盃置けばはや短夜の白み初め   大澤 水牛

盃置けばはや短夜の白み初め   大澤 水牛

『この一句』

 何とも羨ましい、溜め息が出そうな一句である。明け方までミステリー小説を読み耽っていたのか、句評などの書き物をしていたのか、詳しくは問うまい。盃を置き、ふと気付いて外を見れば、空は白み始めていた、というのだ。鳥の声が聞こえたかもしれない。「あぁ、もう朝か」とゆっくり周りを見渡す男の姿が浮かんでくる。
 羨ましく感じる第一の理由は、体力である。かつて昭和の末期、バブル経済の時代に夜を徹して遊んでいた覚えはある。しかし、あれから30年。そのようなエネルギーは失せた。第二の理由は、根気である。何事にせよ、一心不乱に夜を徹してという気力はなくなった。小生の場合、陶芸を趣味とするが、目が霞むのはともかく、集中力が途切れてしまう。
 新型コロナウイルスの登場で、暮らし方が大きく変わった。外出自粛、「三密」回避によって、居酒屋に立ち寄ることもほとんどなくなった。その結果、家飲みとなり、ついつい酒量は増えがちなのだと聞く。だからと言って、「休肝日を」とは言わない。それは24時間365日、真面目に働いている心臓に対して失礼だから。
(光 20.07.09.)

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