小松菜とほうれん草の芽が二列 大石 柏人
『季のことば』
草の芽は年中生えて来るのだが、俳句では「春の季語」とされている。「若草」や「双葉」も春である。これは厳しい冬が去るや何もない地面にぽちっと緑の芽を吹き出し、それが日を追って育つ様子が万物甦る春を告げてくれるからである。このように俳句の季語というものは、それが最も強い印象を与える季節のものとして位置づけられる。
しかし、困ったことに、野菜の芽吹きは秋であることが多い。正月から三、四月に収穫される野菜の種は九月から十一月に蒔かれる。当然、その芽生えも、双葉本葉がそろうのも秋たけなわの頃である。掲出句はそういう秋の家庭園芸の一コマを詠んだものである。作者は八十歳をとうに越えているが矍鑠として団地の空地を耕し、野菜や花を育てて近隣住民の目を楽しませている。「当たり前のことを当たり前に詠んだ句がいいですね」という言葉を添えてこの句を送ってくれた。もはや季語の縛りなど超越しているようだ。
昔の俳人も野菜の若芽の季節分類には苦労したらしく、「双葉」「若芽」は春なのに「貝割菜」や「菜を間引く」(間引菜)は秋の季語として掲げた。(水)
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