町工場名残りの細道冬うらら   杉山 三薬

町工場名残りの細道冬うらら   杉山 三薬 『この一句』  正月五日に大田区矢口の新田神社を皮切りに、多摩川七福神吟行をした時の一句である。毘沙門天を祀る十寄神社から弁財天の東八幡神社へ行く道すがら、細い通りの両側に住宅に挟まれるように町工場が見られた。中に、「〇〇研磨」という名の会社がいくつかあった。研磨は金属加工のプロセスでもあるが、このあたりはキャノンの下請け会社が多かったので、レンズ加工だろうと同行の先輩に教えられた。  しばらくすると、「〇〇精螺」という、立派な建物の会社に出会した。「螺」は巻貝、「螺子」と書いて「ネジ」と読ませる。「鋲」と組み合わせて「鋲螺」もネジ・ボルトの類である。「精密な螺子」を作る会社なので「精螺」。グーグル・マップで見ると、この辺りには「〇〇精螺」が何軒もあることがわかる。  筆者は若い頃しばらく、叔父の経営する機械屋で働いていた。バネを製造する機械屋であったが、親戚会社にネジの機械屋があった。圧造・転造などのプロセスを経て、ワイヤ状の材料からボルトが形成されるのを、最初は魔法のように見たのを思い出す。そんなことから「〇〇精螺」のプレートを懐かしく見た。  当日はまさに「冬うらら」にふさわしい文句なしの晴天、町工場を見て昔のことを思い出しながら、多摩川堤までぶらぶら歩き、とても気持ちのいい時間を過ごすことが出来た。作者はこの吟行の大幹事。とてもお世話になりました。 (可 25.01.15.)

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大銀杏結ひて初場所大の里    徳永 木葉

大銀杏結ひて初場所大の里    徳永 木葉 『この一句』  昨年の初場所で新入幕した大の里の活躍は目覚ましいものがあった。夏場所で史上最速の7場所で初優勝を遂げ、秋場所で2回目の優勝、これまた最速の9場所で大関に昇進した。あまりに早い昇進に大銀杏が結えるほど髪が生え揃わず、小さな髷で白星を重ね、土俵を沸かせた。  掲句は1月酔吟会の席題「結」に応じて即妙に詠まれた一句。大関となった大の里がやっと大銀杏を結えるようになり、初場所の土俵に上がるというエピソードに、席題の「結」を巧みに織り込んでいる。席題を見て20分足らずで詠んだ句とは思えない完成度である。  句会では、同じテーマと席題を詠み込んだ「髷結へぬ力士あばれし去年の場所 千虎」の句があり、こちらを選んだ人もいた。この句は昨年の大活躍に目が向けられ、小さな髷の大の里が彷彿とする。新年の初句会だったので掲句を選んだが、去年の大の里と今年の大の里が句会に〝出揃う〟偶然に驚いた。  1年半ほど前に酔吟会で採用された席題方式はすっかり定着し、句友も慣れて来たようだ。わずかな時間にレベルの高い二句が並んだことがそれを如実に示している。大相撲の初場所は12日から始まった。晴れて大銀杏を結った大の里、初日は気負い込んで出たところを曲者翔猿の引き落としにつんのめり、黒星発信となってしまったが、これからどのような相撲を取っていくか注目される。  さらに次の酔吟会では席題でどんな傑作が生まれるかも楽しみである。 (迷 25.01.13.)

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房総の道の明るさ野水仙     大沢 反平

房総の道の明るさ野水仙     大沢 反平 『季のことば』  水仙はヒガンバナ科の多年草で、地中海沿岸が原産とされる。本州や九州の海岸でよく自生の群落がみられるため日本固有の植物と思われがちだが、水牛歳時記は「奈良時代前後に中国経由で伝わり野生化したものであろう」と述べている。冬枯れの時期に清楚な花を咲かせ、気品ある姿が印象的なことから、晩冬の季語となっている。  水仙の群生地として伊豆の爪木崎や福井の越前岬が有名だが、房総もそのひとつである。太平洋に面した南房総は黒潮の影響で冬でも暖かく、東に開けているので陽光が降り注ぐ。一帯は国定公園に指定され、冬場でも様々な花が咲き、人気の観光地となっている。  掲句はその房総を形容するのに「道の明るさ」を持ってきて、多くの支持を集めた。「道の明るさに惹かれた。房総の明るい雰囲気が伝わる 百子」とか「春を先取りする感じがあり、水仙に合っている 可升」など、この言葉に心を掴まれたようだ。  千葉県に長く住み、房総半島のドライブが趣味だったという作者は、どこで水仙を見たのであろうか。鋸山の麓にある鋸南町には水仙の群生地があり、3キロにおよぶ水仙ロードでハイキングを楽しめる。九十九里海岸に立つ太東崎灯台の周りには水仙が自生している。今は神奈川に転居しドライブもままならない作者にとって、かつて見た房総の明るい道は、追憶の中でさらに輝きを増しているのではなかろうか。 (迷 25.01.11.)

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金賞とシール貼られし寒卵    高井 百子

金賞とシール貼られし寒卵    高井 百子 『季のことば』  もやしと並んで物価の優等生とほめられてきた卵も、近年はご難続きのようである。鳥インフルエンザの流行で一地域あたり何十万羽という鶏が殺処分されたり、酷暑で産卵量が大幅に減ったりしている。円安による飼料高騰も生産者には痛い。優等生であるかぎり、高値は消費者が許さない。なんとか以前の価格水準を維持しているというのが実情だろう。そんな卵もピンからキリまであって、6個パックで1000円を超える銘柄卵が各地にあるようだ。スーパーの特売では10個150円弱もあるから、すべからくモノの値段というものは自由自在である。  掲句の卵は金賞とシールが貼られたもちろん高級品。しかも寒の真中のものだから売れ行きも確かだろう。寒卵は昔から滋養豊富といわれ長持ち、病人はもとより冬場の体力増強に珍重されてきた。こうした思いが人々の間にしっかり根付いているせいもあってか、句会で最高点を獲得した。身近な卵だけに選句者にはこの景が容易に見えた。金賞にふさわしく1個ごとに燦然と輝く金色のシールがある。  ところで、12月句会には「寒中」の句はちと早すぎるとの声があった。季節のちょっと先を詠むのも俳句だが、同じく冬とはいえ年を越えた季語の句は感心しないということだ。そういう筆者も「寒昴」の句を出して他人のことは言えない。なにはともあれ掲句が佳句であることには異論なかろう。 (葉 25.01.09.)

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水仙のつぼみをほどく朝日かな  溝口戸無広

水仙のつぼみをほどく朝日かな  溝口戸無広 『合評会から』(日経俳句会) 実千代 つぼみをほどくという言葉に惹かれました。 枕流 朝の訪れを告げるように水仙の花が開いている様子が目に浮かびました。 愉里 とても気持の良い、清々しく明るい景を詠まれています。 木葉 朝に水仙が咲いたということだけですが、つぼみをほどくという表現が非常に効いています。 明生 水仙というと、つい香りに関連した句を作りがちですが、つぼみに焦点を当てたことに感心します。つぼみをほどくなんて上手な表現だと思いました。 操 水仙の咲き誇る野に渡る朝日、澄んだ情景。つぼみをほどくという措辞が引き立つ。 ヲブラダ 冬の朝の清々しさを感じます。 豆乳 つぼみをほどくという表現が美しい。           *       *       *  異口同音、「つぼみをほどく」という措辞が絶賛された。しかし、「水仙って、いつも咲いているような気がして、本当に朝につぼみが開くのか分からなかったので採りませんでした」という意見もあった。この「異見」は正しい。確かに水仙は朝花開くとは決まっていない。しかし、いかにも朝日が蕾をほぐす感じになることも確かだ。「水仙のつぼみはいかにも硬そうな感じがしますが、金色の朝日に照らされると、ほどけるように感じました」という作者の感性を尊重しよう。 (水 25.01.07.)

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湯気立てるラガーの声の殺気かな  金田青水

湯気立てるラガーの声の殺気かな  金田青水 『この一句』  この句を読んで、最近テレビで放映された1987年の「雪の早明戦」が思い浮かんだ。国立競技場は、雪だるまが作れるほど大量の積雪で、雪かきをしたとはいえグランドは泥んこ、ジャージも泥んこ。激戦の末、10対7の僅差で早稲田が勝った。  あの頃、ラグビー好きの友人に誘われて、よく国立競技場や秩父宮ラグビー場に行った。当時は、日本選手権は大学生対社会人の戦いで、平尾を擁する同志社と松尾を擁する新日鐵釜石の試合など、いまでも思い出に残る試合がある。正月に帰省した時には、花園の社会人選手権を観に行った。この競技場はスタンドとグランドが近く、試合中の選手や審判の声がよく聞こえた。正月の試合なのに客席はがらがらで、スタンドのおっさんたちの弥次もよく響いた。弁当箱に詰めたおせちを肴に、魔法瓶の熱燗で一杯やりながら観戦した。  筆者は最初、この句を「ラガーの声」が「湯気を立てる」と読んで、とても面白い表現だと思った。よくよく考えれば、「湯気立てるラガー」の「声」と読むのがまっとうだと思うが、それだと少し面白みに欠ける気がする。「殺気」は少し大袈裟かなと思ったが、あの「雪の早明戦」のような試合であれば、あながち大袈裟でもない。いまでも、あんな過酷なコンディションでもラグビーはやるのだろうか。ラグビー観戦とは、すっかり疎遠になってしまった。 (可 25.01.05.)

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三日はや朝食パンにハムエッグ  須藤 光迷

三日はや朝食パンにハムエッグ  須藤 光迷 『季のことば』  正月は元日はもとより、三が日の二日、三日、さらに松の内の七日まで、どの日も季語となっている。歳時記を見るとそれぞれの日にもっともらしい解説が載っている。角川俳句大歳時記によれば三日は「正月三が日の最後の日ゆえ、元日の厳粛さや二日の楽しさとは異なり、外交的な気分の日である」という。例句にある「昼過ぎを立ち読みに出る三日かな 坂本宮尾」あたりはその気分を映している。  掲句の作者も三日にしてお節や餅を食べ飽き、気分を変えたくなって、いつものパンとハムエッグにしたのであろう。誰もが経験する〝正月あるある〟をさらりと詠んだ日常茶飯句と思えるが、昔の正月風景を重ねると、戦後80年の風習や食卓の移り変わりが透けて見えてくる。  お節とは、そもそも新年の神様へのお供え物で、それを食べることで一年の豊作や家内安全を祈る意味がある。食材には五穀豊穣や子孫繁栄を願うため、数の子、黒豆、昆布巻き、紅白なますなど縁起物が使われる。味付けが甘いのは日持ちを良くするためだが、三が日は女性が料理をしなくてもいいように配慮したという説もある。  食の多様化が進む現代は洋風、中華風のお節が売られ、本来使わない牛や豚の肉料理が盛られている。さらにスーパーやコンビニが年中営業してる状況もあり、お節を三が日食べる必要性は薄れ、他の食べ物に目が向きやすいのであろう。作者は愛妻家として知られる。お節に飽きたと言いつつ、奥様をわずらわすことなく自らパンを焼き、ハム…

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片時もスマホ離さず去年今年   植村 方円

片時もスマホ離さず去年今年   植村 方円 『季のことば』  「去年今年(こぞことし)」は、俳句独自の言葉で新年の季語。「行く年来る年」という意味合いの古くからある季語だが、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」の一句によって命が吹き込まれ、一躍脚光を浴びるようになった。昭和25年暮、新年のラジオ放送用に作ったこの句は、「人生の達人の一種の達観に裏打ちされた名句で、この句によってこの季題の価値が定まった」(山本健吉『基本季語500選』)という。当時、76歳。虚子の代表作のひとつだ。  その名句誕生から75年目の去年今年、見渡せば誰も彼もがスマホに夢中。電車でもレストランやカフェでも、歩きながらでも、老若男女ほとんどの人がスマートホンの画面に釘付けだ。メールやLINE、ゲームに動画にSNSと画面の内容はさまざまだが、端から見れば、スマホに夢中なのは皆同じ。掲句は、その今日的風景を去年今年の季語に取り合わせた。  平成のはじめのころ、郊外のベッドタウンから都心へ向かう通勤電車は、日経新聞を読むサラリーマンであふれていた。それはそれで異様な光景だったが、今や電車内で新聞を広げている人は希だ。時代はすっかり様変わり。作者はもう一句、「二人とも画面見たまま冬のカフェ」と同じ句会で詠んだ。「なんだかなあ」との作者の声が聞こえてきそうだ。 (双 25.01.02.)

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羽子板や娘は栄転の支店長    今泉 而云

羽子板や娘は栄転の支店長    今泉 而云 『この一句』  昭和30年代ぐらいまでは、お正月の遊びと言えば男の子は凧揚げに独楽回し、女の子は羽根突きというのが定番だった。今は羽子板と言えば飾り羽子板ばかりだが、昔は羽根突き用の小ぶりなものが売られ、無患子(むくろじ)の付いた羽子を突き合って遊んだものだ。負けた方の顔に墨を塗るといったルールもあった。 掲句は成長した娘のことを詠んでいるので、恐らく飾り羽子板であろう。飾り羽子板は江戸時代に人気役者の似顔を押絵にしたものが持て囃されたのが始まりという。時代とともに羽根突き遊びは廃れたが、飾り羽子板は女の子の健やかな成長を願う縁起物として今も人気がある。 娘さんが春から支店長に昇進するという嬉しい知らせが届いた。家には箪笥の上かどこかに、小さい頃に買ってやった飾り羽子板が残されている。やや色あせた羽子板を見ながら、子供の成長を実感し、喜びをかみしめている、そんな場面が想像される。 羽子板の持つ新春らしい華やぎに、娘が女性には珍しい支店長に昇進するという晴れがましさが重なり、とても目出度い雰囲気の句である。ジェンダーレスとか男女共同参画が叫ばれているが、女性の管理職比率は厚労省の調査で12.7%にとどまっている。欧米主要国は4割を超えており、厚労省は女性管理職の登用を企業に義務付け、比率を公表するよう求めている。新しい年に、この支店長に続き女性管理職が増えるよう、羽子板に願をかけたい。 (迷 25.01.01.)

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良きことを心に刻む年忘    中野 枕流

良きことを心に刻む年忘    中野 枕流 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 世界を見渡しても悪いことばかりが続いている年ですから、良きことを心に刻む年忘れという、この句がことさらに良い句であると思いました。 水牛 どうもいいことが無い。歳を取ると感激も薄れるから、良いことがあっても、あまり感じ取れなくなるのかもしれない。ニュースでは嫌なことばかり次々に起こる。 双歩 ある歌の歌詞に「いいことばかり手紙に書いて云々」とあったのを思い出しました。敢えて良いことを探し出して、心に刻むという姿勢に共感しました。 鷹洋 ロシアのウクライナ侵略、中東の底なしの殺戮、トランプの再登場。聞きたくない見たくない世相だが、核禁のノーベル平和賞、大谷翔平の大記録など素晴らしいこともあまたあり、前向きの評価で二〇二五年を迎えたい。 枕流(作者) 一年間の締めくくりに良かったことを心に刻むことで、良い年だった思えるのではないか、と詠みました。           *       *       *  誰もが納得する句だ。素晴らしい年だったとは、お世辞にも言えない令和6年を振り返り、せめて前向きにと作った句と思える。元日の能登半島地震、翌日には日航機の羽田炎上事故と続き、いったいこの年はどうなるのだろうと危惧せざるを得なかった。けれどもくよくよしたってしかたがない。大晦日。ここは、「いいこともあったじゃないか」と思い起こさせる作者の心配りを感じつつ、年越蕎麦を啜ろう。 (葉 24.12.30.)…

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