縄跳びの縄で秋風ちぎられて 渡邉 信
『おかめはちもく』
縄跳びの縄で秋風を切るとは。「なるほどねぇ」と感心した。子供の頃、縄跳びは習慣のようなもので、寒い冬の朝も「体が暖かくなるから」と積極的に取り組んでいたものだ。しかし跳ぶ回数や「二重廻し」「三重廻し」を目指すばかりで、縄が風を切っている、という意識は生まれなかった。
さてこの句、しばらく見ているうちに「秋風ちぎられて」という、秋風を主体とする受動的表現が気になってきた。これでも悪くないか、とも思うが、やはり縄跳びの主人公を主体的に表現する積極性が欲しい。即ち「私が縄を回しながら、秋風をちぎっている」という風に詠みたいのだ。
仲間の一人がこの句について、「縄跳びで」だけでも意味は同じだから、「縄」は省略できるのではないか、と語っていた。その通りではあるが、私は「縄跳びの縄で」と繰り返し、強調したところにも魅力があると考えていた。修正案として浮かんできたのが、「縄もて(以て)」への変更である。(恂)
添削例 縄跳びの縄もてちぎる秋の風
この記事へのコメント