夕立の止みて露(あらわ)に嵐山     久保田 操

夕立の止みて露(あらわ)に嵐山     久保田 操

『この一句』

 「露」と書いて、なぜ「あらわ」なのか。辞書類の中に、その元かも知れない「露骨」という語を見つけた。本来は「戦場に骨をさらすこと」で、内側のものが外に表れることだという。夕立後は確かに山がはっきりと見える。この句、夕立の後に“本来の嵐山”が浮き出てきた、と言っているのだろう。
 京都・嵯峨の嵐山。古来、紅葉と桜ばかりが称揚され、夏、冬の評価はぐんと低くかったが、山の実態は松に覆われている。夕立の止んだ後であった。天竜寺の門前を過ぎて渡月橋を渡り出すと、作者の眼前に嵐山が現れたのだろう。以前よりくっきりとしていた。山容も大きく、どっしりと見えた。
 「六月や峰に雲置く嵐山」(芭蕉)。去来の別亭・落柿舎での作とされる。六月は現在の七月から八月の初め、夕立の後であった。俳句の常識を打ち破って来た芭蕉は、紅葉や桜より、青松に覆われた雨後の嵐山に大きな魅力を見出したに違いない。作者・操さんは芭蕉と同じ嵐山を見ていたのである。(恂)

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