やり残し何かあるはず処暑となる     髙橋ヲブラダ

やり残し何かあるはず処暑となる     髙橋ヲブラダ 

 季節の変わり目を最もはっきりと悟るのは、秋到来の時期かも知れない。子供の頃は何より夏休みがあった。天国のような序盤、やっぱり楽しい中頃を過ぎて、溜まっている宿題を必死にやらねばならぬ終盤。何かやり残しがあるはず、と思うのは遥か昔の夏休みのせいではないだろうか。
 社会人になり、一週間ほどの休暇であっても、やはり昔の夏休みの気分がある。夏休みが終わる頃になると、家族が「来年は」と言い出す。家庭には正月をはじめ、さまざまな行事があるが、特に子供たちの思いはやはり夏休み。家族の一年は夏休みを中心に動いているかのようだ。
 そのためだろうか、処暑を迎える頃、やり残したことがあるような、何とはなしの不安を覚える。会社の仕事、家族や友人との約束、夏休み前に立てた計画。漠然としているが、ひょっとすると何かが・・・。この句はそんな夏の終わりの取りとめのない心理を的確に表現している。(恂)

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