心音の聞こえるほどの薄暑かな     宇佐美 論

心音の聞こえるほどの薄暑かな     宇佐美 論

『合評会から』(三四郎句会)

信 薄暑の頃はつまり薄着になる頃ですからね。心音がふとした時に聞こえてくるのでしょう。
賢一 静かな時でしょう。横になっているのかな。心臓の音が聞こえるほどなんですね。
有弘 私は心臓に問題があるから、身につまされる。この句を見ただけでも、ニトロを飲んだ方がいいかな、なんて考えてしまう。心臓に影響を及ぼす句ですね。
論(作者) ドキドキと音が聞こえてくるよう気がしたのですね。それが気温のせいなのか。兼題の「薄暑」について考えていた時で、こういうこともあるのだな、と・・・。
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 何人かに聞いてみたが、心音が「聞こえる」人と「聞こえない」人がいた。つまり聞こえるかどうかは人さまざまで、句を選んだ人の感想もさまざまである。私なら、真夏のシーンとした炎天下に立てば聞こえるかな・・・と考えてから気付いた。この句は、聞こえるかどうかを詠んでいるのではない。「聞こえる“ほど”の薄暑」であって、その季節感、気温感は何とも微妙である。俳句の微妙さかも知れない。(恂)

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