ながらへることの幸せ七日粥     大倉悌志郎

ながらへることの幸せ七日粥     大倉悌志郎

『この一句』

 七十歳代の半ばを過ぎる頃から、森羅万象への感受性が変わって来たように思う。先日も熱海梅園に行って、しみじみと「梅の花はいいものだ」と感じ入った。かつて「春は桜」と決めていた。梅には寒々とした感じもあって、自分から進んで見に行くことはなかった。ところが今や梅のファンである。
 この句を見て「七日粥もそうだ」と気付いた。大根の葉とかはこべとか、そんなものを入れた味気ない粥は、作ってくれる母や妻への義理で食べているようなものだった。しかしこの頃は違う。七草粥を食べながら、これこそ春の味なのだ、春が近づいてきたのだ、と喜びを覚えてしまうのだ。
 年を重ね、永らえて来たせいだろう。このような変化を前向きに捉えて、若い頃よりも楽しい日々が増えて来た、と思えばいい。これで行こう、と私は決めた。ある人から「若い時に戻れるなら、何歳がいいか」と問われ、「何歳にも戻りたくない」と答えた。相手は不思議そうな顔をしていた。(恂)

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