端然と坐るが如く独楽回る 高石 昌魚
『この一句』
独楽が回ると動いていないように見えるのは誰もが知っている。それを改めてこう詠まれると、なるほどそうだなあと思ってしまう。「いい大人が独楽の回るのをじっくり観察するというのは、一体どういう場面か見当がつきませんでした。その場面を想像する楽しさがある句です」(ヲブラダ)という面白い句評があった。まさにその通りで、一心不乱に独楽の澄んでいるところを見つめる作者の姿が浮かんできて、実に愉快である。
「如く」とか「様に」などという言葉はあまり用いない方がいいということは作者も十分承知の上だったようである。しかし、「動いているのに動かないように見える。ヴィヴィッドでなおかつ泰然としている様子をなんとか詠みたいと」思った作者は、まず「端然」という言葉を考えついたのだという。「端然と坐っているようだ」ということになれば、自ずから「端然と坐るが如く」というフレーズが生まれて来るであろう。
作者の自句自解を聞いて、写生句の作り方と場に応じた言葉遣いの要諦をおさらいさせてもらった。(水)
この記事へのコメント