子らも来て妻の傘寿の菊の宴   前島 幻水

子らも来て妻の傘寿の菊の宴   前島 幻水 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 こんなにめでたい日はないですね。僕には孫もいないから羨ましいなあとか、ちょっと寂しいなあとかの感情が浮かびます。 水馬 「妻の傘寿の菊の宴」の「の」の畳みかけるような使い方のリズムがお上手だなと思いました。妻や家族に対する愛情があふれています。 愉里 おめでとうございます。お孫さんも集まられたことでしょう。「菊」がしっくりと皆様の品を感じさせます。 双歩 誠におめでとうございます。花期の長い菊がよく似合います。           *       *       *  めでたい、めでたいと、お祝いの言葉がやんやと投げかけられた一句である。それはそうだ。苦労も喜びもともにしてきた妻八十歳、そのお祝いにと集った子や孫。にぎやかな会食になった作者の喜びがあふれる。ドイツ出身と聞く作者の奥様が、日本生活にどっぷり溶け込んでいる様子まで垣間見ることができる。傘寿という日本の祝い事に身をゆだねている様子は嬉しい。めでたいという他ない気持ちの良い句になった。  作者の弁を聞くと、「ただ単に秋の宴会だから、季語として菊を持ってきただけです。家内の誕生日は、ちょうど皆さんが信州蕎麦吟行に行かれていた日です。吟行に行けなくて残念でした」。それに対して「いや当然だ。奥さんの誕生日をすっぽかして吟行に行ったら一生恨まれる」と会場が爆笑になったのを付け加えておこう。 (葉 22.11.25.)

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頼朝の墓の簡素や柊の香     田中 白山

頼朝の墓の簡素や柊の香     田中 白山 『この一句』  小学校の遠足で鎌倉に行き、頼朝の墓を見た、という記憶はあるのだが、どんな墓だったのか、場所は鎌倉の何処だったのか、などの記憶は一切、残っていない。そこで早速、ネットで検索する。「(墓石は)石積み層塔による簡素なもの」「墓前には明治期に白旗神社が建てられた」などと書かれていた。  そうですか、とは思ったが、私が興味を惹かれたのは「柊(ひいらぎ)」の香の方なのだ。子供の頃、隣家の庭に柊が植えられていた。横に大きく広がり、高さは当時の私の背丈を上回る程度だった。隣家の小母さんに「棘があるから近づかないように」と言われていた。辞典類によれば、その柊が「金木犀に似た芳香を発する」のだという。「えっ、あの木から芳香が」と思わざるを得ない。  写真で見た頼朝の墓は、確かに簡素だった。その脇の柊から芳香が漂ってくるのだ。改めて掲句を見つめ、特に「墓の簡素や」の簡素な表現に感心した。その墓に配した金木犀に似た芳香とは何とも素晴らしい。私はこの句を「全投句中の第一位」と決めた。もちろん自分勝手に決めた個人的な順位である。 (恂 22.11.24.)

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行く秋や旅の枕を当て直す    金田 青水

行く秋や旅の枕を当て直す    金田 青水 『この一句』  「旅の枕を当て直す」とは、何んとも巧みな情感にあふれた措辞である。秋の夜も更けたころ、布団の中で天井を見、枕に手をやっている姿が思われる。寝入れないのか、それとも夜中にふと目を覚まし、寝付けなくなってしまったのか。  原因は昼間の紅葉狩りなど行楽の楽しさが蘇ってのことか、松茸をはじめとする秋の味覚が舌に…なのか、あるいは明日アウトレットで手に入れようとしているブランド物のバッグなどを考えてのことか。いずれにせよ軽い興奮に襲われ、身は横たえたもののという状況が想像される。  十月というか中秋以降、世の中が急に賑やかになった。コロナウイルス蔓延に歯止めがかかり、「旅に出よう」のゴーツーキャンペーン再開が大きいと思われる。右見て左見ての同調圧力が大好きな人々が、堰を切ったように動き出した。年老いた親の顔を見に里帰りという親孝行や会食の禁を解き同窓会を開いた向きもある。  ところでこの一句、上五が「行く秋」だとしみじみとした感が深いが、「行く春」に置き換えるとどうなるか。夏を前にした、わくわく感に変わるのか。一文字の違いを考えてみよう。 (光 22.11.23.)

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ママチャリの前は大根子は後ろ  谷川 水馬

ママチャリの前は大根子は後ろ  谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 白山  よくある光景だなと思っていただきました。 春陽子 普通は子が前で大根が後ろじゃないかな、それを逆にしたところが面白い。 的中  後ろに子供用座席の据えてある、ママチャリのごつい自転車でしょうね。前のカゴから大根の葉っぱが垂れ下がっている。 迷哲  スーパーの特売で買い込んだのだろうか、家事と子育てに奮闘するママの姿が浮かびます。           *       *       *  筆者も「よくある光景」を詠んだ句だと最初は思ったが、そうでもないような気がしてきた。最近の「ママチャリ」は的中さんが指摘されるように、ともかくごついのである。後ろの座席には、雨にも負けないフード付きの子供座席が据えられていて、前のカゴも特大仕様である。仮に大根を買ったとしても、普通の大きさの大根なら、エコバッグごとすっぽり収まってしまう。それに、スーパーでは葉っぱの切り落とされた大根しか売っていない。  そんなわけで、大根がカゴからはみ出している光景など、実際には、ほとんど見かけなくなっているように思うのだが、それでもやはり「よくある光景」だと思ってしまう。それはたぶん「前は大根子は後ろ」が、幸福な光景だからに違いない。 (可 22.11.22.)

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はにかみて席譲る子や秋うらら  大澤 水牛

はにかみて席譲る子や秋うらら  大澤 水牛 『この一句』  電車の中で席を譲ったり譲られたりした経験は誰しもあると思う。その時に感じた気恥ずかしさや戸惑いもまた覚えがあるのではなかろうか。掲句は車内の小さなドラマに目をとめ、心がほっこりする句に仕立てている。「はにかみて」の五文字に場面を凝縮させ、思い切って席を譲った子供の心の動きを伝え、それを見守る乗客の優しい視線を感じさせる。秋うららの季語と響き合って、爽やかな印象を残す。番町喜楽会の11月例会で最高点を得たのも納得である。  日本人ほど高齢者や体の不自由な人に席を譲らない民族はないと言われる。なぜ譲らないのかについての調査や分析もたくさんある。遠距離・満員電車という交通事情を指摘する意見もあれば、自己中心主義の風潮や公徳心教育の欠如を嘆く論も多い。個人的には他人の目や評価を気にする日本人のメンタリティーがじゃまをしていると考えている。 大股を広げて優先席を占拠し、スマホに熱中する若者が溢れる時代だけに、はにかみながら席を譲る子供の純真さが心に響く。作者によれば、東横線の車内で中学生ぐらいの子が席を譲り、恥ずかしそうに遠くの車両に行ってしまった場面を句にしたという。「いい光景なので、類句を恐れず出した」との自解があったが、句を読んだ我々もまた、心温まる場面を共有させてもらった。 (迷 22.11.21.)

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猫の手の温かき日や十一月    澤井 二堂

猫の手の温かき日や十一月    澤井 二堂 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 猫好きの人の句かと、その人を思い浮かべて忖度していただきました(笑)。でもその人が採っているので、ちょっと的外れでした。ほのぼのとしていい句です。 青水 悩み悩みいただきました。「十一月」という季語は難しい。この人は、その難しさに正面から立ち向かっている感じがします。「手の温もり」に着眼したのはいいのですが、俳句としてはちょっと生煮え感があります。もう少し推敲すると素晴らしい句になると思います。私にはできませんけれど(笑)。 水馬 外気が寒くなってきて気が付く猫の手の温かさ。リアリティを感じました。 司会 この句は本日欠席の二堂さんです。 誰か あれ、二堂さんは猫を飼っていたかなあ? いや、二堂さんの住まい(谷中)の付近には猫がいっぱいいるんだ……。寄って来るのかな。           *       *       *  小春日和ののんびりとした雰囲気が伝わって来ていい句だ。元々は猫嫌いだったのだが、迷い込んできた子猫をしょうがなくて飼ってから猫好きになってしまった私は、思わずこの句を採った。猫の手は、少し冷たくてざらざらしている。普通はあまり触ったりしない。それをこの人はふと触った。そうしたら意外に温かい。十一月のちょっと寒さを感じる季節に、「猫の手の温かき」を持ってきたのがいいなあと思う。 (水 22.11.20.)

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約束を果たせぬ予感十一月    廣田 可升

約束を果たせぬ予感十一月    廣田 可升 『季のことば』  朝晩めっきり寒さがつのる十一月だが、季語としての「十一月」はやや捉えどころのない感じがする。きっぱりと冬の到来とは言い切れない。時期ものの紅葉や菊を句に織り込むわけにもいかない。生活面から見れば寝具・衣服などの冬用意、芸術・文化行事、新酒の出来、庭木の剪定その他もろもろがある。つづめて言えば、「十一月」は冬への準備月ということになるだろうか。喪中葉書がぼつぼつ舞い込むことで、そろそろ年賀状を考えなければならないことにも気づかされる。せわしない師走を前にいろいろやらなければと思うことは多いのだが、まだ四、五十日もあるぞという気持ちが、なかなか重い腰を上げさせない。  この句の「約束」とはいったいなんだろうか。奥方や家族に約束をしたことがあって、年内には果たすことが無理かもしれない、ということなのか。コロナ流行の第8派が予見されるなか、家族旅行の計画でもあったのか。それとも交友範囲の広い作者のことだから、友人と一杯やろうという約束なのか。はたまた忘年会の約束が多すぎてとても全部に出席できないと思い始めたとも。いずれにしろこの約束の中身が気になる一句だ。十一月というこの時期、手帳あるいはスマホを手に思案する作者の姿が浮かんでくるのである。約束のなにかを言わず、さらに「予感」という曖昧模糊とした言葉で読む人に預けたのが、この句の持ち味であろう。 (葉 22.11.18.)

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祖母が着て母着た晴れ着七五三  池内 的中

祖母が着て母着た晴れ着七五三  池内 的中 『この一句』  七五三は子供の健やかな成長を祝う伝統行事である。11月の吉日に三歳、五歳、七歳の子供と親が神社や寺にお参りし、子供の無事を感謝しさらなる成長を願う。掲句はその七五三を晴着に着目して詠む。おばあちゃんが着て、その娘であるお母さんが着たという晴着が秋の陽に映えている。「着」の文字を繰り返し使うことで、晴着が代を重ねて大事に受け継がれてきたことを印象付けている。  ところでこの晴着を着ているのは誰であろうか。七五三の主役は子供だから、三歳か七歳の娘さんと考えるのが普通だろう。祖母、母、娘と三代に渡って使われた晴着ということになる。しかし子供の着物は汚したり傷んだりしやすいので、子供を連れて来た母親の着物ととれないこともない。その場合は若い母親が着る色留袖などの晴着となるが、いずれにしても七五三との組合せから、秋晴れの境内と幸せそうな家族の姿が浮かんでくる。  和服は洗い張りをすれば生き返る。仕立て直しも容易で、何代にもわたって着ることが出来る。求められる循環型社会にぴったりの衣料だと思うが、残念ながら日常的に着る人は減るばかりだ。句会での作者の弁によれば、川越の古着屋で着物を見ていて着想を得た句だという。自分の子供の七五三はレンタルで済ませたというオチが付いて、大笑いとなった。 (迷 22.11.17.)

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木の瘤も拝めば仏秋うらら    星川 水兎

木の瘤も拝めば仏秋うらら    星川 水兎 『合評会から』(上田新蕎麦吟行) 三薬 「ほら仏の横顔に見えるだろう」。そう言われると、そう見えてくる。人なんて騙されたやすいもんですなあ。秋うららのひと時。 青水 ブナ観音をめぐっての木葉氏の堂々たる観察とご講義。オチがついての一幕を巧みに一句とした。 迷哲 観音の横顔に見える木の瘤を〝発見した観察眼に一同感心。その後、本物が見つかった顛末がユーモラスに詠まれています。 春陽子 日本人は何にでも神仏が宿るとしてきましたから、「拝めば仏」に納得。 木葉 日本では森羅万象にすべて神仏が宿るようで、文字通り「秋うらら」です。 百子 ブナの観音様が見つかるまでの皆様の会話、楽しかったですね。 双歩 思い込みとは恐ろしい。「鰯の頭も信心から」。           *       *       *  信州上田在の青木村へ名物の新蕎麦を目当てに吟行した。ハイライトは背後の険しい上りの修那羅山の石仏巡り。中でもブナ観音は面白かった。ブナの老樹のウロの中に観音様が祀られているのだが、薄暗くてよく見えない。木肌の瘤やくすんだ樹皮が見ようによっては仏様のようでもある。実際、それに向かって手を合わせた人もいた。それが大間違いと分かって一同大笑い。しかし木の瘤だって、拝めば観音様。「秋うらら」の季語との取り合わせが絶妙だ。 (水 22.11.16.)

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クーポンで美酒酌み交し秋惜しむ 嵐田 双歩

クーポンで美酒酌み交し秋惜しむ 嵐田 双歩 『合評会から』(上田新蕎麦吟行) 方円 クーポンがミソですね。後世、コロナ騒ぎで内需振興のためお国が旅行クーポン券を発行したなんて、語り継がれるでしょう。 水牛 幹事の百子さん推奨のワインは確かに美味かった。クーポンのおかげです。これまた令和四年上田吟行の善き思い出。 愉里 幹事ご夫妻のとっておきのワインと日本酒。満喫させていただきました。クーポンさまさまです。 てる夫 高級ワインが次々に!うひょー! 水兎 ホテル代は五千円を切るし、その上三千円もクーポンをもらって、税金払ってきた甲斐がありました。           *       *       * ご隠居 熊さん、黙ってるけど、あんたもずいぶんはしゃいだ方だろう。 熊公  そりゃあもう、割り勘負けしないようにしこたまやらせてもらいました。それにしても、あっしもそうですが、いつもはお上のやることに何かとケチをつける面々がこんなに喜ぶなんて、ずいぶん現金な話ですね。 ご隠居 いやあ、現金じゃなくて・・・クーポンの話だ。    お後がよろしいようで。 (可 22.11.15.)

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