鮟鱇鍋妻と迎える定年日     池内 健治

鮟鱇鍋妻と迎える定年日     池内 健治

『この一句』

 定年の退職日に鮟鱇鍋とは――。 初めは少々違和感を抱いたが、やがてこの風変わりな定年日のお祝にこそ面白味がある、と思うようになって行った。なぜ鮟鱇鍋なのか、が重要である。「妻と迎える」という夫の思いやりと相まって、掌編小説のエッセンスのような、ミニ物語が浮かんできた。
 夫が何かの折に鮟鱇鍋のことを話していた。社員旅行で大洗(茨城)に行った時に食べた味が忘れられないらしい。夫は同僚や部下たちとよく飲みに行っていたが、鮟鱇には長らく御無沙汰のようだ。妻は「定年日には二人で鮟鱇鍋を」と決め、夫に話した。夫は訝った。妻の好みは洋食のはずなのに。
 「何で鮟鱇鍋なの?」と夫は聞いた。「食べてみたかったの」と妻は答えた。夫は洒落たレストランに行き、ワインで乾杯をしようと考えていたのだが、妻は鮟鱇鍋にご執心のようである。夫は思った。定年日とは妻へ「御苦労さま」と感謝を伝える日なのだ。妻の願いを叶えてやることにしよう。(恂)

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