雛の顔家族誰にも似てをらず   斉山 満智

雛の顔家族誰にも似てをらず   斉山 満智 『合評会から』(番町喜楽会) 木葉 雛の顔が家族の誰にも似ていないという意味のほか、家族同士は誰一人似た顔がいないという解釈もできそう。平安貴族顔は現実にそういないのは当たり前で、ちょっと苦しいが後者と取った。雛の顔を見つめつつ、そうだなあと肯いている作者だろうか。 白山 読んで思わずクスッと笑ってしまいました。 満智(作者) 幼い日に飾られていた雛人形を思い起こし、当時感じたままを詠んだものです。男雛と女雛のみのシンプルな親王飾りでしたが、幼いながらも人形の高貴で上品な美しさに感銘を受け、同時に、家族の誰にも似てないなあと思った記憶があります。             *       *       *  「言われてみれば、その通り」で、率直な感想を忌憚なく句に纏めた手際に感心しました。新聞などでタレントやスポーツ選手などをモデルにした変わり雛が話題になることはあります。しかし、家や店先に飾るものとなると、そもそも誰の顔、姿なんでしょうか。七福神には各人にいわれがあるのですが…。来年、紙雛を作り、家族の顔にしてみませんか。男雛、女雛だけでなく、五人囃子などもいるから、役を割り振って。 (光21.03.16.)

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籠り居や雛と分け合ふ菓子あられ  前島幻水

籠り居や雛と分け合ふ菓子あられ  前島幻水 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 虚実はどーでもいい。情景がきっちり、過不足なく描かれていて、しかも説得力のある詩情が流れている。 斗志子 例年だったら雛祭には近所の子も交え賑やかなのに。今年は雛に語りかけつつ菓子をぼそぼそ一人で食べている。寂しさがぐっとくる。 二堂 ちょっと寂しい雛祭ですね。コロナ禍で仕方ないですね。          *      *     *  同じコロナ禍にある雛祭だが去年と今年に違いはある。去年の三月はコロナの流行が顕著になり始めた頃、今年は非常事態宣言下の三月三日。一年を経て巣籠り生活に慣れたとはいえ、新たな敵・変異種の出現があり緊張感は増している。孫たちを招いて雛祭のひと時を楽しむのは憚れ、それでも祖父母はお決まりのように雛を取り出し部屋を飾りたてる。老夫婦二人だけの雛祭は言葉少なく寂しい。ばら寿司や蛤の吸い物は作ったのだろうか。雛壇にはあられや菓子があるが分け与える孫はいない。雛が孫の代わりだと思いつつ、非常事態下の今年は二人で食べるしかない。 (葉 21.03.15.)

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受付に手彫りの雛や婦長作   玉田 春陽子

受付に手彫りの雛や婦長作   玉田 春陽子 『この一句』  筆者を含めて、この句に点を入れた人はみな下五の「婦長作」に惹かれて採っている。「婦長作」というきっぱりとした措辞が、うまく一句を締めている。手彫りの自作雛を病院に持って来て受付にそっと飾るこの婦長さんが、部下や患者から愛されている人であろうことが句の雰囲気から読みとれる。想像をたくましくすれば、手彫りの雛の映像すら浮かんで来そうである。  ところで、看護婦を看護師と呼ぶようになって久しいのに、婦長さんはいまだに婦長さんなのだろうか、とふと思った。幸いにしてと言うか、この場合は残念ながらと言うべきか、あまり病院のお世話になっていないので実態を知らない。ネットで調べてみると、2002年に「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」となり、その時から「看護婦長(婦長)」は「看護師長(師長)」となったようだ。時を経て「看護師」という呼び名は定着しつつあるが、「師長」という呼び名は筆者などには耳慣れない。  たとえば、この句の下五が「師長作」だったら高得点句になったかというと、おそらくそうはならなかった気がする。やはり「婦長作」だから点数が入ったのだろうと思う。男女同権はもとより推進されるべきだが、こういうところはやはり慣れるのに時間がかかるような気がする。蛇足ながら、この「みんなの俳句」のコメント執筆者が全員男性なのが最近すこぶる気になっている。求む!女性執筆者。 (可 21.03.14.)

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土雛の点が三つの目鼻かな    廣田 可升

土雛の点が三つの目鼻かな    廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 金田 完成度の高い俳句です。季語もリズムも措辞も575に収まり、しかも読み手を穏やかなところへと運んでくれる。 山口 時々見かける粘土の手作り雛が私は好きだ。ちょこんと顔に三つの穴。作り手によって色々味があり愛嬌がある。 澤井 素朴な土雛の姿がよくわかります。        *       *       *   3月初めの句会の兼題は、季節に相応しく「雛祭」。投句作品の内容は、雛祭と家族のこと、あるいは雛祭に寄せる心情などを詠んだもののほか、雛人形そのものの表情や形状などを詠った句が多かった。その中でも江戸時代の享保年間に広まったという「享保雛」、山口市の漆塗りの「大内人形」、そして掲句の「土雛」が目を引いた。  衣装を纏った高価な人形とは対極の土を捏ねただけの手作り雛。しかも目鼻は丸い箸の先か何かで穿った小さな穴だけ。原始的な分、アニミズムの雰囲気が漂い、「人形(ひとがた)」や「形代(かたしろ)」も想起される。掲句に出会い、雛祭の起源に思いを馳せるのだった。 (双 21.03.12.)

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雛の間をそっと覗きて妻一人   野田 冷峰

雛の間をそっと覗きて妻一人   野田 冷峰 『この一句』  子供たちは成人し、それぞれがすでに新家庭を築いている。夫が広い家の中の一室をそっと覗く。妻が正座し、飾り終えた雛段をじっと見上げていた。子供たちの家族はこの時期になると、孫を連れで「ウチの雛様」に会いにくることもあるが、今年は誰も来ない。コロナ騒ぎが納まるはずの来年はどうだろう・・・。そんな場面だ、と私は解釈した。  作者の名が分かってオヤと思った。作者の奥さんは先年、亡くなられていた。腕利きの事件記者であった作者は愛妻家として知られてきた。句会に入った後は奥さんを詠んだ句を多く作り「また彼の愛妻ものが出て来たな」などと句仲間をニヤリとさせていた。奥さんはしかし、もう居ない。すると回顧の作か、奥さんの幻の姿を詠んだのだろうか。  女性の雛人形への思いは、男が理解出来ないほど深いものらしい。句中の女性は、二月の半ばから雛飾りを始めていたのだろう。飾りながら、娘の初節句の頃、幼稚園の頃、そして結婚し「お雛様は置いていく」と言って、新家庭を作った頃のことも甦って来る。作者の脳裏には、お雛様をじっと見上げている女性の姿が浮かんでいるに違いない。 (恂 21.03.11.)

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初孫は女の子とや福寿草     谷川 水馬

初孫は女の子とや福寿草     谷川 水馬 『この一句』  孫を詠んだ名句を寡聞にして知らない。名のある俳人にも孫の句はあるが、人口に膾炙するような作品はなさそうだ。一方、子供を詠った名句は多い。「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(中村草田男)や「あはれ子の夜寒の床の引けば寄る」(中村汀女)など数え上げればいくらでも思い浮かぶ。  その違いは何だろう。筆者が思うに、育てる責任の軽重ではないだろうか。孫も一つ屋根の下で一緒に暮らしている、あるいは何らかの理由で親代わりに孫を育てている、というようなケース以外は、孫とは離れて暮らしているのが一般的だろう。自分の血が繋がった幼子は、なにしろ可愛い。たまにしか会えない場合はなおさらだ。もうデレデレである。しかし、孫が泣き出せば親にバトンタッチ。お襁褓なのか空腹なのか、ジジババの出番はない。子育てはそうはいかない。夜中に我が子が泣き出せば、どんなに疲れていても起き出して面倒をみなければならない。玩具やおやつの与え方一つをとっても、親と祖父母では異なる。猫かわいがりすれば済む孫と、日々育児に向き合わなければならない吾子との違い。それが句に滲むから孫の句は客観的にみて「甘い」のだろう。  ところが、掲句は孫の句にしては珍しくべたついた感じがない。福寿草の季語がよく働いているが、何といっても「とや」が効いている。つまり「初孫は女の子らしいよ」と、他人事なのだ。なるほど、自分の孫を詠んでないからデレデレいてないのだ。 (双 21.03.10.)

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閉校の門のあおぞら辛夷咲く   廣上 正市

閉校の門のあおぞら辛夷咲く   廣上 正市 『季のことば』  春爛漫の代名詞ともいうべき桜はもちろん春の花の最上位だが、辛夷も早く咲くだけ春の幕開けを感じて地位は揺るがない。大ぶりな白い花は清潔感があり、清楚な女性を思わせるとは筆者の勝手なイメージである。都内では六義園の枝垂れ桜と大辛夷が名高いようだ。「朝風や辛夷まぶしき六義園 光迷」「六義園大傘のよう大辛夷 てる夫」も句会に出た。場所はどこであっても辛夷の居場所として不足ない。なにしろ清楚な女性の姿であるからだ。  少子高齢化にともない、最初に小学校の統合や廃校が避けられなくなる。ネットを開いて驚いた。都内しかも都心三区(千代田、中央、港)の戦後の廃小学校は三十五もある。人口減が著しい地方は推して知るべし。作者は北海道出身だから身をもって廃校の現実を見聞きしてきたに違いない。桜は入学の喜びを伝える花に対し、辛夷は卒業の哀感を呼ぶ花と言ってもいいかもしれない。この景は閉校が決まったか、廃校後の小学校と見立てる。くたびれた門の前に立つと哀しいまでの青空。辛夷の白い花が咲いている。卒業生を見送る女教師の姿が重なってくる。辛夷はそんな花であろう。 (葉 21.03.09.)

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一本の白き森なる大辛夷     星川 水兎

一本の白き森なる大辛夷     星川 水兎 『この一句』  辛夷はモクレン科の落葉高木で、春になると真っ白な花を枝いっぱいにつける。日本全国に自生するが、山地などでは高さ20メートルにもなるという。葉に先立って花が一斉に咲くので、大きな木全体が白く輝いて見える。その様を「白き森」と捉えた感性、表現力が、この句の眼目であり、全てであろう。辛夷の姿・特質をズバリ捉えた「一物仕立て」の句のお手本といえる。  メール形式で開いた句会でも高点を得た。「六義園でしょうか。大辛夷が一本の森だなんて、しゃれています」(百子)、「白き森が印象的」(光迷)など、評者全員が「白き森」の表現に心を動かされた。作者によれば、六義園や新宿御苑で実際に見た大辛夷を詠んだものという。「地面に散った花弁を見つけて見上げると、大きく広がっていて、一つの世界のようだなぁと思った」とコメントしている。その時の感動が「白き森」に凝縮されているのであろう。 ところで六義園は柳沢吉保の屋敷にあった庭、新宿御苑は信州高遠藩の屋敷跡で、いずれも江戸時代の大名屋敷跡である。六義園から近い小石川植物園(旧幕府の御薬園)でも大きな辛夷の木が見られる。春風に誘われ、江戸の遺産ともいえる庭園を訪ね、辛夷の「白き森」を見てコロナの憂さを晴らしたい。 (迷 21.03.08.)

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【番外】ヺブラダ句の「受け月」について

【番外】ヺブラダ句の「受け月」について  3月7日付けの本欄で髙橋ヺブラダ氏の「受け月」についてのコメントを載せた。これに対して而云氏から以下のような「問い合わせ」が届いた。  「・・・『受け月』は知りませんでした。広辞苑、平凡社の大辞典には出ておりません。天文用語なのでしょうか。ネットでは『上弦の月』と説明しておりますが、(水)さんの解説を読み「それでいいのかな?」とも思っています。そのあたりの説明を頂ければ、と思います。而云」  なるほど、まことに言葉足らずと言うか、書き方がまずかったと反省している。誤解を招いたのは特に以下の記述のようだ。  「・・・満月が過ぎると月の出がだんだん遅くなり、それと共に右側が欠け始め、下弦の月になる。それが夜も更けてから現れ、夜明けに西の空に盃のように浮かんで、やがて日の出と共に見えなくなる。春であれば、まさにこの句のように「春に溶け込む」感じがするであろう。・・・」  下弦は「満月から新月に至る半月間」を言い、その中間に当たる月齢22,23日(旧暦22,23日)には右半分が欠けた形で真夜中に南中する。やや右に傾いた形で、弓の弦が下向きかげんなので「下弦の月」とか「しもつゆみはり」と呼ばれた。そして毎晩右側が削られて行き、月の出が遅くなり、月齢27,28日(今年で言えば3月10,11日)になると、もう夜明け間近にごく細くうすぼんやりとした受け月になって「月の入→日の出」となる。そして3月13日は新月で、翌日から右下隅からうっすらと、日の入り直後に現…

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朝まだき受け月春に溶け込みぬ 髙橋ヺブラダ

朝まだき受け月春に溶け込みぬ 髙橋ヺブラダ 『おかめはちもく』  「朝まだき」は夜の明けきらない早朝を言う。「まだき」は「未だき」で、「そうならないうち」という意味だ。「愛しいお方が朝まだきに帰って行かれる・・」というように、「早くも」「もう・・」といった意味合いで使われる。源氏物語や伊勢物語などにも出て来るし、古歌にも盛んに用いられている優雅な言葉だ。この句も、そうしたロマンチックな情趣をたたえたなかなかの句である。  「受け月」というのは曖昧な言葉で、上弦でも下弦でも、あるいは三日月でも、時間を問わなければ受け月になることはしょっちゅうである。ただここでは「朝まだきの受け月」ということだから、昔からの言葉で言えば「有明の月」ということになろう。満月が過ぎると月の出がだんだん遅くなり、それと共に右側が欠け始め、下弦の月になる。それが夜も更けてから現れ、夜明けに西の空に盃のように浮かんで、やがて日の出と共に見えなくなる。春であれば、まさにこの句のように「春に溶け込む」感じがするであろう。「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際すこし明かりて・・」(「枕草子」冒頭)の頃合いである。明日八日あたりから十一日頃まで明け方五時過ぎには、この句のような受け月が見られるかも知れない。  とても感じの良い句だが、上五に「朝まだき」と置いたためにやや平板になっているのではなかろうか。「受け月の春に溶け込む朝まだき」とした方が、春の夜明けの情趣が深まるような気がするのだが・・。語順によって句の印象はが…

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