初春や女は度胸丙午       岩田 千虎

初春や女は度胸丙午       岩田 千虎 『この一句』  日経俳句会の1月例会に出された新年詠だが、干支の「丙午(ひのえうま)」と女性が活躍する社会状況をリズムよく詠み込み、二席となった。頼りない男が増えた世相を踏まえ、「女は度胸」と言い切ったところに、丙午の迷信を吹っ飛ばす勢いを感じる。  丙午は十干の「丙」と十二支の「午」を組合わせた干支で、60年に一度めぐってくる。丙午生まれの女性は気性が激しく、男を食い殺すという迷信は、江戸初期に丙午の年は火事が多いという俗説があり、八百屋お七の大火と結びつき広まったとされる。  明治以降に、丙午の女性の破談や自殺が新聞などに取り上げられたことで全国的に広まり、出生率にまで影響するようになる。特に1966年(昭和41年)は出生率が前年より25%も落ち込み、丙午ショックと呼ばれる社会問題となった。  作家の酒井順子さんはその66年丙午生まれ。最近「ひのえうまに生まれて」という新刊を出し、江戸から現代までの資料をもとに、迷信の正体に迫っている。本の中で、丙午生まれの女性に勝気、気が荒いという偏見を背負わせることで、逆説的に「女性はこうあるべきだ」という男性中心の女性観を示したと分析。メディアの報道が「女性観への同調圧力」として働いたと述べている。  掲句の作者は丙午ではないが、こうした事情をよく知る世代。自句について「女はおとなしく男に従っていればいいという価値観なんて、丙午らしく蹴っ飛ばし、女は度胸で前向きに生きていこう」とエールを送っ…

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初茜やがて消え行く去年の星    篠田 朗

初茜やがて消え行く去年の星    篠田 朗 『季のことば』  「初茜」は元朝の日の出前に東の空が茜色に明らむさま。金色に染まる太陽が徐々に昇ってくる。新しい年の始まりを待つ希望と清々しさをよく表している季語だ。今年の元日、ちなみに日本で最初に初茜と日輪を拝むのは北海道・納沙布岬の6時46分だそうだ。東京で6時51分、一番遅い西の果て沖縄の与那国島は7時31分だった(現地の天候は知らないが)そうだ。その差45分、つくづく日本は南北に長いが東西も広い。  作者はどこで初日の出を迎えたのだろうか。関東では千葉・犬吠埼が6時46分ということだが、今年の関東は晴れなので、埼玉に住む作者の自宅でも初日を望めたろう。この句は日の出前の感慨を詠んでいて、好きな句だ。空が白み周囲も明るさを増し、やがて夜の闇が失せてくる。まだ満天の星は完全に輝きを失っていない。薄い光の星から視界を消えてゆく。初日を待ち望みながら、これらの星々はやがて消え朝の世界へとなり去年の星となるのだと、作者はふと気づいた。一年の転移の瞬間を捉えており、「去年今年」の季語も念頭にあったと思う。一躍脚光を浴びるものがある反面、去りゆくものがあるという情感に共感を覚える。  良寛の辞世句に「散る桜残る桜も散る桜」があり、人生の常理を詠んだ。掲句について飛び跳ねた解釈をすれば、宇宙の真理をさりげなく伝えているようにも思う。二つの句はそれぞれ句意が当然違うのだが、どこか似た雰囲気を感じさせる。 (葉 26.02.01.)

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餅つきを遠くから見る反抗期   中嶋 阿猿

餅つきを遠くから見る反抗期   中嶋 阿猿 『合評会から』(日経俳句会) 千虎 去年まで家族と楽しそうに餅つきしていたのに、反抗期の子って難しいですね。 静舟 よく分かるなあ。恥ずかしいのか?照れか?大人の行事に加われず遠くから見守る子供大人! 道子 賑やかで楽しげな餅つき故に入りにくい気持わかります。 百子 本当はみんなと一緒につきたいのにね。反抗期によくある景です。 ヲブラダ 最近の光景ではなさそうなので、ひょっとすると反抗期は昔の作者自身か。 定利 反抗期の句、上手いです。今回で一番いい句と思いました。           *       *       *  合評会ではこれは何歳くらいの子供かということが話題になった。反抗期は個人差があるが、概ね2歳から4歳くらいの自我が芽生える頃に出現するのが第一反抗期、7歳から10歳あたりで中間反抗期、11歳から15歳くらいで現れるのが第二反抗期と言われている。この句はまさに第二反抗期。小学校6年生から中学生だろう。何に対しても距離を取る。しかし対象に興味はある。そこで「遠くから見る」ということになる。側から見れば拗ねた感じで「はっきりしなさい」ときつく当たったりしがちだ。そうするとますますいじけたり、時には粗暴な振る舞いに出たりする。とにかく難しい。この句はそうした多感な子供大人の生態を実によく伝えていると同時に、愛情があふれている。 (水 26.01.31.)

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初春やただただ一茶の境地なり  藤野十三妹

初春やただただ一茶の境地なり  藤野十三妹 『合評会から』(日経俳句会) 光迷  一茶の境地とはどういうことか。遺産争いか、拗ね者か、動物愛護か…。「めでたさも中位」なら、以て瞑すべし。 枕流  日本そして世界の「春」もめでたさは中ぐらいですね てる夫  一茶の境地をここで書き込むのは、大変です。今年は一茶の二百年忌、人気の秘密は学びがいがあります。 富士子  初春の心境を美しく表現されていると思いました。           *       *       *  一茶の正月句といえば「目出度さもちう位也おらが春」。俳句好きならずとも口ずさむ代表句の一つである。未刊だった自著『俳諧俳文集』が死後刊行され、所載の句から「おらが春」がその書名に取られた。一茶57歳、一年間の出来事が載っている。知られるように一茶の晩年は異母弟との遺産相続争いに明け暮れた。晩婚で授かった長女を失った後でもあった。雪深い柏原(長野県信濃町)で名利も幸せもなく、正月の目出度さもほどほどだとその心境を詠んだ。  夫を亡くして久しい作者は、一茶のこれらの境涯を思いながら「私も同じようなものよ」と、言いたいのだろう。中八が残念だが「ただただ一茶の境地なり」が、今の世相とも交錯するようである。 (葉 26.01.29.)

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藪入や掃除ロボット充電中    嵐田 双歩

藪入や掃除ロボット充電中    嵐田 双歩 『季のことば』  藪入(やぶいり)とは商家の奉公人が1月16日と7月16日に、休みを一日貰って親許に帰ることである。江戸時代に広まった風習で、第二次大戦後に休日制度が整備されるまで続いた。7月16日は後の藪入と呼ばれ、単に藪入といえば正月のそれをさす。年に2回しかない休みなので、奉公人も帰りを待つ親も大変楽しみにした。藪入の道行を描いた蕪村の詩「春風馬堤曲」の末尾に引かれた、炭太祇の「やぶ入の寝るやひとりの親の側」の句は、その心情をよく表している。  掲句はその古めかしい季語に現代的な掃除ロボットを取合せ、おかしみと心の温もりを感じさせる。最近の掃除ロボットは、作業を終えるとステーションに戻り、自動で充電する。年末の大掃除で活躍し、正月は充電ステーションで待機しているロボットが、のんびり休みを取っているように見えたのではないか。そこに藪入の言葉をもってきたところに、作者の機知とロボットに注ぐ温かい視線を感じる。  作者は家で拭き掃除係を務めているらしく、広い所はロボットを使い、洗面所など狭い場所は手拭きしているという。年末の句会で「柚子の香の残り湯絞り拭き掃除」の句で高点を得たのも記憶に新しい。産業用ロボットにも名前を付けて愛用するのが日本人のメンタリティーである。作者もきっとロボットを名前で呼んで、一緒に掃除に精を出しているに違いない。 (迷 26.01.27.)

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縛られし地蔵静かに冬日浴ぶ   岩田 千虎

縛られし地蔵静かに冬日浴ぶ   岩田 千虎 『この一句』  小石川七福神吟行をした折に、茗荷谷の林泉寺で詠まれた句である。このお寺は七福神詣の「番外」の寺であるが、境内にある縛られ地蔵が有名だと聞かされて階段を上がってみた。見れば、そこそこの背丈の地蔵さまが、細い縄で幾重にも縛られている。お寺の説明によれば、盗難避けや厄除けの祈願をしたい人が縛り、年末には縄がほどかれ供養されることになっているようだ。縛られ地蔵の由来は、講談の「大岡政談」に出て来るのだが、残念ながら、これは隅田川に近い業平(現在は葛飾水元)の南蔵院の話として語られることが多い。おそらく、この寺にも同じような伝承があったのだろう。  お地蔵さまは、涎掛けをされたり、帽子をかぶせられたり、化粧をされたり、塩漬けにされたり、こうして縄で縛られたり、今どきの言い方をすれば「いじられキャラ」の菩薩である。同じ菩薩でも、弥勒菩薩や、観音菩薩にこんなことをすれば、それこそ罰が当たりそうなのに、地蔵菩薩では許される。  東京ではさほどでもないが、京都や大阪では町内ごとに「地蔵さん」が祀られ、とりわけ子供を護る仏として、庶民にとって馴染み深い存在である。そんな無碍の地蔵であればこそ、幾重にも縛られながらも「静かに冬日浴ぶ」泰然たる姿がとても相応しく思える。 (可 26.01.25.)

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ネクタイを締めて五日の顔となる 中村 迷哲

ネクタイを締めて五日の顔となる 中村 迷哲 『この一句』  今年の一月四日は日曜日だったので、五日が仕事始めの職場が多かった。「仕事始めの気分が上手に表現されている。ネクタイと五日の顔の組み合わせが秀逸(千虎)」。「この年になってもスーツを着てネクタイを締めるとピシッとした気持ちになります(枕流)」。「懐かしい。最近はネクタイのしめ方を忘れてしまった(定利)」。などなど、現役、OB、さらには男女を問わず16票もの支持を集め、新年早々の句会で堂々の天の位に輝いた。  「五日」は新年の季語、と当ブログの1月5日付けで書いたばかりなので、重複する情報は省くが、最近出版された『角川大歳時記』よると「一月五日のこと。四日についで仕事始めの日とするところが多い。かつて宮中では叙位の日、木造始(こづくりはじ)めの日であったという。(岸本尚毅)」とある。作者もこの歳時記を読んだようで、「最初は四日で作ったけれど、歳時記で調べたら五日の仕事始めもあったので、今年はちょうど合うな、と」。  たまたま今年は仕事始めが五日だったが、来年(四日が月曜日)であっても成立しそうだ。昨今は、ネクタイを締めなくても目くじら立てることもなくなったが、やはりネクタイを締めると、「さあ今日から仕事」というスイッチが入る。下五の「顔となる」も素直な着地で、好感が持てる。以前、作者は「黒靴を履かぬ月日や白き黴」と詠んで、現役を退いた句友の共感を呼んだ。サラリーマンのなにげない心情を五七五に掬うのが上手い。 (双 26.01…

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声明の一山揺らし冬木立     徳永 木葉

声明の一山揺らし冬木立     徳永 木葉 『合評会から』(酔吟会) 千虎 席題に「声」が出て四苦八苦しましたが、「声明」を持ってくるとは素晴らしい。「一山揺らし冬木立」も、厳しい寒さと堂内に響く声明がイメージされる、格好いい句です。 鷹洋 新年明けの坊主読経の大音声。木立の雪がどさっと落ちるほど。オーバーな表現がおもしろい。 迷哲 この句は採り損ないました。読んだ時に冬木立に引っ張られて、一山を普通の山と思ってしまった。寺を意味する一山だったのですね。席題句とは思えない完成度の高さです。 青水 席題の「声」で、この句が出てきたのに驚いた。出来過ぎだなあ。           *       *       *  これはいい句だなと感じ入った。「声」という席題に咄嗟に反応してこういう句を作るというのは並大抵ではない。作者は「声」という題に、即座に「声明」という言葉が浮かび、比叡山の大勢の僧侶の声明が冬木立の中に漏れ出している光景をイメージしたという。恐らくその時の印象がよほど強かったに違いない。  声明は何を言ってるのかさっぱり分からない呪文みたいなものだが、厳寒の中じーんと沁み渡ってくるようで、なんとも言えない厳粛な気分に浸る。まさに「一山揺らし」という大袈裟な表現が不自然ではない感じである。 (水 26.01.21.)

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ひいふうみい小松菜を引く母の声 向井 愉里

ひいふうみい小松菜を引く母の声 向井 愉里 『合評会から』(酔吟会) 水牛 これはしみじみとして、ほのぼのとして、実にいい句だなあと特選にしまし た。高齢のお母さんが家族の人数分だけ採ろうと、数をかぞえながら小松菜を取っているんですね。一月六日の情景じゃないかなと思いました。亡くなった母親を思い出しました。庭先でね、翌日の七草粥に入れる小松菜を引いていました。やはりぶつぶつ何か言いながらやっていました。その姿がぼーっと浮かんできました。 迷哲 席題の「声」に対して、高齢の母さんがひいふうみいと小松菜を引く場面が良く出て来たなあと感心しました。普通の句として十分通用するいい句です。 愉里(作者) もともと小松菜をとる老母と詠んだ句を考えてきたのですが、席題を見て、「母の声」とする方が断然いいと思いました。実際には一二三ですが、だいたい一度に採る株数を決めて採るようです。           *       *       *  「声」の席題に身近な母親を詠んで心温まる句になった。選句評にあるようにいい情景です。裏庭でおそらく家族を思いながら小松菜を抜いている。昔の母親の優しさが滲み出ていて懐かしさを覚える。  「ひいふうみい」と小声が聞こえてくる場面が映像的に伝わってきた。山口百恵の歌う「秋桜」の雰囲気が漂うようだ。庭先で古いアルバムを開きながら、何度も同じ話を繰り返すあの母親の姿を彷彿とさせる。作者が得意とする家庭俳句のひとつである。 (葉 26.01.19.)

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硯海を一気に干して吉書かな  玉田 春陽子

硯海を一気に干して吉書かな  玉田 春陽子 『季のことば』  吉書(きっしょ)とは書初の傍題で新年の季語である。歳時記には筆始、試筆なども載っている。初硯という同類の季語もある。書初は「年が明けて初めて筆を執り、字や絵を描くこと。多くは一月二日に目出度い言葉を選んで書く」(角川俳句歳時記)。古くは宮中行事だったが、室町時代に吉書始として幕府の正月行事となり、江戸時代以降に庶民にも広がったとされる。  掲句は書初の様子を格調高く詠み上げ、酔吟会の初句会で別の句と並んで最高点を得た。硯海とは擦り下ろした墨をためる硯のくぼみを海に見立てた言葉。「一気に干して」の措辞から、大筆にたっぷりと墨を含ませ、一気呵成に筆を走らせる様子が浮かんでくる。硯海とか吉書とか、普段目にしない言葉が逆に新鮮で、正月の改まった雰囲気が伝わってくる。  吉書には昔は「長生殿裏春秋富不老門前日月遅」という漢詩がよく用いられたらしいが、 学校の書初などでは「初日の出」や「前途洋々」など四字熟語が多い。句会での作者の弁によれば、能筆の友人からの年賀状に書かれた一字から句想を得たという。作者が実際に吉書したら、どんな言葉が躍ったのであろうか。「悠々自適」か「句作一生」か、あるいは「塞翁之馬」か、そんなことを考えてみた。 (迷 26.01.17.)

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