また一枚毛布重ねる夜寒かな 深田 森太郎
『季のことば』
「夜寒」は秋の季語である。晩秋になると朝晩急に冷えて来て、ああ冬ももうずぐだなあと思う。それを「夜寒」「朝寒」で詠む。この句を見て、夜寒の気分をよく表しているなと思った。夜半、トイレに起きて戻って来て、毛布を一枚掛けたというのである。この時期、誰もがやることで、共感を抱く。
しかし、問題は「毛布」がれっきとした冬の季語であることだ。こういう句に出会うと、鬼の首でも取ったように「季重なりです」と言う人がいる。結社の主宰者クラスにも「絶対にだめ」と頑なな人もいる。しかし、なぜ「季重なりはいけない」のか。あれこれ理屈がつけられているが、代表的なものが、「句の中心となる大切な季のことばが複数あっては、句がばらばらになってしまう」である。これは確かに一理ある。
とすれば、二つの季語が互いに突っ張り合わなければいいはずだ。この句のように「夜寒」という主題の情趣をより良く伝える道具として「毛布」が使われている場合、毛布はそれ自体何ら自己主張せず、句の中にすっぽり納まって何の違和感も与えない。こうした「季重なり」は何ら気にする必要は無いだろう。(水)
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