賽銭の額に願掛け初詣 渡邉 信
『この一句』
一読、にやり、いや苦笑、だろうか。神社、仏閣にお参りに行き、賽銭箱の前に立つと、どの硬貨にするかをどうしても気にしてしまう。小銭入れを覗き込み、百円があれば「これにするか」と思い、五十円玉しかない時は「仕方がない、これにしよう」と呟きながらも、内心はホッとしている。
私の新年恒例の参拝は、氏神様への初詣と日経俳句会などが主催する七福神詣である。困るのが七福詣の方で、七回も寺社を廻るのだから、神様、仏様に「申し訳ない」と謝りたくなるような場合も、ないわけではない。この句は、そんな気持ちをそのまま正直に詠み、ユーモアの溢れる句になった。
あるお坊さんが賽銭についてこんなことを話していた。「ギザギザのない(十円か)ものより、ある方(百円か)がいいですな。しかし投げて音のしない(千円札か)のが、いちばん有難い」。句の作者は中小企業ながら立派な会社の会長さんである。賽銭を投げても、もちろん音がしなかった、に違いない。(恂)
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