波静か夕日眩しき夏座敷     加藤 明生

波静か夕日眩しき夏座敷     加藤 明生 『季のことば』  「夏座敷」とは、襖も障子も取り払い、できるだけ開けっぴろげに、風通しを良くして、軒には風鈴や釣り忍などを下げ、涼しさを感じさせようとした座敷である。この季語を用いて俳句を詠む場合にはやはり誰しも、そうした趣を踏まえて、涼しげな感じを出そうとする。  しかし、この句は夕日が照り輝く夏座敷というのだから、恐らく西向きあるいは南西に開けた部屋なのであろう。房総半島の東京湾岸、真鶴半島、伊豆西海岸など、地形の関係からどうしてもそうした夏座敷が出来てしまうことがある。かなり暑そうである。そこがかえって面白い。強い日射しがまばゆいのに、妙に静かなのだ。  「波静か」とあるから、夕凪の頃合いか。海岸地帯では日中は海からの風が吹き、夜になると山側から吹き降ろしてくる。海風が陸風に切り変わる時間帯は無風状態となる。これが夕凪。夕日が沈む頃から暗くなるまでの間で、実に暑い。  昔、湯河原の海水浴場の知人の別荘に時折出かけたが、この句のような情景に何度か遭遇した。暑いことは暑いが、夕日に照らされてチカチカ光る小波が印象的で、やがて太陽が没し暗くなると、さあっと涼風が吹いて来るのだった。 (水 20.08.11.)

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からからと扇風機だけ母の死す  田中 白山

からからと扇風機だけ母の死す  田中 白山 『この一句』  扇風機が夏の季語である。扇風機は明治27年に国内生産が始まり、大正、昭和初期にかけ店舗や鉄道車両を中心に広がった。一般家庭に広く普及したのは戦後になってからで、当時は鉄製の三枚羽根が大半だった。昭和40年代以降はプラスチックの5枚羽根、7枚羽根が登場、音も静かで風量も豊かになった。エアコンが普及するまでは家庭の夏の必需品であり、歳時記には「扇風機さげて嫁いで来し妻よ」(轡田進)の例句もある。  掲句は扇風機と母の死を取り合わせて詠む。「からから」と回る扇風機は、武骨な昔風の鉄の羽根をイメージさせる。夏の暑い日に母親が亡くなった時、病床の脇に置かれた扇風機が乾いた音をたてて回っていたのであろう。母の臨終の記憶の中で、強く刻まれた扇風機の音。「扇風機だけ」という断定の言い回しが、その時の衝撃の大きさと悲しみの深さを表す。  作者は昭和一桁の生まれなので、若い頃に母親が亡くなったと考えれば、鉄の羽根を持つ扇風機と時代的に合う。あるいは実家では古い扇風機を長く大事に使っていたのかも知れない。母親が亡くなった時の心象風景を、からからと鳴る扇風機で表す。読み手の心に残る一句だ。 (迷 20.08.10.)

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残雪を靴に感じて夏の山    宇野木 敦子

残雪を靴に感じて夏の山    宇野木 敦子 『合評会から』(三四郎句会) 雅博 残雪を靴に感じるという表現が良いですね。 有弘 山歩きの人の実感でしょう。靴底の感触がいい。 尚弘 標高を残雪で表現し、夏山をうまく表現しています。 敦子 (作者) (雲取山へ登った時は) 八月なのに残雪があって、ザクザクと靴に感じながら歩きました。東京の山だからと甘くみてしまって、後半はキツかった。山小屋で一泊しました。           *       *       *  作者の登った雲取山は東京都の最高峰(標高二〇一七㍍)、埼玉、山梨両県にも接している。秩父山地にある相当大きな山で、日本百名山の一つ。登山口までバスで行って、登りは七、八時間かかるだろう。句会はコロナウィルス騒ぎを受け、選句やコメントはメールによる集計となった。そのために聞き漏らしたが、掲句は作者の何年か前の記憶によるものかも知れない。八十歳超の作者、今も健脚の持ち主だが、雲取となるとちょっと無理かな、と思う。 (恂 20.08.09.)

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長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜  大澤 水牛

長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜  大澤 水牛 『この一句』  8月1日、関東地方の梅雨がようやく明けた。当地の梅雨入りが6月11日だったから、明けるまで50日以上かかった勘定だ。過去の例と比べてもあまり意味はないが、つくづく今年は雨ばかりで、殊に豪雨は各地に甚大な被害をももたらした。  ある日、「長雨でベランダの野菜が駄目になった」と句友からメールが来た。「拙宅も似たようなもの。ところで水牛さん家はどうなのだろう」と筆者。大澤水牛さんは年季も知識も豊富で、野菜や花を育てるのが上手いのは有名なので、ちょっと気になった。句友曰く「大澤さんは玄人裸足だから、元気に育っているのでは」。というような遣り取りがあった直後、句会の選句表で掲句を見つけた。内容といい、詠み方といいこの句の作者は他に考えられない、と確信した。上記会話を聞いた本人から答をもらった気になって、「水牛さんのような名人でも駄目でしたか」とシンパシーを抱いて票を投じた。  作者によると「過度の湿気と日照不足で、うどん粉病に罹ったりと困りました」とのこと。句会では「俳句を詠んで楽しんでいる(春陽子)」「歌をうたっているような印象(てる夫)」「ユーモラスに詠んでいていい(満智)」など、軽妙な詠み方が好評で最高点となった。ところで、この句には季語が三つあるが、作者の見当がついたところで思った。「名人に定跡なし」。 (双 20.08.07.)

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寝ころんで独りに広き夏座敷   中村 迷哲

寝ころんで独りに広き夏座敷   中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 明生 伴侶を亡くされた方の句でしょうか。子供もみな巣立ってしまった。これからは、独りで生活しなければならない。それにはやや部屋が広すぎる。そんな寂しさを感じさせる句だと思いました。 水馬 連れ添いをなくされたのでしょうか。寝ころんで独りをしみじみ実感されたのでしょう。「広し」と切れを入れたほうが好きですが。 睦子 田舎の大座敷でしょうか、大の字になっても優雅な広さは贅沢だなあ。 二堂 座敷に寝転んだ子供の頃、座敷の広さが気になりました。そんなことを想い出させる句です。           *       *       *  作者の自句自解によると、佐賀の実家の座敷を詠んだものだそうである。ご両親が他界され、今は無人の家にお盆で帰省し、寝ころんだところ、親族が賑やかに集っていた頃との落差を感じたというのである。  田舎の昔風の日本家屋の座敷は広くゆったりと出来ている。その真ん中に大の字になれば、吹き通る涼風とひんやりした疊が心地良い。するとたちまち、昔のことが走馬燈のように次から次へと現れて来る。 (水 20.08.06.)

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万緑を真四角に伐り駐車場    今泉 而云

万緑を真四角に伐り駐車場    今泉 而云 『季のことば』  「万緑」という季語は俳句に親しむ人にとって、句作をそそる季語のひとつであると同時に実に難しい主題であると思う。目の前の景を詠めば事足るのだが、何百何千という類句がすでにある。あとはなにかに仮託して詠むか。これも万物の生命力を謳うにはなにか新奇性が欲しくなる。草田男の句の存在はあまりにも大きい。ポピュラー過ぎる季語でありながら、句会で大方を唸らせる句はそう多くないのが実状であるまいか。  この句は斬新である。樹木と草々の旺盛さを感じさせるのはもちろん、一転環境問題にも一言ありますと詠んでいるようだ。山間の最近脚光を浴び始めた観光スポットだろうか、車でやって来る観光客のために緑を根こそぎ伐り取って駐車場が出来たとみたい。緑一面の自然の中に人工物がポツンと。「こんなことをしないでもいいのに」と、メール選句の一人が慷慨していたが筆者も同意する気持ちがある。句評に戻って結べば、「真四角に伐り」ときっぱりとした措辞にそれが駐車場だというのが面白くもある。 (葉 20.08.05.)

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青田風マスク外して深呼吸    金田 青水

青田風マスク外して深呼吸    金田 青水 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 今時の感じですね。まさしくこんな感じです。 而云 句会によく出てくるような普通の句ですが、今のこの時代にマッチしている。 幻水 広々した田圃でマスクを外し、思い切り深呼吸する。新鮮な空気が気持ちいいのでしょう。 百子 以前だったら「青田風」が吹く頃に、マスクをしてる人なんかいないでしょうが、いまは、私の住む田舎の田圃を散歩する人でも、マスクをしている人がいます。 二堂 田舎道をマスクをして歩いていたのでしょう。用心深い人ですね。 命水 すがすがしい風が吹く時にはマスクを外して深呼吸したくなりますね。 満智 マスクを外した時の爽快感が実感できます。           *       *       *  「以前の句会にあったような気がする」という声が合評会で何人かから出た。確かによくありそうな句であり、何の変哲もない句だ。でも非常に気持が良い。「青田風」という季語のお蔭だろう。 (水 20.08.04.)

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井戸替やのぞき込む子の服掴み  向井 ゆり

井戸替やのぞき込む子の服掴み  向井 ゆり 『合評会から』(酔吟会) 三薬 私にもガキの頃井戸替えの作業を、びっくりしながら覗き込んでいた記憶があります。ホントに落ちそうで危なっかしい。服を掴んでくれた大人がいたか、記憶にはない。 道子 非日常にはしゃぐ子供と見守る大人。町内会の絆がうらやましい。 静舟 そんなに覗いたら危ないよ!子供は興味津々。親は冷や冷やで子の袖摑む。状況が面白い。 二堂 怖さ知らずの子供が井戸を覗き込んだのでしょう。危ないという思いがうまく出ています。 水兎 覗いてみたいですよね。私も現場に遭遇したら、絶対覗かせてもらいます。       *         *         *  「晒井」という兼題は馴染みがなく、筆者も初めて聞いた。傍題は「井戸替」、「井戸浚」。底に溜まった塵芥などの汚れを浚い、井戸を奇麗にし水の出を良くする作業だという。水道が普及する前は、夏の年中行事だったそうだが、今やめったにお目にかかることはない。句会では、身近に井戸があった頃の記憶を辿って作句した人が多かったようだ。  作者も子供のころの記憶を探った一人。かつて実家にあった井戸、のぞき込む弟、その弟をしっかり掴む母親の手、と次々と記憶の焦点が定まって、掲句になったという。ついさっき見てきた光景をスケッチしたかのようなリアルな描写がとても魅力的だ。季語には、眠っていた昔の記憶を呼び覚ます効果もあるようで、難しい兼題にも拘わらず、堂々の一席に輝いた。 (双 20.08.0…

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涼やかに岡虎の尾と平茶碗    久保 道子

涼やかに岡虎の尾と平茶碗    久保 道子 『季のことば』  「岡虎の尾」とは? と首を捻り、辞書を開く。「サクラソウ科の多年草。高さ40~80㌢、夏に白色の五弁花を湾曲した総花序を茎頂につける」などとある。野草らしいが、もう少し知りたいと全七巻の「季寄せ―草木花」で調べてみても出ていない。では歳時記は、これにも出ていない。岡虎の尾は季語ではないのだな、と独断する。  俳句を始めて半世紀余り。植物についてはそれなりに心得ているつもりだが、それらはほとんど「季語」に限られていたのだ、とこれまた独断。「草花のおおよそは季語と思いがちだが、そうとは限らない」などと書き、当欄の編集者・大澤水牛氏に送稿したら、「 “虎の尾”が季語ですよ」との指摘。いやぁ、参った、参った。  日本大歳時記で調べ直すと「虎の尾」しか項目がない。ならば、とネットで検索したら、虎の尾には「岡虎の尾」と「沼虎の尾」があるという。岡虎の尾の写真もあり、太そうな花穂に五弁の白い花がびっしりと咲き、先は垂れ下がっていた。この花に平茶碗を配した様子を思い浮かべる――。ようやく端正な茶室が浮かび上がって来た。 (恂 20.08.02.)

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部屋干しの下でうたた寝半夏雨  嵐田 双歩

部屋干しの下でうたた寝半夏雨  嵐田 双歩 『合評会から』(酔吟会) 而云 独り者の頃、こういうこともあった。 睦子 自分のことを見られたような気がしてしまいますが、とても面白い。 水兎 雨やコロナで外にも出られず、家の中は洗濯物がぶらぶら。ユーモラスな場面が秀逸です。           *       *       *  半夏生、今年は七月一日で関東地方は大雨だった。半夏雨が降ると、その年は雨が多く、台風シーズンも大荒れとの言い伝えがある。ともかく梅雨の最中だから降るのは当たり前、部屋干しもやむを得ない。あれこれ工夫して部屋中に吊り下げ終えたら、疲れがどっと出て思わず昼寝という図であろう。しかし頭の上に洗濯物がぶら下がって、なんとも鬱陶しい。その感じがよく出ている。  それはそうと、作者は職を退いて以降、家の洗濯担当を引き受けたのだという。だからお天気には一層関心を抱くようになったとか。「風があって乾燥した日は気分も最高。だけど今年は部屋干しが多くなって・・」とぼやいている。  それにしても洗濯係を引き受けたとはエライもんだなあ。うちのカミサンにはこのブログ見せられないなあ。 (水 20.07.31.)

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