのだろう。いずれにしても作者の漠とした疑問を詠んで、人生の黄落期の不安を目の前に提示する形の句になった。筆者は採りそこなった。
(葉 25.09.21.)
『合評会から』(番町喜楽会)
愉里 65歳の一歩手前なので、これからどういう風になるんだろうなと思うところがあり、いただきました。
光迷 この年になると「晩年の始まりはどこ」というより「余生の終わりはどこ」という感じなのですが、上手いところに目をつけた句だなと思いました。
春陽子 後期高齢者なんてお役所が勝手に決めていますが、そういえば晩年はどこから始まるんだろうと思いました。聞いてみたい疑問を素直に詠んでくれました。
迷哲 自分のことを詠んでくれたように思え共感しました。季語を「野分雲」としたことで、人生の終わる不安と台風到来の不安がマッチしているように思いました。
満智 問いかけの形が印象的なうまい句だなあと思いました。季語とも合いますね。
百子 そんなこと考えてみたことはなかったですが、確かにそうですね。
* * *
たしかに晩年とは何歳ごろを言うのだろうと考えないではない。寿命が各人各様だから晩年の始まりも一様でないのが当然だ。老境に入ればみな折につけ余命を思う。いざ死の床についた時、あのころからが晩年だったかと思いあたる。また突然の死であろうとも、死去の年から逆算してせいぜい10年弱が、その人の晩年ということになるのだろう。いずれにしても作者の漠とした疑問を詠んで、人生の黄落期の不安を目の前に提示する形の句になった。筆者は採りそこなった。
(葉 25.09.21.)
タクシーの呼び方知らず秋暑し 須藤光迷
タクシーの呼び方知らず秋暑し 須藤光迷
『この一句』
配車アプリの普及にともなって、流しのタクシーの台数が少なくなってなかなか止められず、さりとてスマホを操作して呼ぶことも出来ず、折柄の猛暑と相まってイライラしているという光景だろうか。そういえば、「鮓」が兼題の句会で、寿司屋のタブレット操作がわからず、孫の世話になるという句もあった。デジタルやAIの進化は止まることを知らず、それによって利便性が増すことはもちろん多いが、適応できない人にとっては困難さが増すばかりだろう。
筆者は、なんとか適応できている方だと思うが、それでも海外に出て切符を買った時など、券売機のパネル操作がわからず立ち往生していた時に、列の後ろの人に声をかけられ助けてもらった覚えがある。
適応出来ない人や困っている人が、家族や近場の人に気軽に頼めたり、助けられたりする、そんな世の中になることが望ましいと考えるのは、ないものねだりの夢想だろうか。なにしろ、デジタル操作どころか、そのうち天井の電球を交換することさえままならなくなるのだから。いずれにせよ、こういう句がそのうち「類句多し」となるのは間違いなさそうである。
(可 25.09.19.)
『この一句』
配車アプリの普及にともなって、流しのタクシーの台数が少なくなってなかなか止められず、さりとてスマホを操作して呼ぶことも出来ず、折柄の猛暑と相まってイライラしているという光景だろうか。そういえば、「鮓」が兼題の句会で、寿司屋のタブレット操作がわからず、孫の世話になるという句もあった。デジタルやAIの進化は止まることを知らず、それによって利便性が増すことはもちろん多いが、適応できない人にとっては困難さが増すばかりだろう。
筆者は、なんとか適応できている方だと思うが、それでも海外に出て切符を買った時など、券売機のパネル操作がわからず立ち往生していた時に、列の後ろの人に声をかけられ助けてもらった覚えがある。
適応出来ない人や困っている人が、家族や近場の人に気軽に頼めたり、助けられたりする、そんな世の中になることが望ましいと考えるのは、ないものねだりの夢想だろうか。なにしろ、デジタル操作どころか、そのうち天井の電球を交換することさえままならなくなるのだから。いずれにせよ、こういう句がそのうち「類句多し」となるのは間違いなさそうである。
(可 25.09.19.)
補聴器を外し蚯蚓の鳴く闇へ 金田 青水
補聴器を外し蚯蚓の鳴く闇へ 金田 青水
『合評会から』(番町喜楽会)
迷哲 補聴器は結構雑音がするらしいので、「このジージーは補聴器の雑音か、はたまた蚯蚓の鳴き声か」を確かめるために補聴器を外して闇の中へ行ったと…。とても愉快な句です。
水牛 家内が二年くらい前から補聴器を使ってましたが、つけていると頭が痛くなるようで放り出してしまいました。「外し蚯蚓の鳴く闇へ」がいい。なんだかわけのわからん句だけど、とても感心しました。
可升 「わけがわからん」のは「蚯蚓鳴く」という季語だと思います。人の声やテレビの音には補聴器が必要だが、蚯蚓の鳴き声なら補聴器なしで大丈夫という不条理感が季語に合っています。「闇へ」がいいですね。
幻水 補聴器を着けている者として、自然の音を聴きたい気持ちが良く分かります。
* * *
俳諧には滑稽、おどけを大切にする気風がある。蚯蚓鳴くという季語には、鳴くのは蚯蚓でなくて螻蛄だとか悶着をつける向きもあるが、そういう半分虚の季題に対し、補聴器の感度を上げるのではなく、わざわざ補聴器を外して聞きに行くというユーモア。こういう機知、遊び心に富んだ句が増えてほしい。
(光 25.09.17.)
『合評会から』(番町喜楽会)
迷哲 補聴器は結構雑音がするらしいので、「このジージーは補聴器の雑音か、はたまた蚯蚓の鳴き声か」を確かめるために補聴器を外して闇の中へ行ったと…。とても愉快な句です。
水牛 家内が二年くらい前から補聴器を使ってましたが、つけていると頭が痛くなるようで放り出してしまいました。「外し蚯蚓の鳴く闇へ」がいい。なんだかわけのわからん句だけど、とても感心しました。
可升 「わけがわからん」のは「蚯蚓鳴く」という季語だと思います。人の声やテレビの音には補聴器が必要だが、蚯蚓の鳴き声なら補聴器なしで大丈夫という不条理感が季語に合っています。「闇へ」がいいですね。
幻水 補聴器を着けている者として、自然の音を聴きたい気持ちが良く分かります。
* * *
俳諧には滑稽、おどけを大切にする気風がある。蚯蚓鳴くという季語には、鳴くのは蚯蚓でなくて螻蛄だとか悶着をつける向きもあるが、そういう半分虚の季題に対し、補聴器の感度を上げるのではなく、わざわざ補聴器を外して聞きに行くというユーモア。こういう機知、遊び心に富んだ句が増えてほしい。
(光 25.09.17.)
稲穂垂れ野鳥群がる田んぼかな 堤 てる夫
稲穂垂れ野鳥群がる田んぼかな 堤 てる夫
『この一句』
瑞穂の国とも呼ばれる日本にとって、稲は人々の生活や文化に密接に結びついている。日本人の根幹を成すと言えるほどで、米不足、備蓄米放出、新米高騰など令和の米騒動がかまびすしいのも頷ける。
掲句は、その日本の原風景を素直に掬い取った。たわわに稔った稲穂に稲雀が群がって啄んでいる。ああ、まさに「すべて世はこともなし(ブラウニング)」。恬淡とした心情が読者に心地よく伝わってくる。
作者が信州・塩田平の一角に居を構えて十数年になる。眼前に広がる田んぼの四季折々の移ろいを借景に、日々を自適に過ごす姿が目に浮かぶ。「ひょいと首伸ばす白鷺稲の秋」、「敗戦忌あの田この田も出穂す」、「穭田や鷺悠然と舞ひ降りる」など、これまで当ブログに取り上げられた稲を詠んだ作品だけでも、地に足がついた佳句ばかりだ。
互選による句会では、ややもすると掲句のようなさりげない句は見過ごされやすいが、飾ることのない素直な表現は、じわりと心を満たしてくれる。
(双 25.09.15.)
『この一句』
瑞穂の国とも呼ばれる日本にとって、稲は人々の生活や文化に密接に結びついている。日本人の根幹を成すと言えるほどで、米不足、備蓄米放出、新米高騰など令和の米騒動がかまびすしいのも頷ける。
掲句は、その日本の原風景を素直に掬い取った。たわわに稔った稲穂に稲雀が群がって啄んでいる。ああ、まさに「すべて世はこともなし(ブラウニング)」。恬淡とした心情が読者に心地よく伝わってくる。
作者が信州・塩田平の一角に居を構えて十数年になる。眼前に広がる田んぼの四季折々の移ろいを借景に、日々を自適に過ごす姿が目に浮かぶ。「ひょいと首伸ばす白鷺稲の秋」、「敗戦忌あの田この田も出穂す」、「穭田や鷺悠然と舞ひ降りる」など、これまで当ブログに取り上げられた稲を詠んだ作品だけでも、地に足がついた佳句ばかりだ。
互選による句会では、ややもすると掲句のようなさりげない句は見過ごされやすいが、飾ることのない素直な表現は、じわりと心を満たしてくれる。
(双 25.09.15.)
線香花火妻と長生き競ひをり 岡田 鷹洋
線香花火妻と長生き競ひをり 岡田 鷹洋
『この一句』
線香花火と長生き夫婦という意外なものを取合せ、8月の日経俳句会で最高点を得た句である。
線香花火は日本の伝統的な手花火のひとつで、藁に黒色火薬を塗り付けたすぼ手(西日本型)と、和紙をより合わせて火薬を包んだ長手(東日本型)がある。火球の成長に伴い、燃え方が段階的に変化する様を楽しむ。火花の出方の順に蕾、牡丹、松葉、柳、散り菊という風雅な呼び名もある。夏の夜に線香花火がどこまで燃えるか、長さを競った経験はどなたもお持ちであろう。
掲句は、しぶとく火花を出し続ける線香花火と、長年連れ添った夫婦を重ね、明るい雰囲気の句に仕上がっている。初めは小さな火花が次第に大きくなり、最盛期を過ぎた後も小さな火花を出し続ける。線香花火の消長が夫婦・家族の来し方に重なって見えるのであろう。作者は現在87歳、奥様の歳は存じ上げないが、「長生きを競ふ」という措辞には実感がこもっているように思う。
線香花火は儚さ、淋しさのイメージもあるだけに、長寿の夫婦との意表を突く取合せが、選者の心に刺さったようだ。句評も取合せの妙に集中した。その中で88歳の水牛さんの「線香花火を持って来たのが素晴らしい。パチパチと火花が続いた後、もうお仕舞いかと思ったら、またパチパチと火花が始まる。長い間連れ添った夫婦みたいなものですね」という句評にもまた、長寿夫婦の感慨が滲んでいた。
(迷 25.09.13.)
『この一句』
線香花火と長生き夫婦という意外なものを取合せ、8月の日経俳句会で最高点を得た句である。
線香花火は日本の伝統的な手花火のひとつで、藁に黒色火薬を塗り付けたすぼ手(西日本型)と、和紙をより合わせて火薬を包んだ長手(東日本型)がある。火球の成長に伴い、燃え方が段階的に変化する様を楽しむ。火花の出方の順に蕾、牡丹、松葉、柳、散り菊という風雅な呼び名もある。夏の夜に線香花火がどこまで燃えるか、長さを競った経験はどなたもお持ちであろう。
掲句は、しぶとく火花を出し続ける線香花火と、長年連れ添った夫婦を重ね、明るい雰囲気の句に仕上がっている。初めは小さな火花が次第に大きくなり、最盛期を過ぎた後も小さな火花を出し続ける。線香花火の消長が夫婦・家族の来し方に重なって見えるのであろう。作者は現在87歳、奥様の歳は存じ上げないが、「長生きを競ふ」という措辞には実感がこもっているように思う。
線香花火は儚さ、淋しさのイメージもあるだけに、長寿の夫婦との意表を突く取合せが、選者の心に刺さったようだ。句評も取合せの妙に集中した。その中で88歳の水牛さんの「線香花火を持って来たのが素晴らしい。パチパチと火花が続いた後、もうお仕舞いかと思ったら、またパチパチと火花が始まる。長い間連れ添った夫婦みたいなものですね」という句評にもまた、長寿夫婦の感慨が滲んでいた。
(迷 25.09.13.)
竹籠にオクラピーマン茄子トマト 向井 愉里
竹籠にオクラピーマン茄子トマト 向井 愉里
『合評会から』(酔吟会)
道子 リズムが良くて、気持よく読める句です。
光迷 週に二回ほど、近所の農家に野菜を分けて貰いに行っているので、それを思い出して頂戴しました。採れたての野菜は柔らかくて香りもあり美味しい。大葉や胡瓜なんかも貰いますけど。オクラ、ピーマンの緑、茄子の紺、トマトの赤と彩りもいいですね。
春陽子 夏の野菜が竹籠に満載、中七、下五にぴったんこの十二文字が感じを伝えます。また、名前を聴くだけで色まで感じさせてくれます。楽しい一句。
三薬 茄子だって、カタカナでいいのじゃないかな。
水牛 いや、オクラも、ピーマンも、トマトも近代に入ってきた外来種で、茄子だけは伝来の野菜だから、当然漢字にすべきでしょう。
* * *
「実家の裏の畑で今採れている野菜を並べてみました。量はほんの少しですが。字数と彩りから組み合わせを工夫しました」と作者は言う。千葉の内陸部の実家には高齢の両親が住み、今夏、無事会社勤めを卒業した作者はしょっちゅう里帰りできるようになり、菜園作業も手伝えるようになった。手入れが行き届けば野菜は見違えるように良く育つ。揃って卒寿を迎えられたご両親には孝行娘が何よりの元気の素になるに違いない。
(水 25.09.11.)
『合評会から』(酔吟会)
道子 リズムが良くて、気持よく読める句です。
光迷 週に二回ほど、近所の農家に野菜を分けて貰いに行っているので、それを思い出して頂戴しました。採れたての野菜は柔らかくて香りもあり美味しい。大葉や胡瓜なんかも貰いますけど。オクラ、ピーマンの緑、茄子の紺、トマトの赤と彩りもいいですね。
春陽子 夏の野菜が竹籠に満載、中七、下五にぴったんこの十二文字が感じを伝えます。また、名前を聴くだけで色まで感じさせてくれます。楽しい一句。
三薬 茄子だって、カタカナでいいのじゃないかな。
水牛 いや、オクラも、ピーマンも、トマトも近代に入ってきた外来種で、茄子だけは伝来の野菜だから、当然漢字にすべきでしょう。
* * *
「実家の裏の畑で今採れている野菜を並べてみました。量はほんの少しですが。字数と彩りから組み合わせを工夫しました」と作者は言う。千葉の内陸部の実家には高齢の両親が住み、今夏、無事会社勤めを卒業した作者はしょっちゅう里帰りできるようになり、菜園作業も手伝えるようになった。手入れが行き届けば野菜は見違えるように良く育つ。揃って卒寿を迎えられたご両親には孝行娘が何よりの元気の素になるに違いない。
(水 25.09.11.)