春の日や伸びして伸びぬ身と心  斉山 満智

春の日や伸びして伸びぬ身と心  斉山 満智

『季のことば』

 「春の日」は暖かい春の陽射しと、のどかな春の一日の二通りの意がある。句によっては両方の意味を持たせたり、どちらともつかない作品もあるというユニークな季語だ。この句はどちらだろう、両方かもしれない。
 麗らかな春のある日、作者は窓に差し込む春の陽射しを全身で受け、太陽に向かって思わず伸びをしたのだろう。ところがである。腕が思うように真上まで上がらず、無理をすると痛い。「あちちち」と小さく悲鳴を上げたかも知れない。五十肩は誰しも経験あると思うが、寿命が延びた今では六十肩や七十肩も珍しくない。肩関節は複雑で様々な筋が肩と腕を支え繋いでいて、その筋が老化で固くなり無理に耐えかねて炎症を起こすのが原因だそうだ。
 作者はさらにたたみ掛ける。心も錆び付いてしまった。若い頃は伸びやかでしなやかな感性を持っていたはずなのに、と。しかし、この句からはあまり切実な印象を受けない。むしろ気持ちにゆとりすら感じるのは、季の働きのおかげもあるのだろう。
(双 20.03.22.)

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