陽炎や頭の中の万華鏡 加藤 明男
『この一句』
陽炎がゆらゆら立ち昇る、麗らかな春の昼下がり。公園のベンチに一人で座っているのもいい、あるいは自宅のソファにもたれているのもいい。身も心も大自然の運行にゆだね、余計な事を考えない。
とは言っても無念無想の境地にはなかなか浸れない。凡夫の浅ましさで、そうしているとすぐに来し方のあれこれが去来し、いちいちそれに反応して悔しがったり、恨んだり、後悔したり、自分で自分に弁解したりして、頭の中で一人芝居を繰り広げる。しかし、そうしたことを何度かやっているうちに、あら不思議、何も考えずに頭の中を空っぽにしていられるようになる。これが無念無想、あるいは座禅を組んで無我の境地に入るのと同じようなものなのか、あるいはただ半睡半醒の宙ぶらりん状態なのか。
これは私が常日頃やっていることで、この句の作者の思考行動とは全く関係無いかも知れない。しかし、とにかくこの句を見た時に、「頭の中の万華鏡」とは面白いことを言うものだ、自分と同じような人がいると思ったのである。(水)
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