紫陽花は墓参り待つ母に似て 澤井二堂
『この一句』
我が家の近くのお宅に大きな紫陽花の株がある。高さは優に二辰鯆兇掘¬个蠅猟招造六悪辰砲發覆襪世蹐ΑK菁、きれいなガクアジサイが咲くのだが、ご主人は截れば截るほど大きくなる、と嘆いていた。句の紫陽花はこのタイプではない。こじんまりした株に綺麗な丸い花を咲かせるのだろう。
母の月命日、寺を詣でた作者ははっとしたようだ。墓地への通路を行くと、視線の先の紫陽花が、しゃがみ込んでいる母親のように見えのだ。こちらに顔を向けているようでもある。「貴方がそろそろ来る頃だと思って」。そんな声が聞こえてくるようで、「お母さん」と声を掛けそうになった。
墓参やご先祖の供養は我々が抱える現代的な問題の一つ。墓への無沙汰を気にしながら、日を送る人も少なくない。月命日には・・・、と思いつつ事情が許さない。作者の家の墓は自宅からさほど離れていないところにあるのだろう。だからこそ、墓参の回数が多く、亡き母上も待っておられるのだ。(恂)
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