薄紅を武骨に齧る新生姜     今泉 而云

薄紅を武骨に齧る新生姜     今泉 而云 『季のことば』  実りの秋は様々な作物が収穫され、初物が食卓にのぼる。新米をはじめ、新大豆、新胡麻、新蕎麦、新酒など「新」のつく秋の季語は多い。新生姜もそのひとつ。生姜は春に植え付けて、夏から秋に収穫する。出回りの頃の新生姜は繊維が柔らかく、辛さも控えめで、いろんな料理で食卓に登場する。秋到来を告げる味覚の一つである。  年を越したひね生姜は濃い黄色だが、新生姜は白っぽく、付け根に赤みがあり、緑の葉とのコントラストが鮮やかである。掲句はその新生姜を「薄紅」と表現する。嫋やかな女性が白い肌を染めているかの如き新生姜を、武骨な(男が)齧っているのである。薄紅と武骨の言葉の組合せが、嫋やかさと荒々しさのイメージの対比を生み、句の面白みとなっている。  新生姜のレシピを検索すると、甘酢漬けからシロップ、天ぷら、きんぴら、佃煮などたくさん出てくる。しかし水洗いしたものを皿にどんと盛り、味噌でも付けて丸齧りする食べ方が、一番おいしく、旬を感じられるように思う。  作者の自句自解によれば、句会の仲間と久しぶりに飲んだ時の句という。時節柄、感染対策のしっかりした安心安全な店を探し、昼間に集まった。柔道部出身者の句会なので、「武骨」というのが話の落ちだが、気の置けない句友との弾む会話と生姜を齧る音が聞こえて来そうだ。 (迷 21.09.15.)

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窓開けて虫の音聞きて長湯かな  澤井 二堂

窓開けて虫の音聞きて長湯かな  澤井 二堂 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 「開けて」と「聞きて」の重なりが少し気になりましたが、雰囲気はよくわかります。 迷哲 私も「開けて」「聞きて」が気になりましたが、そのことにより句にリズムが生まれたという効果もあるような気がします。いずれにせよ、いい場面が見えてきます。 幻水 典型的な日本的情緒を上手く詠んでいる。 斗詩子 マンション入居時、風呂に窓が無いのが悲しかったです。ちょっと風を入れて涼んだり、秋には虫の音も聞こえ、なかなか良いものでした。ついつい長湯もしたくなりますね。          *       *       *  評にあるように、これが日本の初秋の余情と思える。酷暑から爽やかな気候に移り変わるころは暑さの名残りがあり、風呂の窓をちょっと開けると虫の音に気づく。心地よさについつい長湯になってしまったという情景。外の爽気を感じる皮膚、虫の音に聞き入る脳の内、加えてぬる湯のまったり感が合わさって、作者をほんのささやかな陶酔境に誘ったのだろう。たしかに「開けて」「聞きて」の動詞の反復が俳句的には気になるけれど、「これしかない」という作者の表現意図もうかがえる。 (葉 21.09.14.)

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じゃがいもの地中つらなる小惑星  深瀬 久敬

じゃがいもの地中つらなる小惑星  深瀬 久敬 『合評会から』(三四郎句会) 石丸  小惑星という表現が効いている。 印南 小惑星とは粋な表現。ジャガイモ掘りを楽しんでいるようだ。 後藤 小惑星が素晴らしい、 渡邉 掘り起こしてみれば蔓には大小様々な芋が付いています。確かに夜空を見た時に星の大きさは同じ様にしか見えないが連なってるとの情景を詠んだのは素晴らしいですね。           *      *      *  この句を見たとき、すぐさま江戸時代の星図や天体図が浮かんだ。太陽や月や星が線で結ばれている図である。  筆者も長いこと家庭菜園をやっており、馬鈴薯も再三作った。しかしかなり場所を取る作物である。八百屋では一年中かなり安く売られている。コストパフォーマンスからすると、素人園芸家にとって馬鈴薯はあまり魅力的ではない。  しかし、作ってみるとジャガイモはとても面白い。なんの難しさも無い。ジャガイモを切って灰をまぶして、適当な間隔で植え付ければ、あとは成長途中に土寄せをするくらいで、放って置けばいい。ほんとにこの句の通り、掘ってみると水金地火木土天海冥といったぐあいに連なっている。  ベランダのプランター栽培でも「水・金・地」くらいまでは出来る。ただし、スーパーなどで買ってきたジャガイモでは芽が出ないことがある。「芽出し防止」の薬剤処理が施してあるからだ。 (水 21.09.13.)

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肉ジャガや又大谷がホームラン  石黒 賢一

肉ジャガや又大谷がホームラン  石黒 賢一 『この一句』  ざっくばらんな人柄のメンバーが多い句会(三四郎句会)だけに、不可解な句もたまに出てくるが、掲句にはさすがに「?」と、思考が停止した。選句評に「肉じゃがとオオタニサーンとの組み合わせの是非は?」(有弘)というのがあった。「そうなんですよね」と頷きつつ、首を傾げざるを得ない。  しかし句を眺めているうちに具体的な状況が浮かび上がってきた。肉じゃがは特に子供たちの大好物と言えるだろう。ある家庭の夕食時、小学生の兄弟が肉じゃがにぱくついていると、つけっぱなしのテレビが嬉しいニュースを伝えた。「大谷が44号ホームランを放ちました」。兄弟が「やった!」と声を合わせているのだ。  かつて「配合」「取り合わせ」「二物衝撃」などという、句づくりが流行した時期があった。二つの概念をぶつけるように並べ、読む側に何らかのイメージを、またショックを与えようとする意図を持つ。作者は「オオタニサーン」の人気を借りて、令和の「二物衝撃」を試みたのではないだろうか。  なおこの句、無季のようだが、句会の兼題「じゃがいも(秋)」を詠んだもの。ご了解頂きたい。 (恂 21.09.12.)

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夕刻のコロナの数字秋暑し    高石 昌魚

夕刻のコロナの数字秋暑し    高石 昌魚 『この一句』  高齢者のワクチン接種が8割方終わり、やれ安心と思っていたら、今度は若者と働き盛り世代の感染者・重症者が激増した。死者も著増し、即入院がかなわない自宅やホテル療養者が日ごとに増え不安はまさるばかりである。一部には「制御不能、災害レベル」と専門家のコメントも出る始末。ほんとうにコロナ禍の終焉が見えない現況である。  ところで、以前は午後3時に東京都の直近感染者数を発表していた。それが5月末からは夕方5時前の発表となっている。理由は感染者の激増により集計に時間がかかるせいなのか、あるいはなんらかの思惑があるのかよく分からない。いずれにしても昼下がりの発表から、夕方のあの嫌なピンポン音がテレビから流れるようになった。  子どもの医療関係に長年携わってきた医師の作者は、人一倍このコロナ禍を憂慮されているに違いない。国民全体も毎日毎日の感染増にうんざりしている。そのへんのうんざり感を「夕刻のコロナの数字」と平板的な言い回しで詠んでいる。それが「秋暑し」という情感のある下五につながって、なるほど今年はことに暑い秋だと思わせる。  余談ながら、この句をキーボードに打ったら最初に「憂国のコロナの数字」と画面に出てきた。パソコンも現状を嘆いているようで思わず苦笑したことだ。(葉 21.09.10.)

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踊り終へ生身の人となりにけり   宇佐美 愉

踊り終へ生身の人となりにけり   宇佐美 愉 『合評会から』(三四郎句会) 賢一 ああ、疲れた。あまり無理をしないように。早くこんな光景が戻ってきて欲しい。コロナめ! 有弘 法悦から現実へ戻る瞬間をとらえた。 豊世 人の身の神仏に近づくか、又帰る。お疲れ様でした。 信  踊りは神に捧げる行動であったから一心不乱踊った後の快感が何とも云えぬ心地良さ、神では無かったと汗を拭き拭き思ったのでしょうね。           *       *       *  「一心不乱に踊っている時と踊り終えた時とでは、踊り手の雰囲気は大きく変わり、子どもながらとても不思議な感じがしました」と作者は子供時代の盆踊風景を思い出す。  盆踊は平安時代の空也上人の念仏踊りが元になり、鎌倉時代には一遍上人の踊念仏が一世風靡、やがてお盆行事に取り入れられていったという。祖先の霊と一緒になって踊り、忘我の境を舞狂う。へとへとになり、倒れる寸前まで踊る。そうすることによって祖先の霊は慰められ、いつのまにか自分の悩みも消えてすっきりする。  寝て起きて、働き詰めに働いて日曜日も無く娯楽もない、極端に言えば昭和三十年代までの日本人の暮らしはそうだった。盆踊は庶民にとってまさにRecreationだったのである。 (水 21.09.09.)

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盆踊り野球キャップのまねっ小僧  新井圭子

盆踊り野球キャップのまねっ小僧  新井圭子 『この一句』  俳句を始めて間もない人の作。「真似っ子」はよく聞くが、「まねっ小僧」は造語だと思う。意味はよく分かるので、目くじらを立てず、とりあえず認めることにしよう、と思ってしばらくしたら、野球帽を被った小学校低学年あたりの元気な、生意気な少年の盆踊りの姿や動きが浮かんできて消えない。困った、とまでは行かないが、少し困った。  ともかくそんな風のまねっ小僧が盆踊りの列に加わり、踊っているのだ。本人は面白おかしく踊ろうなどとは考えていない。一生懸命か、ふざけているのかも分からないが、見ている大人にはなかなか面白く、この句自体が、そんな雰囲気を持っているようだ。  念のため電子辞書の「複数辞書検索」で調べてみたら、広辞苑などの各辞書に「真似っ子」の項目がないのはどうしたわけか。確か「真似っ子真似ちゃん真似してる」という童謡があったはずで、世の中の常識的な言葉だと思われる。掲句は何らかの素質のなせる業か、偶然に生まれた一打なのか。この人の句をしばらく注目して行きたい。 (恂 21.09.08.)

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夕風を袂に入れて踊る娘等   渡邉  信

夕風を袂に入れて踊る娘等   渡邉  信 『季のことば』  「踊り」と言えば俳句では「盆踊り」を意味し、秋の季語になっている。旧暦七月十三日から十六日に行われる仏事で、先祖の魂を迎えお祀りする。縁先や庭に精霊棚を設えお供え物を並べ、足元には胡瓜と茄子でこしらえた馬と牛をならべ、オガラを焚いてご先祖さまをお迎えする。十六日はまた牛と馬を並べてオガラを焚いて御霊を天国に送る。明治以降新暦になって東京周辺ではお盆行事は夏の盛りの七月に行うが、地方では八月半ばの「月遅れ盆」がもっぱらで、従って秋の季語になっている。  このお盆の時期に町内や村の広場で行われるのが「盆踊り」。徳島市周辺で観光名物になっている阿波踊りも盆踊りである。もともとは彼の世から舞い降りてきたご先祖様の御霊と一緒になり無我の境地に入って踊る「祀り」だったのだが、時移るにしたがって「祭り」気分が旺盛になり、今では久しぶりに都会から戻ってきた連中と地元の人たちとの「交流イベント」になっている。  「『夕風を袂に入れて』が上手い。浴衣で踊る踊り手の様子が見えてくる」(而云)という合評会句評があったが、まさにこの句の良さはそこにある。着慣れない浴衣で盆踊りの輪に入った娘さんたちだが、間もなくしなやかに踊り出す。夕風に袂を泳がせて、蕪村の絵を見るようだ。 (水 21.09.07.)

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相続のはなし重たし虫すだく   廣田 可升

相続のはなし重たし虫すだく   廣田 可升 『この一句』  上五中七の描く場面がドラマ性をはらみ、「虫すだく」の季語の取り合わせによってさらに深い感懐を覚える句である。四十九日か初盆に集まった家族が昼の法要を終え、夜になって相続の話をしているのであろう。議事次第がある訳ではないので、スムーズに進まない。遺産の分け方や墓をどうするか、思惑が絡んでどうしても口が重くなる。誰かが発言しても、故人の思い出話になったりして肝心の相続内容は詰まらない。「重たし」の三文字にそんな状況が凝縮されているようだ。  長引く話し合いにふと気が付けば、夜も更けて庭の虫たちがいろんな音色で鳴き合っている。重苦しい雰囲気の家族会議と賑やかな虫の合唱との対比から、人の営みの悲喜こもごもが改めて伝わってくる。  掲句が出された番町喜楽会の8月例会は、緊急事態宣言の影響で出席者が7人にとどまった。ところが出席者のうち作者を除く6人全員がこの句を選び、メール選句の2人を加え、最高の8点を集めた。各人の選評を読むと、それぞれの相続体験重ねてこの句を解釈し、共感しているようだ。  数年前の相続法改正で基礎控除が縮小され、相続税の支払い対象となる世帯はぐっと広がった。普通の家庭でも税金をどう圧縮するか、遺産分割協議は真剣にならざる得ない。秋の夜の話し合いは長々と続くことになる。 (迷 21.09.06.)

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踊り手の手先揃ひて輪が動き  宇野木 敦子

踊り手の手先揃ひて輪が動き  宇野木 敦子 『季のことば』  我が家に近い杉並・高円寺で行われる「阿波踊り」が中止になったという。それ自体は「ちょっと残念」ほどのものだが、事情通の次の言葉に「オヤ」と思った。「今年は高円寺駅近くの劇場で入場料を取り、公演する」のだという。コロナは世の中を大きく揺さぶり、盆踊りも劇場型へ。各地の風物・盆踊りにも大きな変化が起きているはずだ。  掲句の「手先揃ひて」を見て、阿波踊りもそうだった、と思った。しかしそれは踊りの始まる前の一瞬のこと。踊りは輪にならず、長い行列が駅前商店街の道路を練り歩く。笛や鉦やらのお囃子が相当な迫力を持って鳴り続ける。列に従って何度か雑踏の中を歩いてみたが、そんな夜は床に行っても、お囃子の音が耳の奥に残っていた。  俳句の季語の「踊り」(秋の季語)は「盆踊り」を意味し、夏の盛りから秋口と言えるような時期の風物として多くの人に親しまれている。夕方になれば風に乗って、遠くのお囃子の音が聞こえてくる。子供たちはまだ夏休みのうち。踊りの列に加わっていた学童たちのことをふと、思う。彼らに今年、どんな秋が訪れるのだろうか。 (恂 21.09.05.)

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