菜を洗ふ水の軽さよ風光る 岡田 臣弘
『季のことば』
「風光る」というお馴染の季語について、「日本大歳時記」は「うらうらと晴れた春の日に、軟風が吹きわたること」(山本健吉)としている。江戸中期からずっと俳人に愛用されてきた季語だそうで、傍題に「風やわらか」というのがあるから、「軟風」は歴史的にその通りなのだろう。
しかし私はなお、「そうかな」と思う。根拠は「光る」という言葉の感触である。何しろ風がキラリと輝くのだ。同じ歳時記で飯田龍太が「風光る」の代表的な句に「風光る閃(きら)めきのふと鋭けれ」(池内友次郎)を挙げ、「春のひかりのきらめき。同時に作者自身の心象であろう」と説明している。
上掲の句、菜を洗いながら水の軽さを感じ、ふと目を上げたら「風が光った」のだ。女性が清流で菜を洗う場面を思わせるが、作者によれば、奥さんがキッチンで・・・、ということであった。この場合、柔らかな春風の中の光なのか、春先に吹く肌寒い風の光なのか。うーむ、両方有り得るかも知れない。(恂)
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