草の芽の土手で仰ぐや大飛球    中村 哲

草の芽の土手で仰ぐや大飛球    中村 哲

『この一句』

 河川敷の野球場である。東京近辺なら多摩川、荒川、江戸川などの土手に腰を下し、草野球を見下ろす、という構図になるだろう。特定のチームを応援する人はグラウンドの傍に座を占めるが、ぶらりとやって来た“土手席”の人々は勝ち負けにこだわらず、のんびりとプレーを眺めている。
 この句では何はさて措き「大飛球」に注目したい。この一語によって、選手の動きや土手の上で戦況を見守る人たちの様子が、鮮やかに浮かんでくるはずだ。「草野球」などの語は使わずとも、広々とした河川敷の野球が目の前に現れる。まさに「省略の効いた句」と言うべきだろう。
 三、四十年も前、どこかの句会で選んだ一句を突然、思い出した。「摘み草の手を止めて見る草野球」である。さらにこの「草野球」という語は、掲句に倣って「大飛球」に替えてみたい、とも考えた。作者や句会のことは、全く思い出せないのに・・・。俳句とはこういうものなのだろう。(恂)

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