父母に老いの報告墓参り     深瀬 久敬

父母に老いの報告墓参り     深瀬 久敬

『この一句』

 父母はいつまで親なのだろうか。父も母も生きている間は、この世の普通の親だが、たとえ亡くなった後でも親でいてくれる。仏壇の中で、墓の中で、あるいは心の中で。このような思いは人類共通のようだが、その中でも特に生々しく、現実感を伴っているのが、日本人の特徴らしい。
 ある知人の場合、お盆では北陸の父の生家を訪ね、先祖代々の墓に詣でる。その一カ月ほど後の彼岸では、東京近郊にある父母の墓へのお参りが慣わしだという。お盆の時、亡き父も父祖の地に来ていると感じるそうだ。「お母さんは?」と聞いたら「来ていないような気がするなぁ」とのことだった。
 句の作者は、ご両親の故郷にあった墓を、二十年ほど前に東京に移したそうである。父上が亡くなったのは四十年も前のこと。彼の年齢は既に父の享年を超えているのかも知れないが、いつまでも親は親。今は家から歩いて行ける父母の墓に向かい「私も年を取りました」と話しかけているのである。(恂)

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