蜘蛛の巣のゆれてふくらみ秋の声 石黒 賢一
『季のことば』
「秋の声とはどんな声だ」と聞かれて即座に明快な答が出せる俳人はそう多くないだろう。とにかく一筋縄ではいかない季語だ。秋になると風の音にも虫の声にも、また何とも知れずどこからか鳴り響いてくる音にも、物寂しさや物の哀れを感ずることが多い。そういうところから生まれた言葉であるというのがまずは一般的な解釈だ。しかし、それが行き着く処まで行って、秋の声とは具体的な物音ではなく「心耳に響く音や声を言うのだ」と説く人もいる。
俳句は理屈ではないのだから、理路整然とした答を求めなくてもいい。具体的な声や音を耳にして秋と思えば即ちそれが秋の声であろうし、静寂の中で突然何かが聞こえたような気がした、というのもまた秋の声であろう。つまりは開き直った言い方をすれば、秋を感じる森羅万象の声である。
この句、蜘蛛の巣が秋風にふくらんで揺れている景色を素直に詠んだだけである。声も音もしない情景だが、やはり作者には何かが聞こえてきたのだ。そして、読者がこの句から秋を感じることができれば、それで一件落着。「蜘蛛の巣は夏の季語だ」などという雑音は、聞こえないことにしよう。(水)
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