無残やな熊本城に夏の月 横井 定利
『この一句』
「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」。芭蕉が「奥の細道」で詠んだ有名句である。「むざんやな」は何かの折にふと口をついて出るほどではあるが、この語を句に生かすのはとても難しい。誰もが芭蕉の句を思い浮かべるからで、ありきたりの「無残」だったら、読み手はしらけざるを得ない。
しかし熊本城なら、そうだなぁ、と頷いてしまう。加藤清正の築いた、熊本人の誇りでもある城が、あんな姿になってしまったのだ。屋根瓦は落ち、石垣は崩れ、辛うじて崩壊を免れている有り様だ。「無残」に変わるほどの言葉はなく、夏の月が煌々と照らす光景を思い浮かべれば、さらに無残である。
ただしこれは時事句だから、作品として存在し得る限界がある。現在なら誰もが無残な有様を思い浮かべることが出来るが、いつの日か「何で無残なのか」と首をひねる句になってしまうのだ。賞味期限つきのことは作者ももちろん、承知の上。天守閣などの再建案がすでに具体化し始めている。(恂)
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