拝啓と書きて続かず目借時 須藤 光迷
『季のことば』
「目借時」は「蛙(かわず)の目借時」の略。この季語については芭蕉の頃から諸説・異説が相次いでいた。季は「暮春」か「初夏」かの問題。「“目借時”だけの省略は不可」「長すぎる。省略はやむを得ない」。眠いのは「蛙が人の目を借りにくるから」「いや、人が蛙の丸い目を借りるのだ」などなど。
春の季語には「魚氷に上る」「獺魚を祭る」「鷹化して鳩となる」「龍天に登る」など中国の故事に由来する長い字数のものが多い。そんな中で「蛙の目借時」は日本生まれとされるが、本来の意味に「蛙の妻(め)狩時」と正反対の「蛙の妻離(めかり)時」がある、というのだからややこしい。
文章作成で適切な語を捻り出すのは、人間の難作業の一つだろう。「拝啓」と書き出してすぐに眠くなるのがその証拠である。掲句はまさしく人間の脳の実情を掲出していると思う。この文を書いていてただ一度だけ「目がパッチリ」とした。「蛙の雌雄が包接する現象」という説明に出会った時である。(恂)
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