亡き友と昼酒を酌む彼岸かな     中村 迷哲

亡き友と昼酒を酌む彼岸かな     中村 迷哲

『季のことば』

 肝胆相照らす友が亡くなれば、たとえ十分に生きたと言える年齢であろうと「もう少し生きていてほしかった」と悔やむ。その一方で、お互い古稀を越えた年頃であれば、日を経るに従って「仕方がない、どちらかが先に逝くのだから」と思うようになる。これは別に不人情ということではなくて、自然に備わった忘却作用なのだろう。やがて、哀しみが徐々に薄れて来るに従って、生前の互いの付き合いのシーンがあれこれ甦ってきて、それを懐かしむことが出来るようになる。
 「年齢とともにこういう光景の現実感が強くなります」(的中)、「私は小さい頃から同じ場所に住んでいるので、同級生がまた減ったよみたいなことがだんだん多くなってきました」(光迷)といった感想が寄せられたが、まさにそういうことであろう。
 うららかな彼岸の午後、静かに酒を飲む。傍目には一人で昼酒をやっているように見えるが、そうではない。彼岸と此岸との会話が始まっているのだ。しみじみとした感じではあるが、少しも湿っぽくない。むしろのどかな彼岸風景である。(水)

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