煙立つ宗派を超えて墓参り     吉田 正義

煙立つ宗派を超えて墓参り     吉田 正義

『季のことば』

 「宗派を超えて」。なるほどその通り、と頷かざるを得ない。盆や彼岸などの時期に墓へ詣でれば、方々からたくさんの煙が立ち上っている。お寺の場合、香煙は一つの宗派のものだが、公営墓地や霊園などでは、さまざまな宗派の煙が混じり合って混然となり、一つの宗教的な世界を作り上げている。
 江戸時代の川柳「宗論はどちら負けても釈迦の恥」は、仏教各宗派間の争いを詠んだものだろう。後に落語「宗論」の枕に使われるようになったが、テーマはキリスト教に凝った若旦那と真宗信者の父親との仲違い。そんな父子もいまは、子孫の買った霊園の墓で、仲良く眠っているかも知れない。
 他国の宗教からみれば、何たる融通無碍、ではないだろうか。釈迦を開祖とする仏教はインドからアジア全域に広がり、いくつもの分化を経て日本に伝来、さらに分化を続けて今日に至った。ところがその分化はいま、霊園、墓苑で一体となる。国連もこんな具合になればいいのになぁ。(恂)

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