春浅し遺影にゴディバのチョコですよ 山口斗詩子

春浅し遺影にゴディバのチョコですよ 山口斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 わが家でも父の遺影にチョコレートを供えます。この句はちょっと破調ですが、「ゴディバ」に心尽くしのという意味が込められているのでしょうし、「チョコですよ」という口語調も親愛のほどを物語っており、いいと思います。 青水 今は亡き愛しき夫へ、ハート形のチョコをささげながら、ひねもす語り続ける。そんな姿が季語の向こうに見えてきます。 水牛 投句を取り纏めている関係で、作者が分かっているのですが、バレンタインなどと言わずに二月十四日と判らせ、亡くした夫を偲ぶ気持があふれていて、実にいい句だと思います。お酒が一滴も飲めなかったご主人の仏壇に好物のゴディバを供える作者の姿が浮かびます。 誰か 我々の年代(喜寿やら米寿やら)からすると、バレンタインデーのチョコといえば、やっぱり「ゴディバ」なんでしょうね。           *       *       *  ローマの聖バレンタインが殉教した日が「愛の日」と定められ、恋人同士や夫婦間でプレゼントを交換するのが本来の格好だとか。それがなぜか、日本では女性から男性へチョコレートを添えて愛の告白をするというものに変形してしまった。さらに一か月後のホワイトデーにはお返しを、と。この習慣、同性婚、夫婦別姓の時代になろうとも…なのだろうか。 (光 26.02.13.)

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百年の籠に生けたる寒椿    池村 実千代

百年の籠に生けたる寒椿    池村 実千代 『この一句』  一読して静謐な格調を感じさせる句である。句頭に据えられた「百年の籠」が存在感を放つ。百年を経た花籠は古色を帯び、濃い飴色ではなかろうか。そこに生けられた寒椿の葉の濃緑色と、花の赤さが鮮やかなコントラストなし、清浄な空間が広がる。  句会では「籠が百年も持つのかしら」との疑問が出たが、竹で編まれた籠は耐久性があり、数十年は楽に持つ。桃山時代に茶の湯を確立した千利休が愛用した「桂籠」が美術館に収まっている。京都の桂川で鮎を獲っていた漁師から譲り受けた魚籠を、花入れにしたものだ。  掲句は、百年の歴史がある籠をわざわざ持ち出して花を生けているのであるから、正月の座敷か初茶会の席ではないか。椿は古事記や日本書紀にも登場する日本固有種で、神聖で繁栄を象徴する縁起のよい木とされてきた。花がぽとりと落ちるので縁起が悪いとする俗説もあるが、歴史的に見れば、正月に椿を生けるのは日本の伝統にかなっている。  さらに椿は早春の花だが、晩秋から冬場に咲く早咲きを寒椿と呼び、冬の季語となる。花の乏しい冬季に咲くので生け花として重宝され、利休も茶会でよく生けたと伝わる。座敷にせよ茶席にせよ、百年の籠に生けられた椿の花は、まさに日本人の美意識を形に表すもので、正月風景にふさわしい一句である。 (迷 26.02.11.)

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戦地には普通の人々月冴ゆる  高橋ヲブラダ

戦地には普通の人々月冴ゆる  高橋ヲブラダ 「合評会から」(日経俳句会) 可升 月冴ゆるの季語は綺麗なくっきりした月を想像させます。ガザやウクライナには相応しくない気がしましたが、「普通の人々」で切れていて、地上における人為の悲惨さと天上の澄明な月を対比した句として読めば良いのだと思い返しました。普通の人々という措辞が読み手の共感を呼びます。 水牛 優れた反戦句ですね。いつも痛い目に合うのは普通の人々で、冬の月がそれを白々と照らしている光景が浮かび、とても良い句だと思いました。 方円 戦争に行ったのは勇猛果敢な人はごくわずかで、ほとんどが隣近所にいる普通の人たちが何百万も駆り出されたのでしょう。この句の通りだなと思います。ただ、普通の人々という言い方は少し硬い気がしました。 光迷 キーウといいガザといい、一般市民の苦労は大変なものでしょう。           *       *       *  「冴ゆる」とはキンと凍ついた空気の中で、物がくっきりと浮き立ち、音が際立ち伝わるさまを言う冬の季語。「月冴ゆ」は、人の嘘を曝け出すように月がしらじらと輝くことと解せば良かろう。  「戦地」という修羅場に駆り出され、悲惨な目に遭わされるのは常に「普通の人々」。それなのに、何故かそういうフツーの人々は、自分たちを平気で死地に追いやる人間を自分たちの親玉に選んでしまう。 (水 26.02.09.)

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積っても北山どまり京の雪    岡松 卓也

積っても北山どまり京の雪    岡松 卓也 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 京都の地形は今一つよく分からないけど、風情があっていいなと思って頂きました。 方円 これは私のお気に入りの句です。脱力感満載ですよね。京都の北の方は雪で、南に下がると降ってないと、それだけの話。まったく力がはいっていない句だけど、感じさせるものがある。 豆乳 雪をかぶった北山杉。京都の冬を象徴する景色です。 健史 枕草子の頃は洛中にもたくさん積もったのでしょうが……。 水牛 京都は盆地だから雪は北山辺りまでは積るが、街中はあまり積らない。そんな冬の京都の風情が出ている静かでいい句です。 戸無広 私も比叡山の千日回峰行のところを歩いたりしました。鯖街道から北の方は福井へつながっており、雪深い日本海側っていう感じです。           *       *       *  「北山」、「京」という地名と「雪」の組み合わせが、得も言われぬ風情を醸し出している。この句は旅行者には詠めそうもなく、生活者ならではの実感がある。  そういえば、作者の住まいは、自室から大文字の送り火が見えると聞いた。ネットには「大文字山の背後に聳える北山」という写真が載っていて、なるほど京都に雪が舞う度に、作者は掲句の景色を目にしているのだろうと推察できた。事実を淡々と述べただけだが、それがかえって詩情豊かな一句となった。 (双 26.02.07.)

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AIと弾む問答去年今年     久保田 操

AIと弾む問答去年今年     久保田 操 『合評会から』(日経俳句会) 水牛 令和八年の正月の句らしいと思いました。AIとかChatGPTとか、昨年ぐらいから我々のような素人までが話題にするようになった。「AIと弾む問答」というのが、去年今年とピッタリ合わさっています。 青水 去年今年という季語とAIの取合せが、今日的で冴えているなあと思いました。AIという時代変化を象徴するメカと会話する老人がしっかり見えてきました。 明生 最近、やたらAIが話題になり、AIであれば何でもできそうな感じです。どんな問答をしているのでしょうか。 久保 認知症対策でAIの親友化推奨なんて時代が来るのでしょうか。寂しい限りです。           *       *       *  この句についての解説はこの合評会のやり取りで尽きていると思うが、それにしても妙な世の中になってきた。いわゆる迷惑メールなるものの作成も発信も今やコンピューター任せで自動的に際限無く送れるようになっているらしい。  学生の論文作成をAI任せにするのはもう当たり前になっているというし、れっきとした学術論文もAIに書いてもらう情けない学者がいるようだ。AIに頼る小説家まで出ている。俳句もそうだ。句会で感心して採って、称賛し、帰宅して試しにAIに聞いてみたら同じものが出てきたという話も聞いた。索莫たる気持を抱く。 (水 26.02.05.)

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初春や女は度胸丙午       岩田 千虎

初春や女は度胸丙午       岩田 千虎 『この一句』  日経俳句会の1月例会に出された新年詠だが、干支の「丙午(ひのえうま)」と女性が活躍する社会状況をリズムよく詠み込み、二席となった。頼りない男が増えた世相を踏まえ、「女は度胸」と言い切ったところに、丙午の迷信を吹っ飛ばす勢いを感じる。  丙午は十干の「丙」と十二支の「午」を組合わせた干支で、60年に一度めぐってくる。丙午生まれの女性は気性が激しく、男を食い殺すという迷信は、江戸初期に丙午の年は火事が多いという俗説があり、八百屋お七の大火と結びつき広まったとされる。  明治以降に、丙午の女性の破談や自殺が新聞などに取り上げられたことで全国的に広まり、出生率にまで影響するようになる。特に1966年(昭和41年)は出生率が前年より25%も落ち込み、丙午ショックと呼ばれる社会問題となった。  作家の酒井順子さんはその66年丙午生まれ。最近「ひのえうまに生まれて」という新刊を出し、江戸から現代までの資料をもとに、迷信の正体に迫っている。本の中で、丙午生まれの女性に勝気、気が荒いという偏見を背負わせることで、逆説的に「女性はこうあるべきだ」という男性中心の女性観を示したと分析。メディアの報道が「女性観への同調圧力」として働いたと述べている。  掲句の作者は丙午ではないが、こうした事情をよく知る世代。自句について「女はおとなしく男に従っていればいいという価値観なんて、丙午らしく蹴っ飛ばし、女は度胸で前向きに生きていこう」とエールを送っ…

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初茜やがて消え行く去年の星    篠田 朗

初茜やがて消え行く去年の星    篠田 朗 『季のことば』  「初茜」は元朝の日の出前に東の空が茜色に明らむさま。金色に染まる太陽が徐々に昇ってくる。新しい年の始まりを待つ希望と清々しさをよく表している季語だ。今年の元日、ちなみに日本で最初に初茜と日輪を拝むのは北海道・納沙布岬の6時46分だそうだ。東京で6時51分、一番遅い西の果て沖縄の与那国島は7時31分だった(現地の天候は知らないが)そうだ。その差45分、つくづく日本は南北に長いが東西も広い。  作者はどこで初日の出を迎えたのだろうか。関東では千葉・犬吠埼が6時46分ということだが、今年の関東は晴れなので、埼玉に住む作者の自宅でも初日を望めたろう。この句は日の出前の感慨を詠んでいて、好きな句だ。空が白み周囲も明るさを増し、やがて夜の闇が失せてくる。まだ満天の星は完全に輝きを失っていない。薄い光の星から視界を消えてゆく。初日を待ち望みながら、これらの星々はやがて消え朝の世界へとなり去年の星となるのだと、作者はふと気づいた。一年の転移の瞬間を捉えており、「去年今年」の季語も念頭にあったと思う。一躍脚光を浴びるものがある反面、去りゆくものがあるという情感に共感を覚える。  良寛の辞世句に「散る桜残る桜も散る桜」があり、人生の常理を詠んだ。掲句について飛び跳ねた解釈をすれば、宇宙の真理をさりげなく伝えているようにも思う。二つの句はそれぞれ句意が当然違うのだが、どこか似た雰囲気を感じさせる。 (葉 26.02.01.)

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餅つきを遠くから見る反抗期   中嶋 阿猿

餅つきを遠くから見る反抗期   中嶋 阿猿 『合評会から』(日経俳句会) 千虎 去年まで家族と楽しそうに餅つきしていたのに、反抗期の子って難しいですね。 静舟 よく分かるなあ。恥ずかしいのか?照れか?大人の行事に加われず遠くから見守る子供大人! 道子 賑やかで楽しげな餅つき故に入りにくい気持わかります。 百子 本当はみんなと一緒につきたいのにね。反抗期によくある景です。 ヲブラダ 最近の光景ではなさそうなので、ひょっとすると反抗期は昔の作者自身か。 定利 反抗期の句、上手いです。今回で一番いい句と思いました。           *       *       *  合評会ではこれは何歳くらいの子供かということが話題になった。反抗期は個人差があるが、概ね2歳から4歳くらいの自我が芽生える頃に出現するのが第一反抗期、7歳から10歳あたりで中間反抗期、11歳から15歳くらいで現れるのが第二反抗期と言われている。この句はまさに第二反抗期。小学校6年生から中学生だろう。何に対しても距離を取る。しかし対象に興味はある。そこで「遠くから見る」ということになる。側から見れば拗ねた感じで「はっきりしなさい」ときつく当たったりしがちだ。そうするとますますいじけたり、時には粗暴な振る舞いに出たりする。とにかく難しい。この句はそうした多感な子供大人の生態を実によく伝えていると同時に、愛情があふれている。 (水 26.01.31.)

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初春やただただ一茶の境地なり  藤野十三妹

初春やただただ一茶の境地なり  藤野十三妹 『合評会から』(日経俳句会) 光迷  一茶の境地とはどういうことか。遺産争いか、拗ね者か、動物愛護か…。「めでたさも中位」なら、以て瞑すべし。 枕流  日本そして世界の「春」もめでたさは中ぐらいですね てる夫  一茶の境地をここで書き込むのは、大変です。今年は一茶の二百年忌、人気の秘密は学びがいがあります。 富士子  初春の心境を美しく表現されていると思いました。           *       *       *  一茶の正月句といえば「目出度さもちう位也おらが春」。俳句好きならずとも口ずさむ代表句の一つである。未刊だった自著『俳諧俳文集』が死後刊行され、所載の句から「おらが春」がその書名に取られた。一茶57歳、一年間の出来事が載っている。知られるように一茶の晩年は異母弟との遺産相続争いに明け暮れた。晩婚で授かった長女を失った後でもあった。雪深い柏原(長野県信濃町)で名利も幸せもなく、正月の目出度さもほどほどだとその心境を詠んだ。  夫を亡くして久しい作者は、一茶のこれらの境涯を思いながら「私も同じようなものよ」と、言いたいのだろう。中八が残念だが「ただただ一茶の境地なり」が、今の世相とも交錯するようである。 (葉 26.01.29.)

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藪入や掃除ロボット充電中    嵐田 双歩

藪入や掃除ロボット充電中    嵐田 双歩 『季のことば』  藪入(やぶいり)とは商家の奉公人が1月16日と7月16日に、休みを一日貰って親許に帰ることである。江戸時代に広まった風習で、第二次大戦後に休日制度が整備されるまで続いた。7月16日は後の藪入と呼ばれ、単に藪入といえば正月のそれをさす。年に2回しかない休みなので、奉公人も帰りを待つ親も大変楽しみにした。藪入の道行を描いた蕪村の詩「春風馬堤曲」の末尾に引かれた、炭太祇の「やぶ入の寝るやひとりの親の側」の句は、その心情をよく表している。  掲句はその古めかしい季語に現代的な掃除ロボットを取合せ、おかしみと心の温もりを感じさせる。最近の掃除ロボットは、作業を終えるとステーションに戻り、自動で充電する。年末の大掃除で活躍し、正月は充電ステーションで待機しているロボットが、のんびり休みを取っているように見えたのではないか。そこに藪入の言葉をもってきたところに、作者の機知とロボットに注ぐ温かい視線を感じる。  作者は家で拭き掃除係を務めているらしく、広い所はロボットを使い、洗面所など狭い場所は手拭きしているという。年末の句会で「柚子の香の残り湯絞り拭き掃除」の句で高点を得たのも記憶に新しい。産業用ロボットにも名前を付けて愛用するのが日本人のメンタリティーである。作者もきっとロボットを名前で呼んで、一緒に掃除に精を出しているに違いない。 (迷 26.01.27.)

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