聖夜とて不断と同じ老夫婦 井上 庄一郎
『季のことば』
近ごろのクリスマスは一時のジングルベルの狂騒が鳴りを静めて、まことに結構なことだ。しかしその一方で、繁華街の電飾が年を追う毎にけばけばしくなっていくことと、子供たちのプレゼント要求が露骨に、しかもエスカレートしているというのが気になる。大人も子供も金の亡者になったような感じがして興醒めしてしまう。
昔は家の中の小さなクリスマスツリーの下には、靴下の中にチョコレートやクッキー、張り込んでもささやかな玩具、人形などが置かれていた。今や1万円の買物券がぶら下げられていることも珍しく無いという。そうまでしても子の歓心を得たい、孫の笑顔を見たいという親やジジババの心根を思うと、なんともシラケた気分になってしまう。
この句、そういうものとは全く無縁。「シンプルな句ですが味があります。老夫婦の寂しさではなく、安らぎを感じます」(可升)という句評が寄せられたが、まさにそのとおり。「静謐」という聖夜の本質を思い出させてくれる句とも言えるだろう。(水)
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