湯豆腐や夢は大方夢のまま     玉田 春陽子

湯豆腐や夢は大方夢のまま     玉田 春陽子

『季のことば』

 「湯豆腐」はやはり冬のものである。料理とも言えない料理だが、食通と言われるような人たちに語らせれば、気が遠くなるほど奥の深い食べ物となる。まず豆腐の吟味から始まる。絹ごし豆腐か、木綿豆腐であるべきかで侃々諤々。鍋に敷く昆布の産地まであれこれうるさい。鍋の真ん中に醤油と削った鰹節を入れた筒型の湯呑茶碗を据えるのだが、そこにあらかじめ刻み葱を入れるべきか、いや、葱は豆腐をよそう小鉢に入れるべきだとか、甲論乙駁である。
 しかしまあそんな小難しいことを言わなくとも、まずまずの豆腐と昆布があれば、それなりの湯豆腐になる。鰹節も本当は掻いたばかりのものがいいのだが、近ごろは真空パックの削り節も出来が良くなって十分の美味しさである。というわけで、湯豆腐もずいぶんお手軽に出来るようになった。
 こうしてささっと仕立てた湯豆腐で一杯やっている。自ずから来し方が次々に浮かんで来る。あれこれ夢を描いたが大方は夢に終わったなあと独りごちする。でもまあこうして安穏に暮らしているのが上出来と言うべきなのかなと。ゆらりと揺れる湯豆腐を見つめながら合点している。(水)

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