山谷をともに越え来て納豆汁     中村 哲

山谷をともに越え来て納豆汁     中村  哲

『この一句』

 寒い冬の夜は何と言っても汁ものに限る。河豚汁、粕汁、狸汁、薩摩汁、三平汁・・と、数え挙げればきりがないほど各地各様の汁物がある。そんな中で納豆汁は極めて単純素朴。納豆を叩き、味噌汁に摺り込んで、奴に切った豆腐を入れて刻み葱を散らした汁である。余計なものは入っていない。
 湯気の立つ納豆汁はかなり納豆臭くて、顔を背ける人もいるのだが、慣れてしまうとこの臭いが得も言われぬ香りに感じられて、病みつきになる。何よりも身体の底から温まるのがいい。ほっこりと心底気が休まる感じがするのだ。
 もう子どもたちは一人前に巣立って、年寄った夫婦二人だけの夕餉。新年ともなれば孫たちがお年玉目当てにわっと押しかけて嵐のようになるのだろうが、年の暮れはさしたる用事も無くて靜かなものだ。
 連れ添って数十年、木の葉髪になってしまった老妻には長いことよくやってくれたなあと思う。しかし、それを今更のように口に出して言うのも他人行儀というものだ。カミサンも同じようなことを考えているのだろう、二人して黙って納豆汁を啜っている。(水)

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