町工場名残りの細道冬うらら 杉山 三薬
町工場名残りの細道冬うらら 杉山 三薬
『この一句』
正月五日に大田区矢口の新田神社を皮切りに、多摩川七福神吟行をした時の一句である。毘沙門天を祀る十寄神社から弁財天の東八幡神社へ行く道すがら、細い通りの両側に住宅に挟まれるように町工場が見られた。中に、「〇〇研磨」という名の会社がいくつかあった。研磨は金属加工のプロセスでもあるが、このあたりはキャノンの下請け会社が多かったので、レンズ加工だろうと同行の先輩に教えられた。
しばらくすると、「〇〇精螺」という、立派な建物の会社に出会した。「螺」は巻貝、「螺子」と書いて「ネジ」と読ませる。「鋲」と組み合わせて「鋲螺」もネジ・ボルトの類である。「精密な螺子」を作る会社なので「精螺」。グーグル・マップで見ると、この辺りには「〇〇精螺」が何軒もあることがわかる。
筆者は若い頃しばらく、叔父の経営する機械屋で働いていた。バネを製造する機械屋であったが、親戚会社にネジの機械屋があった。圧造・転造などのプロセスを経て、ワイヤ状の材料からボルトが形成されるのを、最初は魔法のように見たのを思い出す。そんなことから「〇〇精螺」のプレートを懐かしく見た。
当日はまさに「冬うらら」にふさわしい文句なしの晴天、町工場を見て昔のことを思い出しながら、多摩川堤までぶらぶら歩き、とても気持ちのいい時間を過ごすことが出来た。作者はこの吟行の大幹事。とてもお世話になりました。
(可 25.01.15.)