葉桜や次々逝きし友の顔 片野 涸魚
『季のことば』
山桜は花の咲く前から、大島桜は花と同時に、染井吉野は花の散り際に葉を出し始める。いずれも花を引き立てるようにみずみずしく、薄く柔らかな緑茶色の葉である。ほのかな得も言われぬ香りがする。
やがて花がすっかり散り、桜蘂降る四月中旬あたりから桜の葉は徐々に緑を濃くして、五月上旬には若々しい葉を木全体に茂らす。これが「葉桜」。「桜若葉」とも言い、新鮮で生命力に溢れた様子が好まれて、人気のある句材である。
だが葉桜は若々しい力強さを感じさせる一方、樹陰に入ると様相一変して重苦しい雰囲気になる。それでも陽光燦々たる昼間は木漏れ日が差して、「葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵」と多少賑やかになりはするが、何とはなしの不安感が漂う。ましてや曇り日ともなれば暗い影が覆う。
この句は葉桜並木の下であろうか。樹陰を歩くにつれて亡き友人の俤が次々に浮かんで来る。中にはしきりに招くような顔もある。まあ遠からずそちらに行くことにはなるが、もうちょっと待ってくれよとつぶやく。(水)
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