木々の芽の妻の介護の窓辺かな 岡本 崇
『この一句』
しみじみと、情感溢れる句である。今や用語として定着した「老老介護」の一場面。作者は「妻の介護続きで、窓辺の木々の芽が印象的でした」と述べている。
傍から見れば「夫婦愛」の現れとか何とかいうことになるのだろうが、当人同士はそんなものはとっくに超越している。片方が病んで助けを必要とすれば、もう片方が助ける。自然にそうなっているだけで、いわば成り行き。これがまあ「連れ合い」というものなのだろう。
それはともかく、妻に倒れられてしまった男は哀れである。炊事洗濯はじめ家事一切を何十年も任せ放しにしてきたツケがどっと回ってきて、呆然としてしまう。飯を炊き、味噌汁を作るくらいはなんとかなるが、おかずとなると難儀だ。デパ地下やコンビニで買ってきた惣菜で済ませ、妻に食べさせる。妻が施設に入れば入ったで、自分の衣食をこなして、世話をしに行かねばならぬ。
この句の良さは、そんな苦労をしているに違いないのに、惨めったらしさの無いところである。木々の芽生えにふと心やすらぐ作者の、安心立命の境地といったようなものが伝わって来るせいかも知れない。(水)
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