年ごとの藤波見んと回り道 深田 森太郎
『季のことば』
晩春、桜が散ってしまった後を受けて藤が咲き始める。藤の花は一つひとつは大人しい紫色あるいは白色の地味な蝶形花だが、房になって咲いて垂れ下がるとぐんと華やかになる。大昔から大きな屋敷や庭園には藤棚が作られ、下には緋毛氈を敷いた縁台などが置かれて、桜とは異なる風情の花見の宴が張られた。
藤棚から垂れ下がる花房が風で揺れる様子にことのほか風情があるので、特に「藤波」と言う。万葉集には「藤波の花は盛りになりにけり平城(なら)の京を思ほすや君」(巻三・防人司佑大伴四綱)という歌がある。満開の藤波を見るにつけても、遠く平城京を懐かしんでいらっしゃるのではありませんかといった意味合いだろう、藤の花は華やかではあるが、愁いをたたえてもいる。
掲載句は毎日の散歩コースからちょっと離れた公園かどこかの屋敷だろう。立派な藤棚があり、毎年四月半ば過ぎになるとそこへ目の保養に行くというのだ。藤棚は手入れが良くないと野放図に繁り、枝葉が密集して花付きが悪くなる。その点、この藤棚は素晴らしい。ああ今年の春も行ってしまうなあと、藤波を見上げながらつぶやく。(水)
この記事へのコメント