汚れ猫尾垂れて行きぬ春浅し     斉藤 早苗

汚れ猫尾垂れて行きぬ春浅し     斉藤 早苗

『この一句』

 云うまでもなく恋の猫であろう。それも恋の闘争に敗れ、尾羽打ち枯らした雄猫。もう意地も張りも失せ、すごすごと早朝の庭先を横切って行く。我が家の近所にも以前、私が勝手にタメゴローと名づけたどら猫が君臨していた。ところが寄る年波か、数年前の早朝、犬の散歩の途中に一敗地に塗れたタメゴローに出くわした。その後いつとはなく姿を見なくなってしまった。この野良猫もそんなところなのだろう、可哀想だが、なんとも滑稽味の漂う句である。
 この句からいろいろなストーリーが描けそうだ。ただ、こうした句を詠む場合、どうしても作者の感情移入が過多となり、滑稽味を打ち出そうとする欲気が勝って、表現がくどくなりがちである。喩えて言えば、下手な落語家がこれでもかとばかりに連発するくすぐりのようなものだ。その点、この句は見たままをさらりと詠んでいるために、滑稽味がじんわりと伝わって来る佳句になった。
 恐らくかなりの手練れの句だろうと思ったら、俳句をほとんど詠んだことのない新入会員の作品だった。「見たまま・感じたまま」を詠んだ句の強さを改めて知らされた。(水)

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