くちなしの香りあとおし出勤す  久保 道子

くちなしの香りあとおし出勤す  久保 道子 『季のことば』  梔子(くちなし)の花は六月から七月にかけて咲く。梅雨に入る前の、庭の植え込みから良い香りが漂って来れば、その正体がこの花である。もともとは山野に自生していた常緑低木だが、艷やかな葉の中に純白のぽってりした花を咲かせる様子と、その香りが愛でられて古くから庭木として改良されてきた。西洋にも似た種類のガーデニア(西洋くちなし)があり、それが日本にも来て混植されている。  ところで昨年来、コロナ禍によって勤務形態が大きく変わった。通常通り出勤する人数を絞り、社内の三密を減らして職場内でのコロナ感染を防ごうというわけだ。各職場とも出番表を作って、出勤する人と在宅勤務の人とを分け、相互の意思疎通はIT機器を活用して行う。  私の周りにも甥や姪や、そういう人間が目につく。「お前さん平日なのになんでぶらぶらしてるんだ。クビになったか」「叔父さん、ニュース見てないの。在宅勤務だよ」とバカにされる。  この句は久しぶりの「出番」の朝の情景であろう。在宅が長引いて、少々腰が重くなっていたのかもしれない。それを梔子の香りに励まされ、重い腰を上げたというわけだ。「いまどき」を詠みつつ、万古不変を感じさせる。 (水 21.08.05.)

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細き手や団扇の先に子の寝息    篠田 朗

細き手や団扇の先に子の寝息    篠田 朗 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 素敵な景ですね。寝ているお子さんを扇いでいる綺麗なママの白い指が眼に浮びます。 二堂 きっとお母さんと一緒に昼寝しているんでしょうね。ぐっすり寝ている様子がわかります。 而云 「団扇の先に子の寝息」はごく平凡。しかし改めて「上五」に目を戻したら、細き手に手首をぎゅっと掴まれてしまった。 迷哲 優しい風を受けて、すやすやと眠る子供の寝姿が浮かびます。            *       *       * 団扇の兼題句の中で、この句と「幼子に撫でるがごとく団扇風」(和泉田守)が目に留まった。どちらも寝入る子供に母親が団扇で風を送っている様子を詠んだもの。掲句は団扇を握る母の手に着目し「細き手」と優しさを視覚的に詠んでいる。これに対し幼子の句は「撫でるがごとく」と、母親の所作にこもる情愛を表現している。どちらも心惹かれたが、「細き手」の印象の鮮やかさからこの句を選んだ。細き手から団扇、眠る子へと視線がスムーズに導かれる。 作者は今どき珍しい四人の子持ち。子育てに追われた若き日に、家で何度も目にした光景に違いない。子供たちは成人し、今や孫もいる。かつての「細き手」は、今度は孫に向けて「撫でるがごとき」風を送っているに違いない。 (迷 21.08.04.)

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梅干しを見せられ唾液採る検査  高井 百子

梅干しを見せられ唾液採る検査  高井 百子 『合評会から』(酔吟会)   光迷 面白いけど、本当でしょうか。体験されたのでしょうか、話を聞いて……なのでしょうか。コロナ関連の検査かと想像しました。いかに科学が進歩しても、笑う他ない光景でしょう。 三薬 ヨタでもいい、面白ければ。と、さる大新聞の編集局長が、昔のたまわったとか。多分、この句もヨタ。でも、面白い。コロナなんか、笑い飛ばしましょうよ。 双歩 PCR検査を受けたことがありますが、唾液は意外と出ないんですね。なるほど、その手がありましたか。 てる夫 コロナの夏の貴重な体験。陰性でめでたしめでたし。        *       *       *  作者によれば、微熱があって喉が痛く風邪気味だったので、念のためかかりつけ医に診てもらった。その少し前に、(句会のため)県を跨いで移動した旨伝えたところ、唾液採取によるPCR検査となったとか。採取にあたり、看護師から梅干の写真を何枚か見せられたという。もちろん、結果は陰性だった。筆者も自治体が実施した高齢者へのPCR検査を受けたが、唾液を定量に満たすのに難儀した経験がある。そうか、梅干を見れば簡単だったのかと掲句を読んで納得した。  それにしても出来すぎで、作り話めいていたのか、選者が内容については信用してないのが面白い。 (双 21.08.03.)

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一汁と一菜でよし夏暖簾     和泉田 守

一汁と一菜でよし夏暖簾     和泉田 守 『合評会から』(日経俳句会) 明生 今も麻などの暖簾で暑さをしのいでいる人がいるのだな、と驚きました。しかも手間暇かけず簡単な食事で済ませているとのこと。昭和時代に東芝の会長などを務めた土光敏夫さんのような方だなと思いました。 百子 そうなんです。お料理はなんでもいいのです。ただ夏の夕暮れ、ちょっとおしゃべりをしに、飲みに行きたいだけなんです。行きつけの小料理屋に。 昌魚 もうおうち御飯には飽きました。何でもよろしい!早く暖簾をくぐりたいものです。 弥生 「夏暖簾」のなんと涼し気なことか。しかも一汁一菜のシンプルな食事も美味しそう。最低限の措辞でこんなにも季節感あふれる一句になっていることに感心しました。 てる夫 ずいぶん枯れた心境ですね。胃袋さえ許せば分厚いステーキに生ビールもいけますよ。 *      *      *  評者がこもごも述べているように、気のおけない小料理屋の情景と受け取った。常連が晩飯を兼ねて立ち寄るといった店である。ほのぼのとして感じの良い句だなと思った。そうしたら、作者の「自句自解」を読んで驚いた。「妻と二人で満一歳の孫娘を預かり、保育園状態。私が夕食を作る機会もぐんと増えましたが、ご飯を炊き味噌汁を作りおかずは一品。上五中七はそんな日常から浮かんできたものですが、季語は何か「食」を連想するものはないかと歳時記をめくり借りてきた塩梅です」と。作句意図と出来上がった句との乖離がこれほど甚だしいのも珍しい。こ…

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黙食やつるり飲み込む心太    徳永 木葉

黙食やつるり飲み込む心太    徳永 木葉 『この一句』  なんとも寂しい、哀しい光景ではないか。一読し、やりきれない想いが募った。暑い夏に涼気を味わい、楽しいはずの食べ物を、ただ黙黙と飲み込むだけ、というのだから。喉越しの爽やかさや仄かな甘味などを、目の前にいる同伴者と分かち合うことも難しいと思われる。そんな今年の夏の姿を、作者は怒りを抑え、堪え、淡々と叙している。 もとより、その原因は新型コロナウイルスにある。だが、ここまで禍を大きくしてしまったのは、政治・行政などの無為無策にほかなるまい。大谷翔平選手が活躍する米国の大リーグのオールスター戦では、観客が大入り満員、マスクもつけず大騒ぎしていた。同じ日、東京は四回目の緊急事態宣言の最中で酒類の提供は禁止という具合だった。 不景気な話は止めよう。今回のコロナをめぐっては「パンデミック」だとか「クラスター」などのカタカナ言葉が跋扈した。と同時に「黙食」とか「人流」など奇妙な漢語めいた言葉も目に付いた。これからの日本語はどうなるのか。そんなテーマで会食し、夜の更けるまで酒を酌み交わしたい。酒をコロナ拡散の元凶のように見る馬鹿な真似はやめて。 (光 21.08.01.)

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僅かなる片蔭に待つ赤信号    久保田 操

僅かなる片蔭に待つ赤信号    久保田 操 『合評会から』(酔吟会) 鷹洋 わかるわかる。片蔭を探して電柱に寄り添って信号が青になるのを待つ。2、3人が密になっていることもある。 水馬 私も影がどんなに細くとも影らしい黒いところに立ちますね。 水兎 私も3メートルくらい後ろの木陰で信号が変わるのを待ちます。真夏は僅かな陰でも違いを感じます。 *       *       *   今回「片蔭」に投句された23人の句のほとんどは視覚的であり、逆に取り合わせの句は二つ三つに過ぎなかったかと思う。目の前にある夏の外界、ことに歩いているとき立ち止まったときの描写が多かった。この句は信号待ちの作者が暑さに耐えかね、ちょっとの木陰に逃げ込む自画像を詠んだものだ。選句者も異口同音に「私もそうです。そうします」と同調している。たとえエアコンが十分利いた車を運転しているとしても、木陰のあるところまで進んで停車するのが人情だろう。まして太陽熱でとろけそうになった歩道にある作者にとって、片陰は砂漠のオアシスにほかならない。「僅かなる」が切実さとちょっぴりの情けなさを一語で表して実に効いている。 (葉 21.07.30.)

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三伏やたてがみ光る競走馬   加藤 明生

三伏やたてがみ光る競走馬   加藤 明生 『季のことば』  句を見て「そうだった」と思い出した。競走馬・サラブレッドの発汗はもの凄い。特に酷暑の時期、走り終えた時のたてがみや体毛が真っ白に見えるほどなのだ。かつて競馬に凝り、競馬場に通っていた頃は「体から塩が噴き出している」などと思っていたが、そうではなかった。ネット情報によれば「汗が気泡になり、白く見える」のだという。  ネット情報をさらに紹介する。競走馬が一つのレース(二千㍍前後か)を走ると、特に夏の発汗量はすごく、総重量は三キロほどになる(ある情報によると冬の七倍)。走り終えたばかりの馬はしばらく興奮さめやらず、首を振り、後ろ足で立ち上がろうとしたりする。このような時も、かつての私の心にあったのは「馬券が当たった」「外れた」ばかり。  「三伏」とは極暑の期間のこと。夏至の後の第三の庚(かのえ)日を初伏、そして中伏を経て、立秋後の第一の庚の日を「末伏」というのだという。何だかよく理解できない面もあるのだが、ともかく酷暑の侯、レース後の馬のすごい発汗もまた「三伏」のもたらしたものだ。かつての私は一体、馬の何を見ていたのだろう、と現在は反省している。 (恂 21.07.29.)

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遠雷や化粧落とせし我が素顔   田中 白山

遠雷や化粧落とせし我が素顔   田中 白山 『季のことば』  「遠雷」という季語とその響きには、多少の抒情と忍び寄る不安の影が籠っている。筆者の感覚だが、遠雷を聞きながら行く末や心配事をふと思うことがある。だれも雷が好きだという人はいないだろう。はるか遠くで鳴っている分には夏のひとつの風物にすぎない。ところがそれがだんだん近づいて来るとなれば、さまざまなおののきが生れる。ことに深夜であれば格別の思いがするだろう。近所あるいは最悪自分の家に落雷するのではなかろうかと。  この句の作者のことである。化粧を落としている最中というからまず就寝前か。遠くで雷鳴が聞こえる。「ああ、遠いな。心配ない」と実感し、稲光(これは秋の季語)がしてから雷鳴までの間を指折り数えるまでもない。ところが作者は驚いた。化粧を落とし終えた自分の素顔にである。急に年を取ったなと感じたのか、はたまた皺や染みが増えたのを発見したのか。もちろん寝る前に化粧を落とす習慣をもつのは女性であろうから、この句はとうぜん女性の作とみた。が、なんと名乗り出た作者は男性であり、しかも八十なかばのお方であった。みごとに騙された。化粧などするはずのない人がこんな句を作るとは一体なぜ。 「なりすましの句」の最たるものである。ブラックユーモア?いやはや、お若いです。 (葉 21.07.28.)

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初めての家庭菜園花胡瓜     池内 的中

初めての家庭菜園花胡瓜     池内 的中 『季のことば』  「花胡瓜」というのは、花を付けたまま可愛い実を成らせた胡瓜のことで、初夏の季語である。六月になり七月になっても相変わらず胡瓜は次々に花を咲かせ秋になるまで続くのだが、五月に初めて咲いたときの印象が実に感激的なので初夏の季語になった。 「花つき胡瓜」あるいは「花丸胡瓜」とも呼ばれ、日本料理の前菜や刺身のツマとしてよく登場する。ほんとにちびっこい2、3センチの緑色の胡瓜の先に鮮やかな黄色の花がついていて、演出効果満点なのでよく用いられる。  この句の「花胡瓜」は懐石膳ではなく、実際の菜園で生きている花胡瓜だ。作者は一念発起、家庭菜園を始めたのだろう。どこの家も大概は庭を耕してみると気づくのだが、土が固く締まり、石ころが意外に多いものだ。これを丁寧に拾い捨てながら土塊を崩し、園芸店で買い求めた堆肥などを入れて菜園の基礎を作る。そこに胡瓜の苗を植える。 最初はいかにも貧弱なひょろひょろ苗で、果たしてこれが実を結ぶのかと案じていたら、いつの間にか伸びてきて、支柱を立ててやるとそれに蔓を絡ませ、さらに伸びて、可愛らしい黄色の小花を咲かせた。その花の元にはなんとちっちゃな胡瓜が出来ているではないか。このワクワク感が「花胡瓜」の一語に生き生きと現れている。 (水 21.07.27.)

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向日葵が迎へてくれし無人駅   前島 幻水

向日葵が迎へてくれし無人駅   前島 幻水 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 昔、こんな風景の所に吟行に行ったことを思い出し、懐かしい景が浮かんできました。 可升 「また無人駅かぁ」と思い、採るのを躊躇したのですが、絵になるいい句だなと思い直し採りました。使い古された素材を使っていても、いい句はやはりいいですね。 光迷 「向日葵が迎へてくれし」で、無人駅になって寂しいけれども、なんだか暖かい感じがする。 水兎 無人駅にも、心遣いがあるのが嬉しいですね。 幻水(作者) 枕崎での実景です。            *       *       * 七月の番町喜楽会で最高点を得た句である。無人駅と桜など花を取り合わせた句は多い。向日葵も珍しくないかも知れないが、この句は「迎へてくれし」の七音から作者のいろいろな思いを読み取ることで、向日葵の印象がより鮮やかになる。誰もいないと思った無人駅に大きな向日葵を見つけた驚き、「ようこそ」と笑いかけるような花に感じる親しみ。向日葵に元気をもらった作者は、花を植えて旅人を歓迎しようという地元の人々の温かい心も感じたに違いない。 作者のコメントを少し補えば、この無人駅は薩摩半島の枕崎線にある西大山駅であろう。日本最南端のJR駅として知られ、雄大な開聞岳を望む畑の中にある。春先の菜の花が知られているが、近年は向日葵畑と開聞岳の写真も有名になっているという。 (迷 21.07.26.)

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