故郷の花かたかごが首を振る   金田 青水

故郷の花かたかごが首を振る   金田 青水 『季のことば』  「堅香子(かたかご)」は片栗の古名で、花は初春の季語。大伴家持が越中富山に赴任した際に詠んだと言われる歌『物部の八十娘子らが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花』(もののふのやそおとめらがくみまごうてらいのうえのかたかごのはな)」が万葉集にある。それにちなんで富山県高岡市は、市の花を片栗ではなく「かたかご」としている。「漢字なら分かったが、平仮名だったので『肩籠』かと勘違いした」とは、国語に明るい可升さん。ただこの感想、あながち的外れではない。というのも「かたかご」の名の由来は、花の形が「傾いた籠」に似ているからという説があるからだ。  一方、片栗の名の由来は鱗茎の形が栗の片割れに似ているから、といわれている。種子から開花まで7年かかるそうで、紫色の可憐な花は「春の妖精」とか「谷間の乙女」などと呼ばれ、各地の群生地は観光スポットとなっている。  掲句は席題「故郷」として出句された一句。「故郷」から「堅香子の花」を想起し、短時間でこんなお洒落な句を詠めるなんて何と達者な、と特選に推した。作者は新潟出身。子供のころ、紫の花をよく目にし、歌人の兄から「堅香子」という言葉を教えてもらったそうだ。表記は「かたかごの花」が普通だが、この句は「故郷の花」で切れるととると無理がない。ふるさと愛あふれる一句だ。 (双 25.04.21.)

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牛久大仏ぬっとあらはる朧かな  廣田 可升

牛久大仏ぬっとあらはる朧かな  廣田 可升 『この一句』  茨城県牛久市には河童が棲むという沼があって、昔は草深い所だった。現在ベッドタウンとして大いに発展している。うな丼の発祥地は牛久沼の渡しだという伝承も、沼のほとりに住んだ小川芋銭の河童絵も昔話だ。日本遺産になった明治のワイナリーが観光客を呼び、飲めばしびれる電気ブランの浅草神谷バーへと今につながる。古い牛久が残っていそうな市の外れには牛久大仏が立つ。掲句は「朧」の兼題にこの巨大な阿弥陀如来像をもってきた。作者によると、水戸偕楽園の「梅まつり」に行った帰りの夕刻、圏央道を走った時の実景だという。牛久大仏のまわりには森があって、突然視野にあらわれた。その情景を詠んだものだと解説した。  「ぬっとあらはる」に実感がこもる。高さ120㍍、ニューヨークの自由の女神より30㍍近くも大きい世界屈指の青銅像だ。黄昏どきこの仏像に突然出会えば、信仰がとくに篤くなくても思わず畏まるかもしれない。高速道からはたぶん頭か胸より上が見えた。下半身は隠れているが、全身が朧のなかにあると言っているのだ。鎌倉で「長谷大仏ぬっとあらはる」と詠んでも雰囲気は出るが、詠み古された感じがする。実景とはいえ牛久大仏のほうがずっと新鮮だ。「夕景の牛久大仏には凄みがあります」との作者の言に素直にうなずける。実際に体験した感覚を、まるで海坊主にでも出くわしたかのような表現、「ぬっと」で諧謔味まで出した。 (葉 25.04.19.)

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つちふるや電車で一人喋る人   星川 水兎

つちふるや電車で一人喋る人   星川 水兎 『この一句』  近ごろ昼間の電車でこんな光景を見かけることがある、との声が句会の席上でも出た。就職氷河期世代の決してビジネスパーソン風でない出立ちの男とか、耳慣れないやや甲高いアセアン語で早口に喋っている人とかである。  今でも多くの日本人は礼儀正しく車中などの公共の場では無駄なお喋りは控える。だから一人のお喋りはどう見ても異常だ。たぶんケータイで誰かと喋っているのだろうが、やはり不気味であり、イライらさせられる。誰もが不快だが敢えてかかわらず、じっと我慢している。  「つちふる」は春先にモンゴルや中国北部から大量の砂塵が日本列島を襲う現象だ。よなぐもり、黄沙などともいう。予期せぬ時に突然襲ってくるため、洗濯物がすっかり駄目になるなど、春先の厄介者である。洗ってすっきりしたマイカーが一夜にして泥だらけになって立腹した経験者も少なくない邪魔者である。  作者によるとこのエピソードに出会い、さてそれを一句に仕立てるに当たって季語の選択に逡巡したそうだ。あれこれ迷った末の季語が「つちふる」だったのだという。  言葉の選択など推敲の跡がしのばれるとても良い句だと思ったのだが、出来上がりがいささか地味だったせいもあって、句会では高得点とはならなかった。しかし、日常生活を不快にする理不尽な出来事のAとBをふたつ並べてそっと差し出し、しかも、その抑制の効いた語り口が私は好きだ。 (青 25.04.17.)

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高原のレタス縫い行く小海線   中沢 豆乳

高原のレタス縫い行く小海線   中沢 豆乳 『季のことば』  高温で野菜不作だった昨夏が尾を引いて、スーパーや青果店で高値が続いている。キャベツ一玉4、5百円というのを聞くと、おちおちトンカツも食べていられない。2、3月も寒波のせいで高値が治まらず、4月に入っても過去の価格水準に落着く気配はない。春の露地物が出回るようになっても高値止まりだ。  最近ではレタスも工場内で水耕栽培しているようだが、それで全国の品不足を賄いきれるとは思えない。レタスは今でこそ年中食べられる葉物野菜。さっと洗うだけで肉料理の付け合わせにぴったり。レタスしゃぶしゃぶというのもあって、ちょっと驚いた。卵サンドに挟めば、あのシャキシャキという音と相まって食感が捨てがたい。  「レタス」はそもそも爽涼感のある季語だ。「萵苣(ちしゃ)」と難しい古名で言うよりぐんと身近に思える。したがって句にもおのずと親近感と爽やかさが生まれる。主な産地は群馬県の嬬恋、長野県の野辺山周辺で高原野菜の代表格。  筆者は会社勤めのころ、仲間たちと泊りがけの夏ゴルフで長野県川上村を訪れたことがある。真夏とはいえ早朝や夜は冷涼で、なるほど高原野菜の産地だと思った。畑中を縫うように走る列車は、窓外に一面のレタスの薄緑を見るわけで、この句のとおりである。レタスは夏の季語にふさわしいと思えるほどだが、「ちしゃ」と呼ばれた江戸時代の伝統で春の季語になっている。  それはともかく、この句は「高原」「レタス」「小海線」の三題が噛み合っていて、とても…

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啓蟄や衝動買いの白シューズ  山口 斗詩子

啓蟄や衝動買いの白シューズ  山口 斗詩子 『この一句』  啓蟄は春の暖かさに誘われて、冬眠していた虫たちが穴を出る頃をさす時候の季語である。「地虫穴を出ず」とか「蟻穴を出ず」といった別建ての季語もある。いよいよ本格的な春が到来するという気分の季語に、作者は白いシューズを取合せ、弾む心を上手に表現している。  「衝動買い」の措辞からは、寒い冬は家に閉じこもっていた作者の、「さあ春だ。出かけよう」という心境の変化が読み取れる。白シューズという下五からは、足取り軽く春の野に踏み出す人物像が浮かんでくる。  句会では「何でシューズなのか、靴でいいのでは」とか「白でなく赤でもよかった」など、ちょっとした論争になった。しかし作者はあえて白シューズを選んだのだと思う。テニスシューズやジョギングシューズのように、シューズには運動靴やスニーカーのイメージがある。また白は真新しさの象徴で、衝動買いした散歩用の真っ白なシューズを履いて、いざ外へという場面なのである。  作者は今年84歳になられる。コロナ禍もあり、近年は句会への出席や遠出を控えておられるようだ。しばらくお会いしていないと思っていたら、毎月発行している句会報に随想が掲載された。生まれ育った新宿区下落合にある「おとめ山公園」を訪ね、目白側のお屋敷町を散策した様子や、幼い頃の思い出が生き生きと綴られている。早春の一日、好天に恵まれ普段の散歩の倍の1万歩近く歩いたという。随想には書かれていないが、足元は白シューズだったに違いない。 (迷 2…

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啓蟄や人の湧き出る地下出口   前島 幻水

啓蟄や人の湧き出る地下出口   前島 幻水 『季のことば』  虫が地中から這い出す啓蟄の候。今年は季節外れの陽気があったり、冬に逆戻りしたかのような寒気に見舞われたりした。しかし暦は季節どおりに移り、人々の活動も日ごと盛んになっている。  啓蟄と桜の季節はちょっと離れるが、いま桜を目当てにインバウンド客のラッシュを迎えている。東京駅や築地場外市場など都内各所には外国人の姿があふれる。老いも若きもカップルがいれば、小旗を先頭にツアーの一団も闊歩する。中国経済の減速により、一時見られた高級店への貸切バス横付けは少なくなった気もする。  日本の交通システムの利便さに気づき、網の目の地下鉄路線を乗りこなす外国人が明らかに増えてきた。文化慣習の異なる人々だから、滞日時の行動には多少の軋轢を生じる。それを割り引いて景気低迷のこの国にとっては得難い外貨収入だ。  この句の「人の湧き出る」は、なにも日本のラッシュアワーを言っているのではないと解釈する。ここは外国人観光客がぞろぞろ地下鉄の出口から出てくる情景を詠んだのだと取りたい。「湧き出る」の表現がうまい。あたかも泉から滾々と水が湧き出るようだという。じつは「啓蟄」の兼題に地下出口をもってきた発想は筆者も同じだった。「啓蟄の地下鉄出でし異人ツアー」がそれだが、1点句に沈んだ。高点の掲句との優劣は歴然か。 (葉 25.04.11.)

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ディールとはまず脅すこと春疾風 中野 枕流

ディールとはまず脅すこと春疾風 中野 枕流 『この一句』  米国もトランプも出てこないが、誰が読んでもトランプ大統領の他国を威す理不尽な交渉術を詠んだ句と分かる。季語の春疾風は春に吹く強い風を指し、その春の最初に吹く南風は春一番と呼ばれる。急速に発達すると台風並みの「春嵐」となり、過去には大きな海難事故を招いたこともある。トランプ流のディールに翻弄され、右往左往する世界が彷彿とする時事句である。世界の盟主国とは思えぬやり口に腹を立てている人は多く、3月の日経俳句会で高点を得た。  トランプ大統領は就任早々にパナマ運河の返還とグリーンランド領有をぶち上げ、世界を唖然とさせた。さらに麻薬流入を理由としたカナダ、メキシコへの報復関税、同盟国を含む鉄鋼・アルミへの25%の重加関税などを相次ぎ打ち出し、各国に譲歩を迫っている。  狙いはMAGA(アメリカを再び偉大に)にするため、自国の産業を保護し、他国の競争力を弱めることにあるとされる。ディールはウクライナ和平にもおよび、支援の見返りに鉱物資源の半分を要求した強欲さには、開いた口が塞がらなかった。  日経俳句会は新聞記者出身の会員が多く、鋭い時事句が句会をにぎわせる。トランプ政権もよく句材となり「切り札をめくればトランプ冬初め 三薬」、「AIの掴むトランプ流れ星 鷹洋」などが思いうかぶ。最近は「同盟国MAGAのゆすりのカモにされ 卓也」もあった。時事句は1年経つと忘れ去られると言われるが、掲句はトランプ政権が続く限り命脈を保ちそうだ。 …

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沈丁や谷中の坂を風に乗り    澤井 二堂

沈丁や谷中の坂を風に乗り    澤井 二堂 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 谷中の坂ときて、さらに沈丁花の香りがふわっとして、一つの絵になるということで、もう無条件に採りました。  豆乳 谷中の坂には素敵なイメージがあって、風に乗るというのも春らしく爽やかに感じました。 百子 お寺と沈丁花、坂道よく合っています。さもありなんという世界ですね。 守 沈丁花の香も自分も風に乗って……という一体感がなんとも良い感じです。 水牛 厳しいことを言うと、「沈丁や」で切っておいて、「風に乗り」とまた沈丁花のことを詠んでいるのは、ちょっとおかしい感じがする。上五を沈丁花として一物仕立ての句にした方が良かった。           *       *       *  沈丁花といえば四大香木(蝋梅、山梔子、金木犀をふくめ)の一つ。句に詠み込むだけで匂いや香りはおのずから浮かび出てくる。それゆえ筆者は、あからさまにそれを詠んだ句は採りにくかった。この句は匂いとか香りとか言わないで、沈丁花の香りが確かにそこにあると詠んでいる。谷中の風景を思い浮かべ、そうでしょうねと素直にうなずく。上五に沈丁花と置くと、谷中と漢字が続くのを嫌ったのかも知れないが、沈丁花とした方が、確かに座りがいい句になる。水牛評に同意したい。 (葉 25.04.07.) 

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故郷の磯の香りや桜鯛      廣田 可升

故郷の磯の香りや桜鯛      廣田 可升 『合評会から』(酔吟会) 道子 すーっと気持の中に入って来る句で、桜鯛の姿が目に浮かびます。 光迷 席題の「故郷」の句の中で、最も春を感じさせる句だと思いました。磯の香りを感じた鼻に桜鯛の色を誉める目、鯛を料理して楽しむ舌という感覚が動員されているのもいいですね。 水牛 これはいい句ですねえ。「故郷」という席題に呼応し、出て来たのが昔懐かしい故郷の「桜鯛」。ぴたりはまっています。ただ細かいことですが、「磯の香り」といえば真っ先に浮かぶのは海藻類、貝類でしょう。桜鯛ともなれば「海の香り」か「浜の香り」とした方が良かったのではとも思いました・・・。           *       *       *  俳句には詠むもの(季語やモノ・コトなど)が決められている「題詠」と自由に好みのものを詠む「雑詠」がある。題詠には予め示される「兼題」と句会の場で示される「席題」がある。席題句を詠む持時間は概ね十五分程度で、いわば即興である。それだけにその句の良し悪しは、過去の経験などを思い返し手際よくまとめる発想の柔軟さがカギになる。  席題をもっと広げて、句会参加者ひとりひとりが封筒に題を書き、全員がその題について詠んだ短冊を封筒に入れる袋回しという遊び方もある。これは絶好の頭の体操になる。試されてはいかがだろうか。 (光 25.04.05.)

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啓蟄や腹の虫鳴く回復期     高井 百子

啓蟄や腹の虫鳴く回復期     高井 百子 『季のことば』  啓蟄は二十四節気のうち春の三番目で、新暦では三月五日か六日にあたる。水牛歳時記によれば、蟄は虫を閉じ込める字義で、啓は「ひらく」を意味する。「冬の間土の中に閉じ込められていた虫が地上に出てくる様子をさす」時候の季語で、春もそろそろ本番という時期を示すという。  例句を見ると「啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる 山口青邨」をはじめ、蛇やひきがえる、蟻などが詠まれている。掲句は、あろうことか腹の虫を登場させ、軽妙な笑いを誘っている。下五に置かれた「回復期」が句にリアリティーを与え、詠まれた状況への想像が膨らむ。  病気かケガで入院したのであろう。手術直後は食欲もなく、お粥で足りていたが、回復するにつれ病院食では物足りなくなり、ついに腹の虫が鳴き出したいう訳だ。回復期という言葉が、退院も近いと思わせ、さあ春だという啓蟄の心の弾みと響き合っている。下五が多角的に効いている句といえる。  体の中に虫がいて病気の原因になっているというのは日本古来の考え方で、戦国時代の医学書には63種類の虫が描かれているという。「腹の虫が治まらない」とか「虫の居所が悪い」といった慣用句も残っている。作者の腹の虫はそんな悪さをせず、お腹が空いたと鳴いて訴える。お腹が鳴るのは胃腸が元気に動いている証拠。早く退院して好きなものを食べ、虫を鎮めましょう。 (迷 25.04.03.)

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