目借時テレビを前に半跏思惟     前島 幻水

目借時テレビを前に半跏思惟     前島 幻水

『季のことば』

 「目借時」という季語は「蛙の目借時」が正式なのだが、「かはづのめかりどき」ではこれだけで俳句十七音字のうちの九音を占めてしまうので、「目借時」と短縮形で用いることが多い。蛙が鳴き交わす春は、ことのほか眠気を催す季節だが、これは「蛙に目を借りられてしまうからなのだ」という俗説から来たと言われている。しかし、蛙がこの時期に何故人間の眼を必要とするのか説明が無いから、さっぱり訳が分からない。まあ、こんないい加減なところが俗諺たる所以で、昔の俳人たちはそれを面白がって季語に採用した。
 さてこの句の「半跏思惟」だが、広隆寺の弥勒菩薩を挙げれば大概の人が「ああ」と頷く。右脚を曲げて左腿に乗せ、うつむき加減の顔に右手を添えるような姿勢で思索にふける姿である。座禅の姿勢の一つなのだが、これを「居眠り」としたところに俳諧味が生じた。
 近ごろはテレビをつけっぱなしにしている家がかなり多い。いわゆる「ながら見」である。ずいぶん一生懸命に見ているなあ、と思ったら、なんだ舟を漕ぎ始めたじゃないか。とんだ弥勒さまだ。(水)

この記事へのコメント