気がつけば尻の冷たき潮干狩   嵐田 双歩

気がつけば尻の冷たき潮干狩   嵐田 双歩

『この一句』

 千葉ニュータウン在住の作者だから、舞台は同じく千葉の富津海岸や九十九里浜のどこかであろう。毎年ゴールデンウイークともなれば、恐ろしいほどの数の家族連れが押し寄せ浜は芋の子を洗うような混雑となる。テレビニュースでお馴染みの光景である。
作者の子女は長じており、一家を立てて久しいだろうと思うから、家族の昔の思い出か、あるいは孫を連れての潮干狩り光景かと想像する。言われてみれば「あるある」という経験を句にし、四月例会で最高点を獲得した。軽みのある俳句らしい俳句で、作者の手練れぶりが遺憾なく発揮されていると思うのである。
 ここは孫との潮干狩りと場面を想定しコメントを続ける。昭和三十年代の銭湯のような込み具合だから、他の家族の侵入を許さぬよう〝領地を死守〟しながら孫の浅利掻きを手伝う。「ほれ、そこそこ」とでも言いながら中腰がだんだん低くなり、しまいには尻が海水についてしまう。孫も夢中、自分も夢中だから当座はズボンが濡れているのにも気が付かない。それなりに収穫を得て、やれやれと思った瞬間のこと。尻が冷たいのに思い当たり、触ってみれば濡れていたというのだ。
 さて、地元漁協の一部は浅利のほか人気の蛤も浜に撒いて集客を誘うようだが、コロナ禍二年目の今年の人出はどうだろうか。
(葉 21.05.07.)

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