水底に揺れる藻の見ゆけさの秋    大倉悌志郎

水底に揺れる藻の見ゆけさの秋    大倉悌志郎

『おかめはちもく』

 この句を見た瞬間、「いいな」と思った。朝の散歩中だろうか。水の澄んだ小川や清水の湧く池の底などを考えればよさそうだ。ふと足を止めて見つめると、緑色の藻がゆらゆらと揺れていたのだ。暑い日々が続いていたが、早朝は空気が冷ややかだ。もう秋なんだ、と思う朝である。
 俳句作りでは、季語に配するさまざまな状況を考える。付きすぎはいけない、離れすぎも良くない、理屈絡みも嫌だ。いい取り合わせはなかなか思いつかないものだが、この「水底に揺れる藻」は私の心にぴったりと適合した。「立秋の朝」にこれ以上に相応しい対象はざらにないと思った。 
 句会ではもちろん選んだ。ところがしばらくして、小さなことが気になってきた。「見ゆ」がどうだろうか。見えるのは当然のことだから、「あり」で、いいのではないか。「見ゆ」が悪いというわけではないが、思い切って手を入れることにした。“趣味の添削”なのかも知れないが。
添削例  水底に揺れる藻のありけさの秋    (恂)

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