親戚はつかず離れず彼岸過ぎ     星川 佳子

『この一句』

 彼岸過ぎの思いに同感した。私の場合を言えば、菩提寺に親戚や一族の墓が三つほどあり、墓参りの度にそれらの墓にも手を合せている。彼岸の終る頃に行ったら、我が家の墓に花が数本、供えられていたことがあった。ああ、親戚の誰かが、ウチの墓に花を恵んでくれたのだ、と思う。
 従兄弟、甥、姪など親戚との関係は年ごとに薄らいで行く。子供の頃は兄弟のようなもので、互いの家に勝手に入っていき、キャッキャと騒いでいた。十代の終わりごろまでは、電話で話し合うこともあった。ところが社会人になってからは関係が遠くなり、年賀状だけの付き合いになっていく。
 老境に入った今、彼らは元気かな、と思うことはあるが、メールをやり取りするほどではない。たまに顔を合わせれば、けっこう盛り上がり、「じゃ、また」と言い合っても次に会うまでの段取りが億劫だ。一族とは、人間とは、人生とは、こういうものか、と彼岸過ぎに思うのである。(恂)

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