いわし雲墨を打ちたる杉丸太       岡本 崇

いわし雲墨を打ちたる杉丸太       岡本 崇

『この一句』

 空に鰯雲。その下に大工の働く建築の現場がある。昔は子供たちが周囲に集まり、作業をじっと見つめていたものだ。大工さんたちは、まず砥石で刃物を研ぎ、鉋(かんな)や鑿(のみ)、鋸(のこぎり)などを用いて、働きぶりを披露してくれる。あのような風景は今、ほとんど見ることが出来ない。
 中でも懐かしい光景がある。墨壺から墨糸を引き出し、材木の端から端へと張って、パシッと黒い線を引く作業である。この句を見て、あれは「墨を打つ」というのか、と知った。細かい霧のように墨のしぶきが飛ぶのを見た記憶もある。その瞬間、真っ白な材木に一本、黒い線が引かれていた。
 墨壺はもう過去の大工道具のような気もする。俳句仲間の建築業経営者によると、墨壺は室内作業などでまだ重要な道具の一つだという。しかし建築現場はシートや網に囲まれていて内部を覗くことは出来ない。「墨を打ちたる杉丸太」。あの鮮やかなシーンを覚えている人は年々、減っていくのだろう。(恂)

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