風吹けば紅葉の私語の聞こえ来る     水口 弥生

風吹けば紅葉の私語の聞こえ来る     水口 弥生

『この一句』

 京都大原・三千院、嵯峨・祇王寺、あるいは日光・いろは坂といった名だたる紅葉の名所ではなく、ひっそりとした紅葉山であろう。観光客がどっと押し寄せる名所では、ちょっとした風にさやぎ散る紅葉の葉擦れの音など聞こえるはずもない。これは作者一人か、ごく少人数の紅葉狩りの一コマに違いない。
 この句を見た時、「紅葉の私語の聞こえ来る」というフレーズが、あまりにも作り過ぎ、技巧の凝らし過ぎではないかと思った。しかし、この句が投じられた句会から三週間たった今、あらためて見直してみると、とても奥深い情趣を感じる。
 紅葉は落葉樹が活動期を終え、休眠期に入るに当たって葉を散らす前段階の一コマである。紅葉黄葉は実に美しく華やかではあるが、それは最後の一幕を彩る吐息のようなものである。赤に黄色に色づき、最高潮に染め上がったものから順に散ってゆく。「それじゃね」「お先にね」と言い交わしながら。オー・ヘンリーの短編を思い出させるような味合いがある。(水)

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