過疎村の石ころ道や秋の風 片野 涸魚
『季のことば』
秋風は古来人気のある季語で、さまざまに詠まれてきた。花、月、雪の季語御三家は別格として、おそらく春風と共に人気を二分する季語ではないか。芭蕉は「もの言へば唇寒し秋の風」「身にしみて大根からし秋の風」と詠み、一の弟子杉風は「がつくりと抜け初むる歯や秋の風」、蕪村は「秋風にちるや卒塔婆の鉋屑」、一茶は「淋しさに飯を食ふなり秋の風」と詠んでいる。
猛暑が去り9月の仲秋、さわやかな風に生き返った気分になる。しかしほっとするのも束の間、10月の声を聞き、肌寒さを感じる秋風に吹かれるとそぞろ寂寥を感じる。ああ今年も余すところ三ヶ月を切ったという、追い立てられるような思いとともに、万物凋落の冬を迎える淋しさにとらわれる。
この句の過疎村は、作者にとって単なる通りすがりの村ではないように思える。戦中戦後の疎開で一時期住み暮らした村か、あるいは以前、何か特別の旅とか仕事で滞在した村なのではないか。そういう村に久しぶりに足を踏み入れた。すっかり寂れている。石ころ道を吹く秋風が殊の外身に沁みる。(水)
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