七月の雨芋の葉を連打せり     大澤 水牛

七月の雨芋の葉を連打せり     大澤 水牛

『季のことば』

 季語や季節に関する一般的な言葉には、常識的な思い込みというものがあるようだ。例えば梅雨と夕立。梅雨はシトシトと陰鬱で、夕立はザアザア、バラバラと激しく降る、というイメージである。それに夕立は梅雨が明けた後に、雷を伴って降る雨、と固定的に考えている人が多いようである。
 当欄では六月あたりから「夕立」の句をいくつか取り上げてきた。日経俳句会の兼題になったからで、実は当初、私は「夕立の兼題は梅雨明け後の方がいい」と思っていた。しかし調べてみたら夕立は、梅雨明け後に限らなかった。夏の昼過ぎから夕方にかけて、突然、激しく降ってくれば、夕立なのだという。
 梅雨の時期の雨脚も初めと終わりの頃では大いに変わってくるらしい。掲句について「“連打せり”で、七月の雨の様子がよく表現されている」(綾子)という評があった。確かに、里芋の葉が破れんばかり、という感じがする。梅雨明けに向けて七月の雨は、さらに激しく、大粒になっていくのだろう。(恂)

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