田楽や花のひとひらともに食む 水口 弥生
『この一句』
花見の情景を切り取った、一瞬の妙味がある。田楽の串を口元にもっていったら、折柄の風に舞散る花びらが一ひら、田楽に貼り付いた。これは御馳走と、田楽とともにいただいたというのである。
作者は実際に経験したのだろう。そうでなければ、こういうことはなかなか詠めない。実は私も同じ経験したことがある。日経俳句会では創設者の故村田英尾先生の墓参をして高尾の森林科学園桜保存林を吟行するのが恒例になっている。いつも、そこの頂上付近の桜を見渡す場所のベンチにみんなで固まって弁当をつかう。その時は、田楽ではなかったが、かぶりつこうとした握り飯に花びらが止まった。これはこれはとばかりにぱくついた。この句もおそらくそういう一瞬を捉えたものに違いない。木の芽田楽に桜花一片。実にきれいだ。
ところが、「田楽」は仲春の季語、「花びら」は晩春の季語。さあこの季重なりをどうすると四角四面の宗匠は言うかもしれない。かも知れないが、まあそんな難癖はもろともに呑み込んでしまうことにしよう。(水)
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