走り梅雨わざわざ覗く枯れた井戸     植村 博明

走り梅雨わざわざ覗く枯れた井戸     植村 博明

『おかめはちもく』

 井戸というものが珍しくなった昨今、涸れ井戸などには滅多にお目にかかれるものではない。それでも郊外の城跡などを吟行していて、時折、見つかることがある。これもそうした折にぶつかった涸れ井戸なのか。それとも町場に珍しくも残っている井戸か。とにかく「わざわざ覗く」というのがとても面白い。覗いたって走り梅雨くらいではすぐに水の湧き出すはずも無いのだが、つい覗きたくなってしまう。この句は人情の機微を衝いている。
 ただ、この句は叙述に問題がある。まず「枯れた井戸」。これでも分かるのだが。「枯れた」は普通は植物が枯れてしまったことを言い、井戸の水が干上がってしまった場合は「涸れた」と言う。もう一つの問題は叙述の順序である。この句の詠み方だと、「梅雨の走りの雨がやって来たので、わざわざ涸れた井戸を覗きに行った」という意味合いになる。この「ので」とか「だから」を思い起こさせるのが、ちょっと余計な感じである。「走り梅雨」は句全体を覆う季語として最後に置いた方が良いのではなかろうか。
 (添削例) 涸れ井戸をわざわざ覗く走り梅雨     (水)

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